第九話 日常
生物最大の感覚器官は?
そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。
私もそう答える。
生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。
そして見ない。
見えるもの。
見えないもの。
見たいもの。
見たくないもの。
見なければいけないもの。
見てはいけないもの。
私は、自分が見たいものを見ることが出来ているのか。
自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。
トラウマに心臓を掴まれて、踏み出す一歩を見失った。
だって私は、見えないものが見える者だから。
「遠藤さん、今日も呼ばれてるから」
まだ、昨日から一日しか経ってないんだぁ。
お昼に呼び出されて頭踏まれて、放課後も見張られ続けて、朝一で先生に助けを求めたら、あっさりと見捨てられた。
激動とか言う言葉が似合うのかな。
「お前、教師にチクったらしいな」
まぁ、知ってるよね。呼ばれた時点で察してたけどさ。
「ひれ伏せ」
独裁者みたいな事言うじゃん。
それくらいだったら別に良いから従うんだけどさ。
また頭踏まれるのかな。
流石にパターン変えてくるか。
「おい、こいつの頭踏め」
またぁ?
それしかないの?
もう二回目はなんとも思わないよ?
おお! この子は踏み方が強いなぁ。結構しっかりグリグリ踏み付けるじゃん。
私ソムリエになれるかも。
「おい、スマホ、取り上げろ」
壊さないでねー。高いんだから。
それにしても、この子は「おいおい」ばっかり言ってるな。
もうちょっとないの?
「おい、パスワードは?」
また言った! ほら、よく見ると取り巻きの子も、ちょっと目を背けてるじゃん。気になってるんだって。
「1204」
雪ちゃんの誕生日。雪ちゃんには内緒だけど。
いつか雪ちゃんのパスワードを私の誕生日にしたいな。
携帯とか身近なものに私の一部を分けおいて、いつでも私を感じてもらいたい。
「守上?」
「え……」
「守上雪か? こいつ?」
「なんで、雪ちゃんの誕生日知ってるの?」
「はぁ? お前が一番連絡してる奴だよ」
どうして、そんなとこ見てるの?
「おい、同じクラスの奴いるか?」
「あ、私、同じです」
「お前、これからは守上の事を見張れ」
「え、ねぇ、何するの? 雪ちゃんにだけは何もしないで!」
「うるさいな。おい! 抑えとけっつったろ!」
「離してよ! お願い、私は良いから、雪ちゃんだけは」
「お前が言う事聞いてれば、何もしねぇよ」
「ほんとっ、本当に?」
「あぁ、約束してやるよ」
この子は、こんなにも楽しそうに笑うのか。
「ありがとうございますは?」
「あ、ありがとうございます……」
「聞こえないんだけど?」
「ありがとうございます」
「聞こえない!」
「ありがとうございます!」
「あぁははははは!」
チャイムがゆっくりと響き渡る。
いつも以上に心に沁みるな。
「遠藤の事、ちゃんと見張っとけよ。おい、お前は私と来い」
雪ちゃんと同じクラスの子だ。
「明日、守上を呼び出せ。遠藤の事を言えば来るだろ」
私は何か勘違いしていたようだ。
頭を踏まれ、嘲笑われ、見捨てられ。
私はこれを悲劇だと思っていた。とても悲しいことだと思っていた。
これ以上の苦痛はなく、これ以上、自分が心から否定することなんて現れないと思っていた。
これが、絶望だ。
これが、現実だ。
私はすっかり壊れてしまったよ。
みんなは、どうして平気でいられるんだろう?
平気なわけないか。みんな壊れながら生きているんだ。
取り巻きの皆も、あの子自身も。
じゃあ、壊しちゃおう。
全部壊して、外の世界に引きずり出せば良いんだ。
あの教室が、あの世界が、いかに小さくて侘しいものなのか。
知らしめてしまおう。
あの子の尊厳?
気にするものか。
崩れかけの霜柱を小指で小突くようなものじゃあないか。
学校は良い。朝早くから来れば人は少ない。何かを企てるにはぴったりだ。
「おはようございます、先生」
「お、おはよう……。随分と早いのね……」
私を見捨てたあなたも、随分とお早い出勤ですね。
「えぇ。朝から元気いっぱいです!」
「……遠藤さん、その、この間は、ごめんなさいね。あの時、私」
「いえ、気にしないでください。もう、大丈夫なんで」
朝一で登校したのには訳がある。野球部の部室に用があったんだ。朝練とかいう習慣のおかげで部室の鍵は開いてるし、校外ランニングの時に入ってしまえば、誰にも気づかれることはない。
少しの時間、借りたいものがあったんだ。
それを持って、あの溜まり場へ。
掃除用具入れの中に入れておけば、見つかることはないし、万一見つかっても白を切ってしまえば良い。
昼休み、呼び出しを待ち望んだのは、私が初めてだろう。
そして、これで最後だ。
「遅い! 呼んだらすぐに来いって、言ってる、だろうが……」
あとは、ただ振り下ろすだけ。
「お前、何持ってるんだよ……」
「バットだよ? 他の物に見える?」
「なんで、そんなところに入ってんだよ」
「さぁ?」
とりあえず、足元ギリギリを攻めようかな。
「ひゃっ! ……ちょ、ちょっと待ってよ!」
よし、良い具合に尻もち付いたね。
「難しいな、次は当てるね」
頭の上スレスレをいこう。
「きゃあああ!」
当ててないって、外野は黙っててよ。
「待ってって! 待てって言ってるだろ!」
いい加減、謝ってよ。それ待ちなんだから。
「何?」
「何なんだよ! 急に! 昨日まで私にへりくだってたくせに!」
「別にそんなつもりないよ。ただ、あなたのお遊びに付き合ってただけ。でも、さすがにライン越えかなって」
強がっていこう。圧倒的な強者だと思わせるんだ。
「つ、強がってんじゃねぇよ! お前に私を殺せるわけないだろ!」
バレるの早。まぁ、これも強がりで言ってるだけだし、もう一押しだね。
「じゃあ、試してみる?」
「……私を殺しても、逮捕されるのはお前だぞ。私がやった証拠なんてないし、誰もお前の味方なんてしないんだからな!」
「あなたの味方は居るの?」
この状況で、助けに来る人間なんていない。てか、居たら困る。本当に私が悪者になる。
お願いだから、来ないで。
「遠藤さん……」
私の願いは、ことごとく砕かれてしまうな。
そりゃ、割って入ってくるよね。
一番最初に砕いたのが、あなただもんね。
「遠藤さんは、こんなことをする人じゃない。私を助けようとしてくれた。優しいに遠藤さんに戻ってよ……」
あの時、あなたが保健室で助けを求めていたら、こんなことにはならなかったんだ。
「都合の良いことばかり、言わないでよ」
泣き出しちゃったよ。
あーあ、悪者になっちゃった。
「おい、お前ら、何見てんだ! こいつを抑えろ!」
一人が歩き出せば、大勢が歩き出す。
ファーストペンギンは、見事に死んだ。
それでも、飛び込まざるを得ない。人間とは愚かな生き物だな。
「こいつらが私の味方だ! お前は終わったんだよ!」
逮捕されるのかな。少年院とかには行くことになりそうだな。
私はしょうがないか。バット振り回したんだし。
「おい、泣いてないで教師呼んで来い」
この子はどうなるんだろう。
証拠がないと言っても証言は取れるでしょ。それでも、ただのいじめと殺人未遂だと違うか。たとえ、皆が正直に話して、いじめが判明してもどうせ変わらない。
この子の心が変わらなければ、何も変わらない。そういう世界に生きているんだから。
「お前が逮捕されても、何も心配しなくていい」
何言ってるの、この子。
「あいつはお前以外に友達も居ねぇから、寂しくなっちゃうだろ?」
やめて。
「犯罪者の友達だった奴なんか、誰も寄り付かないからさ」
それ以上、言わないで。
「独りだと可哀そうだからな! 守上は、私が可愛がってやるよ」
お前が。
「雪ちゃんの名前を呼ぶな!」
【×】
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