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追放したことは謝るから戻ってきてくれと言われても  作者: かたつむり3号
第三章 走れ! 走れ! 走れ!
16/22

プロローグ


 人生とはままならない。

 幾度となく繰り返した転生の日々で、幾度となく思い知った。今回もそう、ままならない。


 雲一つない晴天の下にいるのに、木々に覆われ鬱蒼とした森は薄暗い。足元に広がるのは色とりどりの毒キノコ。目に痛いほどの極彩色を塗りたくり、実に毒々しく立つ彼らとの、今日は楽しいおしゃべりの日であった。そのはずだった。

 頑丈な肉体に恵まれ、嬉しいことに魔法の才にも恵まれて。順風満帆な逃亡生活を満喫していた私は、すっかり油断していた。

 人生とは、幸福は質で、不幸は数で攻めてくる。ちょこちょこ幸福をつまみ食いした私の身に、次に降り注ぐのは数多の不幸。備えておくべきだった。まさかこんな平和な陽気の日に、まさか真昼に、フレアウルフの群れに遭遇するなんて思いもしない。


 燃え立つ炎のように逆立った赤褐色の毛並みは、彼らが戦闘態勢に入っていることを示している。熟れた柘榴のような双眸はじっと私を見据え、逸れる気配はない。獲物は私だ。バカでもわかる。先頭に立つひときわ大きな個体なんて、早くも口から火の粉が漏れている。

 噛みついて、動きを封じたところを焼くつもりなのだ。囲まれているのでどっちへ逃げてもいずれかの個体に噛みつかれる。そうでなくとも鋭利な爪で八つ裂きにされるだろう。ああ、まったくままならない。


 今、私の足元に群生している毒キノコは、いずれも希少なものである。めったに見つからない。こんな幸運を前に、私は己が命を長らえるために魔法を使わなくてはいけない。それもフレアウルフを相手に。

 どうしよう。

 どの魔法であればキノコに傷をつけずに済むだろう。もう泣きそうだ。風が吹けば毒を含んだ胞子が舞ってしまうだろう。冷気には弱い。焼くなんてもっての外だ。


 フレアウルフがじりじりと距離を詰めてくる。数が多い。ああ、面倒くさい。過去に散々、雑な生き方をしてしまった影響で、私はすっかり面倒くさがりになってしまった。手を抜けるところはとことん抜いて、楽なほうへ楽なほうへ流れる生活だ。こんな、二十頭はいるような群れを相手に、キノコを傷つけることなく制圧しなければならないような戦闘は面倒だから遠慮したい。


 いよいよ距離が縮まる。それ以上こちらへ輪が縮まると、キノコを踏まれてしまう。私は泣く泣く覚悟を決めた。魔力を練る。

 ざわり、と肌が粟立つ。フレアウルフが地面を踏みしめ――鮮血が散った。土砂降りの雨でも降っているような音を立てながら噴き出す血を避けるため、防御魔法を展開する。阻まれた血が防壁を濡らして、視界が真っ赤に染まった。


 気持ち悪い。頭痛がする。せっかくの楽しい気分が台無しだ。

 音がやみ、魔法を解くと、辺りは真っ赤な霧に包まれていた。濡れた地面に、胴とさよならしたフレアウルフの首が転がっている。胴は円を描くように倒れており、何か奇怪な儀式でもしているような光景だ。


 魔力を練る。赤い霧も、地面を濡らす赤も、まとめて洗い流す。ついでにちょっとだけ浄化もしてしまう。

 キノコを防御魔法で囲い、風魔法でフレアウルフの首をまとめて切り飛ばし、降り注ぐ血を防御魔法で防ぎ、水魔法で血を洗い流し、神聖属性魔法で淀んだ空気を浄化する。

 魔法って便利だな。日々、改めて強く抱く感動をまた抱き、今回も頑張って魔物の肉を食べ続けて良かった、と自分のことも褒めてやる。


 これだけフレアウルフがいるのだから、すべて解体してギルドに素材を持ち込みたい欲求に駆られる。今の私はまるで金がない。最近はキノコの研究に夢中ですっかり町から遠ざかっている。おかげで金の蓄えが寂しいままである。そろそろ人の作った料理を食べたい。というか回復薬を飲まなくてもいい食事がしたい。

 ちらり、と足元のキノコに視線をやる。逃げないよな。キノコだものな。毒はあるがただのキノコだ。足が生えて歩いたりしない。


 ナイフを取り出す。

 ……面倒だな。

 ナイフをしまう。

 キノコに視線を移し、やはり思いとどまってフレアウルフに視線を戻す。金になる。解体して、ギルドに素材を売れば結構な額の金が手に入る。

 金、金は大事だ。自給自足に飽きてきた今、金がなければ何もできない。作る手間も後片付けの面倒もない食事、安眠できる寝床、火起こしやら後始末やらの時間を取られない風呂。実に魅力的である。それらすべては金があってこそ手に入る。


 しかし二十頭のフレアウルフを捌いて町まで運ぶのは、面倒くさい云々以前に時間がかかり過ぎる。一人では無理だ。一人で往復していたのでは日が暮れてしまう。……ギルドに行って人を寄越してもらおうか。もうそれすら面倒に感じている時点で絶望的である。

 いつの間に私はこんなにも怠惰な人間になってしまったのだろう。やはりあの頃、ジョン・グローバーであった頃、あんなにも雑に生きてはいけなかったのだ。


 ああ、悔しい。


 いくつか前の私なら、こんなアホみたいなことで延々と時間を垂れ流しはしなかったのに。さっと取りかかってささっと終わらせていたはずなのに。

 なんだか自分がとてつもなく駄目な生き物になってしまったような気がして、私はその場にしゃがみ込んで頭を抱えた。


「なっさけないなぁ……」


 情けなくて不甲斐なくて、泣けてくる。

 前世の私は、ジョン・グローバーという男は、魔王を倒しに行こうじゃないか、と張り切り勇んだ矢先にぽっくり死んでしまった。飢えたオーガの群れが町を襲ったのである。住民たちを避難させ、逃げ遅れた人がいないか見回って、そして愚かな私は小屋へ戻った。旅の荷物を回収しようなどと、馬鹿な考えを起こしたためである。

 冒険者たちがグローバー邸の周囲を固めてくれているから住民は大丈夫。孤児院の子どもたちも、シスターたちも大丈夫と油断して、安心しきって。

 ヴィンセントはまだ帰っていなかった。ユリーピアを探しに出かけて五日、なかなか見つからなかったのだろう。運がいい。


 小屋へ戻って、荷物を回収して、邸に向かう途中でオーガの群とかちあった。予定とは違うルートを歩いてきたのだろう。ギルドから報告のあった森の西側からではなく、街道から堂々とやつらはやってきた。おそらくは森から近い町に立ち寄ってそこを襲い、森へは戻らずそのまま道なりに歩いたのだ。舗装された道を辿れば人間がいる。頭の悪い豚共にも、その程度の思考は可能であったらしい。

 見つかって、逃げて、けれど逃げ切れるわけもなく。荷物だけは隠さなければ、と躍起になっているうちに追い詰められ、そして食われた。あれは痛かった。久し振りにあんな激痛の中で死んだ。豚共も、せめて殺してから仲良く分ければいいものを、生きたまま手足をもいで分け合うのだから堪らない。この世の終わりだってもうちょっと穏やかに死ねるだろう。回復薬の瓶を数本、常に持ち歩いていたのもいけなかった。連中が私の体をもぎとろうとつかんだ拍子に瓶が割れて、中身がかかった。千切れている最中にあるのにしぶとく千切れた部分が塞がろうとするもので、あれはもう表現できない、言葉にできない激痛だった。

 ろくな死に方はしない。常々わかっていたことではあったけれど、あそこまでとは想像していなかった。本当に痛かった。


 まったく、どうしてあんなにも荷物を守ろうと思ってしまったのか。大したものが入っていたわけでなし。さっさと捨てればよかった。捨てて、森にでも逃げ込んでいれば助かったかもしれないのに。バカなことをした。


 深々と吐き出した溜め息で、沈み込んだ気持ちを流してしまう。

 立ち上がり、ナイフを握る。面倒くさい、が勝ってしまったので、向き合うのはキノコのほうだ。真っ赤なカサに白い斑点という冗談みたいなキノコもあれば、カサは雪のように真っ白なのにヒダが蛍光色の黄という嘘みたいなキノコもある。さまざまな毒キノコが仲良く発生することはめったにないが、全くないというわけでもない。


 ここのように日があまり当たらず、適度に湿気ており、ついでに地面に魔物の死体でも埋まっていれば最高の条件だ。腐った魔物の死体から発声するキノコは瘴気をこれでもかと吸収しているので、非常に毒性が強い。何でも食べるオーガなんかを栄養源にしていた場合、連中が蓄えたものによってはこんな風に色んな毒キノコが一か所に発生する。

 せっかくだしフレアウルフを一頭ここに埋めて、キノコの培養でもしてみようかな。

 なんだか楽しくなってきた。フレアウルフの火炎袋を養分に育ったキノコは、どんな毒を持つのだろう。


 好奇心が疼いたのなら行動あるのみ。小さめの個体を選んで、埋める場所は今あるキノコから少しだけ距離をとることにした。道具がないので、穴は魔法で掘る。せっかくだから頭も埋めよう。

 どれくらいで育つだろう。そもそも育ってくれるだろうか。観察日記をつけるのもいい。やっぱり失敗したときのために、もう一頭どこかに埋めよう。水辺がいい。濡れるのが嫌いなフレアウルフを養分に、湿気を好むキノコを育てる。どんな結果になるか、今からわくわくする。

 自由気ままに研究をするのは楽しい。好き勝手に実験をするのはもっと楽しい。気になったことを興味本位で調べて、面白い結果が得られると嬉しいし、結果が出なくても過程は楽しい。


 未発見の毒キノコを発見したときなどは本当に楽しかった。何度か死にかけたが、それも毒キノコ研究の醍醐味だろう。昔の癖で、回復薬は山ほど用意があるのでしぶとくまだ生きている。

 やりたい放題あれこれ調べて実験して観察して育ててみて、あらゆる記録をまとめてギルドに提出した。あのときは大金と一緒に命名権をもらったけれど、面倒だったのでドクキノコと名付けたら拒否された。代案としてドクドクキノコと言っても駄目で、否定されるたびにドクを増やしていたら、ドクドクドクドクドクキノコ辺りでギルドマスターが出てきてボコボコにされた。彼はすぐ手が出るからいけない。そういえば、結局あれはなんて名前になったのだったか。


 つらつらと取り留めもなく思考しながら作業をしていると、腹が減ってきた。ちょうどいいので、フレアウルフを一頭、ささっと捌く。切り出した肉の塊を、魔法でそっと炙る。こいつらの肉は火への耐性があるので、普通の火では焼けない。魔力のこもった火でじっくり炙ると柔らかくなるので食べやすい。食べると腹を壊すが美味しい拳大の岩塩らしきものに乗っけて焼く。いつだったか、崖から転がり落ちた先に見つけた岩を削って持っているのだが、これは本当に何だろう。塩味がするのだが、どうしてか必ず腹を壊す。死なないので常備しているが、正体は不明なままだ。


 焼いている間に腹がきゅうきゅう鳴き出した。何かサッと焼けて食べられるものはないかと視線を走らせ、そういえば毒キノコがあったのだと思い出す。比較的、毒が弱いものを探す。ニノヘダケがあった。平らで楕円系のカサは赤茶で、ヒダは血を吸ったような色をしている。こいつは食べると腹を壊すが死にはしない。死ぬほど腹痛がするが、死なないのでこれにしよう。


 懐から回復薬の瓶を二本取り出し、これで良し。ニヘノダケを素手でぶちっと千切って、サッと火にくぐらせる。カサが薄っぺらいので、長く火に当てると焦げて過食部分がなくなってしまう。柄はえぐみがきついので食べない。

 パクッと一口で食べて、その不味さに呵々大笑する。不味い、本当に不味い。苦いし、舌がビリビリするし、絶対に人間が食べていいものじゃない。さすが毒キノコ。あ、もう腹が痛くなってきた。

 急いで回復薬を飲む。こちらも不味い。これまた昔の癖で、回復薬は味よりも効果を重視している。

 なんだか口の中がどうやっても不味いので、ちょっと楽しくなってきた。


 焼けた肉を齧ってみる。あ、美味い。あ、いや、不味い。美味い。不味い。

 塩味を感じると美味いのだが、肉の味になると途端に不味い。柔らかいので噛み切ることに難はないのだが、とにかく味がよろしくない。獣臭いし、舌がバチバチする。おそらくは火傷しているのだろうが、どうでも良くなるほどにひたすら不味い。

 回復薬を飲みながら、食事を続ける。せっかく回復しても口の中が不味いので岩塩らしきものを舐めて、そうすると回復薬を飲まねばならず、いつまで経っても口の中が美味しくならない。

 焼いた塊を食べ終わる頃にはすっかり飽きて、瓶に残った回復薬で流し込んで終わりにした。不味いと感じることが面倒になってきた。よし、ごちそうさま。


 腹が膨れたら気持ちのも余裕が生まれた。二頭は埋めて、一頭は捌いた。あと十七頭、飽きるまで捌いて、ギルドに運ぶのは明日にしよう。幸いなことに今生の私は使えない魔法のほうが少ない。死体が腐らないように冷やすなどお手の物だ。

 鼻歌混じりにナイフを動かしていく。腹をざっくり裂いて、内臓をべろんと取り出す。手が汚れるのを嫌うのをやめられないので、水は垂れ流しにしておく。じゃぶじゃぶ洗いながら、取り出した内臓はその辺にびゃっと放り投げる。炎袋はまだ熱を持っていたが、水をかけながらこれまたべろんと取り出す。これだけは丁寧に切り離し、他と混ざらないよう遠くに置いた。水の先をそちらへも伸ばし、冷却する。

 皮はどうしようかな、この際だから剥いでしまおうか。骨は何かに使えるんだったかな。肉を食べるのは私くらいのものなので、これは雑にしても構わない。どうせどの部位も不味いのだ。


 ふんふんふーん、と下手くそな鼻歌を垂れ流しながら作業を続けていると、不意に背後で音がした。ふふんふーん、と振り返って、ナイフを取り落とした。

 狼だった。フレアウルフではない。とんでもなく巨大な、真っ白な毛並みをした狼だった。よくもまあ、これの接近に気づかなかったものだ。

 何という種類の狼だろう。一瞬、疼いた好奇心はすぐに萎んでしまう。はしゃいだって無駄だ。これはもう死ぬしかないだろう。

 魔法には自信があるが、さすがに狼が私を引き裂くほうが早い。あるいは噛み砕くほうが早い。最期の食事がフレアウルフのくっそ不味い肉とは残念だ。酒、とまでは言わないが、せめて美味しかった、という感想を抱けるような何かを食べてから死にたかった。


 懐に入れていた回復薬の瓶を全部出して、鞄のほうへ移す。肩から斜めにかけていた鞄は下ろし、体から離して遠くに置いた。前回の反省を生かして、うっかり回復してしまわないように。

 これで良し。狼が気を利かせて待っていてくれたおかげで、準備が整った。さあ、お待たせ。いつでもがぶりとやってくれ。

 ぎゅう、と目を瞑る。



「あんたさっきから、何してんだい?」



 聞き覚えのある声に瞠目する。ほとんど擦り切れた遠い記憶の奥の奥、久しく思い出しもしなかった記憶にこびりついた、それはフェンリルの声だった。

 

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