第六話 反転
生物最大の感覚器官は?
そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。
私もそう答える。
生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。
そして見ない。
見えるもの。
見えないもの。
見たいもの。
見たくないもの。
見なければいけないもの。
見てはいけないもの。
私は、自分が見たいものを見ることが出来ているのか。
自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。
トラウマに心臓を掴まれて、踏み出す一歩を見失った。
だって私は、見えないものが見える者だから。
「……心を、精霊に、支配されると、どうなっちゃうの?」
震える声、伝う汗、オウム返しも上手くできない。
「申し訳ございません。驚かせるようなことばかり言って。いけませんわね。私も冷静ではないみたい」
空川の頬を大粒の汗が伝い、顎から滴り落ちた。
私の感情で空川は崩れ、空川の発言で私は取り乱す。
悪循環に入り込んでしまっている……。
「空川は悪くないんだ。続けて」
空川が、また大きく息を吐いた。
二人とも、冷静になろうと必死だ。
「まずは、精霊の目的から話しましょうか。その方がわかりやすいですわ」
それは、おじいも知らなかったことだ。空川はどうやって知ったのだろう。探ってみるか? いや、待とう。
ここで疑いを掛けるより、最後まで話を聞いてから真偽を精査しよう。
それより、空川の話癖なのかな。
結論を言ってから、説明を始めるのは。
「精霊の目的は、その人の名前を奪うことですわ」
奪うのは、感情じゃないのか?
「その為に、感情を大きくさせているの。暴走させて能力を引き出させるために」
能力? 力ではなく?
言い回しは、自然に出てくるものであって、急に変わるものではない。
ましてや会話の最中に変えてしまうと、その言葉が指す対象が曖昧になってしまう。
空川が、そんなわかりにくい話し方をするとは思えない。
力というのが、心が見える事を指しているのは、会話の流れでわかっている。
では、能力とはなんだ?
「能力を引き出しても、心を支配できていないと名前は奪えませんわ。心の隙、それが心を支配するのに重要なのですわ」
「心の隙?」
「そうねぇ……。守上さんは、他人の感情が入ってくるような感覚になったことはあるかしら?」
「あの、文字同士がぶつかるとなるやつ?」
「えぇ、そうよ。自分には存在しない感情が、不自然に発生することで、心に隙ができてしまうの」
頭の中が、ノートに殴り書きしたようにこんがらがっている。
こめかみに指を置いて、考える。
「ちょっと整理させて。
精霊は名前を奪いたくて。
そのために、能力を引き出したい。
それには、感情を大きくさせて暴走させる必要がある。
それらを円滑に行うには心を支配しておきたい。
心を支配するのは、心に隙がないといけない。
こんなところで合ってる?」
「えぇ、間違いないわ」
私は腕を組み、顎に手を添える。
「心の隙ってとこ、私の中に感情が入ってくる感覚はあるんだけど、誰かに入っていくのは感じたことないんだよね。皆、平気な顔してるし。我慢できるようなものじゃないと思うんだけど。皆が気付いてないだけで、心の隙はできてるの?」
「いえ、それはないですわ。私たちに感情が入ってくるのは、私たちが感情の影響をとても受けやすい体質だからよ」
「受けにくい人もいるの?」
「力を使える人は受けやすくて、使えない人は受けにくいわ」
アレルギーとかHSPみたいな感じか。
「そして、私たちが出す感情は、他人に与える影響も大きいの。反対に力が使えない人は、与える影響も小さいわ」
「そう、だったんだ」
「だから、力を使える人が集まるときは、お互いに気を使うものなの。そうしないと、先程の私の様になってしまうから」
空川が、ふっと笑った。
私は、この笑顔をよく知っている。
自虐の笑みだ。
「ごめん。私、何にも知らないで、空川の事疑って……」
「気にしないで頂戴。それに大切なのはここからよ」
空川が、真剣な、そして深刻な表情になる。
「私たちの力は毒のようなもの。いくら受ける影響が小さいと言っても、長期間一緒に過ごしていたら、確実に蝕まれていくわ」
「気づかないうちに、心の隙が生まれてしまうって事か……」
私は今まで、叶が精霊に支配されてしまう手伝いをしていたというわけか。
なんという無知。罪という簡単な言葉では足りない。
これは、悪だ。
「いつ、支配されちゃうの?」
「見当もつきませんわ。でも、今のままでしたら、いつかは確実に……」
叶は、いつか暴走してしまう。
感情の傀儡。
ただ感情をみだり振り回す玩具。
叶を、そんなものさせてたまるか。
「空川、ありがとう」
「でしたら」
「だから、教えてほしい。なんで、私を助けようと思ったのか」
「私はただ、守上さんの救いになればと思っただけですわ」
「人間に、理由のない善意なんてないよ」
冷たい言い方かもしれない。
それでも、本音で語り合わなければ、分かち合う事なんて出来やしないのだ。
空川が、私を見て何度か瞬きをした。
「……少し、長話をしてもよろしいかしら?」
「うん」
空川は、そっと目を逸らした。
「私は、ずっとお友達が欲しかったの」
お嬢様口調のような、駄々をこねる少女のような、空川という人物を明瞭に表す言葉に聞こえた。
「私は、幼い頃から感情の文字が見えていたの。その所為でいじめられることもあったし、両親からも不気味がられていたわ」
空川は、膝を抱えて縮こまる。
私と違って、空川は力を使える家系に生まれたわけではないのか。
私よりも、孤独で、未知で、ずっと怖かったんだろうな……。
「そんな時に助けてくれたのが、守上さん、あなたのおじい様ですわ」
「え? おじいが?」
「守上様のおかげで協会の塾にも入れて頂けました」
協会、塾。
また知らない言葉が出て来た。
「力の使い方を覚えてからは、人生が大きく変わりましたの。今の仲間にも出会えて、本当の意味で独りではなくなりました」
空川の他にも力を使える人は居るのか。
「だから、守上様にはとても感謝しているのです。いつか恩返しを、と思っていたのですが。私なんかが、守上様に出来ることなど、なにもありませんでしたわ」
自分が無力であること、これ以上に苦しい気付きは他にない。
「そんな時に守上さんを見かけたの。お力になって、間接的にでも恩返しができればと、そう思ったのです」
私を助けることで、おじいに恩返しか。
「できることないなんて、そんなこと、ないと思うけどな。おじいはのんびりとしてるし、ただ、ありがとうって言われるだけで嬉しいと思う人だよ。たぶん」
人をフォローするのは苦手だ。
「ふふ、お気遣い頂きありがとう存じます。それでも、なにもしないのは、自分の性分に合いませんので」
空川の表情は、すっかりお嬢様に戻っていた。
知ろうとして本当に良かった。
「空川、ありがとう」
すっと手を伸ばす。今度は私から握手を求める。
空川は、可愛らしい笑顔で返した。
引き寄せて立ち上げる。
「力のこともっと教えてほしい。だから、これからよろしく」
「えぇ、喜んで。こちらこそ、よろしくお願い致しますわ」
私たちは、二人で笑いあった。
「あっそうだ、連絡先、交換しようよ」
私はポケットからスマートフォンを取り出す。
「あら、守上さん、これお持ちでないの?」
空川が取り出した物は、チェキだった。
ザ、チェキという四角い見た目に、出っ張ったグリップ。
何故、連絡先交換でチェキを出すんだ、このお嬢ちゃんは。
それとも、チェキ型のスマホケースというやつか?
「チェキ?」
「チェキよ」
チェキだった。
だが、よく見ると小さい。
言うなれば、スマホサイズのチェキだ。
「チェキと言っても、愛称であってチェキではないのですわ」
「どういうこと?」
まっことわからん。
「これは、メールをチェキみたいに印刷してくれる機能があるの」
「なにその機能」
「普通のメールは、送信しても受信しても記録が残るでしょ。これは、送信した時と受信して印刷した時に、デジタルの記録が消えるのよ。残るのは、印刷されたアナログの記録だけ」
「それって、意味あるの?」
「大いにありますわ。私たちなんて、郊外できないことばかりじゃありませんの。それに、今はどこから情報が盗まれるか、わかったものではありませんし、紙なので処分も楽ちんなのですわ。そういう内容をやりとりするときに、とても便利なのよ」
「なるほどねー」
「それに、私たちは、感情が相手に伝わるのをとても警戒しているわ。声は感情が乗りやすいから。文字であれば、感情は乗りにくいでしょ」
確かに、メールの時、無駄に顔文字とか使って淡白にならないように気を付けてるわ。
「昔はファックス? というものを開発したらしいのですが、持ち運びができないから廃れていったそうよ」
「ファックスの起源て、私たち力だったんだ……」
「チェキのほかにも、レシートプリンターを使っている方もいらっしゃるわ」
「レシートってレジ? それこそデカくない?」
「あの、配達員の方が腰に付けているあれよ」
「……あれか! 良いなぁ、私それが良いかも」
なんだかよくわからない機械に興奮できる人間からしてみれば、あれはあまりにも面白い。
「人の好みは自由ですけど、やめといた方が良いと思いますわ」
「なんでよぉ」
「だってあれ、おじさまが付けるものですもの」
「じゃあやめよう。さすがにおじさんのはやめよう」
おじさんが付けていると言われれば、たとえダイヤの指輪であっても一瞬嫌いになってしまいそうだ。
「私のおすすめは、やっぱりなんと言ってもチェキ型の物ですわ。写真もすぐに現像できるのよ」
写真が撮れて、すぐに現像できるなら、それはもはやチェキだよ。
「そうだね、私もチェキにしよ。それってどこで買えるの?」
「八百万屋に言えば、すぐに用意してくれると思いますわ」
「八百屋に売ってるわけないじゃん」
「八百屋じゃなくて、や、お、よ、ろ、ず屋、ですわ。ご存じなくて? まぁ、とりあえずはこちらで交換いたしましょうか」
空川がもう一方のポケットからスマートフォンを取り出す。
普段使い用と仕事用で分けている人もいるって聞くし、不思議な事ではないか。
「うん……」
また、知らない言葉。
協会だったり、塾だったり、案外私が思っているより発展しているのかな。
なんの秩序も決まりも体系もない世界だと思っていたけど、大概のことは定められていて制度も存在しているようだ。
おじいも仕事は依頼制だって言ってたしな。
「今更、なんだけどさ。協会って何?」
「えぇ!?」
空川が白目を剥いて、大粒の汗を頬に流した。
そんな少女マンガみたいにならなくても……。
「守上さん、もしかして今までの話、ほとんどわからずにお聞きになっていたの?」
「まぁ、そうかな」
また“衝撃!”みたいな顔をした。
「てっきり、協会のことは知っているものと思っていたので……」
「だから、他にも聞きたいこと沢山あるんだよね」
「わかりました。わからないことは何でも聞いて下さいまし。私が誠心誠意お教えいたしますわ」
「ありがとう、助かるよ」
知識のすり合わせだけでも時間が掛かりそうだな。
「でも、これ以上は流石に言い訳できそうにないわ。放課後、空いているかしら?」
「あっうん、空いてるよ」
なんか懐かしいな。
叶とも、こんな会話したっけ。
「では、一緒に下校して、私のお家に来ませんか?」
「わかった。じゃあ校門で集まろう」
校舎裏でこんな展開になるなんてなぁ。
「あれ、そういえば、なんでこんなとこまで来たんだっけ?」
「守上さんが、感情を抑えられなかったからですわ。あのままだと守上さんが暴走する危険性と、クラスの方が精霊に支配されてしまう可能性の二つがありましたから」
「そっか、でも長期間一緒にいないとダメなんじゃないの?」
「力を使えない人の中にも、影響の受けやすい受けにくいがあるんです。可能性の芽はできる限り摘む。それが一番ですわ」
空川は、ふふんとでも言いたげな表情だ。
後ろで手を組んで、少し歩いて振り返る。
「それに、この方がドラマティックでしょっ」
私は、やっぱり空川がわからない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
よろしければ評価をお願いします。
ストックがなくなり週一投稿ができなくなりそうです。
今年の目標は楽しい事だけ考えるなので、自由気儘、悠々自適でぼとぼち行こか、という具合で書いていこうと思います。
それではまた次回。