第十五話 座学
生物最大の感覚器官は?
そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。
私もそう答える。
生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。
そして見ない。
見えるもの。
見えないもの。
見たいもの。
見たくないもの。
見なければいけないもの。
見てはいけないもの。
私は、自分が見たいものを見ることが出来ているのか。
自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。
トラウマに心臓を掴まれて、踏み出す一歩を見失った。
だって私は、見えないものが見える者だから。
「さっきは精霊の力なんて簡単な言い方をしたけど、力にはそれぞれ名前が付いているんだ」
「また、細分化……」
「大丈夫。何回かやっているうちに覚えられるようになるよ。まずは、力自体の名前。僕らは顕言術と呼んでいる」
「けん、げん、じゅつ。誰が名付け……、いや良い。気にせずいこう」
こんなところから突っ込んでいられない。
空手という名前の由来が気になるか? 私は気になる派。
「はは、僕もそんなことまでは知らないな。言い顕すと書くんだけど、たぶん顕現するという意味とかけているんだろうね」
この優しい声で言われてしまうと、心が綻んでしまう。
顔は見えないのに優男の光る前歯が容易に想像できる。
「おじいも力を見せてくれるときに、似たようなこと言ってた。ケンショウ? だっけ?」
「それは、名前や物を文字にする事だね。顕すに象ると書いて顕象。顕象された文字の事を顕象文字なんて言い方もするよ」
意外とシンプルだな。
おじいは、もう一つケンリョウとも言っていた。顕は固定で考えたな? 開祖もシンプル好きかい? 気が合うね。
「顕象文字を肉体の姿にするのが顕倆、魂の姿にするのを顕言と呼んでいるんだ」
「けんげん? そこは同じなの?」
「元は精霊が使っていた力だからね。最初は顕言しかなかったんだよ。それを人間が使いやすいように改良したのが顕倆ってこと」
そりゃそうか、精霊は魂の姿だから肉体の姿に変えても触れることすらできないや。
新しい知識を得ると、また気になることが増える。
誰が改良したんだろう。
精霊の力って言うけど、どうやって使っていたんだろう。
物や人間に宿りながら、宿主を媒介にして使っていたのか。それとも、力を使う時には外に出たりしていたのか。最初から外にいる野良の精霊も居るのかな。
「気になることがあるなら、聞いても良いよ?」
「……いや、今後にしとく。今は、修行に集中……」
甘い言葉に負けてしまうところだったぜ……。
「よし、じゃあまずは顕象からやってみようか」
「顕象は、文字にするやつね」
「物を顕象するのは簡単さ。僕ら付喪神の手伝いがあればすぐにできる」
「手伝い?」
「物を顕象するときは、付喪神に『顕象して僕に力を貸してくれませんか?』とお願いしないといけないんだ。人に従い扱われるという事だからね。そう思わせられるかどうかに術者の技量が関わってくるんだ」
「おじいは顕象させるって言ってたけど、顕象してもらうって言う方が正しい感じだね」
「霆侍くんくらいの実力なら、どんな物でも従ってしまうよ。むしろ傍に置かせてもらえるだけで嬉しいね。少なくとも、この道場にいる付喪神は皆そう思っているね」
「信者が多いねぇ、おじいは」
どんな偉業を成し遂げたのやら。
「それじゃ、やってみようか」
「うん、何をどうすれば良いの?」
「顕象したいものに触れる」
「うんうん」
「顕象って言う」
「それで?」
「それだけ」
「は?」
「ほら、やってみ」
「できるわけないじゃん」
「やる前に言わない。顕言術は精霊の力って言ったでしょ? 文字が見えるのも僕と話しているのも。雪はこれまでずっと無意識で力を使っていたんだ。雪が望むのなら必ずできる」
「そうかな……。まぁやってみるだけ、ね」
「良いね。じゃあ、僕を顕象してみよう」
軽く握っていた木刀を絞る。
物も痛みを感じるのかな……。
巨人に上半身と下半身を逆方向に捻じられる想像をしてしまった。
全身の力みが強固になっていく。
「雪、力を抜いて」
「ごめん、痛かったよね……」
「大丈夫、僕たちに痛覚はない。どんなに壊されても痛くはない。でも、心はある。ぞんざいに扱われ、物としての尊厳を踏みにじられた時、僕たちは痛みを感じる。雪の手からは、僕を気遣う優しさを感じたよ」
壊れてしまった物を直す手段は多い。車や家、大きな物になれば保険も付く。
付喪神は自身の身体を直すことをどのように捉えているんだろう。 生物のように再生することはない。私たちの言う、移植という感覚が近いのだろうか。欠けてしまった自分を他人で埋め合わせるのをどのように感じているのだろう。
完璧に元通りというわけにはいかない。表面を削り取り美しく輝かせることはできるだろう。でも、それは自身の一部を確実に失っているという事なんだ。
心の痛み、心の傷。他の誰にも測れない。どこかに治せる薬があるわけでもない。完治しても、その傷口はあまりにもほどけやすい。
だからこそ、心の傷は重く受け止める必要があるんだ。
「ありがとう、トウさん。なんだか、できる気がしてきた」
「うん。できるよ……」
この力はイメージが九割。
思い浮かべるは、空気さえ切り裂く一太刀。
その美しい舞のような運足に、必殺を越えた活殺自在を憶えた時、私は幼いながらに恐怖した。
「私の刀……」
刀身が黒ずんだ靄に変わり、私の手から木の感触が消えていく。
靄は刀という文字へ。
変わらなかった。
木刀は形をそのままに靄へと変わり、曖昧なシルエットを吹き飛ばしながら真剣へと変化した。
「できちゃった……。けど、いきなり真剣になっちゃったんだけど。これは、セーフ?」
「言霊もなく、直に顕倆……」
何かぶつぶつ言ってるよー。
順番を飛ばしちゃうとダメなのかな、大丈夫かな。
「ト、トウさん……。返事をしてぇ……」
「あぁごめん。驚いてたんだ。凄すぎるよ。こんなこと普通はできないよ……」
「あ、そうなんだ。やりぃ」
良かったーー。余計な事をするのは、できないよりも罪深いから。
それが凄い事なら万々歳。
「でも、これ、白鞘ですらないよ」
鞘も柄も何もない、銀だけが輝く武骨な刀。
「雪は何を思い浮かべたの?」
「昔、おじいの稽古を覗いたことがあって、その時に見たものを思い出してた」
道場にはおじいが一人。
新緑に灰を落としたようなくすんだ着物に、華やかな紺色の羽織。
不動は静寂をともにしていた。
まるで刀が先導しているかのように、一切の逆らいを持たずに動き出す。
足音にも布がこすれる音にもグラデーションはない。
瞬発的で爆発的な人切り。
道場にはおじい以外誰も居ないのに、刀を振るう瞬間だけは、はっきりと人の死が見えた。
「その時の刀と似ているの?」
「ううん。刀装具は付いてた。だから不思議なんだよね」
真剣の手入れなんてしたこともないし。
危ないから触るな、近づくなっておじいにも言われてたし。
私は木刀しか持ってなかったし。
「多分、雪は想像力と記憶力が豊かなんだよ。刀の細部まで記憶していて、それを作ろうとした。でも、まだ技術が追いついていなかった。だから、その刀が顕倆されたんだと思う」
「なるほどね」
刀には、刀装具と呼ばれる装備、装飾が多く取り付けられている。
それらには一つ一つ名前が付けられていて、各分野の工匠によって作られている。
刀は、超高等技術の結集なのだ。
それらを別々に捉えていたから、本体である刀身だけになったというわけか。
「普通は、簡単にできて”しまう”ものなんだよ。外装だけちゃんとしていて、中身スカスカでね」
「へー、例えば?」
「最たるもので言えば、鞘から抜けない刀かな」
「はっ、そりゃ傑作だね」
恰好ばかりに気を使ったせいで、肝心なものを忘れてしまっている。
「そうならないために、顕倆するものはシンプルに、もしくは知識を付ける。そういう努力をするものなのさ」
「私の場合は真逆になってしまったわけね」
「気にしなくて良いことだよ。技術が追いついてないとは言ったけど、顕倆ができていないわけではない。むしろ出来過ぎていると言っていい。一つを細かく造形しているから、他を作る余裕がなくなっているんだ」
「それって良いことなの?」
「良過ぎるくらいだね。複数同時にできるようになるのは、そんなに難しくないし。皆は正しく顕倆することに苦戦するくらいさ」
なんだか、自分に才能があるのではと感じてしまう。
うぬぼれたい、自分を褒め称えたい。……寝る前にしよ。
「じゃあ、私はどういう努力をすれば良いの?」
「ひたすら顕倆し続ける、だね」
「やっぱそれしかないかー」
「でも、雪がやるのはそれじゃないよね。憶えてる?」
「あ、そうだった。顕言? をできるようにならないといけないんだよね?」
「そう、あと顕象もね。雪が飛ばして顕倆しちゃったから」
「そうだ、それもあった……。じゃあ、まずは顕象から」
「何度も言うけど、顕言術の要は想像力なんだ。文字を強くイメージして」
「でも、そうすると心の文字で出てきちゃわない?」
「それで良いんだ。その文字に投影するように顕象するとできたりするよ」
「なるほど……」
本当に指導係として優秀だな。
疑問に答える能力も、説明する能力も長けている。学校の無能な教師陣にも見習ってほしいね。
「じゃあ、刀という文字をイメージして、顕象と唱えるんだ」
「あ、さっき言ってたの聞いて気になってたんだけど、言うのって意味あるの? 言わずにできちゃったから、どうなのかなって思って」
「重要だよ、言霊はあるからね。自分に言い聞かせるという意味と付喪神にお願いする二つの意味があるんだ」
「さぼろうとしちゃかんね。よし、今度こそ修行だ」
瞼を少しだけ落とし、脳みそを一点に集中させる。
イメージは詳細に。
私の好きなフォントは、極太明朝体。
直接の世代というわけではないけど、大好きなアニメのサブタイトルで使われていたフォントだ。
中学生二年生、十四歳。同い年の私に刺さりまくってしまったのだ。
刀、顕象。
手には、まだ刀の冷たい重さが乗っている。
そう簡単にいかないか。
「雪、余計なことを考えすぎだよ。できなくても気にしないで」
バレてる……。
これは返事すらも余計だな。
没頭しろ。
刀。
「刀」
【刀】
文字が……。これは、心の方か……。
これに投影するように、これを下書きに重ねれば良いんだ。
「顕象、刀」
さっきと同じだ。手から感覚が消えた。
【刀】
「よくやったね、雪」
「うん、良かった。てか、その状態でも喋れるんだね」
「まあね。口があるわけじゃないからね」
ダメだ、ボーとする。少し考えればわかることを聞いてしまった。
想像力に脳みそを割き過ぎたな。
まだ、本題にも入れてないのに。
顕言できるようにならなければ。
得た知識と新たな疑問。
気付いた才能と嬉しい進化。
あと少しだ。待ってろ、平穏。
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