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プロローグ



「もういいや。お前、要らない」



 この靴下、穴が開いたから捨てよう。声の調子としてはそれと大差なく、もしかするとそれよりもずっと軽やかだったかもしれない。

 しかしながら『お前』の部分で指を差されたのは靴下ではなく私であったし、つまりは要らないと言われたのも私である。


 お食事処『猫のしっぽ亭』は今日も大変に繁盛しており、今しがた告げられた私の戦力外通告は喧騒に紛れて他のテーブルの客には聞こえなかったらしい。しかしながら、同じテーブルにつくパーティメンバーには漏れなく届いていた。


 私の左隣で頬袋の限界に挑み一心不乱にステーキを詰め込んでいた戦士は、眼球から鼻の穴からまん丸にしている。それほどの驚愕に襲われてなお、口から食事を噴き出して声をあげるような真似はせず、しっかり口を閉じているところはさすがである。こいつは食事となれば皿に残ったソース、パンの一欠片だって残さず平らげる男である。ぶん殴ってやりたいと思わせるほどの平常運転は、どんな場面においても大変にありがたい。おかげで取り乱さずに済んだ。

 目にかかるブルネットの髪を耳にかけてやる。褐色の肌を嫌って伸ばしているが、アメジストの双眸が隠れてしまうのはもったいない。いつも食事と一緒に食んでしまうので結ってやろうと言うのだが、受け入れてもらったことは一度もない。


 私の右隣でウエイトレスを捉まえて酒のおかわりと共に彼女の一夜を要求していた神官は、頬に強烈なビンタを食らっている最中であったものの聞いてはいたらしい。真っ赤になった頬などないように、大真面目な顔でこちらを振り返った。しかしながら、酒のおかわりが届くや否やジョッキを呷るところはさすがである。こいつはきっと血管を酒が流れているに違いない。こちらもやはり平常運転である。安心した。

 魔力を練って腫れる前に治してやる。こぼれた金糸の髪を撫でつけながら、小さな声でお礼を言われた。苦笑を返す。女も羨むような美貌をいつも台無しにする彼には、苦笑しっ放しだ。ターコイズブルーの双眸を細め黙って微笑んでいれば、どんな女性も気前良くおしゃべりに付き合ってくれるだろうに、事を急ぐせいでビンタを食らうことのほうが多い。


 各々が各々らしい反応を見せる中、私の正面に座る魔法使い――私を要らないと発言した男が深々と溜め息を吐き出した。刺すような視線がまっすぐに私を射抜く。


「お前に言ってんだけど。何? 耳が詰まってんのか口が腐ってんのかどっちだ?」


 ああ、これは……。

 浮かんだ感情はひとまず後方に押しやって、顔に笑みを貼りつける。まずは話を聞いてみないことには、どうすることもできない。


「聞こえているよ。すまない、驚いてしまって」


 返ってきたのは舌打ちだった。苛立っているときの彼は返事の際、大抵は舌打ちする。長い耳をピンと立て、指で小刻みにテーブルを叩くのは感情をわかりやすく訴えかけるいつもの演出だ。

 眉間の皺が深い。輝かんばかりの金髪は威嚇する猫のように逆立っているし、エメラルドグリーンの双眸には隠すことなく憤怒が燃え盛っている。

 こういう顔をしているときの魔法使い――ヴィンセントはろくなことを言わない。長い付き合いだ。よくわかっている。


 戦士の大食漢が旅の資金を食い潰したときは、金が貯まるまで彼のことを『非常食』と呼んでいた。腹を空かせて胃をぐるぐる鳴かせていると、お前の肉は硬いだろうから煮込み料理にしてくれ、と鼻で笑う性格の悪さで戦士を本気で怯えさせたものだ。

 神官のすけこましが痴情のもつれで腹を刺されたときは、完治するまで彼のことを『生殖器』と呼んでいた。いっそ切り落としたほうが世界平和のためでは、と言い出し剣を抜いたときは戦士と二人がかりで神官を抱えて逃げたっけ。話をする際は徹底して視線を下腹部に向けるなど、切り落とす云々のくだりは半ば本気だったのかもしれない。


 そして今回、遂に私の番が回ってきた、ということなのだろう。

 何か彼の気に障ることをしただろうか、と考えて瞬きの間に否定する。彼は私に対して、ほとんどの場合は機嫌が悪い。気前良く返事をしたり、私に触れたり、笑顔を向けてくれるのは基本、酒を飲み過ぎて酩酊しているときだけだ。

 おそらく虫の居所が悪いのだろう。ヴィンセントの腹の虫はしょっちゅう都合の悪いところを這い回っていて、その怒りの九割は私を相手に吐き出される。今回は多分、脳みその端っこでも食んでいるのだろう。

 それにしても『要らない』とは、随分とまたはっきり言うものだ。


「聞こえてるなら、どうしていつまでもそこに座ってるんだ?」


 意地悪な呼び名でいじめる気はないらしい。戦士のときも神官のときも、意地悪は徹底していたもののパーティメンバーとして最低限のコミュニケーションは怠らなかった。しかし今回は違うと、そういうことなのだろう。


「ヴィンセント、まずは説明を――」

「クビだ。お前は今、この瞬間に俺のパーティから追放する」


 わかったらさっさと出て行け、と。うんざりしていると大仰に態度で示しながら吐き捨てた。

 左右に座る仲間を見遣る。二人ともさすがに平常運転とはいかず、驚愕を顔に塗りたくっている。初耳らしい。まあ、大抵の場合ヴィンセントの決定は私たちにとって初耳だ。これに関しては平常運転なので気にもならない。いつも通りだと、むしろ安心感を覚えたほどである。

 ごくん、と喉を鳴らしたのは戦士だ。ようやく嚥下することに思い至ったらしい。


「それは君の独断ということでいいのかな?」

「は? 俺のパーティだぞ。俺以外の誰が決定するんだ?」


 まったく、この男は本当に。

 間髪入れない返事にこみ上げてきた感情を腹の底に沈める。


 確かにこのパーティはヴィンセント主導で結成された。

 単騎で城塞を攻め落とすこともできると畏れられ孤独を極めていた戦士を、強大な戦力を恐怖心なんてちっぽけな感情で遠ざける意味がわかんねえ、と勝手に連れてきた。孤独でなくなった彼は今や歩く奈落スライムだ。城塞だけでなく、目に映る食い物はすべて腹に収めてしまおうとするただの困った食いしん坊である。


 死者の蘇生すら可能にすると畏れられ、存在そのものが神への冒涜だと教会を追放された神官を、見えない神よりも話の出来る神官だろアホか、と強引に連れてきた。行動を共にするようになって、これは確かに神への冒涜だと納得するまでに時間はかからなかった。神への祈りよりも女を口説くための語彙のほうが多かったり、使用する回復魔法の半分が自身の二日酔いを治すためであったり、こいつは本当にろくでもない。


 そして私、私である。魔法の才で一攫千金を狙い冒険者を志し、しかし大した才はなかった私。なりふり構わない手段で己の価値を引き上げて、品性や倫理とは縁を切って力を獲得し、遂には人間の枠を超越した。魔族とどこが違うのか、とギルドの職員にすら顔をしかめられる私を、使えるなら何でもいい、と問答無用で連れてきた。今ではすっかり面倒事の処理係だ。


 戦士も、神官も、そして私も、ヴィンセントがパーティに引き込んだ。引き込んで、その傍若無人さであっという間に解散の危機を迎えた。豊富な知識も良く回る舌も、基本的には私たちをこき下ろし道具として使い潰すために振る舞われた。

 ヴィンセントは魔法使いとして非常に優秀である。性格面での難はともかく、実力だけなら数多いる冒険者の中でも上から数えたほうが早い。もちろん本人も己の優秀さを自覚している。……自覚し過ぎている。

 私のように無茶をせずとも、生まれ持った才能で人間では到達できない領域に立ち、芳醇な魔力であらゆる魔法を操る。努力によって正確な魔力操作を可能にし、支援、回復、攻撃、防御とバランス良く上質な魔法を行使できる。初めの頃はどうして私を招きいれたのか不思議でならなかった。すぐに面倒事の矢面に立てるためだと理解はしたが、それでも仲間を必要としているようには見えなかったのは事実である。何より、彼は人と組んで行動できるタイプではない。


 自身を強者だと知っているヴィンセントは同時に、自身が上位者であるという確信を持っている。パーティのリーダーは自分で、メンバーの中で最強なのは自分で、故に自分が最も偉いのだ、と。故の傲慢さ、故の横暴さある。


 誰からも相手にされず畏れられ邪険にされてきた自分を拾ってくれた。恩を感じていようにも最初の二日が限界だった。それぞれが強大な力を有し、かつ個性の爆弾みたいな私たちは当然、黙ってこき下ろされ使われはしない。孤独であったためにみな協調性に乏しく団結とは縁遠かった。それでも、ヴィンセントという共通の敵の前にはあっさり団結した。


 思い出しても頭痛のする話である。ある夜、いつものように大喧嘩をして、先に部屋へ戻った戦士と神官を宥めようと合流した私に、二人は真剣な顔でヴィンセントの暗殺計画を話して聞かせた。

 ぼくが殺す。俺が蘇生します。すかさず君も殺せ。俺が蘇生してから殺します。

 完璧だな! と声を弾ませた二人の頭を殴ったとき、本気で対策が必要だと思った。

 戦力だけで見れば国で一番と言っていいレベルにある私たちは、パーティを組んで間もなく、国に召し抱えられ魔王討伐の任を押しつけられている。それがリーダーの性格がくそであるがために仲間割れを起こして死者を出したなどと知られたら……。ゾッとしない話だ。


 もう一人メンバーを加えよう。提案したのはそれからすぐだ。


 前衛が戦士一人では心許ない。彼が負傷した場合、私たちは撤退するしかない。負傷してから回復するまでのわずかな時間だって、高位の魔族にとっては永遠に感じられるほどかもしれない。私たちは魔王を打ち倒そうというパーティなのだから、常に最悪の想定をしておくべきだろう。


 言葉を尽くした。


 君は弓術にも優れている。回復に時間を割かれても、穴埋めを務めてくれることは重々承知している。けれどそれでは君の負担が大き過ぎると思うんだ。より確実な、そしてよりバランスのいい方法を考えよう。もう一人、強力な前衛を迎え入れれば、魔王討伐がより楽になる。押しつけられた任はさっさと終わらせたいと君も常に言っているじゃないか。


 三人がかりで、三日三晩かけて、ようやくヴィンセントを頷けることに成功した夜は、三人で酒を酌み交わし熱い抱擁を交わし合った。

 それから間もなく、私たちは五人目のメンバーを迎え入れた。それが今この場にいない男、勇者である。

 単騎でドラゴンを討伐し、魔王軍の幹部だったフェンリルを下し従えている。正直なところ、彼には同じ人間であるとは思えないほどの力がある。恐ろしいとは思わないが、そんな力をどうやって、と妬む気持ちがないと言うのは白々しい。

 ヴィンセントは勇者には比較的、柔和な態度をとる。己と同等かあるいは強者である相手との生活に喜びを見出しているだろうことは、ありありと見て取れた。そばで傍若無人に振る舞われている私たちは堪ったものではないが、言うだけ無駄というものだ。


 彼を場に加えず、出て行くようしきりに急かす。つまりはそういうことだ。ヴィンセントは、この場面を勇者に見られたくないのだろう。当然だ。

 勇者はヴィンセントの私たちに対する態度を快く思っていない。善良さが災いして人に騙されまくって貧困に喘いでいたような男だ。自分が籍を置くパーティ内でリーダーによるいじめが罷り通っている事実は許し難い。幾度も言葉で注意し、時に暴力で反省させ、それでも短い時間しか態度を軟化させないヴィンセントを、己を拾ってくれた恩人だというだけで見捨てずいる。それがいよいよ勝手にメンバーをクビにしたなどと知られれば、本当にこのパーティは解散してしまうかもしれない。

 国という枷がなければ継続は難しかった。ヴィンセントに負けて追い出されたと意識したくないから、今日までパーティに残り続けた。薄氷の上を歩くような関係性で、よくここまで来られたものだと感心することは多い。


「ヴィンセント、せめて理由だけでも教えてくれ。でなければ納得はできないよ」

「納得する必要なんてねえだろ。俺が要らないと言ってるんだから、もうお前に用はないんだ」

「教えてくれればすぐにでも出て行くよ」


 戦士と神官がぎょっとしてこちらを見た。

 苦楽を共にし、ヴィンセントの理不尽の大半を引き受けていた私が抜けてしまったら、どちらかに、あるいは二人に、今度は降り注ぐことになる。慣れたもので腹は立つがどちらかといえば面倒くさいほうが勝るだろうが、嫌なものは嫌だろう。私とヴィンセントを交互に眺めている。

 抗議して聞く男ではないと熟知しているので口は挟まないが、二人の表情は険しい。もしかすると、一緒にパーティを抜けるかどうか悩んでいるのかもしれない。なんにせよ、ろくな結果にはならないだろう。


「ヴィンセント、頼むよ」


 胡乱な目で私を見ていたヴィンセントが、いかにも面倒くさいという風に溜め息を吐き出した。


「パーティにいる意味がないだろ、お前」


 視線がそらされた。


「四人だった頃なら、お前のしょうもない魔法でも俺の補助くらいはできたが、今は勇者がいる。剣も魔法も優れた男はお前を補って余りある。大した戦力にもならないお前を養ってやるのがバカらしくなった。これでいいか?」


 戦士がうつむいた。チラッとこちらを向いた視線が物語る。言い返しなよ、と。口元に薄く笑みを浮かべ、視線で返す。嫌だよ、面倒くさい。

 神官が射抜くような視線をこちらへ寄越した。こちらは口パクで訴えかける。あなたの代わりなんて俺には無理ですよ、と。笑みを深め視線で返す。すまない、と。

 二人とはこんなに仲良くなったのに、どうしてヴィンセントとは無理だったのだろう。栓ないことをふと思った。加入して間もない勇者とだって、下着一枚で朝を迎えるほど飲み明かせる仲になれたのに。

 彼らがいるから今日まで残った。ヴィンセントの癇癪は幼児のそれだと割り切って、彼らといるのが楽しくてここまで来た。人間とは慣れる生き物だ。ヴィンセントの理不尽のあしらい方は心得ている。もう苦にも感じない。腹は立つが、引きずるほどじゃない。

 ヴィンセントだけが、いつまでも私を嫌い、いつまでも私たちと馴染まなかった。自分で引き込んだくせに、どうしてか頑なな態度を崩さなかった。その理由を、私はこれまで知ろうともしなかった。そのことが今になって、ほんの少しだけ悔やまれる。


「わかった。では約束通り、私は出て行くよ。勇者には君からよろしく伝えてくれ」


 しっし、と返事の代わりに手を払われる。


「戦士と神官に優しくするんだよ、ヴィンセント。彼らを大切な戦力だと思う以上に、仲間だと思う努力をしておくれ」

「黙れ」

「それじゃあ、私はこれで」


 立ち上がり振り返った私の腕を、戦士と神官がそれぞれつかんだ。


「い、行かないで」


 戦士のか弱い声に罪悪感が膨らむ。弟のように思っていた。離れがたい。

 食事を人生の喜びとする彼は、美味しい食事処を熟知していたし、料理も上手かった。小遣いで買ってきた菓子を神官に隠れてこっそり二人で食べたこともある。あとからバレて追いかけ回されたのはいい思い出だ。

 魔王を討伐したら思い切って食堂でも始めようかと言うので、そのときは客の第一号にしてくれと頼んだら、きょとん、とされてしまった。一緒にやるものだと思っていた、と告げられたときは緩む頬を制止できなかった。じゃあ神官も一緒に、と言うとものすごい渋面になったけれど、そういえば結局、彼は嫌だとは言わなかった。


「行かないでよ」


 大食漢である彼の胃袋を満たすため、国へ請求する資金をどうやって言い訳するか考えるのはゲームのようで楽しかった。まさか、食費、とそのまま計上するわけにもいかない。

 あらゆる言い訳をひねり出した。国の代表として魔王討伐の旅をするのだから宿はそれなりのところを選ばないと、国がケチだと思われる。装備を新調する。剣が折れた。盾が壊れた。剣が溶けた。鎧が千切れた。

 討伐した魔物の素材をじゃんじゃん売ってがっぽがっぽ稼いでいたけれど、そんなこと国はわざわざ調べない。役人というのは怠惰なんだな、と呆れたものだ。人のいない地域なら平気で野宿したし、装備に関しても破損を修復する魔法を脳みその血管が千切れるくらい頑張って編み出したので何とかなった。


 自分たちで発見した素材を自分たちで発見した鍛冶屋に自分たちで依頼するから金だけ送ってくれ、とか無理難題をじゃんじゃか押しつけて金を引き出した。だって国はケチだ。たった四人、今は五人のパーティに魔王の討伐を任せて、自分たちは何をするでもなく後方でぬくぬく守られている。金くらい出せ、と思うのが普通だろう。

 旅の初期資金はなんと一万ビルゴ。四人で一万だ。食べ盛りの子どもがいる四人家族じゃひと月も生活できない。ふざけんな。

 民の血税云々は、魔族に襲われた人々への支援がまったくと言っていいほど後回しにされている現状では何の説得力もない。素材を売った稼ぎと国からもぎ取った金で、旅費と装備とボランティアと、我ながらうまく調整したと思っている。


「困ります。残ってください」


 神官の切実な声に眉が下がった。困った兄のように思っていた。出て行きたくない。

 酒に女と娯楽に弱い神官のために町中を駆け回った日々は、意外なことに楽しかった。飲み明かして町の端っこで寝っ転がっている神官を回収したり、女に騙され尻の毛まで抜かれそうになっている神官をぶん殴ったり、それこそ腹を刺された神官を抱えて逃げたり。……ろくな思い出がない。

 より効率的な回復魔法のために議論を重ねたこともある。後方支援として、せめて自分の身を守る魔法くらいどうにかできないものかと、防御魔法の消費魔力を抑えるべく研究に励んだ日々もあった。回復薬を強化して少量で大きな傷も治せないかと試行錯誤した結果、強力な麻薬を生み出してしまいトリップしたこともある。死ぬかと思った。

 開発した新たな魔法を教えてやるから金を出せ、と一緒に教会を脅したこともある。あれは実に楽しかった。


 魔王を討伐したら戦士の食堂に一緒に就職するから、と告げたらびっくり仰天して椅子から転げ落ちたのには笑った。女性客しか相手にしないぞ、とか大真面目な顔で言うので、じゃあ就職前に嫁を見つけてやろう、と言っておいた。神官になるような男だ。結婚すれば浮気はしない。元より不誠実に遊びまわっているわけでなく、誠実にすべての女性を愛しているだけなのだ。傍目に見れば最低のくそ野郎だが、教会の行き過ぎた禁欲生活の反動がちょっと長引いているに過ぎない。あと数年もすれば落ち着く。接客をさせれば愛想のいい素敵な店員になることだろう。

 そろそろ勇者も誘おうか、と話したばかりだった。楽しみだったのに、と浮かぶのは惜しむ感情ばかりだ。彼らと離れたくない。


「わ――」


 だぁんっっ! と、周囲の喧騒を掻き消すほどの音を立てて、テーブルを殴ったヴィンセントが殺気すら宿して私を睨め据える。これまで見向きもしなかった客たちが、何事かと視線を寄越す。


「すまない、約束だったな。それじゃあ、さよなら」


 音に驚いて腕をつかむ力を緩めてしまった二人がハッとする。しかしもう歩き出してしまった私には届かない。

 さっさと外へ出る。

 見上げた空は雲一つなく澄み渡っていて、せめて少しは曇っていてくれよ、と八つ当たりする気持ちが浮かんだ。こんなにも沈んだ気持ちを抱えて、こんなにも気持ちのいい空の下を歩くなんて、自分が惨めでならないじゃないか。


「……」


 追い出されてしまった。戦士と神官に悪いことをした。勇者には挨拶もできなかった。彼はきっとものすごく怒るだろう。パーティは解散するかもしれない。宿へ荷物を取りに行かなければ。

 さまざまな感情が浮かんでは消えていく。

 存外ショックなものだな、と痛む胸に苦笑する。孤独とは長い付き合いだ。そばにあるのが当たり前だと思っていたものに再び胸を焼かれ、まさかここまで痛むことになろうとは予想していない。


 深く息を吸って、長く吐き出す。

 要らないと言われてしまったものはしかたない。歩み寄る前に背を向けてしまった、私の怠惰が招いた事態だ。邪険にされても、己の劣化版だとなじられても、向き合い話をすべきだったのだ。だってヴィンセントの言うことは正しい。私は彼の劣化版でしかない。それだけの力しか身に付けられなかった。

 人の道を外れ、打ち倒した魔族の血を啜り、肉を喰らって、瘴気に魂を穢されて。そうまでして手に入れた高みの力であったのに。それでもなお、若き魔法使いにも劣る。これが私の限界であったのだと、拗ねる暇などなかっただろうに。ヴィンセントを羨むばかりで、結局は私のほうから彼を拒んでいた部分もあったのだろう。


 後悔しても取り返しはつかない。せめて少しでもマシな人間になれるよう、これからに活かそうではないか。

 珍しく殊勝な気持ちが浮かぶのはきっと、置いてきてしまった二人への罪悪感がそうさせる。勇者はきっと、強く私を引き止めなかった二人のことも責めるだろう。ヴィンセントへ抗議の声をあげなかったことにも、きっと怒る。そういう男だ。

 わかっていてあっさり置いてきた。多分、あのパーティで最もろくでもなかったのは私だろう。久し振りにできた仲間に浮かれ、けれど根本は変われなかった。


「さて、と……」


 どこへ行こう。何をしよう。

 一人になるのは久し振りだが、まだ何をして過ごしていたか忘れるほどではない。宿へ戻って荷物をまとめて、そうしたら町を出よう。昔の住処はまだ残っているだろうか。ひとまずはそこへ帰って、今後のことは本でも読みながらゆっくり考えよう。

 一つ決まると気分もだいぶ良くなった。

 よし、と声に出して気合を入れ、私は後ろ髪を引く仲間たちへの気持ちを振り切るように大きく踏み出した。

 

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