第一話 自問
生物最大の感覚器官は?
そう聞かれたら、大概の人が〝目〟だと答えるだろう。
私もそう答える。
生物は、その目を使って様々なものを見て、観て、視る。
そして見ない。
見えるもの。
見えないもの。
見たいもの。
見たくないもの。
見なければいけないもの。
見てはいけないもの。
私は、本当に見たいものを見ることが出来ているのか。
自問自答を繰り返し、悩みの沼にはまっていく。
だって私は、見えないものが見える者だから。
昔から不思議なものが見えた。
人や動物の身体から出ている黒い靄。
小さく細かく脆い。
現れては途端にボロボロと崩れて消えてしまう。
靄の正体が何かずっとわからなかった。
「これってなんなの?」
誰に聞いても、何を指しているのかすら、わかってもらえなかった。
私には両親が居ない。
そんな私のことを、構ってほしい不思議ちゃんだと決めつけ、誰もまともに取り合ってくれなかった。
両親は、私が生まれてすぐに死んだと聞いている。そんなことはないと何故だか漠然と思っている。
今は祖父と二人で暮らしている。
祖母は死んだと聞いた。これは簡単に受け入れた。
祖父は自宅の横に剣術道場を開いている。
道場生は一人も居ない。
それもそのはずだ。道場は山の中にある。通うことも困難だが、それ以上に見つける事が困難だ。
誰に見つけて貰えずとも構わない。木に囲まれ、静謐で神秘的な雰囲気が私は好きだったから。
道場には刀は勿論、その他にも古今東西多彩な武具が揃っていた。
物心が付いたときから道場で遊んでいたが、刀以外の武具を使っているところを一度も見たことはなかった。
「どうしておじいは、いっぱいあるのに、それしか使わないの?」
「んー。俺の専門が刀だからかな。どうやったら刀で、悪い奴をやっつけられるを考えるために用意したんだ。だから、俺が使うためにあるわけじゃないんだよ」
刀を使えることを喜んでいるようだった。しかし幼い私には少し難しかった。
「……せんもん?」
私が刀を初めて握ったのは、小学三年生のときだった。
おじいに支えて貰いながらではあったものの、刀の重さとその美しさに感動したのを今でも覚えている。流石に真剣を振るうことはできなかったが、おじいが私のためにと作ってくれた小さな木刀はどんな玩具よりも嬉しかった。
おじいの隣で、一緒に木刀を振った。最初は見様見真似で、がむしゃらしゃにむに振りまくった。
「変なのー。剣なんて男の子みたい」
「なんだそれぇ! 気持ちワリィ」
「雪ちゃん、おじいさんに打たれたりしてない?」
私が刀をやめたのは、刀を馬鹿にされたから。
手に出来た豆を気持ち悪いと言われたから。
稽古で出来た傷を虐待だと言われたから。
それらが全て、私の勲章だったから。
学校は苦手だった。
人には見えないものが見えてしまう。
陽気なコミュ強なら、これを自身のアイデンティティにしてしまえるだろう。しかし、陰気で口下手な私は、ただ気持ち悪がられ、排他されるばかりだ。だから、皆が楽しめる話をして笑ってもらおうと思ったのだ。
刀を振るう人はさぞ珍しかろう。
手に出来た豆は気持ち悪いか、だったら笑ってくれよ。
この怪我は心配させるために言ったんじゃない。
私の努力を、誉めてほしかったんだ。
自虐は辛くない、人に言われて反復されるのが辛いんだ。
私と皆の価値観が同じであるはずがないことに、私は気付いていなかった。
私は、人に馬鹿にされるようなことをしているのだろうか。
道場に入るのをやめてからというもの、私の心には喪失だけが刻まれていた。
思い返してみると、おじいとの繋がりも道場の中にしかなかったのかもしれない。
朝食が机に並べられている。
白米にみそ汁、焼き鮭、小鉢が二つ。熱いお茶に朝刊の新聞紙、これが我が家の朝だった。
「……刀はもう、飽きちゃった?」
お茶を啜り、新聞紙越しに聞いてくる。
「ううん。今は、ちょっと休憩中」
「そうか。まぁ好きな時にやって、好きな時にやめれば良いよ。それが一番、楽しい生き方だと、俺は思う」
「おじいは毎日、楽しい?」
「おう。まだまだ学ぶことばかり、何かを知るのはすごく楽しいぞ。……それに、誰かのためになれるっていうのは、幸せなことだ」
やはり、おじいの言っていることは、少し難しかった。
手の豆が治り、というか皮膚が厚くなり、痛みがなくなった頃。
私は、もう一度だけ道場で刀を握ってみようと思っていた。
扉の前に立ち、あとは開くだけというところで、私は何もできずにいた。
刀を振るえば、また嫌な思いをするのではないか。
直接は関係がないことぐらい子供の私でもわかっていた。しかし、一度思い出してしまうと急に何もできなくなるのだ。
結局、家に引き返し自分の殻に籠る。
そんなことを数日繰り返した。
道場の前で『今日こそは』と意気込んだその時。巨大な影が私を覆った。
「おい、ガキ」
低く野太い、それでいてどこまでも響きそうな混じりけのない声。
声色だけで、全身から汗が噴き出した。
恐る恐る振り返ると、それはそれは太い太ももと鉢合わせた。
そのまま目線を上げる。首の可動域では足りず、腰まで使って見上げた。
「どけ」
黒い靄が急激に増えて男の全身を包んだ。
こんなのは見た事がない。いつもは漂う程度の量しか現れないのに。
巨大な黒の中に目だけが浮かんでいる。不気味な外見に怯え、すぐさま木の裏に逃げた。
頭だけを出して覗き見る。好奇心に殺されるのも、そう遠くはないだろう。
男が片足を大きく振り上げ、道場の扉を蹴破った。木片が辺りに飛び散る。扉枠をくぐりながら中に入っていく。
「道場破りだ。てめぇを倒――」
爆音がして、道場の壁に大きな穴が開いた。
男が壁ごと吹き飛んで来たのだ。
何回転もしながら、十メートルほど吹っ飛ぶ。地面に落ちた後もゴロゴロと転がりながら山を下って行った。
「何が道場破りだ。扉、壊しやがって」
横の穴には目もくれず、扉があった場所からおじいが出てくる。
おじいは右手に籠手を……。違う、よく見ると蠢いている。あれは、籠手じゃあない。あれは靄だ。男の全身を包んだように、おじいの拳は靄に包まれ一回り以上大きくなっていたのだ。
「あ? どこまで飛んだんだ? ちょっと叩いただけだぞ」
「おじい、それなに!?」
私は木の裏から飛び出し、爛々とした目で尋ねた。宙を舞う男や見たこともない力に興奮が止まらなかった。
「雪、お前これが見えるのか?」
大きくなった拳をグーパーさせる。
おじいは靄の正体を知っていたのだ。
「今のなに? 教えて!」
おじいは手を振って靄を払う。
「……そうだな、いつか自分で気づく時が来る。その時にもっと知りたいと思ったら、もう一度聞いてきな」
そう言うだけで、自分から教えようとはしなかった。
それからの人生というのは吹っ切れたように、楽観的に生きることができ……とはならず、相変わらず学校人とは仲良くできず、教師とも反りが合わなかった。
ただ、それでも良かった。私には尊敬する祖父が居て、大好きな刀があったから。
休み時間は靄の正体を探るため、図書室で都市伝説や超能力の書物を読み漁り、休日はおじいと刀の稽古を続けた。
年齢を重ねるに連れ、靄はより鮮明に見えるようになった。
そんな私も中学生になった。
私の通う中学校は、複数の小学校の卒業生が入学するマンモス校で、生徒数は一学年で三百人を優に超え、全校生徒は千人以上いた。 当たり前だが、私の事を知らない人だっているのだ。
友達だって、出来るかもしれない。
淡い期待にならないでくれ、という淡い期待を抱き始まった中学校生活。
くだらない程無駄に厳かな入学式の後、それぞれの教室で顔合わせとなった。
いかにも体育教師という大胸筋をしている担任に
「十五分休憩を取るから、それぞれトイレなりなんなり済ませろ」
と言われた私達。
同じクラスなれて、はしゃぐ女子軍。
隣の席の人と早速コミュニケーションを取る強者。
机に突っ伏したり、外を眺めているおそらく同種の人。
私は、とりあえずお手洗い。
落ち着く。
学校で唯一、パーソナルが確立されている場所だと言っても過言ではないだろう。
他の女子は一緒にトイレに行くようだから私だけかもしれないが。
必死に髪を整えたり、バレない程度のメイクをしているませた少女もいるが「手洗い場を占領するな。邪魔だから退けよ」と言ってやりたい。あの男子が格好良いだの、あの男子が阿呆だの。好き勝手言うのは良いが、男子が「連れション連れション」と唱えているのと何が違うのだ。
そんな事を心のど真ん中で考えてしまう。私が一番救えないな。
教室に戻り、あっと驚く。
私の席に、誰かが座っているではないか。
黒板に張り付けられた座席表を見ても、廊下側の一番前は私の席で間違いない。
横の女子と話しているのを見るに、友達と話すために私の席に座ったということだろう。
声を掛けるべきか、否か。
ここでコミュニケーションを取れれば、友達とかになれたりするのか?
いいや、やめた方が良い。変な空気になって終わりだ。
長年の……短い人生の……これまでの勘がそう言っている。
休憩時間もあと数分だし、ロッカーで荷物を漁っている振りでもしておこう。
ロッカーは教室前の廊下に設置されている。二段になっていて、左上から右に五十音で並んでいる。
「そこの方」
振り返ると、少し不機嫌そうな女子が腰に手を当て立っていた。
「ロッカー、使ってもよろしいかしら?」
「あっごめん」
「いえ、こちらこそですわ」
女子は、ささっと荷物をロッカーに入れて、ささっと歩き出した。
数歩歩いたところで、引き返してきた。
「あなた、お名前は?」
「守上、だけど?」
女子は、一瞬だけ眉をひそめ、少しだけ首を傾げた。
「そう……。良いお名前ね」
「あ、ありがと」
清々とした顔に変え、女子はスッと右手を差し出した。
「空川よ。ロッカーの上下になったのも何かの縁ね。どうぞよろしく」
やけに早口だなぁ。
差し出された右手を握り返す。
「うん、よろしく……」
空川は、握った手を見つめ、今度は少し大きく首を傾げた。
「あなたとは、仲良くなれそう」
なんだろう。中二病を感じる。まだ、中一ほやほやだけど。
この子はお嬢様キャラなのかな。それに加えて、不思議なパワーがある系かな。
私みたいな人間も居るし、本当に不思議な力があってもおかしくないか。
「では」
スカートを翻して、教室に戻って行った。
なんだか、慌ただしい子だなぁ。
教室に戻ると、さっきまで私の席に座っていた女子は、自分の席に戻っていた。
「それじゃあ、全員揃ったな。まず――」
その後は、担任の長く、深く、熱い弁説を聞き、それぞれが自己紹介をして一日が終わった。
一週間が経った。
特筆事項など、そう簡単には起こらない。
ただ平凡で何もない日々を消費していくだけの人生。
見えないものが見えることも、刀の稽古も、私からしてみれば平凡で当たり前で、面白味はあるけれど目新しさはない。
生きることすら。
何故生きているのか……。
危ない。この思考は危険だ。
考えすぎて良いことと悪いことがある。これは圧倒的に後者だ。
生きる意味なんて、生きていたいから。それだけで良い。
これが、私の出したとりあえずの結論。
眠りたがる瞼、目頭を指で絞った。どうも頭が回らない。
「ねぇ、守上さん?」
「えぁ?」
腑抜けた声が出てしまった。
クラスメイトの女子が、私の机に手を付いて、前のめりで顔を近づけてくる。
あ、この子……。
「あ、あれ、違った?」
女子は不安そうな顔をして、両手を胸の前で縮ませた。
「いや、間違ってないよ」
「ねぇ、幽霊と話せるんでしょ?」
「……は?」
「私達には見えないものが見えて、いつも戦ってるんでしょ? だから怪我してるんでしょ?」
額に汗を滲ませ、必死に訴えかけてくる。
教室の窓側に同じ小学校だった連中が集まり、薄ら笑いを浮かべている。
こいつらが吹き込んだのか。
火のない所に煙は立たない。
火を付けたのは私だが、こんな形で煽られるとは思いもしなかった。物好きのいるものだな。七十五日は、とうに過ぎたというのに。
この世界は声の大きい奴が動かしている。
それは学校というコミュニティの中でも変わらない。むしろ限られたコミュニティだからこそ、その影響は計り知れない。
クラスメイトの皆が注目している。決して大きくは笑わない。クスクスと嘲笑うことが、一番心を壊すのに有効だと知っているからだ。
中学生になれば友達が出来て、今までの人生とは別のレールに切り替わるものだと思っていた。
こんな奴らに期待していた自分が馬鹿だったんだ。
こいつらに刀の稽古を説明したところで何になるというのだ。どうせ馬鹿にされるなら、それは私だけで良い。
「……そう、だよ。あんたらみたいな、馬鹿と一緒にいると力が弱くなるの。だから、私に話しかけないで」
連中の顔が、少し歪んだ。
翌日から連中の嫌がらせは始まった。
上履きを隠され、ノートを捨てられ、机に罵詈雑言を彫られた。
中学生という肩書に変わったからと言って、脳みそは小学六年生プラス一週間ということだ。
実に幼稚だ。
私を思いどうりに支配できないのが、そこそこ気に食わなかったのだろう。
時々いじって笑いものにして、自分たちの輪の中に無理矢理入れて、私達は独りで可哀そうなクラスメイトに手を差し伸べてあげたんだと笑いあう。
そういう愉悦に浸りたかったんだろ。
ふざけんな。私はウサギじゃないぞ。
下手に大事にして、承認欲求の餌にされる方が癪だ。
気にしてない、お前らなんか眼中にない。
基本はその姿勢を貫き通し、それでもダメなら大人を頼る。
私流の処世術は良い方向に傾いたようで、二か月もしないくらいで私に対する嫌がらせは、ぱたりと止んだ。
最後まで誰が何をしていたのかはわからなかったが、最後まで大したことは起こらなかった。
いじめて死なれたら困る。
そんなことは、現代人なら知ってる奴の方が多い。
いじめるなら死なない程度に、たとえ死なれても私の責任にならないように。
犯人が誰かわからないようにする。それが連中の最重要項目。故にしょーもない。
私に対する嫌がらせに、担任が気付かないのは良いとして、クラスメイトの誰も気付かないというのは、ちとおかしい。
庇ったせいで標的を自分に移されるのを怖がったのだろう。
この二か月、手を差し伸べるものはおろか、話しかけてくる者すらいなかった。
私は結局、ひとりだった。
あの日、私の過去を広めたあの子は、すぐに不登校になった。
詳しい理由は知らない。察しは付くけど、誰もそのことを話題に出さない。
あの時、私に声を掛けた時、あの子は怯えた顔をしていた。
きっと一番最初からいじめられていたのは、あの子だったんだ。
私もあの子と同じようになっていたかも知れないんだ。
あの子は、何のために生まれてきたの?
私は、何のため?
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