第十六話 才能
生物最大の感覚器官は?
そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。
私もそう答える。
生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。
そして見ない。
見えるもの。
見えないもの。
見たいもの。
見たくないもの。
見なければいけないもの。
見てはいけないもの。
私は、本当に見たいものを見ることが出来ているのか。
自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。
だって私は、見えないものが見える者だから。
「顕象はできたね。次は、刀に何ができるのか、刀で何をしたいのか。それをイメージして」
刀にできる事?
切ったり、刺したり?
【刀】
何も変わらない……。
さっきまでが上手くいき過ぎていたんだ。
上手くいかない事なんて、これまでいくつもあったじゃないか。
イメージだ、余計な思考は捨てろ。
無限に続く闇の中。
私は、一人の少女と対峙していた。
構えろ。その醜悪な心根、叩き斬ってやる。
振り上げた刀を見て、少女は尻もちをついて逃げ出した。
私は、少女を切った。右肩から左脇腹にかけて、何の躊躇いもなく切り伏せた。
逃げる人を背後から切るだなんて。
頭の中で恨んで、殺して、それで満足してしまう。
叶はよく我慢できたな。私ならタガを外してしまうだろう。
いけない、邪推だ。
あ、でも袈裟に斬るのなら、イメージしやすいな。
刀は正中線に合わせて振り上げる。左右どちらに下ろすのか、悟られないようにすると良い。
昔、おじいから言われた気がする。
相手の懐に入りながら、僅かに腰を落とす。
腕で切るのでなく、肩甲骨から動かし、体重を刀にそして相手に伝え、斬る。
頭の中で私は何度も人を殺した。
「雪、刀にできるのは殺すことだけかい?」
そのための道具だろう。料理でもすればいいのかい?
私が持ってしまったのだ。
他にできる事なんて、そんなのわからないよ。
刀はいつだってそこにあって、私がしたいように動いて……。
それが、駄目なのか……。
刀にも心があって、感情や痛みや思い出があったんだ。
おじいが刀を振るう時、まるで刀が先導しているようだった。
私、ずっと前に気付いてたのに。
刀は、人を殺すためだけの道具じゃない。
守り、生かすことができる。
刀で精霊を祓い、叶を助けたい。
「ごめん、私の勝手でトウさんまで人殺しにするところだった。私、叶を助けたい。人を救えるようになりたい」
嘘だ。本音じゃない。
「……違うね。素直にならなきゃ。他人なんてどうでも良い。叶を救えるなら、私は誰であろうと殺す。トウさんは、それでも私に協力してくれる?」
「もちろん」
「ふふ、簡単に言うね。じゃあ、いくよ。顕言【刀】」
本を閉じるようだった。
文字は、折られ引き伸ばされていく。
ただの棒切れに反りが生まれ、厚みが消え、刃が形成された。
「……はぁ」
できちゃうもんだな、案外。
「できると信じていたよ」
黒、一色。
影に落としたら気付けない程に、いや、気付ける。
影よりも黒い。
物が見えるのは、光を反射しているから。
魂の姿をしたこの刀は、光すら触れることはできない。
それでも、わかる。
音や匂いのように、見えなくとも、そこにあるのがわかるように。
見えないからこそ、他の何よりも目立ってしまう。
綺麗。
「難儀な体ね。私も触れられないだなんて」
卑しい身体じゃ、清い心と手を繋げないのね。
「雪、術を解こう。力を使い過ぎてる」
「どうして? もう少し遊びましょうよ。良いでしょ?」
指が、その輪郭を撫ぜる。
「雪なら歓迎。でも、君は雪じゃない」
「あら。恥ずかしがり屋さんなのね。良いわ、また会いましょう。……あ、まただ。意識、持ってかれてた」
なんだ、今のエチエチお姉さんは。私の精霊は、あんなのが憑いているのか。
「休憩しようか」
「うん、どうすれば術は解けるの?」
「手をかざして、言葉は顕解。これで解けるよ」
「顕解」
力んだ腹筋を緩めるように、刀は僅かに膨張した。全体を覆う靄が散り散りに消え、元の木刀が床に転がった。
「お疲れさま。ここまでできるなんて、正直思ってなかったよ」
「私も。次は、何するの?」
「今日はこれでお終い。また明日やろう。もう、日も暮れるしね」
窓の外が赤く染まり、夕暮れを告げていた。
「あ、本当だ……。全然気付かなかった。でも、まだ大丈夫だよ? 昔はもっと夜まで修行してたんだから」
「普通の修業とは違うの。雪が感じている以上に、精神力と体力を消耗している。今まさに、精霊に意識を取られたばかりでしょ」
「ぐぅ……。反論の余地もないです……。じゃあ、また明日。トウさんも休んでね。今日は付き合ってくれてありがとう」
膝に手を付いて立ち上がる。
「あれ……?」
世界が、斜めに滑り出した。
なんっだこれ。
横に落ちる。
「急に立たない方が良い。まだ、疲労が抜けてないんだ」
「はは。なるほど、こういう感じね」
少し力を使っただけで、この様か。まともに立っていられない。
空川の凄さを身を持って理解したよ。
あんなすごい技をやって、ぶっ倒れて、それでも私も助けてくれていたのか。
次会う時は、菓子折りでも持ってくか。
「雪ー、大丈夫かー」
「おじい。何しに来たんだよ」
おじいが、ビニール袋を携えてやってきた。
不似合いだな、ビニール袋と着物って。
「コンビニで適当に買ってきたんだよ。好きに食いな」
コンビニもまた、不似合いだな。
「ありがと」
袋の中は、おにぎりにパン、お茶や清涼飲料水など無難どころが勢揃いしていた。
「どうだい、雪の調子は?」
「すごいですよ! 顕象、顕倆、顕言。全てクリアしました」
「ほう、良くやったな。雪」
「ま、まぁこんなもんよ……」
菓子パンを頬張りながら、照れの相槌を打つ。
「この調子なら、すぐに皆に追いついちゃいますよ!」
「……皆?」
「はっ! なんでもない、なんでもない、なんでもない!」
トウさんが、これ以上ない程に取り乱す。
「え、なに? なんか隠してんの?」
おじいは天を仰ぎ、頭を抱えている。
「ホントになんか隠してんの?」
観念したように俯くおじい。
「はぁ。皆ってのは道場の道場生のことだ」
「嘘!? 居たの!?」
「ずっと隠してたんだよ。極秘の力だからな。雪が学校に行っている間だけ、道場を開けてたんだ」
「すみません、つい……」
「かまわねぇよ、別に。言う時期を考える手間が省けたってもんだ」
「どんな人が居るの? 何人くらい?」
「今は四人だ。雪と歳の近いのも居る。仲良くやれよ」
なんだ、たったの四人か。何十人も居て、並んで修行しているのを想像したのに。
……そんなに居てたまるか。こんな力、四人も居る方がおかしいわ。
歳の近い人か。どんな人かな。
「会ってみたいな」
「次に来るのは、月曜日だな。時間がある奴には、残るように言っとくよ」
「なんか、緊張してきた……」
「気が早えなぁ。とりあえず今日は休め。明日からは、もっと厳しくなるからな」
口いっぱいに頬張った菓子パンを、信じられない量の砂糖を溶かした清涼飲料水で流し込んだ。
おじいもトウさんも褒めてくれたけど、まだ未熟にも程がある。
知らぬ間に居た道場生にも負けていられない。
空川にも追いつくために、今日はぐっすりと寝よう!
休憩も大切だよね!
「おはよぅ」
「おはよう。シャキッとしねぇか。相変わらず寝起きの悪いやつだな」
「私は多分、疲れを翌日に任せる体質なんだよ」
今日は特に酷いな。眠いし、体も重いし、やる気も出ない。
「飯食ったら、道場に来い。今日からは、俺が教える」
「押忍!」
朝食を急行で済ませ、着替えて道場へ。
「おはよう、雪。よく眠れた?」
「おはよう。ばっちりだよ。今日もよろしく」
眠るという概念はあるのかな。そういうのって聞いて良いのか?
「まずは、準備体操代わりに俺から一本取ってみろ」
おじい恒例、一本取ってみろ。
ルールは簡単。これは死んだ、と思わせたら勝ち。
だけど、私は一度も自分の力で取ったことがない。
何度も同じ手を使って、私に突破口を見つけさせ、一本を取らせてくれる。
それが一番悔しいのだ。
「今日こそ取る!」
おじいは木刀を腰に差したまま棒立ちだ。
一気に距離を詰めて、抜く前に終わらせる。
狙うは、瞬きをする瞬間。
おじいの瞼が落ちきるその瞬間に前足から体重を抜く。
後ろ足の爪先が後方を向くほどに体を開き、距離を限界まで伸ばす。
人が死ぬのに、大層な怪我はいらない。剣先で頸動脈を少しばかり切られただけで人は命を失う。
その答えを私は体現する。
これは剣術ではない、フェンシングの突き。
ズルでも卑怯でも、勝てばよかろうなのだぁ!
「雪、お前、鈍ったなぁ」
「……いつ、抜いたんだよ……」
このじじい、峰で止めやがった……。
「今だ」
「何をしたって聞いてんだよ」
「特別なことは何もしてない。ただ抜刀して刃を立てただけだ」
手は腰に位置し、刃をまっすぐと立てるように持っている。
片手で。
体勢を戻し、刀を腰に据えた。
「だけってなんだ。ちゃと説明しろ」
「雪の刀は早いのかもしれんが、死角を作ってたんだよ。自分の手でな。その時に抜いたんだよ」
「くそ、あと少しだと思ったんだけどな」
「あと少し? 今の、死んでたぞ」
「なんでよ」
「刀を避けて、開いた脇から首まで一線。それで終わりだ。あんだけ避けやすければ誰でもできるわ」
「そんなの避けてから言えよ。おじいだって、避けられなかったから受けたんだろ?」
「アホか。どっちの方が難しいか、考えてから言え」
そりゃそうか。
「じゃあ、なんで受けたんだよ」
「裏があると、もう一手あると思ったんだ。ド正面から来やがって」
あぁ、そんな顔はしないで。失望しないで。
「おじい、もう一本。お願い。次は取るから」
「おう、雪の全力を出しな」
刀の打ち合う音が道場に響く。
攻防は一進一退。……一進四退くらいだ。
おじいは避けやすいと言った。それは何故?
自分で言うのもなんだが、遅くはないと思っている。
なら、答えは一つだろ。
狙いがバレた。
おじいは、私の心を読んで狙いに気付いたんだ。
「雪、余計なこと考えてて良いのか? 刀に迷いが見えるぞ」
「うるへぇ」
確かに考えながらやっていたら、刀への集中が疎かになってしまう。
何かないかと考える事すらままならない。
あぁ、くそ。頭に情報があり過ぎる。処理できん。
「あ、そうだ」
素数だ。
二、三、五、七、十一、十三、十七。
「馬鹿が」
「うぅ」
重っ。
刀で押さえつけられ膝を付く。
鍔迫り合いで沈め込まれた。なんて力だ。
「いい加減に集中しろ。いらん小細工に頭を使うな。言ったはずだ。全力を出せと」
うわぁ、やべぇ。マジの目だ。こりゃガチでやんないと、普通に死んじまうぞ。
「言われなくてもっ!」
刀をはじき返し、数歩下がり距離を取る。
全力はもう出してんのよ。最初に。それでダメだったから、頭こねくり回してんじゃない。
全力、全力、全力。
「はっはっは、行くよ、おじい!」
やっぱ、おじいは優しいね。
刀は構えず、下に垂らしたまま走り出す。
好機は一瞬。
右下からの切り上げをおじいが受ける瞬間。
このコンマ一秒。
「顕言【刀】!」
私の刀は、おじいの刀をすり抜けた。
「顕解!」
刀は、おじいの頬を打った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
よろしければ評価をお願いします。