第二十六話 流動
生物最大の感覚器官は?
そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。
私もそう答える。
生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。
そして見ない。
見えるもの。
見えないもの。
見たいもの。
見たくないもの。
見なければいけないもの。
見てはいけないもの。
私は、本当に見たいものを見ることが出来ているのか。
自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。
だって私は、見えないものが見える者だから。
体重が流れ出て行くのを粛々と眺める。
指先が痺れる。
「ごめんね、雪ちゃん」
「叶、どうして……」
眉尻を下げ、眉間を寄せた笑顔を残して、叶は顔を逸らした。
「……雪ちゃんの命は私が握っています。見逃してください」
おじいの額に汗が滲む。
「わかった。言う通りにしよう。だから、雪の処置をさせてくれ。そのままでは、死んでしまう」
声に焦りや不安が乗っている。こんなおじい見た事がない。
震える右手を服の中へ、自身に空いた穴を確かめる。
私は何故、生きていられるのだ。
痛みがないというのは恐ろしい。
私は今、背中に触れている。
左胸の穴は心臓を経由していた。
「雪ちゃんは連れて行きます。どのみち、私がいないと助からない」
叶の願いか。
死なないで。
それだけで、死を否定できるのか。
きっと、この傷もすぐに治せるのだろう。
「雪を連れてどこへ行く?」
「さぁ、誰も居ない静かな所を探します」
「叶ちゃんも雪も、まだ中学生だ。二人だけで暮らすことはできない。だから、手助けをさせてほしい。邪魔はしない。また学校にも通えるようにする」
「なんか、ちょっとうるせぇっすね」
叶は酷く真顔で、デコピンのように人差し指を弾いた。
「!?」
ずるり、おじいの袖から腕だけが落ちた。
「おじい……」
「……大丈夫だ。利き手じゃあない。それに、血も出てねぇし、傷もねぇ」
落下した腕の断面には、移植でもしたのかと思う程に皮膚が張ってある。肩の方も同様か。
「あれ、腕を落とすって、そういう事じゃないと思うんだけど」
なんつう発想だよ。
叶の無邪気さが野蛮に変わっている。
「話し合いは無理か。まぁ良い。俺も交渉は不得手でね。雪は、力尽くで返してもらおう」
「……雪ちゃんの家族か、殺したくないな……」
「二人とも……やめて……」
「ごめんね」
立ち上がる途中、中腰になった時点で叶の姿は消えた。
廊下の壁が左右交互に破裂する。その狭間、叶の軌跡で空気が割れる。
ドサッ。
天井から落ちてきたのは、傷だらけの叶だった。
肉は裂け四肢は捻じれ胴体と足は反対に繋がっていた。
『自分の能力に肉体が耐えきれていないんだ……』
「あ゛……なお……して……」
叶の身体は完全に可動域を越えた動きをしている。
ソフビ人形を力いっぱい捻じ曲げた時みたいだ。
「ふぅっ。痛かったぁ」
「治癒能力の向上……の域は越えてるな」
「構えてないで来てくださいよ。できれば、正当防衛で殺したいので」
叶が踏み出した瞬間、おじいは叶の背後に瞬間移動した。
振り返るように抜刀、左肩から袈裟に振り下ろす。
瞬間に叶は右に重心を落とし、左回りで回転、刀の軌道からズレた。
「おいおい、一応、雷の速さなんだけどなっ」
右からの水平切り。左下からの逆袈裟。どちらも当たった瞬間にいなされて、深手にはならなかった。
おじいが苦笑する。
「困らせないでおくれよ、時間もないんだ」
刀がボロボロと崩れ始める。
「雪、俺じゃ勝てん。カッコ悪いじいちゃんでごめんな」
「おじい!」
「生きろよ」
おじいは笑顔だった。
「待ってぇ! おじい!」
「うわああああぁ!」
刀を振り上げ、半べそで立ち向かう。
「しょーもな」
まるで街を行き交う人々のように、二人はすれ違う。
叶の視界から外れると、おじいは砂になって空気に飛んでいった。
「あ……」
死んだ。
視線で追い、掴めない虚ろを手招く。
その先に佇む人影。後方約十メートル、おじいと降りてきた階段の前。
一本締め。
「顕倆【藤】」
四方、無数の穴。
「霆侍様の初速を凌ぐとは、少しだけ驚きましたが、考えればわかることです」
スーツに身を結び、長い前髪で右目を隠す、おじいの知り合いと思われる男性。
「あなたのもう一つの力、対象を遠ざける能力。ならば、能力の発動前に動けなくしてしまえば良いだけです」
一瞬にして叶は全身を縛られる。
これは、木のツルか。
「情報さえあれば、対処は容易い。ねぇ、遠藤叶さん」
「知らない人に名前を呼ばれるの、嫌いなんですよね。こんなもので、私が止まるわけないじゃないですか」
ぶちぶちと千切れるツルを見て、男性は小さく溜息を付いた。
能力の使用には手を合わせる一連の動作がある。
おじいの合掌は祈りのように長く穏やか。
「顕倆【栗】」
この男性の場合、嘲笑の拍手のように短い。
「ぎゃあぁっ!」
絶叫が耳に痛い。
纏うツルは棘の生えた仙人掌に変わった。
「同時に叶えられる願いには制限があるようですね。さらに、重複すればするほど制度は落ちる」
「殺してやる……」
「ご息女の前で、五月蠅い卑語を並べるな。刎ねるぞ」
「ゲポッ」
塞き止められていた血流が流れを取り戻す。
「あぁがっ、痛っでぇ……」
言葉にならぬ音と共に痛みが押し寄せる。
「ほら、集中しなさい。あなたの大切な人が死にますよ?」
「雪ちゃん……ごめんね」
叶の足が揺ら付いている。
もう体重を支えることすらできないのか。
それなのに、何故優しく微笑む事ができるんだ。
「叶、私は大丈夫。もう無理しなくて良いんだ」
「無理なんてしてないよ。痛いのはなくしてあるから」
だとしても血を流し過ぎている。
今は棘が傷口を塞いでいるから出血を抑えられているが、逆に言えば傷を治すこともできない。
このままでは気付かぬうちに死んでしまう。
「願いは、もう叶えられないようですね」
「頼むよ、見逃せとは言わないから。命は、助け――」
「顕解【栗 藤】」
「やめろ!」
噴水みたいだなって思った。
真っ赤な水の中で叶は静かに座っている。
「叶!」
私の叫びは届いているのだろうか。
頭が回っていないのかもしれない。
応答がない。
「願って! 死んじゃう!」
叶の背中から靄が立ち上がり凝結する。
さっきのと同じだ。
さっき、人が死んだときに見た。
「ようやく出ましたか」
「俺は悪くねぇんだ! この娘にも力は貸してねぇ!」
「喋らなくて良いですよ。祓うことに違いはありません」
言い終わる前に、精霊は天井をすり抜けていった。
「少し手荒ですが、お許しを」
男性に抱えられ、叶と私はその場を離れる。
「追わなくて良いの?」
「ご安心を、上には彼がいますので」
「上……?」
天井が膨らんでいる。
折れんと耐える木の枝みたいだ。
はち切れんばかりがはち切れて、天井から巨大な足が現れた。靄で増強された黒い足。
頑丈に作られたであろう病院の天井に穴が開いている。
「まったく、こんなに壊して。凌馬君、降りてきなさい。お説教です」
軽やかに降りてきたのは、なんともチャラい見た目をした青年だった。
「良いじゃあないですか、祓ったんだから」
「被害は最小限にしろと言ったはずです」
「祓えないよりましです。直せるものは直せば良いんですよ」
あんまりに無責任なことを言うものだ。
「はぁ……。他の二体は?」
「今祓ったのと別個体でしたね」
「そうではなくて、祓ったのですか?」
「ちゃんと祓いましたよー。もー信用ないんだからー。まぁ、陽動でしょうね。雑魚でしたし」
いつまで担がれたままなんだ。
「でしたら報告しなさい。義務なんですから。大体君は、いつも」
「あ、もしかして守上先生のお孫さんですか!」
はっとして気付いた。
今の今まで存在すら忘れていたなんて。
「おじい……」
「心配はいりません。あちらは守上様の分裂体に過ぎません。今頃は、新聞でも読みながらお茶を嗜んでいるでしょう」
同時刻、守上霆侍の本体は、湯呑に注いだお茶で口の中を火傷していた。
「あっつぅ! ふぅふぅ、大丈夫か……雪」
「凌馬君、この子を頼みます」
叶は青年の腕の中で力もなく眠っている。
男性は、私をお姫様だっこしたまま申し訳なさそうにハキハキと呟いた。
「先程はお見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。私は顕言協会の栗藤と申します。霆侍様からお話は伺っております。お友達の手当ても含めて、一度協会に参りましょう」
手当て。
死んでない。
たった一語の安心で、私は保っていた意識を手放した。
後日報道されたニュースを私なりに噛み砕いたので聞いて欲しい。
強姦殺人犯は心神喪失により責任能力を認められず無罪。重度の精神病を患い収容。
葦原総合病院の一室で殺害事件。生き残った女子中学生は意識不明の重体。集中治療室で治療中。
二つの事件の関連性は報道されなかった。
一週間経過しても、私やおじいの事はどの報道機関でも公にはされなかった。
週刊誌や個人のSNSで『怪しい人影を見た』と小さく取り上げられたが、すぐに消去された。
そして、私はというと。
「あの、叶は大丈夫なんですか?」
集中治療室のガラスの前、隣にいる栗藤さんに話しかける。
「怪我は完治しています。脳波にも問題はありません。健康そのものです」
「意識は、戻らないんですか?」
「それは彼女次第です」
精霊によって傷を負ったものは協会で治療する。
顕言協会本部、表向きは病院として経営し、何も知らない市民も通っている。
そう葦原総合病院である。
私たちは協会の中で戦っていたのだ。
「これは私の勘ですが、彼女は必ず目覚めます。それ程に心が強い。……殺人犯の男が生きているのは、ご存じですか?」
「はい」
おじいは殺したと言っていたが、あれは嘘だったのか。
「霆侍様に呼ばれ病院に着いた時、あの男は死んでいました」
「え?」
「生き返ったのです」
「おじいがやったんですか?」
「いえ、彼女が」
ガラスの中で眠る姫を振るえる瞳孔で見つめる。
「同時刻、世界中で同じような事例が報告されました。人が生き返った、九死に一生を得た、と。あの瞬間、彼女は世界中から死を消したのです」
「そんな……」
「私が生きているのもきっとそういう事でしょう。彼女の能力が未熟で良かった。一対一では確実に死んでいましたから」
無敵にすら思えた能力を凌ぐ経験値。
それを持ってしても謙遜するか。
「今も能力を使っているんですか?」
「いえ、今は元通りに、人が死ぬ世界に戻っています」
私だけか、今もなお叶の願いによって生かされているのは。
「彼女の罪を帳消しにできたのも、それらがあったからです。各機関上層部からしても彼女は脅威なのです」
敵に回すのならば、人殺しの一つや二つ……。
我々は味方なのだという証明の為か。
「……私にできることはないですか?」
「正直、雪さんにできることはありません」
即答。
不可を可能と言われて慰められるよりかはマシか。
「しかし、知識を得て正しく力を身に付ければ、彼女の助けにはなるでしょう」
「なんでもやります! 私をこき使ってください!」
栗藤さんがふっと優しく笑う。それはおじいの笑顔にとてもよく似ていた。
「大変ですよ。頑張って下さいね」
「はい!」
私の私による他人の為の人生が、ここから始まる。
「ちなみにどのくらい大変かというと、このスーツを糸に戻して手編みで戻すよりかは大変です」
「えぇ!?」
ということで、守上雪の物語はひとまず完結です。
この終わり方は一年前から決まっていました。
まだ書きたいシーン、キャラは少しだけあるのですが、続くかはわかりません。
あったとしても次話は数か月先になると思います。
更新があった場合、また読んでいただけると嬉しいです。
約10か月、ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございました。
楽しかった!




