第三話 邂逅
生物最大の感覚器官は?
そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。
私もそう答える。
生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。
そして見ない。
見えるもの。
見えないもの。
見たいもの。
見たくないもの。
見なければいけないもの。
見てはいけないもの。
私は、自分が見たいものを見ることが出来ているのか。
自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。
トラウマに心臓を掴まれて、踏み出す一歩を見失った。
だって私は、見えないものが見える者だから。
学校は元々嫌いだったが、もっと嫌いになった。
盛っている男子に、表裏の乖離した女子。
ここは地獄だ。
昨日の一件から、文字がはっきりと見えるようになった。
何かをきっかけに能力が伸びるというあれだ。文字がよく見える者、見えない者がいるが、それはまだ私が成長段階だからだろう。
半日過ごしてわかったことが一つある。
私の文字と相手の文字がぶつかると、相手の感情が入ってくるような感覚に陥る。
少女の痛みが伝わってきたのもこれが原因だろう。
対処法?
わかったことは一つだと言っただろ。
感情の靄は出続けているし、少し考え事をしただけで文字も現れてくる。どうやっても感情の衝突は防ぎようがない。
様々な感情が渦巻き、今にも吐きそうだ。
気晴らしに本を読んでいると、クラスメイトに声を掛けられた。
何か月ぶりだろうか。
「守上さん、なんか隣のクラスの子が呼んでるよ」
【不気味】
さりげなく私を傷つけるな。
本に栞を挟んで机の中に放り込む。
もう読み始めて半年も経つのに、未だに百ページを過ぎなかった。内容も頭には入ってない。読書をしたいのではなく、文字の羅列を見て頭を埋め尽くしたかったのだ。
世間から見て孤独なのではなく自ら孤独を選んだのだと、そう思いたかったのだ。
教室の扉の横に、どこかで見たことがあるような少女が立っていた。
「私が守上だけど、何?」
私に用がある人物で、まともな要件を持った奴がいるとは思えない。
オカルトに興味があるか、いじめられていて声を掛けるように言われたか。
出来れば、刀に興味がある人を希望する。
「私、遠藤叶って言うの。昨日、女の子助けてくれたでしょ? 私の妹なの。本当にありがとう」
【ありがとう】
遠藤が深々と頭を下げる。
面影はそこか。昨日の少女と目元が似ている気がする。以前、公園で見た連れ人も遠藤だな。
私は年齢よりも老けて見られるが、遠藤はまた違うな。
年齢が上というか、大人っぽい。声にも落ち着いた雰囲気があって耽美的だ。
……あと胸がデカい。美しさにパラメータを振ったような、いやらしさがない大きさ……。
いかん、何を考えているのだ。
「いや、別にいいよ。てか、なんでわかったの?」
「妹を迎えに行ったときに、先生に教えて貰ったの。それでね、妹もちゃんとお礼が言いたいって言ってて、良ければ今度、家に行ってもいいかな?」
正直、面倒くさい。
律儀なのは良いことだが、お礼を言われて困ることだってある。
なんて返事をすれば良い。
ちゃんとお礼出来て偉いねぇ、なんてそんなセリフ私には言えない。
「いやー、いいよ。そんな。気にしてないって伝えといて」
「……でも」
【お願い】
潰される!
「わ、わかった! わかったって!」
文字は一瞬で広がり、視界の全てを黒一色に染め上げた。
文字の大きさや多さは、感情の強さと比例する。
思いの必死さに圧倒されてしまった。
「ホント!? ありがとう!」
文字は林檎ほどの大きさで透明に溶けるように消えた。
視界が晴れる。
遠藤が笑いながら、こちらを凝視している。
案外、子供みたいに笑うんだな。
「あっでも、私の家はダメだ。遠いし、昨日の公園で良いよ」
「うん、わかった。今日でも良い?」
こいつ、律儀で丁寧かと思ったら意外とがめついな。
まぁ良いか。こういうのは早くに処理する方が良いだろう。いつなら良いのと付きまとわれてもウザいし。
「はぁ、良いよ。どうせ通るし」
昼休みは校舎裏で過ごした。人が居なくて楽だし、練習するのにもちょうどいい。
なんの練習かと言うと。
“腕を大きくする練習”
文面で見ると馬鹿みたいだが、あれは人間業ではない。大男を壁ごと吹き飛ばすなんて、特別な何かがあるに違いない。
おじいの腕を包んでいたのも靄だった。つまり感情をコントロールできればどうにかなるはず。
おじいに教えられなくてもやってみせる。
右手を前に出して、ひたすらに念じてみる。
包め!
予想はしていたが、まるで変化がない。
出来ないことを続けるのは、とりあえず後だ。
次は、どうすれば靄の量を調節できるのか。
私から出ている靄の量は、どんなにかき集めても茶碗一杯くらい。
そもそもの絶対量が足りない。ならば感情を強くさせれば良い。
できればやってる。これが難しいのだよ。意識した途端にできなくなる。
楽しい楽しい楽しい楽しい、怒る怒る怒る怒る。
【楽しい 怒る】
必死になって同じことを考え続けても、文字は出てくるが靄の量はあまり増えない。
だが、成果が何もないわけではない。
靄や文字は心だと表現したが、そうシンプルではないことがわかった。
感情は、単語で出現する。崩れ消えるまでに僅かに時間がある。
考え事は、単語であったり文章であったりと自由度が高い。出現後すぐに崩壊し消滅する。
靄は無意識の感情だとおじいが言っていた。考えて無理矢理だした文字より靄の方が持続力はあるという事になる。
文字が靄の代用になるかわからないし、すぐに消えてしまって使い物にならない。
そもそも考え事をしながらでは、包む方に脳を使えない。
少しでも持続力のある靄を増やすことに尽力した方が良いだろう。やはりナチュラルな感情の高ぶりが必要か。
「はあぁぁぁあっ!」
試しに気張ってみるが効果はなし。
悟空はどうやって気を溜めていたんだ?
顎に手を当て目をつぶる。
感覚的に考えるより理論的に考える方が性には合ってる。
実験は再現性が重要だ。
まずは、私から感情の文字が出たときのことを思い出そう。
あの時は、少女から出ている文字を見て困惑していた。
頭の中が疑問符で支配されていた。
頭いっぱいに考えようとはしているが、いっぱいにしようと考えている時点でダメなのか。
無心の孝、無我のジレンマだな。
余計な思考が枝分かれして、本筋を見失うのは私のいけない癖だ。
そもそも文字が見えるようになったから、出たと感じただけで、以前から文字は出ていたのか?
昼休み終了五分前のチャイムが鳴る。
「うをぉおう!」
全身が靄に包まれ、文字がちらほらと周りに漂っている。
【考察 調べる】
「マジか……」
【驚 何故】
冷静になろうと深呼吸をすると、文字は崩れて消えていった。
午後の授業はほとんど頭に入らなかった。
放課後、公園のブランコで本を読んでいると、少女が駆け寄ってきた。頬を赤らめ、荒い息遣いで私を凝視する。
言葉を考えていなかったのだろう。
「足はもう良いの?」
「うん! おねーちゃん、ありがとう!」
少女と出会ってから、感謝されることが増えたな。
「はぁ、待ってよ。花。先に走って行っちゃうんだもん」
遠藤がさらに息を切らして登場。
「これで良いか。私はもう帰るぞ」
立ち上がると花に袖をきゅっと掴まれた。
「おねーちゃん、あそぼ」
「えっ、いや……」
【あ そ ぼ】
引きつった顔で片目を痙攣させる。わざと開けた少しの空白でも花の気持ちは消えなかった。
観念。
「はいはい。何する?」
私は恥ずかしげもなく遊んだ。小学一年生の少女とその姉と。
「見せてやるよ。私の足の速さを」
鬼ごっこをし、かくれんぼをし、だるまさんが転んだをした。全て私が鬼だった。
「もー無理」
ブランコに座り、肺の空気を押し出した。
稽古をしていると言えども、体力には限界がある。それに私は持久走が嫌いなタイプだ。
「ごめんね、付き合ってもらっちゃって」
花は一人で走り回っている。
子供というのは、なんと凄まじい生き物なのか。年齢的には大差ないが、心持が違うのだ。
「それを言うなら、途中で止めろよな」
「花も楽しそうだったし。なんか私も久しぶりに楽しくなっちゃったから」
【楽しい 楽しかった 楽しい 楽しい 楽しかった】
遠藤の目が一瞬、遠くを眺めた気がする。
「ケッ。まるで人生が楽しくないみたいな言い方だな」
遠藤からは、靄が見えない。
文字が見えない人は居ても、靄が見えない人はおじいを除いて一人も居なかった。
靄が見えないということは、感情がないということだ。
遠藤は感情を頭で考えているんだ。何度も何度も強く。自分に言い聞かせるように。
「うん。楽しくないよ。最近は特に」
笑顔を崩さずに淡々と言う。
【 】
返す言葉は、どこにあるんだ。
「私の親ね、離婚してるんだ。お母さんが不倫してたんだって。お父さんは、仕事ばっかりだし。私は学校と家事と花の世話で、もうずっと楽しくなかったんだ」
私には、お父さんもお母さんもいない。
そんなことは言えなかった。不幸自慢は嫌いだし、何より、そのことを自分の中の当たり前にしたくはなかった。
躊躇わずに話せるくらい、遠藤にとってはそれが当たり前になっているのだ。
「あー、楽しかったー」
背伸びをしながら言う遠藤のセリフは、どこか嘘の様で、空の様で。
「叶に寂しいセリフは似合わないよ」
呟く私を叶が凝視する。
「な、なんだよ」
「今、私のこと叶って呼んだ」
「あっ」
「ふふ、じゃあ私も雪ちゃんて呼ぶね」
「勝手にしろ」
「あっそうだ。番号、交換しよ」
叶は嬉しそうに携帯電話を取り出した。
「はいはい」
自分の文字がふっと視界に入った。
【嬉】
なんだか照れくさくなって手で払う。文字は手をすり抜け、少し経ってボロボロと崩れた。当たった感覚もない。
文字には触れることができない。
当たり前過ぎて考えもしなかった。こんなところで気づくとは。
「おねーちゃん、もっかい鬼ごっこしよー」
花の笑顔が、両手を伸ばして駆け寄ってくる。
【楽 嬉 もっと】
「えーまたぁ?」
その日、初めて友達ができた。
次の日の昼休み。購買で惣菜パンをいくつか買い、校舎裏に行こうとしたところで叶に呼び止められた。
「お昼、一緒にどうかな?」
友達との初めてのお昼。
中庭のベンチに二人で座って、膝の上に昼食を広げた。
叶はお弁当を作ってきたようだ。食材が色鮮やかに飾られている。私にはよくわからないが、多分栄養バランスも良いのだろう。
惣菜パンが見えないように手を乗せて隠した。隠せるはずもないけど、なんとなく恥ずかしい。
料理ができないわけではない、と思っている。しかし自分の為のお弁当なんて作る気は起きなかった。
「これ、全部自分で作ったの?」
「うん。でも、作り置きもあるから朝やってるわけじゃないよ」
「すご。作り置きって単語すご」
「レシピ見ながらだから、誰でも作れるよ」
「実際にやってるのがすごいわぁ」
「……食べる?」
「へっ?」
気づいたら叶のお弁当を見つめていた。はしたない……。
「何が良い?」
「いや、でも悪いよ。せっかく叶が作ったものだし」
手と顔を振りながら遠慮する。
汗汗みたいな文字は、出ないのか。
「私ので良ければ食べてもらいたいな。誰かに食べてもらうって私も嬉しいから」
照れくさそうな、そんな笑い方だった。
「……じゃあ、卵焼き、良い?」
「うん!」
次の日もその次の日もお昼を一緒に食べた。私もお弁当を作ってみて交換をしたり、たまには購買で惣菜パンを選びあったりした。
なんでもおいしそうに頬張る姿に、ほんの少しだけ子供っぽさを垣間見た。
「雪ちゃんは、どうしてオカルトの本を読んでるの?」
「!? ごほっ! ごほっごほ」
「大丈夫!?」
一番知られたくないと言っても過言ではない。自分の中の嫌いな記憶。
お茶を飲み落ち着いて、冷汗と脂汗をかきながら聞いてみる。
「……なんで、知ってんの?」
「クラスでね『最近、守上さんと仲良いねー』って言われて、そうなんだーって返したら『守上さんて、小学生の時にオカルト本読んでる怪我まみれのヤバい子だったんだよ』って言われたの」
間違ってはないけど、語弊もないけど、弁解の余地もないけど、ヤバい奴は余計だろ。それってお前の感想じゃねぇか。
「……まぁ、間違ってはないよ」
「ホントだったんだ。私、雪ちゃんはヤバい子じゃないよって、ちょっと怒っちゃったや」
「怒るポイントに優しさを感じるよ……」
大丈夫かな? 喧嘩とかしてないかな?
私の所為で、叶が嫌われたらどうしよう。
それで私が、叶に嫌われたらどうしよう。
脳みそが、二種類の不安の間で反復横跳びしてる。
「なんでオカルト本読んでたの?」
「んー。まぁ、普通に興味があっただけだよ。今はもう読まなくなったけど、昔はそんなのばっかり読んでた」
自分の力について知りたくてなんて、死んでも言えない。本当のヤバい奴だと思われる。
「あ、そうなんだー」
その『あ』が怖い。何を察したの?
「なんで怪我まみれになってたの?」
言うべきか、言わないべきか。
不安も恐怖もトラウマも、似ているものなら合わさって一つになってくれ。
どれかを倒しても他がいるから踏み出せない。
「もしかして、聞かない方が良かった?」
なんで、そんな目で見るの?
私を憐れむような眼で見ないで。
「思い出したくないことだってあるよね。ごめんね」
叶は困った微笑みを浮かべた。
「……ち、違う。私、刀の稽古してるんだ」
「えぇ、すごーい!」
叶が肩をすぼめ、目を開いて無音の拍手をした。
「いつからやってるの?」
あれ? 案外、普通?
「小さいときからずっと。おじいが道場やってんの。その時に手に豆ができたり、怪我してたんだ」
「切れたりしないの? 死んじゃわない?」
世間知らずなのか、馬鹿なのか。……いや待て、普通は知らない。私がおかしい。
「いやいや、流石に木刀でやってるよ」
「ははは、そりゃそうか。お稽古はどんなことをやってるの?」
お稽古! そんなピアノみたいな。
「木刀を使って型の練習したり、ボクシングとかのスパーみたいに、軽く当てるのもやるよ」
「痛くないの?」
少し心配そうな顔をしている。
「おじいの刀は痛くないよ。当てるのがうまいから。痛くは無いけど切られた感覚はある、みたいな。私のは下手だから、当たると多分痛い」
「へー、なんか、雪ちゃんのおじいさん、アニメの中の人みたいだね。でも、雪ちゃんも当てられるんでしょ? それもすごいよ」
「おじいが当てさせてくれてるんだよ。切る感覚も養わなきゃいけないから」
「……なんか、カッコいいね」
叶の目が輝く。
憧憬の眼差しって、こういうところで使うんだろうな。
「うん、おじいは本当にカッコいい」
「それもそうなんだけど。私が言ったのは、雪ちゃんの事だよ」
驚きのあまり今度は言葉が出なかった。
「だって、そんなすごい人いないもん! 私は雪ちゃんと違う小学校だったけど、みーんな同じだったよ。個性とか自分らしさとか欠片もなかった。まぁ私もだけどさ。だから、頑張ってる雪ちゃんのこと私すっごい尊敬する!」
満面の笑みが、私の過去を昇華させる。
ずっと、言ってほしかった。
頑張ったって言われたかった。
それを、こんなにあっさりと言えてしまうのか。
涙が溢れて、惣菜パンがぐしょぐしょになってしまった。
叶は、少しだけ驚いた後に静かに背中を擦ってくれた。
何も言わず寄り添ってくれた。
それから私たちは沢山のことを話した。好きな本のこと、行ってみたい場所、自分のこと。
見えないものが見えること、これだけはどうしても言えなかった。
叶なら受け入れてくれるかもしれない。けれど怖かった。
独りぼっちは、もう嫌だった。
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