第二十五話 鈍行
生物最大の感覚器官は?
そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。
私もそう答える。
生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。
そして見ない。
見えるもの。
見えないもの。
見たいもの。
見たくないもの。
見なければいけないもの。
見てはいけないもの。
私は、本当に見たいものを見ることが出来ているのか。
自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。
だって私は、見えないものが見える者だから。
死んだのか。
今、人が。
全校集会で貧血に倒れる学生は幾許か見た事はある。
躓いて転げる子供なら何度も見た。
何が違う。
生と死の違いなど、感じる隙間は一切なかった。
「なに、したの?」
「心臓を止めた。簡単に言えば、感電だな」
本当に簡単に言うものだ。
口に出そうか迷ったけれど、目の前の事実を受け止めるのなら、黙る方が適切だ。簡単に人が死んだのだから。
実感するのとも、あまり相違はないか。気が付いたら、いつのまにか。
死体から靄が立ち昇る。
『雪、警戒は怠らないように』
何かある予感は的中したようだ。
おじいが、刀に手を掛けたままなのだ。
靄が一気に収束し、死体の背中で形を持った
全身が黒く、赤子程の身長しかない。
例えるなら人面チュパカブラ。
あれも精霊なのか? ただの化け物じゃあないか。
「顕言協会、壬、守上霆侍の名の下に、精霊祓いを実行する」
「お前、顕言師か……」
「往生しなんせ」
右足を前に、左足を一歩後ろ。抜刀の構えだ。
「ギャアァ!」
精霊の叫びが届く前に、おじいの右足は動いていた。
踏み出すのではなく、脱力による倒れ込むような重心移動。
予備動作の無い最速の運足。
呼吸、視線、気。
あらゆるものから情報を得ることでの先行。
切り上げた刀に、精霊は散り散りになって消えた。
「チッ……」
おじいが舌打ち?
『逃したな……あの精霊、強いぞ……』
「え?」
おじいはしゃがみ込み、手を合わせ手の平を床に付ける。
ノートに鉛筆で線を引くように靄は四方八方に広がって行く。
「そこまで遠くには行けねぇだろ。……よし捕捉した。三体……か?」
おじいが上階に目を配る。
「どうしてフロア全体から反応があるんだ……」
立ち上がり、手を払って懐から携帯電話を取り出す。
でも、家に置いてあるやつじゃあない。
てか、使えんのかよ。
「凌馬、精霊が三体に分裂しやがった。顕倆も扱う。弱くないぞ。お前も探して祓え。場所は正面玄関、病院裏、8階だ。あと、栗藤に連絡も。頼んだぞ」
叶のいる階だ。
「雪、よく聞け。精霊が三体に分裂した。俺と電話の奴で対処する。とにかく逃げろ」
何がどうなっているんだよ。
人は死ぬし、精霊も祓ったかと思えば分裂しているし、その一体は叶の階にいるし、おじいは携帯使ってるし。
駄目だ。情報が多い。
「雪」
「急に言わんでよ! 色々なことが起きてパニックなんだよ!」
「暴走した精霊は弱い精霊を襲い、席を奪おうとする。雪は力の制御ができていない。今、心に入られたら危険だ。だから、逃げろ」
私の逆ギレがノータイムで正答される。
「わかったけど、わかんないよ! 八階には叶がいるんだ」
「叶ちゃんは俺が責任を持って助ける。今は自分を優先しろ」
「一緒に連れてってよ! まだ、何もできてない!」
無力な人間のまま生きていたくない。
無理して出した声は裏返る寸前だ。
「……わかった。そろそろ人が集まってくる頃だ。外階段で行くぞ」
崩れた窓から外に出る。
向こうで転がっているのは、さっきの看護師か。
「余計なことを考えるな。今は助けられる人の事だけ考えろ」
おじいの言葉だけを頼りに前を向いて走った。
外階段を全速力で駆け上がる。
激痛もかまいやしない。千切れそうな筋肉は骨で支えろ。
「叶ちゃんの病室は相部屋か? 他に誰かいたか?」
「個室だった。けど、警察が数人いた」
「そいつはまずいな。大勢の感情がある所に精霊は引き寄せられる。急ぐぞ」
おじいのスピードがさらに上がる。
付いて行くことすら儘ならない。足が上がらない。息もできない。
こんなことなら、もっと鬼ごっこしときゃ良かった。
「雪、手を貸せ。引っ張る」
おじいは私の手を取って、何を思ったか階段の柵を飛び越えた。
「なにして、ん、のっ!?」
近づくはずの地面が遠ざかる。
これ、壁走ってる?
屋上まで数歩で登り切る。
こんなこと、できてもしちゃダメだろ。人間の倫理的に。
屋上の施錠された扉を吹き飛ばし、内階段で八階へ降りる。
「叶……」
八階は、フロア全体に靄が広がっていた。
「こいつのせいか、正確な場所がわからなかったのは」
これじゃ進めない。視度の調整できないの?
『無理だ……これ以上下げらんねぇ……』
廊下一杯の靄を消すくらいには調整できることはわかっている。
それでもなお、残り続けるこの感情はなんだ。
「私行ってくるよ」
静かな揺らぎ暗闇は、入ってしまえば漫ろはし。
歩く一歩は遠ざかり、愉楽と苦痛が織り交ざる。
「雪ー! どこだー!」
「八四〇……ここだ……」
叶の病室の前が一番濃い。
そこに着いた時、扉はまた向こうから開いた。
「あっ、雪ちゃん。遅かったね」
叶ごしに何かが見える。
あんなところに何かあったっけ。
「あぁ、あれ?」
叶の背後には、陰茎を潰された死体が四体転がっていた。
「もう、どうでも良くなったの。だから……」
靄や文字が消える時、それらはボロボロと崩れるように消える。
けれど、叶の文字は透明になって消えていた。
力不足故、私が捉えられる範囲には限界があった。
叶の思いが強くなり、私の見える範囲から外れていたから、文字は崩れるのではなく、透明に消えていたのだ。
叶は感情が無いわけではなかった。
むしろ、叶は常に強烈に感じていたのだ。
この世界に対する【恨み】を。
「殺しちゃった」
いつもと変わらない、一緒に昼を食べて駄弁って、花と三人で遊んでいる時の笑顔。
「……叶」
これは暴走なのか。
感情が溢れて溺れたなら、自我を保ち平静でなんていられないはずだ。
強烈な負を思いながら笑うだなんて。
叶は顕言師なのか。
学校の惨劇もこれも、自分の意思でやったというのか。
何か言わないと。叶に今届けるべき言葉はなんだ。
視線と心が落ち着かない数瞬で出した答え。
「……だいじょうぶ……?」
心配なのか確認なのか、自分でもわからない。
相槌よりも意味のない音。
叶は口角をそのままに顔を伏せた。
真っ白な右手を鳩尾に付け指を折る。
「……何回くらいかなぁ? 大雑把だから裁定がわかんないや」
「……何が?」
「お願い事が叶った回数だよ」
顕言術の能力は術者の名前に依存する。
『マジか……無自覚かよ……』
人の死。その無意識な願いを精霊が叶えたとでも言うのか。
「雪ちゃんは、何か知ってるんでしょ?」
飲み込む唾が重たい。
「この黒いもやもやも見えてるんでしょ?」
どこまで知っている。どこまで見えている。
どこから、隠してた。
『この子、顕言師として覚醒し始めている』
「昔からね。願い事が叶うことは多かったの。でも、お母さんが死んじゃってからはしないようにしてたの。そんな本気で願ったわけじゃないのにって、その時思ったから」
「……叶、離婚したって」
「それ嘘。ごめんね。でも、雪ちゃんに余計な思いをさせたくなかったから」
母親も殺したのか?
何故? どうして?
「気になる?」
抱きついてきた叶に耳元で囁かれる。
「お母さんが妊娠して、私怖かったんだよね。花に親を取られるんじゃないかって。出産は大変だって聞くし、死んじゃっても不思議じゃないかなぁって、そしたらお母さんは死んで花は生き残った」
まただ、したくない想像が。
「それからは、お願い事はしてなかったの。欲しい物も苦しい事も、一時的な重しだから。でも、雪ちゃんは違ったの。嬉しいとか楽しいとか寂しいとか悲しいとか。色んな感情がずっと残り続けるの」
抱擁が強くなり、よろけて尻もちをついた。覆いかぶさる叶に寝かされる。
「私、雪ちゃんのこと大好きだよ。だから、雪ちゃんだけは死なないで……」
「叶……」
ありがとうで良いのか。
世界を恨み、人を殺め、それでもなお愛を告げる彼女にかける言葉は、ありがとうなのか。
「私は、人の心が見えるんだ」
素直になろう。
嫌われても良い。
叶の心を知らなければいけないんだ。
「顕言術っていう力でね。まぁ、話は長くなるから省くけど、叶の言う願いが叶うっていうのも、その力なんだ」
『雪、何を。彼女は覚醒段階にあるだけ。さらには悪意もなく人を殺している。秘匿情報を喋っては――』
少し、黙るんだ。
私が決める。
「やっぱり雪ちゃんは知ってたんだね」
私の心音に耳を傾け、腰に置いた手を腹へと這わせる。
「隠さなきゃいけない事だったんでしょ?」
服の内側を一直線に進み、小さな山を登る。
「か、叶?」
「さっきからね、雪ちゃんの中から何か聞こえるの」
『俺達の声を……』
「ほら。でも、声が違う。二人いるのね。達って言ったし」
知識を欲する無邪気な子供のようだ。
「それは、精霊だよ。叶の中にも二人いる」
「そうなんだ……。この子たちが、願いを叶えてくれたの?」
勘の良い。無意識にそう判断したのだろうか。
「うん、そうだよ」
私の胸に置いた手を引き出し、自身の胸に当てる。
「どうして、あなた達の声は聞こえないの?」
叶に宿る精霊は何を思っているのだろう。
何故、叶に力を貸す。
「声を聞かせて……。……え、私のせい?」
『マジかよ……』
『まさか、ありえるの?』
「あー、そんなことあったっけ……? ごめんねー」
なんだか盛り上がっているが、私は一切状況が掴めてないぞ。
叶の精霊が何か喋ったっぽいよな。
私だけ? 聞こえてないの?
『精霊は、この子の願いによって声を封じられていたの。喋るなという願いで』
はぁ?
術は精霊の力でしょ?
使わなければ良いだけじゃん。
『何でも願いを叶えろという願い……。それを聞き入れた時点で、精霊は自権を失ったんだ……』
一つ願いが叶うならどうする?
叶えられる願い事を増やすだなんてありきたりな答え。
その、極み。
あらゆる決定権の譲渡。
叶える叶えない、そんなちんけなものではない。
発言一つに許可を有する、精霊に対する圧倒的な上位存在。
叶が顕言術を会得したら、どうなってしまうのだ。
「雪ー!」
おじい、声と足音が近づいてくる。
「雪ちゃんのおじいさん? 見えないね。これ消して」
その一言でフロア一帯の靄が綺麗さっぱり消えた。
透明にした?
目に見えない程小さくした?
違う。
存在の抹消。
靄にも温度、質感、存在感、そういう言語化しづらいものが少なからずある。
それが一斉に消えた。
夕方の教室のような、あるはずの気配が感じられない。
「雪! 大丈夫か!? その血はなんだ!?」
私は、節穴を掘り返したような眼を付けているようだ。
血塗れではないか。
叶の手は血に染まり、顔にも飛び散っていた。
肩を抱き合いながら上体を起こす。
「大丈夫。私達の血じゃない」
同年代の少女に比べれば血を流してきた人生だが、全身が赤黒く染まる量の血液に塗れた経験はない。
今日はよく人が死ぬ。
さらには、近しい人が人を殺す。
それでも案外、落ち着いていられるものなのだな。
血で続く足跡を見て、おじいは病室に顔を向けた。
「私がやりました」
その一言で、おじいは歩みを止める。
「叶ちゃんだね? 雪から話は聞いているよ」
これは、私だけがわかる顔だ。
身体は不動に、意識は臨戦。
おじいは今、恐れている。
「何があったのか、詮索もしない。理由も言わなくて良い。君のことを傷つけるつもりもない」
何を言っているんだ。
叶をなだめるような……。
「できる事なら、なんでもしよう」
あれ?
叶の手に血なんて付いてたっけ?
「だから、雪だけは……!」
「ケホッ」
咳に混じった赤を手の平で受け止める。
これは、私のか。
じわっと染み出した血液は、やがて床にまで到達し少しづつ領地を広げていた。
痛みもなく、気付きもない、滴る液体だけが大袈裟に痛々しい。
9月は自身の最大アクセス数を更新し、新規読者様もとても増えました。
ありがとうございました。
探さないと見つからない作品は、右肩下がりだと思っています。
最初は、新作だからと読んでくださる方も多いです。
コミック雑誌で連載している作品であれば、ついでに読んでみるかとなり、読者様を捕まえやすいと勝手に思っています。
私はと言えば、予告もなく一か月休んだり、二か月休んだり……。
読みたいを産むのができてなさすぎる。
そんな中、今になってアクセス数が増えるとは。
一体、何が起きているんでしょうね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
よろしければ評価をお願いします。




