04
食事を終えると、また狭い小屋へ戻ってきた。さっきまで座っていた隙間へ、ヴィンセントが再びちんまりと体を折りたたむ。私も続いて、向かいへ座った。
「思い出したんだけど、」
ぼそっとヴィンセントが口を開いた。腹が膨れたら眠くなったのか、目がとろんと微睡んでいる。年齢だけならじゃんじゃん重ねているはずなのに、中身はむしろ幼くなっているような気がするのは、私の気のせいだろうか。
「例の食堂、まだあった」
「どこの食堂だ」
「お前と再会したとこ」
「ああ、君が私を追い出したとこか」
「……」
じろり、と剣呑な視線に射抜かれた。
疲労のせいか、言葉選びが雑になっている自覚はある。こいつといると、どうしてか色々と雑になっていく。もうこれ以上ないほど雑に生きている中で、口調と物腰ばかりはかろうじて善人ぶっているのに。
グローバーさんはいい人。
私が懸命に縫いつけている猫を、こいつは容易く剥がそうとするのだから困ったものだ。
「お前が通ってる頃でも十分、長く続いてたよな」
メリンダの代から数えても、そろそろ孫だかひ孫だか、それくらいにはなっているはずだ。
「亭主が商売上手だったから、子にも受け継がれたんだろ」
綺麗な花の咲く場所を教える。約束は果たさないままだったが、戦士は問題なく彼女の心を射止めたらしい。人よりずっと奥手だが、頼りがいのあるいい男だ。幸せになってくれたようで、嬉しい。
「あの猫娘、盗られて悔しくないのか?」
「私のものではなかったし、恋愛感情を抱いたことすらなかったよ」
「ふーん」
自分で振った話題のくせに大した興味はなかったのか、ヴィンセントの相槌は曖昧だった。瞬きが増える。
「言ってたろ……お前、」
睡魔に抱きしめられたのだろう、ヴィンセントはしゃべるよりも目を開けていることに注力しだした。赤ん坊のように素直な食後の反応である。
「もう寝ろ。話をしたって覚えていられないだろ」
「ん、でも……お前、」
「私が何だよ」
「んー……」
かくん、と首が揺れて、すぐに規則正しい寝息が聞こえ始めた。いつの間に取り出したのか、薬瓶はきちんと両手で握っている。変なところで律義なやつだ。
「……何だって言うんだ」
深々と溜め息を吐き出し、目にかかる前髪をかき上げる。そろそろ鋏を入れないと、保ってきた善人面に清潔感は欠かせない。
立ち上がり、小鍋用の台に火を起こす。回復薬で満たされた小鍋を火にかけ、ユピーニアの花弁を一枚、千切って放り込む。薄紅色の花弁から色が抜けたら取り出し、よくかき混ぜる。火を消し、適当にグラスに移してとりあえず一杯、飲み干す。
かまどに火を入れ、大鍋を吊るす。樽の水をじゃぶじゃぶ注いで、ユピーニアの葉だけを詰め込んでいる樽を探す。いい加減、樽に名前を書いておかないといけない。ヴィンセントがここに居座るつもりなら余計に。うっかり毒の材料を詰めた樽を開けられては堪らない。蓋を開けては閉めてを繰り返し、目当てを突き止めたのは三つ目だった。布袋に葉を詰めて口をきつく縛って鍋に放り込む。乾燥させていないので青臭い。
しばらく煮るので、放置だ。
小鍋の中身をグラスに移して、また飲み干す。
ヴィンセントのほうを振り返る。起きたらきっと大騒ぎするだろうな、と思ったら、自然と飲み干す速度が増した。腹がちゃぷちゃぷするのも構わず、小鍋が空になるまでどんどんおかわりする。まっっっっずい。花弁の無味無臭も、回復薬がこれだけ臭くて不味いとまるで意味がない。
飲み干した頃、見計らったようにヴィンセントが目を覚ました。狙い澄ましたようなタイミングに、思わずぎくりと肩が強張った。
「あ……? 俺、寝てた?」
すっかり寝惚けた声にそっと力を抜き、何でもないように返事をする。
「赤ん坊みたいにぐっすりだった」
「はは、何だそれ。……つか、臭い。何してんだ?」
「回復薬を作ってるんだよ」
「それにしたって、ユピーニアの葉は煮てもこんな臭くねえだろ」
「生のまま煮てるからな」
「何で!? えぐくて飲めねぇだろ!?」
普通は乾燥させたものを煮る。
「生のほうが強い回復薬になるし、材料も少なく済むだろ。できたそれを薄めて、蜜を垂らすと飲みやすい」
「ただの水で薄めたって飲めねぇよ。蜜で誤魔化すにも限度があるだろ」
臭い臭い、と鼻をつまんだヴィンセントが首を振る。あんまり辛そうで、つい口が滑った。
「聖水で薄めるんだよ」
「……は?」
ぽかんと口を半開きにしたヴィンセントは、鼻をつまむのも忘れたようでふらふらと立ち上がった。
「分けてもらえねぇだろ。あいつらはケチだ」
確かに教会はケチだ。魔族にとっては毒よりも効果のある聖水を、連中は自分たちで抱え込んで冒険者に高値で売っている。無償で配ったり提供したり、そういうことは決してしない。信仰心だとか清い心だとか、そういうものを抱える連中の祈りで浄化した水が聖水であるが、祈っているのがそんな連中で果たして効果があるのか甚だ疑問だ。
「グローバーさんは分けてもらえるんだよ。いい人だから」
「……」
「安心を金で売り買いする同業者だからな。仲良くやってるよ」
教会というのはケチなだけでなく、臆病な連中ばかりが揃っているのだ。魔族の脅威や魔王への不安を忘れるためなら、いくらでも聖水を渡してくれる。若い領主が運んでくる胡散臭い薬をどれだけ飲んでも、現実は少しだって変わらいというのに熱心なものだ。
日常的にふわふわと夢を見ていて、やつらの信仰心は大丈夫なのだろうか。心配した時期もあったけれど、渡される聖水の質が落ちることは特になかったのですぐに気にしなくなった。好き勝手する魔王を放置している神だ。人間の信仰心など、実は興味ないのかもしれない。
「せっかくいい気分だったのに、台無しだ」
ヴィンセントはぶすっと顔をしかめて、どかっとその場に座り直す。これだけ言っても、こいつは出て行く気配すら見せない。
ぶってる私がバカみたいだ。
「そんな汚い金を贈ったって、あいつら喜ばねえだろ」
「私の独り善がりなんだから、いいんだよ」
「良くねえよ。気づいたらきっと、がっかりするぞ」
「だろうね」
空気が冷え込んだ。ヴィンセントの双眸が尖る。
「お前――」
「わかっていても、やめられなかったんだよ」
守りたくて剣をとったのに、中途半端なところで死んでしまった。転生して次こそは、と意気込んでいたら、前の私が守りたかった人たちを苦しめていたのは新しい私の父親だという。
どうしても、未練を振り切れなかった。
正しいやり方なんていくらだって思いついた。ヴィンセントの言う通り。やろうと思えばいくらだって手段はあった。でもきっと、正しい方法が彼らに届く頃には遅すぎる。悪徳領主だけならまだしも、魔王がいるこの世の中じゃ、正義なんて容易く踏み潰される。
腐っているところが多過ぎて。一つずつ潰していたらキリがなくて。どうせ腐っているのなら、って腐ったまま見栄えを整えていたらこうなった。
「こういうことは今回だけだと決めて、決めたからには徹底してやろうとも決めた」
だから君は黙って見てろ。
これが最後、これで駄目ならもう駄目だ。じっと見据えたヴィンセントの双眸は燃えるように揺らいで、そっと凪いだ。
「バカじゃねえのか、お前」
静かな声に、胸中で深く溜め息を吐き出した。駄目だった。じゃあ、お終いだ。
「何とでも言え。それより、ギルドへおつかいに行ってくれ」
「は?」
「君、ここに居座るつもりなんだろう。これ以上は本当に立つ場所もなくなるから、増築して薬の材料はそっちへ移す」
「……は?」
ぽっかり口を開けて瞠目するヴィンセントに背を向け、煮立った鍋の中身をかき混ぜる。布袋を取り出して、もうしばらく煮る。
「え、エース――」
「グローバー。覚えられないようなら追い出す」
ぴしゃりと叱りつけると、背中越しでもシュンと耳を垂らしたのが雰囲気でわかった。
「グローバーは嫌いだ」
「じゃあ、ジョンと呼ぶといい。それ以外は認めない」
次からは本当に追い出すぞ、と脅してやると、渋々という空気をビシバシ吐き出しながらも、わかった、と返事が吐き出された。
「ギルドへ行って、私の使いだと言え。小屋を増築したいって言えば人を寄越してくれるから。それから、私が出してる薬草採取の依頼を取り下げて、君が集めてこい」
「え、は……俺?」
「宿代の代わりに手伝え。それからギルドの依頼も受けて、町の役にも立ちつつ金も稼げ」
「い、いていいのか?」
「追い出して、素直に追い出されてくれるような男じゃないだろ。面倒だから置いてやる。その代わり働けよ」
返事には間があった。
「お、」
お?
「俺の優秀さに恐れ慄いて反省して土下座することになっても知らねえからな!」
そんな返事をわざわざ間を空けて言うな、バカ。
とんでもなく上機嫌な声だったことにも腹が立って、振り返って見えた満面の笑みにかちーんときた。
「アホなこと言ってないでさっさと行けバカ!」
狭い小屋の中をなんとか引きずって、外へ蹴り出す。
「ジョン・グローバーさんの使いで来ました、ってちゃんと言うんだぞ。間違ってもエースなんて呼ぶなよ!」
「わかってるよエ……ジョン!」
わかってなさそう……。
「わかってるならいい。さっさと行け」
しっしと手を振ると、ヴィンセントは上機嫌で出かけて行った。
「……」
中へ戻り、ぐるりと全体を見回してみる。
汚い。そして危ない。己の雑さ加減に惚れ惚れする。これを片付けるのは苦労一つじゃ足りないな。とりあえず、十分に煮詰まっただろう回復薬が焦げつかないよう、火を止めるところから始めよう。




