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エピローグ


 バタバタとうるさい足音が向かってくる。湿地帯に蜥蜴人(リザードマン)が出た、というので棲みつかれる前に薙ぎ払ってくる、と出かけていったヴィンセントが帰ってきたのだろう。無視して鍋をかき混ぜていると、大きな声で名を呼ばれた。これも無視してさらに鍋をかき混ぜる。葉を詰めた布袋を引き上げ、青臭さに顔をしかめる。


「おーい、いいから出てこいって!」


 ジョンジョン、と最近すっかり慣れたらしい名前を早口言葉のように叫び出した。あんまりしつこく呼ぶものだから、諦めて外に出てみる。


「うるさいぞ」

「見ろよ、いいもの見つけた!」


 君のその発言は信用できない。声には出さず表情で訴える。

 少し前もそうして私を呼び出して、取り出したのはゴブリンの膀胱だった。あのときほど本気でぶっ殺そうかと思ったことはない。

 あんまりにも臭いので堪らず小屋から聖水を持ち出してびゃっとかけたら、浄化され溶けた。そのときの臭いときたら、……この世の終わりのような臭いがした。臭すぎて吐いた。ヴィンセントも吐いた。よくここまで持って帰れたものだ。聞けば意地だという。まだ私への嫌がらせを継続している最中だった。

 二人でげーげー吐きながら地面をのたうち回っていると、膀胱の中身が漏れ出してまた吐いた。比ではなかった。鼻がもげる、という言葉を私たちがあまり使わなくなったのは、あれを超える臭いがそうはないからだろう。多分、体中の水分がなくなるほど吐いて、早く溶けて消え失せろ、とじゃぶじゃぶかけたせいで貴重な聖水であるのに樽の半分ほどの量を消費してしまって泣いた。

 しばらく鼻がきかなくて仕事もできず、食事もとれず、しかたないのでヴィンセントの魔法で鼻を焼き消して回復薬の原液をぶっかけて再生することになった。


「今度は本当にいいものだって!」

「言ってみろ、何だ」

「ユニコーンの角」


 時が止まったかと思った。深く息を吸って、深く吐き出す。


「ゆ、ユニコーンの角?」

「ユニコーンの角」

「でかした!」


 駆け寄りヴィンセントを抱きしめる。持ち上げて振り回す筋力はないので、髪から顔からもちくちゃにする。ちょっと勢い余ってキスしたような気もするが気のせいだろう。犬を撫で回すように頭を両手でつかんでわしゃわしゃ撫で回す。ヴィンセントは上機嫌でくすぐったそうに笑っている。


「どうやって手に入れた!」

「蜥蜴人だ。死にかけてたのをどっかで拾って運んできたんだろ。手遅れだったから、額のとこの肉を焼いて引き剥がしてきた。体は蜥蜴人と一緒に焼いた」

「そうか。肉は惜しいがしかたない。よくやったぞ、ヴィンセント。今日は肉を大盛りにしてやろう!」

「もっと褒めろ崇めろ奉れ!」

「よしよし、これでしばらく教会に行かなくて済むぞ」


 魔王は勢力を拡大していた。例のパーティは潰れてこそいないものの魔王城まではまだ到達できていないようで、生活は日々、苦しくなる。教会も聖水を抱え込んでいるわけにもいかなくなって、祈り清めてはじゃんじゃん配って回っている。

 私が売りつけていた安心は、いよいよ死が身近になったことでそれどころじゃなくなったのか、売り上げが落ちている。そんなことで正気に戻るはずはないのだが、私の見込みが甘かったのだと考えるのは後回しにした。それどころではないのは私も同じだった。

 私はなかなかどうしてしぶとく死なず、予定はすっかり狂ってしまった。汚い手口で色々と仕込んでいる余裕がなくなり、今はもう領民を生かすことに手いっぱいだ。


「すぐに砕くぞ、手伝え」

「おう!」


 ユニコーンの角を混ぜれば、回復と浄化を同時に行える薬が作れる。最近は瘴気も濃くなってきたから、これは売れるぞ。

 乾燥させたユピーニアの葉で作った飲みやすい回復薬では追いつかない、ということで、最近は生のまま煮て効果のほうを重視するようになっている。作った端からなくなるので在庫は蓄えられないし、私が飲む罰を確保する余裕もなくなった。まったく魔王には参ってしまう。

 孤児院の助けになれば、と始めた薬の生成であったはずなのに、今ではすっかり業者だ。ギルドへ納品しつつ、冒険者にも直接ここで配っている。孤児院の子どもたちはシスターたちと一緒に避難所代わりのグローバー邸へ移り住み、医療所代わりにもなっているグローバー邸で食事の世話なんかをやってくれている。広い邸で良かった。

 先日、私が死んだあとのことを引き受けてくれる予定だった男から、それどころじゃねえから領地運営に口出しさせろ、と言われてしまった。薬作りは代われないのでそちらに集中してくれ、ということだった。頷くしかない。魔王が元気いっぱいだと、世の中ってのはこうも大変なのだなとしみじみ思う。

 小屋の中に入ってガチャガチャ道具を並べていると、ヴィンセントがくすりと笑った。


「最近はろくでもないことやらかす余裕もねえだろ」

「まったくだ。私の悪徳人生は中途半端なところでお終いだな」

「良かったじゃねえか。うやむやにできてよ」

「良くないよ。これで私の人生がまた一つ無駄になった」


 火を起こして、角を炙る。頑丈過ぎてそのままではハンマーで殴っても砕けないのだ。


「バカ。無駄になって良かったんだよ、あんな生き方」


 そういうものだろうか。


「いっそ魔王でもぶっ殺しに行くか? 一気に英雄だぞ」

「今から? 先に行ったパーティに追いつく頃には終わってるよ」


 のんびりしているパーティではあるが、さすがに今から追いかけて討伐前に追いつけるわけがない。もしそうなったら、世界のほうが終わってる。


「転移魔法でも開発するか?」

「あー……君ならできてしまうんだろうな。でも私は行っても戦えないから、やっぱり駄目だな」

「お前は俺の後ろでじゃんじゃん薬つくってればいいだろ」

「ああ、なるほど。毒薬を作って、できた端から魔王に投擲するのもいいな」


 大鍋をかき混ぜるよう指示を出し、炙った角をハンマーで軽く叩いてみる。まだ硬い。


「毒じゃなくてもいいだろ。ゴブリンの膀胱でも投げつけてやれ」

「あんなの持っていられるか。鼻がもげる」

「あっはっは! 魔王の鼻もいでやろうぜ!」


 いかれてる。そう思うのに、どうしてか可笑しくなってしまった。おそらく私もヴィンセントも疲れているのだろう。

 みんな疲れている。

 毎日のようにどこかで誰かが死んでいる。森にも魔物がうようよ出るようになった。冒険者の数が足りないから、農民が鍬で魔物を殺してる。口に入る肉の半分は魔物の肉だ。毒抜きやら瘴気の浄化やら、食べるまでにものすごい時間がかかる。

 魔物の肉なんて、エースの頃に散々食べたけれど、好きで食べていたわけじゃない。多少の懐かしさはあっても、喜んで続けるには日々の潤いが足りていない。今はただただ苦痛だ。


「またユピーニア採りに行かねえとな」

「まだ咲いてる場所があるのか?」

「探せばあるだろ。こいつらどこでも咲くしいつまでも咲くだろ」

「それもそうか」


 ハンマーで叩いてみる。砕けた。

 すり鉢に入れ、慎重に砕いていく。


「なあ、お前そろそろ俺のところに戻る気になったか?」


 不意にヴィンセントがにやりと口角を持ち上げて言った。


「急に何だ」

「急じゃねえよ。ずっと言ってんだろ。俺にはお前の力が必要だから、俺のところに戻ってこいって」

「はっ、嫌だよ」

「何でだよ!」


 地団駄を踏む姿に、遂に笑声が漏れた。


「君のこと好きじゃないから」


 意地悪して言うと、ヴィンセントは目の玉が落っこちそうなくらい瞠目して声を裏返した。


「うっっっっそだろお前!? こんな時代にこうやって一緒に生活してるのに、相手のこと嫌いなやついんのか!?」

「ここにいる」


 途端に眉を吊り上げる素直さに、もう笑いを我慢できない。ユニコーンの角をすり潰しながら肩を震わせる。


「お前! 遂に嫌いって認めやがったな!」

「好きを否定してるだけだよ」

「どう違うんだよ!」


 地団駄だけでは足らず、激しくテーブルを殴る様が可笑しくて、ユニコーンの角のことも忘れて腹を抱えて笑い転げる。笑うな、とヴィンセントはますます怒るけれど、段々と可笑しくなってきたのか、彼も笑い出す。

 二人で笑い転げながら、戻ってこい、断る、の問答を久し振りにやった。


「ちくしょう、お前ほんっっとに性格悪いな」

「君に言われたくないね」

「なあ、本当に魔王殺しに行かねえの?」

「行きたいのか?」


 目端の涙を拭いながら問いかけると、ヴィンセントは肉がなあ、とぼやいた。料理の手間と、食事の不味さに相当参っているらしい。


「行きたいってわけじゃねえけど、あいつら時間かかり過ぎ。俺らが行ったほうが早いだろ」

「私にエース時代の戦力を期待しないでくれ」

「俺の補助は得意だろ」

「それは否定しない」


 そっちも好きでやっていたわけじゃないが、できるか、と問われれば、できる。


「やっぱ行こうぜ。追いついて、追い越して、魔王も殺して、あいつらの度肝を抜いてやろう」

「やけに対抗意識を燃やすじゃないか」

「そんなんじゃねえけど、……ほら、同じ金髪だったし俺が殺しても勇者が殺しても一緒だろ」

「いきなりびっくり理論を振り翳すな」


 意味がわからん。

 深々と溜め息を吐き出す。


「じゃあ、ユニコーンの角を使った回復薬が完成したら付き合ってやるよ」

「言ったな! 撤回させねえぞ!」

「わかったから、君はユピーニアを摘んでこい。それから転移魔法も再現しないと、さすがに徒歩じゃ追いつけない」

「俺にかかればあっという間だって。崇め奉れ!」

「はいはい」


 行ってくる、と。さっき帰ってきたのにヴィンセントは小屋を駆け出して行った。……さすがに、そこまですぐだとは言ってない。

 どうしよう、冗談で済まなくなってしまった。鍋をかき混ぜる。心臓がバクバクうるさい。

 もう十分細かくなったユニコーンの角をさらにすり潰して、また鍋をかき混ぜる。旅の支度をしておかないと。転移魔法ってどうやって使うんだっけ。角の量から考えて、回復薬はどれくらい作れるだろう。魔王、魔王か。

 頭の中を忙しなく巡り始めたあれこれに頭痛がする。日々の生活だけで手いっぱいだったはずだというのに。できないから無理だと、力がない私にはできないと諦め続けてきたのに。どうして受け入れてしまったのだろう。他の誰に言われたって、きっと無視しただろう。ヴィンセントに言われたのならなおのこと、頷くはずなんてなかっただろう。

 吐き出した溜め息は、思っていたよりずっと軽かった。嫌じゃないのかもしれない。浮かびかけた何かは、腹の底に沈めた。考える。もうヴィンセントは行くと決めてしまった。撤回しないと、私も言ってしまった。


「よし!」


 もうこうなったら腹を括ろう。やると決まったのなら、とことんやるしかないじゃないか。


「やろう」


 今、決めた。

 

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