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口篭る人形  作者: 風呂蒲団
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第十八話 母親

 生物最大の感覚器官は?

 そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。

 私もそう答える。

 生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。

 そして見ない。

 見えるもの。

 見えないもの。

 見たいもの。

 見たくないもの。

 見なければいけないもの。

 見てはいけないもの。

 私は、本当に見たいものを見ることが出来ているのか。

 自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。

 だって私は、見えないものが見える者だから。

「顕象を操作することを顕操と呼ぶよ。靄を出さないことも火事場の馬鹿力を出すことも腕とか各部に集中させることも全部顕操だよ」

 今回は一段とシンプルな名前ねー。

 固有名詞を付けたくなる気持ちはわかるよ。喋る文字数が減るし、会話もスムーズになるからね。

 ただ、覚えられないのよ。

「顕操が上達すれば、顕言術自体のクオリティも上がるよ」

「万能な能力だなぁ。顕象と言うのは」

「顕言術の基本だからな。エネルギーは質量に変換できる。学校で習ったろ」

 習ったっけ……。

「まぁなんとなくは」

「感情をエネルギーに、そして質量に。これが顕倆のカラクリだ」

 これはなんとなく理解できてきた。だからこそわからない。

「名前を顕象するのは、どういう仕組みなの?」

「それは、俺もよく知らん。俺の師匠いわく偶然の産物らしい。魂の扉を開けたら、たまたま出てきたと。だから、名前も魂の中にあると考えているんだ」

 おじいの師匠でも『らしい』なのか。

 開祖とんでもないな。

「そもそも名前とは、から抜け出せないな……。てか、おじいの雷みたいに、もっと強い名前付けてよ」

 名付け親誰か知らんけど。

「俺じゃあねぇんだから仕方ねぇだろ。レイが付けたんだよ」

「お母さんが……。何か、由来とかわからないの?」

 お母さんが残してくれたもの。

 私に刻まれたもの。

「レイは……」

 何を思って付けた名前なのか。

 お母さんの心に触れたい。

「『なんとなく』って言ってたな」

「……え、雪のように綺麗な子に育ってほしいから?」

「言ってねぇよ」

 なんとなく、か……。

 名前くらい、拘ってくれても良かったんじゃあないかな。お母さんよ。

 誰だって自分の名前の由来を考えたことがあるだろう。

 ポジティブな願いを掛けてみたり、言葉の意味を辞書で引いてみたり。

『雪のように綺麗な子』

 自分なりに出した答えだったのに。

 名が体を表せてないけど。

「守上家は代々名前に雨を冠している。その中で、なんとなくということだ」

「それは、適当と同じなのでは?」

「落ち込むな。俺はレイが照れ隠しで言っただけだと思っている。俺も、母親から霆侍の由来を教えてもらってないからな」

 そういうもんなのか?

 私も母になれば……。気が早いな。

「あのー、そろそろ良いですか? 今日は座学じゃなくて鍛錬の日だと聞いているんですか……」

 そんなの決めてたんだ。

 流石に脱線しすぎたのか、トウさんが痺れを切らして間を割ってきた。

「あぁごめんごめん。顕操だよね。よし、やっていこう」

「そもそも一本取れてねぇだろ」

「そうじゃん」

 話が逸れるのは守上家の血だな。

 おじいと二人だと、無理矢理話を切らない限り永遠に続いてしまう。

 枝分かれしたとして、幹に戻ってこれるならまだしも、花を咲かせ種を落とし、新しい木を育ててしまうから仕様がない。

 うだうだと考えるのを辞め、木刀を構える。

「そーいや、折れてんじゃん」

 この子、どうなるんだろう……。

「ねぇ、おじい……」

 治るの? とか、聞いているからいつまでたっても木漏れ日を作るはめになるんだ。

「どうした?」

「いや、なんでもない」

 折れた剣先を拾い上げ、壁際にそっと置く。

「雪、大丈夫だよ。顕言術で治せる」

「トウさん……。ありがと」

 おじいに聞こえないよう小声で教えてくれた。

 気の使える木刀だぜ……。

 新たな木刀を手にし、おじいと向き合う。

 強い相手に様子見はしない。最強最速が一番良いに決まってる。

 でも、私に出せる全力はもう出し切った。

 だったら、無理をするしかない。

 おじいがいるんだ、大丈夫。

「おじい、ちょっと待ってて。なんかあったら、あとは頼んだ」

 瞼を落とし、暗がりに言葉を投げる。

 精霊よぉ、私の中でのんきに暮らしてんだろ。

 たまに顔出しては、いらん事ばっかりしよってからに。

 私の感情食ってんなら、しっかり役に立てや。

『ふふ、随分と乱暴な言葉を使うのね』

 マジか、返事来ちゃった。

 昨日のエチエチお姉さんだ。

 男の方じゃなくて良かった。

 こっちの精霊は、案外すぐ体を返してくれたんだよなぁ。

『ユキ、あなたの望みはなぁに?』

 昨日もそうだった。

 この精霊は対話をしたがっている。

 物は試しだな。

 私の望みは、顕言術をマスターすること。

 どうだ……。

『あははっ!」

 笑われた!

『見かけによらず欲しがりなのね』

 込み上がる怒りはあるが、とりあえず抑えろ私。

 ……確かに、私はまだまだで実力も経験も知識もないけど、強くなりたい気持ちを抱くくらいには、守りたい人がいるんだよ。

 顕言術は精霊の力なんだろ?

 あなたの力が必要なんだ。私に協力してくれ!

『……』

 どうなんだよ……。

『ふふ』

 また笑われた!

『良いわ。でも、タダは嫌』

 見返りか。

 命かなぁ。

『ユキじゃあないんだから、そんなわがままは言わないわ』

 こんの精霊……。

 じゃあ、何が欲しいんだよ。

『一つ、感情を頂戴』

 一つ? それってどういうこと?

『感情の源を一つ。それがなくなれば、ユキは二度とその感情を抱けない』

 それは、ちょっと嫌かもな。

 でも、考え方によってはありか?

 喜怒哀楽、喜びと楽しさが消えるのは嫌だけど、怒りと哀しみが消えるのは、そこまで嫌じゃあないな。

 怒らない人。聖母の様で良いじゃない。

『どうするの?』

 感情なら、なんでも良いの?

『えぇ、どんな感情でも歓迎するわ』

 んー、他にはないの? 欲しいもの。

 選択肢は、多い方が良いと思う派の人間だ。優柔不断だけど。

『そうねぇ……。ユキ、私に』

『ユキ』

 声が聞こえ、感情が悴み背骨が震える。

 忘れることのない声、何度も恐怖した声。

 自分の中に閉じ込められる。

 以前にも、こんな感覚になったことがある。

 瞼を擦るほどに近づけなければ、自分の手も見えない。

 ここには黒しかない。

 ここは、どこ。

『……』

 息遣い、それがまるで喉元のナイフのように鋭い。

 背後にあるその重さをなんと表現したら良い。

 見えずとも、はっきりとそのものを捉えられている。

『私を見ろ』

 大丈夫、大丈夫、大丈夫。

 言い聞かせろ。

 ここで振り返らないで、なにが顕言師だ。

 回れ右だ。学校でやってるだろ。それだけで良いんだ。

 いけぇぇええ!

 勢いに任せて、勇気をもって振り返ってみたものの、そこには何もいなかった。

 突如、空間にひびが入り世界が崩れ落ちた。

 先程とは裏腹に無限に白が広がった。

『ユキ』

 あ、エチエチお姉さんの声……。

 どこにいるの?

 感じられない。

『お邪魔が入ったわね。大丈夫?』

 ……うん、大丈夫。ありがと。

 この精霊に対し、私は抱いてしまったのだ、耽美を。

 言葉の端々に、美しさを感じてしまっていた。

 決めた、私の感情をあげる。

 私の恐怖を貰って。

 恐れは死を遠ざける。

 警戒すること、疑い深く生きる事。

 それは、勇気を殺す。

『ユキ、ありがとう』

 絶叫。

 純白の世界に汚泥の喘ぎが巡る。

 胸が裂け露になった胸骨が、爆笑しながら空に飛び出した。

 知らんぷりの内臓に、ムカデの足が生えていく。

 皮下脂肪を突き破った節足が、せっせと体表を縫い合わせていく。

 閉じた瞼が弾けて、現実に戻された。

 無意識に身体をまさぐる。

 何ともない……。

『ユキ、調子はどう?』

 問題ないよ。本当に強くなれてんの? 実感がないんだけど。

『むしろ良い傾向よ。ただ考え方を変えれば良いだけ』

 どんな風に?

『全ては当たり前』

 なんでだろう。

『ユキは、走り方を知らない赤ん坊だった。でも、今のユキは、誰よりも早く走れる』

 あなたの考えが心地良い。

「うん、そんな気がする」

「雪……」

「おじい、今の私は、さっきより少しだけ強いよ」

 私が暴走した時以来か。明確な殺意を向けるのは。

 飛び回る必要はない。小細工もいらない。

 反応速度を越える一歩。

 踏み抜ける床。

 視界に移るあらゆるものが線になる。

「馬鹿野郎が」

 拳。

 床。

 二つ、その日、最後に見た物。



 痛い。

 顔面が重たい。

 痛みの集合地である左頬に、指先を押し付ける。

 第一関節まで抵抗なく埋もれる。

 あるはずの壁がない。

 歯、折れてんな、これ。

『お目覚めね、ユキ』

 私、負けたのね。

『えぇ、見事なまでにね』

 酷い言い方。

 何時間くらい寝てたかわかる?

『そうねぇ……。四十時間くらいかしら』

 ……。

 ……。

 えーっと。

 それは、つまり?

『今は日曜日。日が変わってすぐよ』

 寝過ぎてるなぁ。

 てか、ここ家じゃないじゃん。病院か?

 とりあえず帰るか。

 帰れんのか?

『ユキ、今はゆっくりとお休み。朝が来たら起こしてあげるわ』

 そんな悠長には、いられないんだよ。

 もう今日しかないんだって。

 顕言術だってまだまだだしさ。

『それなら心配いらないわ。ユキはもう顕言術を体得しているもの』

 何回かできたけどさ。

 体得とまでは言えないよ。

『大丈夫。私を、自分を信じて』

 不安なんだよ。

 私は人より遅れてるから、もっと努力しないといけないんだよ。

 信じるなんて、できるわけないよ。

『完璧にならなくて良いのよ。ユキは、ユキらしくあれば良いの』

 でも……。

『だいじょーぶ。ユキならだいじょーぶ』

 どうして、あなたは私に優しくしてくれるの?

『私が雪を、愛しているからよ』

 私は、少し戸惑って、僅かに照れて、とても安心した。



「……きさん。守上雪さん」

 誰だ、この人。

 猫背やべぇな。

 朝も早くから私を起こしやがったのは白衣の男。

 肩ではなく腰から曲がっている。Lを逆さにしたみたいだ。

「お昼寝中にすみませんね」

 何言ってんだこいつは。

 今はまだ……。

 病室の時計が目に入る。ぼやけたピントを合わせる。

 二。

 短針が二を指していた。

 やけに外が明るいなとは思ってたんだぁ。

 天気、良いね。

「体調はどうですか?」

「もう、良くなってますね」

「それは良かった。こちら、差し歯ができましたので、ご確認を」

 あー折れたとこのね。

「どうですか? 噛み合わせ大丈夫ですか?」

「あ、はい、問題ないです」

 すげぇ、違和感ゼロだ。

 私が寝ている間に作ったってことか。

 早仕事だな。

「では、症状のご説明をさせていただいて、それで退院となります。お帰りはどうなさいますか? 必要であればタクシーを呼んでおきますが」

「あ、歩いて帰ります。……あの、私ってどうやってここまで運ばれました?」

「おじい様から連絡を受けて救急車で搬送されましたよ」

 なんて言ったんだ?

 孫ぶん殴ったら歯が折れたから救急車寄こしてくれ、なんて言ってないよな。

「いやぁ驚きましたよ。孫の歯折っちまったって連絡が来たときは。ははは」

「はぁ!?」

 そんなストレートに言ったのか、あのじじい。

「あの、それって、傷害罪とかになったりしないですよね? 今頃刑務所にいるとかじゃないですよね?」

「大丈夫ですよ。まぁ雪さんが訴えたいのなら、証人になりますけど」

 ケロッとしてんな、この人。

「できれば、秘密にする方向でお願いします……」

「霆侍さんとは、古くからの知り合いですから、虐待をするような人ではないことはわかっていますよ」

 あ、呼び方が霆侍さんに変わった。良いな、なんか。

 古くからとは言うけど、そんなに老けては見えないな。

 いっても三十後半くらいかな。

「そうなんですね。良かった……」

「雪さんとも、昔会ったことあるんですよ」

「え、そうなんですか?」

「稽古中の怪我でね、僕が診察したんですよ。あの頃とは雰囲気も変わって、随分と大きくなりましたね」

「はは、図体ばっかり大きくなっちゃって……」

 会話は良いけど、時間がなぁ。

「あっすいません、話し込んじゃって。症状の説明をさせてもらいますね」

 やば、顔に出ちゃったかな。

「あ、はい、お願いします」

 一通りの説明を受け終え、葦原総合病院というとっても大きい病院から退院した。

 どうやら私が眠っている間に手術をしたらしい。

 処置としては、砕けて残った歯を取り除き、縫い合わせたというものだ。

 血も止まっているし、何なら抜糸も済んでいるそうだ。

 理解できない程治りが早いが、そういう説明を受けたし、実際に何ともないのだからしょうがない。

 帰る直前に、個人用の電話番号を貰った。

 本当は良くないらしいのだが『これは医者としてではなく、霆侍さんの友達として。何か困ったことがあれば、いつでも頼って下さい』と言って渡された。

 おじいの周りは良い人ばかりだ。

 人柄って重要ねぇ。

 そんなことを考えながら、とぼとぼと歩く午後。

 日差しが少しずつ肌を焼いていく。

 ……ねぇ、なんで起こしてくれなかったの?

 夜の言葉は嘘だったのか、はたまた夢だったのか。

 家までの道のり、精霊が話けてくることはなかった。

エチエチお姉さんの声は、完全に沢城みゆき様で脳内再生されています。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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