第十一話 会心
生物最大の感覚器官は?
そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。
私もそう答える。
生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。
そして見ない。
見えるもの。
見えないもの。
見たいもの。
見たくないもの。
見なければいけないもの。
見てはいけないもの。
私は、自分が見たいものを見ることが出来ているのか。
自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。
トラウマに心臓を掴まれて、踏み出す一歩を見失った。
だって私は、見えないものが見える者だから。
「ただいまぁ」
「お? 随分と早えじゃねぇの」
目線を新聞紙からこちらに移してとぼけた顔をした。
「メール見てないの? 学校から来てるはずだよ」
机上のいったい何機種前のなんだという古臭いスマートフォンに手を伸ばす。
古いくせに傷が少ない。余程使ってないようだ。電源を付けると同時に本体のアップデートが入りやがった。
「たまには使うようにしてよねー」
「じじいには、ようわからん」
アプデを待つ間、お茶でも嗜むことにした。
世間話とか他愛のない家族らしい会話でもしようじゃないか。
本当は、話を切り出すタイミングを伺っているのだ。
「で、何で今日は早えんだ?」
「まぁ、色々あってねー」
今かぁ? このタイミングか? 早いよ、心の準備出来てないよ。言うとしても、どこから言えば良いんだ。
色々考えようとしてたのに! もうっ!
「雪」
「な、なに?」
「また、心が豊かになったな」
【空川との再会】
【叶の暴走】
【記憶の閲覧】
【騒ぎ出す群衆】
【どーしようかなー】
【どっから話そうかなぁ】
「うわっ。めっちゃ出てんじゃん。……てか、勝手に見ないでよ!」
「雪の事なら何でもわかるぞ。俺を誰だと思ってんだ」
おじいの一言で視点の高さを気付かされた。視界に入っていたのに見えてなかったみたいだ。
以前は、一つ一つ見て確認していたものが、今では全身で感じられている。
五感が六感に増えたように、見えるではなく感じるという風に自分の中の感覚がシフトした。
「何でも話しな。あったんだろ、雪の心が変わるようなことが」
相変わらず優しくて暖かい目と声だな。底の深さというか広さというか、計り知れないくらいに続いている海のような空のような。
「……友達が居るの。初めてできた友達。私にも良くしてくれる子で、とても大切な子」
口が勝手に動いてしまう。心がせり上がって来て、喉で声に変えられる。
「今まで色んなところに行って遊んだり、お昼食べたりしてた。その子がね……いじめられてたんだ。でも、私に相談とかしないの、私に心配かけないようにって、ちょっと距離置いたりして。けど、私そんなの知らなくてさ。他の友達を優先されたとか思ってた」
私、嫉妬してたんだ。叶の事、一番に想っているのは私だって、一番仲良いのは私だって本気で思ってた。
「その時に私、そんなんなら他の友達作ってやるとか考えてて……。あとで事情知って、何もできなかった自分が情けなくて、悔しくて……。最低なんだ、私……」
ずっと抱えていた本音は涙と共に吐き出された。
冷静を保とうと平常を保とうとしたバランスは、家族という安らぎに簡単に崩されてしまった。
「好きなだけ泣きなさい。全部吐き出して、友達の前では笑顔で居なさい」
おじいに、何かをしなさいと言われたのは初めてだ。それくらい大切な核となる事なんだ。
「……でも、私が居ると叶を傷つけちゃうから……」
「はっはっは!」
突然、家族じゃなければ失礼なくらい笑い出した。
「笑うことないじゃん!」
「俺の孫だなぁ、溜め込んで後悔して、レイにそっくりだ」
レイ。母の名前だ。会った事もなく、久しぶりに聞いた名前なのに他人のような気がしないのは、やはり血の繋がった親子だからか。
「お母さんも、そうだったの?」
「そうだぞ、喧嘩したって泣いて帰って来たこともあるんだ。レイもレイの友達も我が強かったからな。本当は謝りたいのに一歩も引かなくて、長い事ずっとぎくしゃくしてたんだよ。だけど急に仲良くなって帰って来た。何があったと思う?」
お母さんのこういう話、聞いたことなかったや。
「わかんないよ……、そんなの」
「レイにどうしたんだって聞いたら『素直になってみた』って」
素直になる、か。
「お互い言いたいことはわかってたんだよ。どっちが先に言うか、言った方が負け? そんなのは大間違いだ。先に言った方が、大人になれたってことだ。『顔合わせたら同時に謝りだして、やっぱり友達だなって思った』って嬉しそうに言ってたよ」
喧嘩するほど仲が良い。それは信頼関係が土台にあるから、修復するたびに強くなることを指した言葉だ。
叶と喧嘩なんてしたことない。したくない。できない。
修復できない程に壊してしまいそうで怖い。
「私のは少し違うの。別に喧嘩したわけじゃなくて……」
「はは、なんだ、そうだったか。じゃあ、何の問題も無いじゃねぇか」
「ダメなの。私と居るだけで、叶に悪いから」
「だから、俺を頼ったんだろ?」
「勝手に心見んな!」
「見てなんかねぇよ。俺は雪の家族だぜ? 見なくてもわかんだよ」
空川が、おじいに恩返しをしたくなる気持ちがわかった。
「前に言ったろ? もし雪が俺を頼るなら、俺は雪を全力で助ける」
こんなこと言われて助けられたら、惚れてしまっても仕方ない。
「い、いちいちカッコつけんな!」
「よし、最後にこれだけ聞くぞ?」
「な、なんだよ……」
「雪は、力を使えるようになりたいか?」
これは、覚悟を聞いてるんだ。
「雪にとって良いことばかりじゃない。辛いことや苦しいことも……。それでもやるか?」
おじいに昔言われた言葉を思い出した。
『この仕事は人の命を預かることだってあるんだ。一度踏み込んだら、戻れねぇぞ。今の生活が大事ならやめときな』
力について知ってしまったら、もう後戻りはできない。
けど、叶の居ない人生と比べれば、怖い事なんて何もない。
「どうせ、おじいのなら言わなくてわかってんでしょ?」
人と人。そこに一番必要なもの、それが想いだ。
心が見えるから、人の想いを軽んじていたんだ。そこに存在している感情を、ただの文字として情報としてしか受け取っていなかった。
「弱くて情けない私は捨てた。私は、私を越える」
叶に、謝りたい。不甲斐無い私でごめんって。
そんで、ちゃんと感謝を伝えたい。
これまでの全てに、ありがとうを。
「おじい! 私に、力を教えて!」
私の中に長いことあった不純物が、ようやく綺麗になくなった。
一滴の涙が最後に溢れて、泣きながら笑いあった。
その日の夜、長かった一日が終わる。
お風呂にも入り、後は寝るだけという布団の中で今日を振り返る。
空川との再会。
再会と言いつつも、学校内ですれ違うことも当然あったはずだ。
あれ程までにキャラの濃い人間を忘れていたのは、私が他人に興味がなかったせいだな。
人を知ろうとする、ここでもまた沁みる言葉だなぁ。
授業をさぼって学校裏での一悶着。
信頼度のグラフがあったら大変なことになってそうだな。
空川も悪い気がしてきた。あいつは信頼に値しない属性を兼ね備え過ぎだ。
お嬢様口調で偉そうだし、説明をあんまりしないし。
まぁ、面白い奴には違いないな。
そういえば、仲間が居るって言ってたなぁ。どんな人なんだろう。
年齢が近いと良いな。仲良くなれるかな。
昼休み、叶の記憶を見た。
思い出したくないことも多い。
あんな体験をして落ち着いていた自分が不思議だ。
冷静で居ようとし過ぎて、一時的に感情がなくなっていた。
身体の防衛反応みたいなものなのかな。
あと、あんまり考えないようにしてたけど……。
叶、私のこと好き過ぎない?
いや、優しくしてくれているなとか、良い子だなぁとかは思ってたし、親友だと思ってたけど……。
想像以上に好かれてたなぁ。
だってスマホのパス、私の誕生日だよ? 愛じゃん。
私も叶の誕生日に変えよかな?
私も叶が大好き。
なんか、色々気にしてた自分が馬鹿みたいだ。
なんとかなる。確信しかないね。
浮かれ気分に上昇していき、精神が体から離れそのまま深い眠りに付いた。
睡眠というのはしていたが、久しぶりに眠った気がする。
翌朝、目覚めの悪さは改善されないようだ。
「おはよぉ」
「おう、おはよう。これ、確認したら学校からメール来てたぞ」
スマートフォンをふらふらと揺らしながらアピールしてきた。
「あ、そういや忘れてたわ。これからは見てねー」
「昨日のじゃねぇよ。今日、新しいのが来たんだよ」
「え? なんて?」
「臨時休校だと」
「貸して」
おじいからスマートフォンを取り上げ、画面を凝視する。
『臨時休校のお知らせ
本日と明日は臨時休校とし、自宅学習とします。
昨日、複数の生徒が体調不良を訴え、救急搬送させる事態が発生しました。
教育委員会と協議し、原因の調査のため臨時休校する運びとなりました。
月曜日から通常通り登校を再開する予定ですが、調査によっては休校が延長される場合がございます。
月曜日の朝七時までにご連絡いたしますので、ご確認をお願いいたします。
自宅学習のテキストの範囲は、このメールとは別に送信されますので、ご確認をお願いいたします。
個別でのお問い合わせは対応しておりません。
あらかじめご了承ください。
葦原南中学校』
事態が大きくなってしまった。
「雪の友達が関係してるのか?」
相も変わらず察しが良い。
「うん、友達、叶ね、名前言ってなかったかもだけど。叶の感情が暴走して、それに巻き込まれた感じ」
「雪は大丈夫だったのか?」
「私は直接見たわけじゃないの。その時は一緒に居なかったから。連絡があって見つけたときには、もう落ち着いてた」
「なるほど、記憶を見たのか」
また、見やがったな。察しが良いわけじゃなくて、ただ見てるだけか?
「マジであれなに? 流石に意味わかんないんだけど」
「たまにある現象っつー言い方がしっくりくるか」
「たまにあってたまるか」
「叶ちゃんを見つけた時、靄は出てたか?」
「出てた、すごいいっぱい」
「やっぱりな。感情が異常に溢れ出ている時、それに乗っかって記憶も出てくる時があるんだ。感情と記憶は強く結びついているものだからな」
いまいち記憶と感情の関係性が見えない。理論的に考えていては理解できない世界だな。
「誰でも当たり前に見れるものでもないんだぞ。貴重な経験をしたな」
「そうなの?」
「信頼であったり、友情であったり、絆であったり。二人の間に確かな関係性が築かれていなければ、そんな現象は起きないとされている」
私と叶の関係だったから。嬉しい響きだね。
「おじいは、見たことあるの?」
「一回だけな」
「誰の記憶?」
あ、間違えた。不躾な質問だったと、言葉にしておじいの表情を見てから気が付いた。
「古い、仲間の記憶だ」
内容を聞くのは、なんだか少し怖い。話題話題話題、なんかないか。
「あ、そうだ。聞きたかったことがあるんだ」
「ん? なんだ?」
「記憶の中でね、文字が見えたの。バツ印が」
指をクロスさせ『×』を表す。
それは記憶の終盤に叶から出た文字だ。
「今まで、記号とかが見えた事とかってなかったから、気になってたの」
「記号なぁ。暗算でもしてりゃ見えることもあるな」
私は見えたことないから、結構レベルが高いことなのかな。
公式も見えたりすんのかな。テストのカンニングし放題じゃん。
空川が優等生に見られてるのってそういう事? やってんな、あいつ。
「でも、そんな状況じゃなかったよ」
「偶然、文字が重なってそう見えたか。一部分だけが見えたか……。それを出したの友達の叶ちゃんか?」
「そうだよ?」
「漢字は? 名前はどのように書く」
「夢が叶うとかの叶だよ。口に十の。……あ!」
十が×に見えたって事か。
「でも、何で?」
おじいが顎に手を添えると、表情に雲がかかる。良くない予感がする。
「それは、俺たちが持つ特別な力に関係している」
「特別な力って、靄を腕に纏わせたりするやつじゃないの?」
「あんなのは初歩も初歩だ。誰だってできる」
人を一振りで吹っ飛ばすのが初歩……。知れば知るほど規格外だな、この力は。
「じゃあどんな力なの?」
「俺たちが持つ特別な力とは、物体を文字に変えて、文字を物体に変える力だ」
なるほど、物体を文字に変えて、文字を物体に変える力か。
物体を文字に変えて、文字を物体に変える力?
「……どゆこと?」
瞼がぱちくりしまくりだ。想像すらできない。
「まぁ、そうだわな。見せる方が早い。……これで良いか」
おじいが机の上を一周見渡して、湯呑に手を覆い被せた。
「え? どゆこと?」
「良いから見とけ。ケンショウ」
【湯呑 茶】
湯呑は音もなく文字へと姿を変え、机に平らに伏した。
文字は、心の文字と同じ材質だ。黒くざらつき、靄のような細かい粒子を撒いている。
目の前の現実がまるで映画のようで逆に驚けない。
「マジか……」
「これが、物体を文字に変えるという事。そして……ケンリョウ」
「うおいおいおい!」
バシャッとお茶が机に広がり、湯呑がお茶の池の真ん中に出現した。
「これが、文字を物体に変えるという事」
「言ってないで拭いてよ! 床にもこぼれてんじゃん!」
何、冷静に決めてんだ。この野郎。
私が布巾で拭き取る間、おじいは新しいお茶を煎れていた。
「はぁ。で、これがどう関係してんの? そんなの手品くらいにしか役に立たないじゃん」
お茶がこぼれた怒りが勝って、出来事の凄さに気付いていなかった。
「今は物体を文字にして、それをまた物体に変えただろ? 重要なのは文字を物体にできるという所だ」
「だから、物を文字にしてそれを戻してって、それの何が凄いんだよ」
バカにするような言い方だ。なんなら少し怒っている。
「雪は勘違いしているぞ。戻しているわけじゃない。文字を物体に変えたんだ。最初の物体は無くても良い」
「は? じゃあ何を物にするんだよ」
「自分の名前だ」
「名前?」
「そう、例えば雪なら、夏だろうと大雪を降らせることだってできるぞ」
「え、ちょっと待って、そこに元々なかったものでも良いの?」
「あぁ、その通りだ」
やばい、一旦理論的に考えたい。整理しないと気が済まない性格が発動してる。
物体をA、文字をBとする。
湯呑を文字に変化させたのは、A→B。
文字を湯呑に変化させたのは、B→A。
連続して行ったせいで戻ったと感じたが、戻ったわけではない。事実、湯呑とお茶は元の形に戻らず、お茶は机にこぼれた。
一連の行動を二行動に分け、後半だけを行えば、名前を物体に変化させることも可能。
こういう事か?
名前を文字の代打として扱える原理がわかんないけど。そこら辺は後々教えてもらおう。
「あれ、でも物の名前じゃない人もいるよね?」
「名前によって、力の現れ方はそれぞれだ。行動を示す言葉なのか物を示す言葉なのか。これを能力と呼んだりもする。詳しくはまた今度な」
能力、空川の話と繋がった。
文字を物体に変える力を使って、能力を発動するという言い方なのだろう。
詳しく聞きたくてしょうがないが、とりあえず後だ。好奇心に惑わされ本質を見失うな。
「じゃあ、叶はどういう能力なの?」
「恐らくだが、願いを叶える能力だ」
ようやく自分が描きたかった世界の話に入りました。
こっからは異能力バトルをできることを信じています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
よろしければ評価をお願いします。