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口篭る人形  作者: 風呂蒲団
19/26

第十九話 平静

 生物最大の感覚器官は?

 そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。

 私もそう答える。

 生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。

 そして見ない。

 見えるもの。

 見えないもの。

 見たいもの。

 見たくないもの。

 見なければいけないもの。

 見てはいけないもの。

 私は、本当に見たいものを見ることが出来ているのか。

 自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。

 だって私は、見えないものが見える者だから。

 喉、乾いたな。

 四月上旬、例年よりも少しだけ気温が高い。

 直射日光と長距離歩行で汗が滲む。

 コンビニに行こうにも財布もスマホもねぇ。

 公園の水でも飲むか……。

 川よりかはマシだろ。

 なんか懐かしいな。

 昔は、おじいと一緒に散歩したり、山とか川で修行したなぁ。

 川にキャンプに連れて行ってくれたかと思ったら『地の利を生かした戦術を考えるんだぞ』だもんな。

 色々な経験をしたなんて、簡単な言葉に当て込まれてしまう人生でないと嬉しいな。

「はぁ、やっと着いた」

 このセリフで山の麓を想像する人が何人いるだろうか。

 普通は家の前を想像するだろう?

 私も同じだ。

 この山を含めて家だからな。

「傾斜ぁ……」

 自宅が山中にあることに、違和感と疑問と疎外感を憶えたのはいつだっただろうか。

 道路に面した家々を羨んだこともある。

 隣人がいれば、私はコミュ強になれただろうか。

 友達や幼馴染に当てはまる人は現れただろうか。

 山より低いマンションに住めば、もっと普通になれただろうか。

「ただいまぁ」

 玄関から廊下にかけて漂う空気が、いつもと違って騒がしい。

 無音なのにうるさい。

 おじい、どこにも居ねぇな。

「おじい、帰ったよ」

 道場にも居ない。

「霆侍くんなら出かけたよ」

「トウさん、ただいま。おじい、どこ行ったかわかる? 時間がないんだ。もっと術を使えるようにならないと」

「雪は、特別な存在になりたいと思う?」

「なに、急に」

 何もかもが、いつもと違う。

「気にする人は、それを自分の中で呪いにしてしまうから」

 なんだよ、それ。

「……私は、普通になりたかった」

 普通なんて言い方、しなきゃ良かった。

 私の普通を私が否定してどうすんだよ。

「昔から術のせいで嫌な思いもしたし、友達も傷つけた。特別になるのなんか簡単だよ。狂乱に落ちれば良いだけだから。普通の方が断然難しいよ」

 自分の中で反芻しすぎて言い慣れてしまった。

 本音とは、返しが付いているような、引っかかるものではないのか。

「そっか、雪の考えが聞けて良かった」

 やはり何か違う。

「簡潔に伝えるよ。雪、君はもう普通の人間じゃあない」

「……それって、私が感情をあげたから?」

「そうだ。雪がやったのは、もう誰も知らない禁術さ」

 どうして誰も知らないの?

 今はそんな無邪気、許されないだろうな。

 私の中の違和感も、禁術が起因しているのだろう。

 ならば、自分で考えれば良い。

「本来であれば、口に出すことすら許されていない。でも、雪がこれ以上自分を捨てない為に、話しておくよ」

 なんだか虚ろだ。

「どうやら知らず知らずのうちに、とんでもないことをやらかしたらしいね」

 私は、私に対して他人行儀だな。

「とんでもないじゃあ済まないんだよ」

 厳かな音色。

 こぼれ出る威圧。

 あぁ、そうか。

 トウさんの言葉には、怒気が含まれていたんだ。

 恐怖が消えてわからなくなっていた。

「あれは、契約だ。感情と引き換えに、顕言術を得る契約」

 考えなくても、わかることもあるようだ。

 こんなの聞いてしまえば、魅力的に思う人が現れてもおかしくない。

 私だってそうだった。

「ただ感情がなくなるだけじゃあない。雪は精霊と混ざってしまったんだよ」

 それがどれ程の危機なのか、これから聞かされる。

 私は、それをただの雑談のように、心に留めず聞き流してしまった。


 午後五時。

 トウさんから一頻り話を聞いた後、私は自室の布団の上で静かに天井を眺めていた。

『ユキ』

 やっと喋ったね。今までどうしてたの?

『少し、眠っていたわ』

 それは、あなたが私だから?

『……そうね』

 精霊と交わした契約。

 感情と引き換えに顕言術を得た。

 顕言術とは、精霊の力である。

 感情をエネルギーに変えるのも。

 エネルギーを物体に変えるのも。

 物体を分解し、別の物体に再構築するのも。

 全て、精霊の力なのだ。

 人間に、そのような力は備わっていない。

 では何故、自在に術を扱えるのか。

 それは、ただ運が良かっただけなのだ。

 精霊に気に入られたのか、気まぐれなのか、もしくは間違いだったのか。

 何はともあれ、たまたま力を貸されただけ。

 心が見えるからと言って、その人が凄いわけじゃあない。

 自分を特別だと勘違いしていた阿呆は、この事実に膝を付く。

 契約を交わすと、人は感情を失う。

 得るのは、精霊の一部。

 精霊と混ざり合うことで、人は顕言術を初めて我が物にできる。

 私は、特別になりたいわけじゃあなかった。

 別に今も特別になれたわけじゃあない。

 無知が故に馬鹿をして、得意に特異になっただけ。

『ユキと私は一心同体。事象の全ては痛み分け』

 あなたは、どうして契約を結ぼうとしたの?

 無理矢理奪ってしまえば良かったのに。

 そうすれば、あなたは何も失わなかった。

『奪えるのはあぶれたものだけ。源を手に入れるには、持ち主から譲ってもらうしかないの』

 どうして感情を欲しがるの?

 生きるために必要なの?

『感情をエネルギーに。ユキが食事をするのと、なにも変わらないわ』

 安定しない供給に頼るのではなく、自らが生産者になることでの延命。

 今まで生きていられたのに、どうして今更欲しがるの?

『おこぼれを拾い続けるのに嫌気がさしただけよ』

 それ、嘘でしょ。

 あなたは、そんな小さなプライドの為に、自分を捨てるような人じゃあないわ。

『私が人じゃあないからよ。今はもう精霊でもないけれど』

 あなたは精霊であり、人でもあるの。

 そして、あなたであり、私なの。

 私たちは少数派かもしれない。

 でも、ひとりじゃあない。

 事情はわからないけど、思いはわかる。

 情緒的で猥らに美しい彼女は、いつの間にか私の中に溶け込んでいた。

 卑屈で怠惰で朧げな私の心もまた、彼女の心に溶け込んでいた。

 静かだ。

 ただ静寂があるという単純な無音ではない。

 そこに誰かがいるような。

 気まずさでも、だんまりを決め込んでいるわけでもない無音。

 互いに気を許し、互いに意識しない無音。

 友人のような、家族のような、そんな無音。

 話そう。

 これからのことを。

『……私は』

 欠落の先にある欲求。

『死にたいの』

 希死。

『精霊は、感情が枯渇しても死ぬことはない。ただ、動かなくなるだけ。でも、感情を貰えば、人として死ねるの』

 精霊としての自分を減らして、人の感情を得ることで、少しずつ人に近づける。

 自分を完全に失った時、やっと死ねる。

 でも、精霊は死ねない。

 死ぬのは人。いつだって人として。

 生き永らえるために生きるのではなく、死ぬために生きる。

『ごめんなさい……。ユキを巻き込んでしまって……』

 すすり泣く声が聞こえる。

 精霊も泣く。

 涙を流せば良いわけじゃあない。

 心が泣いているんだ。

 良いんだよ。悲しまないで。

『だって、ユキ……』

 私の命が尽きるまで、私と一緒に生きて。

 精霊と混ざり合った私の魂は、もういつ消滅してもおかしくないらしい。

 箱の中に毒ガスを入れてしまったのだ。

 内側から侵食されていくのは当然のこと、彼女にも抑えることはできない。

 毒ガスだけを取り除くなんて不可能。

 人間の私は、いずれ精霊の私に食いつくされる。

 死と同時に、私は永遠となる。

 私が死んだあと、あなた……と彼はどうなるの?

『私が答えよう』

 また、意識が引っ張られた。

 黒い世界。

 背後から声。

『精霊は人の魂に繋がれている。宿主が死ねば、魂から解放され、また新しい命へと宿る』

 人の魂はどうなるの?

『どうにもならん。無に還るだけだ』

 輪廻転生とかはないのね。

 前世の記憶とかは、精霊から受けとっているのかもな。

 人と混ざり合った精霊の記憶が、宿主になんらかの作用を起こす、とか。

 私もいずれ精霊になる。

 先に知っておいてもよいだろう。精霊の生活について。

 あなたは、今までどんな軌跡を歩んできたの?

 教えて。あたなとも話したい。

『面白いものではない』

 優しいのね。

 彼女と契約する前。

 あの時も、止めようとしてくれたんでしょ?

 全部知っていたから。

 今も、彼女は私の心労を引き受けてしまっているから、気を使ったんでしょ?

 ありがとう。

 あなたの話も聞かせて。

 お願い。

 背後から聞こえる声に、怖いものなど何もなかった。

 それは、私が恐怖を捨てたからではない。

 彼の事を怖いものだと決めつけて、真髄を見ようとしなかったからだ。

 私のわがままに、彼は溜息を付いた。

『私は、今から千年前に生まれた』

 途方もない年月。

 長生。

 長く生きたのではなく、長く生かされた年月。

 子どもの頃のこと、何か憶えてる?

『私は、生まれて間もなく人間の胎児に宿った。山に囲まれ、外界から閉ざされた小さな村の赤子。そこは豊かな土地ではなかった。数年の間に三人看取った』

 その時、あなたはどう感じた?

 精霊の感情。

 人に宿り、人の感情を食らう精霊は、独自の感情を持ち合わせているのか。

『私は、何も感じていなかった。人間はただの食料だったからだ。人が野菜を切り刻むのに、一切の抵抗がないのと同じだ。私から見れば、違いのない二つだ』

 家畜を可哀そうだと感じる人がいる。

 肉を食べず、野菜だけを食べる生活を送っているらしい。

 野菜だって生きている。

 成長し子供育みそして死ぬ。

 何が違うというのだ。

 感情がない故の無心ではなく、区別がないからこその無心。

『村が疫病に崩れたあと、少しだけ彷徨った』

 どうして?

『赤子を探さなければと、そう思った。この体が動く間に都を探さなければと、そのとき初めて焦りを感じた』

 精霊は何物にも触れることができない。

 通り人に抱えて貰うことも、荷馬車に潜むことも、風に乗ることもできない。

 自力を突き通すしかないのだ。

『都を見つけ赤子に宿り、抱えられる温もりを感じた時、私は初めて安心した』

 生まれてすぐ親元を離れ、知らない土地で生きていく。

 そこに感情を挟む隙などなかったのだ。

 精霊は二人一緒に居るんでしょ?

 彼女とは、ずっと一緒なの?

『いや、ユキに宿ったときに出会った』

 なにか、話したりするの?

『彼女とはあまり話さない。私たちはユキの心の中に、それぞれ世界を持っている。ここがそうだ』

 彼女の世界は真っ白だった。

 あなたの世界は随分と暗いのね。

 私は暗い所、好きだよ。

『私の世界は、私が生まれたときからこうなのだ。好き嫌いではない』

 そうなんだ。

 あの時、あなた『私を見ろ』って言ってたよね?

 精霊は魂の姿をしているんでしょ?

 ここじゃ見えなくない?

 実際に見えなかったし。

『ユキの実力が足りなかったのだ。今なら見える』

 心が見えないのと同じか。

 病院では特に変化はなかったけどな。

『術を身に付け、無意識下で制御していたのだ。良いからこちらを見ろ』

 はいな。

 振り返ると、そこには大きくて真っ白な鳥がいた。

 凛々しい顔立ちは鷲のようで、首は鶴のように長い。

 孔雀の尾羽を持ち、足の指は私の腕より太い。

 鳳凰……。

『精霊は銘々の姿をしている。この姿に意味はない』

 あなたがこんな姿をしているなんて、想像もできなかった。

『自らの中に、化け物を飼っているとは誰も思うまい』

 違うの。

 あなたが、形ある存在で嬉しいの。

 私は、ずっとあなたの事を恐れていた。

 それは、あなたが得体の知れないものだったから。

 姿もなく、ただ人魂のような存在だったら、もっと怖かったと思う。

 でも、あなたは、あなたを持っていて、心もある。

 確かに、姿に意味はない。

 だって、あなたが、あなたであることに意味はあるのだから。

 こうして顔を合わせて、話ができてすごく嬉しい。

 ありがとう。

『……ユキ。私は、なんだ』

 あなたは、精霊で、大きな鳥で、私の友達。

 彼は大きな翼を広げ、私を包み込んだ。

『ありがとう、ユキ』

 彼は、私の耳元でいくつか囁いた。

 私は、それを受け取り軽く頷いた。

 叫びは声になる前に、喉を裂いた。

 肋骨に入った亀裂は、背骨へと伝播し骨髄液を撒き散らした。

 内臓が綺麗に発色しているのが見える。

 ぐったりと倒れたまま、意識は心の中に閉じ込められた。

 その日、私は死んだ。

文字だけで人物の心情、性格、声などを表現しないといけないのは、とても大変です。

執筆の四分の一くらいは言葉癖とか言い回しとかの手直しの時間になっています。

気を抜くと皆同じ喋り方になってしまうのです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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