表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜の菊  作者: 小次郎(こじろう)
4/4

後編 エピローグ



「そう言えば菊さん、おいくつなんですか?」

「十と八です」

「なんだ。年下なのか」

「よく老けて見られるんですよ」

「老けて、じゃなく、大人びて見える、でしょう?」

「ああ、女性になれてらっしゃるのね」

「ああ・・・いや・・・」

 小次郎は頭をかく。

 菊夜は背が高い。

 並みの男と視線の高さが同じくらいはある。

 そのため、寺に世話になりだしてからは、小次郎の着物を借りていた。

 正味、寺は貧乏。

 小次郎もひとにくれてやるほど着物を持っているわけではない。

 菊夜が加わったことで、一人分、寺の負担が増えた。

 そこでかんざしだ。

 藤美禰からもらったかんざしで金策ができそうなので、ふたりは夜に寺を抜け出して、宵闇の市にくり出した。

 菊夜は男装している。

 小次郎は金髪を隠すため、手ぬぐいで頭を縛っていた。

「ねぇ、小次郎さん」


 ◇八回目の訪問で、はじめて彼女に名前を聞かれた・・・。


「ねぇ?」

「ああ、いえ。なぁ、小次郎」

「なんだい菊さん」

 ふたりは微笑。

「どうして子供達には秘密なんですか?」

「闇市だからですよ」

「闇市?」

 小次郎は意外そうな顔をする。

「ご存じない?」

「闇の市・・・?闇?」

「まぁ、あなたが何者かは知らないが、こんな高級品、昼間に俺達があつかっちゃ、盗品だとでも思われて騒ぎになりますからね」

「じゃあ、闇市ってものは騒ぎにはならないんですね?」

「いや・・・どうなのかな・・・?」

「知らんふり?」

「いえいえ、俺もそんなに闇に詳しいわけじゃないんでね」

 小次郎の横顔を見つめる。

「あやしいわ」

「あははは~、だ」

 菊夜は納得。

「分かりました・・・これ以上は詮索しません」

「よかった」

「え?」

「いえいえ」

 山から街まで下りて、小さな質屋に入る。

 なんだか分からないが、かんざしが個人的に、素人でも売れるところらしい。

 菊夜は小物屋に行くのかと思っていた。

 小物屋を知っているだけで、自慢だったのに・・・骨董屋と質屋とも違うらしい。


 ◇小物屋で買った貝紅をあげた日だった。

「まぁ、ありがとう・・・ああ。ねぇ。そう言えば、あなた・・・お名前は?」

 と、まぁ、そんな風に聞かれたのだったか。


「また来たのか、こわっぱ」

 店主らしき男が、丸眼鏡を中指で上げた。

 菊夜を見る。

「そっちは?」

「新入りですよ」

「ふむ、まぁいい・・・で、今回はなんだ?」

「かんざしですよ」

 小次郎はふところから桐箱を取り出すと、番台に置いた。

「拝借」

 小箱が開く。

 店主の細い目が見開いていく。

「これは・・・これは、これは・・・」

「上物でしょう?」

 店主はかんざしを手に取り、よくよくと観察する。

「すごいな。どこで手に入れた?」

「秘密です」

「半年は遊んで暮らせるぞ」

「足元見てますね?」

「バレたか」

 店主は口元をにやりと上げる。

「どのくらいになります?」

「店にあるもの全部と取り替えても、まだ足りんかもしれん」

「そんなに?」

 小次郎は凭れていた番台に乗り出す。

「いくら?いくら?」

「う~む・・・」


「うひょひょひょひょひょひょひょ、ほくほくだ~」


 小次郎は小袋の中身を再度見た。

「どうしよう?ふところに入りきらない」

「良かったですねぇ」

 質屋からの帰り道、菊夜の着物を買い終わったあとだった。

 小次郎はその場で一回転半。

「ありがとうお菊さん。どうしよう?何に使おう?」 

「さぁ?どうしましょう?」

 寺の貧乏とはわけが違うが、菊夜は金を持ったことがない。

「おう、兄ちゃん」

 小次郎は声の方に振り向く。

 菊夜も、自然とそちらを向く。

 がたいのいい男がいた。

「ああ、御晩です」

「また開いてるぞ」

「え?」

「入ったそうだ」

 小次郎は眉間にしわを寄せる。

「またですか・・・」

「どうする?」

「どこで?」

 男は持っていた酒瓶をあおる。

 親指で方向を示す。

「あっちだよ」

「ありがとう」

「いや。またいいの入ったら連絡くれな」

「がってん」

 小次郎は菊夜に向き直る。

「少し寄りたい所があるんですけど、いいですか?」

「どこに行くんですか?」

「競りです」

「せり?」

「ええ・・・」

 小次郎は示された方向に歩き出す。

 菊夜はそれについていく。

「せり、って?」

「商品があって、それをいくらで買うか競うんですよ」

「ああ、一番高値を出したひとが買えるんですね?」

「まぁ、そういうことです」

 小次郎は複雑そうに、そう答えた。

「何か欲しいものが?」

「ものじゃないんです」

「え?」

「ひと、なんです」

「ひと?」

「ええ。ひと」

「ひとって・・・人間を売り買いしてるんですかっ?」

「しっ」

 小次郎は人差し指で言葉を遮った。

「すいません・・・」

 小声の菊夜。

「あのかんざしは菊さんのものなので、使っていいか聞きたいんですけど、いいでしょうか?」

「ひとを買うつもりなんですか?」

「実は、実際に何度も買ってるんです」

「は?」

「子供達ですよ」

「あの子達・・・」

「そう。あの子達の半分ぐらいが、闇市で売られた子達なんです」

「じゃあ・・・」

「ええ。和尚様のご好意で、お金をためて世話をしているんですよ。他の・・・毛色の変わった子供好きに買われたら、どんな目にあうか・・・」

「あんな小さい子達を?」

「嫁にすらしないのです」

「・・・なんてこと・・・知らなかった・・・」

「あなたはどこのお里なんだ?」

「すいません・・・世間知らずだ、世間知らずだ、と言われて育ちましたが、本当に知らなかったことを恥じています」

「・・・まぁ、いい・・・・使わせてもらいますよ?」

「ええ、どうぞ」


 ふたりで競り会場に行き、妙な活気に違和感をおぼえる。   

 首輪をしている、ぼろをまとった人間達が出てくる。

 菊夜は雰囲気に馴染めず、戸惑ったまま。  

 小次郎は真剣な顔で沈黙を保っている。

「さぁて、お立会い。今回の目玉だ~」

 会場が色めく。

 出てきたのは・・・金髪の、赤子だった。

 異様な雰囲気を感じてか、泣き出した。

 かなりの競り合いだった。

 しかし、落札したのは小次郎。

 いくら使ったのか、菊夜には分からない。

 金の単位すらよく知らないからだ。

「またあいつか・・・」

 と、小次郎を見た誰かが、そう呟いて舌打ちをした。


 寺への帰り道。

 菊夜は赤子の抱き方を知らないので、金の入った袋担当。

 赤子は小次郎の腕の中だ。

 眠っている。

「あの~・・・」

「ん?」

 少し機嫌の悪そうだった小次郎は、元に戻っているかのように見える。

「私も抱いてみたいのですが・・・」

「ああ。どうぞ」

「やった」

 小次郎達は立ち止まり、袋と赤子を交換しようとする。

 赤子がそれに気づき、ぐずりだした。

「ああっ。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ、どうしようっ?」

 小次郎は苦笑。

 赤子を取り戻す。

「今日は俺が担当、ってことで」

「ああ、はい」

 二人は家路についた。



 翌日。

 子供達は、いつの間にか増えている新入りに驚いていた。

「いつ来たの?」

「今日だよ」

「名前は~?」

「今から決める」

「僕、決めていい?」

「だ~め」

「ちぇ」


 午前中は畑仕事に精を出す。

 休憩時間になって、菊夜は近くにあった木の幹に凭れかかった。

 この寺では、子供が子供を世話する役回りらしい。

 小次郎は子供達から赤子を抱き受けると、菊夜に近づいてきた。

「お疲れ様」

「お疲れ様です」

 小次郎は微笑。

「座っても?」

「ええ、どうぞ」

 小次郎は菊夜の隣に座る。

 菊夜は手ぬぐいで指をぬぐい、赤子のほほにふれてみる。

「今日は大丈夫かしら?」

「ああ、抱いてみます?」

「ぜひ」

「あぐらをかいたほうがいい」

「あぐら?」

「ええ」

 菊夜は今日も男装している。

 あぐらをかきながらだっこすると、体重分散が上手くいきやすいらしい。

 赤子を受け取る。

 今度は泣かれなかった。

 まともに赤子に触れたことがなかったので、赤子の体温が意外だった。

 やわらかい。

「可愛いわ」

「名前、何にします?」

「決めても?」

「和尚様が俺達が決めていい、って言っていたので、相談に」

「ああ・・・何にしよう?」

 菊夜は赤子の顔を見つめる。

 小次郎はその横顔を見て、幸せそうな顔をしている。

 今日は風が心地いい。

 木漏れ日が揺れている。

 二人は濃密で甘い時間を感じていたし、互いがそう感じていることに気づいていた。

「ねぇ、お兄」

「ん?」

 小次郎はいつの間にか目の前に立っていたすみれに気づく。

「和尚様が呼んでたよ」

「ああ、分かった」

 小次郎は片手を地面に突いて、立ち上がる。

「お菊さん、少し任せても?」

「ああ、はい。いってらっしゃい」

「行って来ます」

 菊夜は嫌な予感を感じていたが、小次郎に気づかせないよう笑顔で見送った。

 小次郎の姿が見えなくなるまで、すみれは黙っていた。

 すみれは菊夜に振り返る。

 急変。

「言ってないでしょうね・・・・?」

「は?」

「あのこと言ってないでしょうねっ?」

「あのことって?」

「・・・まぁ、いいわ・・・」

「何がいいの?」

「調子に乗ってんじゃないわよっ」

「は?」

「調子に乗ってんじゃないわよ、って言ってるのよっ。あんたなんかすぐに追い出せるんだからねっ」

「じゃあ、和尚様に相談しないと・・・」

「・・・は?」

 すみれは必死に動揺を隠しているようだ。

「だから、和尚様に相談しないといけないでしょう?」

「もういいっ」

「何が?」

 すみれは悔しそうに唇を噛む。

「もういいっ」

 充血した目を見せまいとしたのか、すみれは走って寺に帰ってしまった。

 菊夜は大きなため息。

 どうしたらいいのか、本当に分からない。

 すみれ対策をねろうと思った時、赤子が声をあげた。

「えっ?」

 とにかくあやしてみる。

 一般的に、ゆりかご、と呼ばれる揺らし方だ。

 顔の前で笑ってみせる。

 意味が分かっているのかいないのか、赤子が笑った気がした。

 菊夜は、この時初めて、母になりたいな、と思った。

 母上・・・

 母上のように、心密かにでもいいから、特別に好いている男性が欲しい、と思った。

「ねぇ・・・あなたの名前は何なのかしら?」

 菊夜は赤子に聞いてみた。

 赤子は当然、答えなかった。



 街中。


「金髪?ああ、知ってるには知ってるが・・・」

 酒をあおっている男。

 銭を渡される。

 男はにやりと笑った。

「山の中に混血ばかり集めた寺があるんだよ」

「山の中って?」

「ここから一番近い山だよ」

「そうか・・・嘘じゃないだろうな?」

「嘘じゃねぇすよ~」

「金髪の女は?」

「さぁ?」

「そうか・・・まぁ、いい・・・」

「ああ、そう言えば・・・」

「なんだ?」

「あの寺、新入りが入ったって言ってましたぜ。質屋の親父が」

 男はさらに指先をこすり、銭を要求。

 しかし、

「そうか」

 と言われてきびすを返され、聞きに来た人物は去って行った。



 小次郎の発し。

「りんどうがいいなぁ」

 突然、思いついたのだろうか?

 ひとり言に聞こえた。

 ゆうげあと、菊夜が赤子をあやしている時だった。

「竜胆って花の?」

 小次郎は菊夜を見た。

「ええ、『誠実』って意味です」

「ああ、いいですね」

「じゃあこの子の名前は『りんどう』で・・・いいですか?」

 菊夜は口元をあげて賛成した。

 赤子の顔をのぞきこむ。

「竜胆、ですって」


 その日の夜。

 菊夜は突然、目が覚めた。

 水が欲しい。

 台所に向かおうと、ふとんから抜け出す。

 縁側廊下に出ると、ハシゴをかついでいる人物を見つけた。

「小次郎さん?」

 小次郎が振り返る。

「ああ、見つかったか」

 菊夜は小次郎に近づく。

「どうかされたんですか?」

「いえね。眠れなくて」

「眠れなくて、ハシゴかついでるんですか?」

「そんなアホな。屋根にのぼるんですよ。今日は星が綺麗なんで」

「ああ・・・私もいいですか?」

「えっ?」

「私も」

「ああ、ええ・・・いいんですが・・・怖くないんですか?高い所」

「一度屋根にのぼったことがあるんです。楽しかったわ」

 菊夜は少し自慢げに言う。

 小次郎は呆れたような苦笑。

「じゃあ一緒に」

 小次郎は屋根にハシゴを掛け、先に屋根に。

 菊夜がのぼると、自然と手を伸ばす。

 菊夜は微笑。

「なつかしいわ」

「え?」

「もう遠い昔のような気がします」

「お菊さん、記憶が戻ってるんですか?」

「え?」

「ん?」

「え?」

「ん?」

「・・・え?」

「ああ、時々思い出す、とか聞いたことがあるや」

「ああ、そうなんですか」

 ふたりで屋根の上を歩く。

 真ん中の、頂上に近い所まで。

 そこで小次郎が寝転んだので、菊夜も真似てみた。

 小次郎は空に向かって手を伸ばす。

「何をしてるんですか?」

「星がつかめそうな気がするんですよ」

「本当に?」

「ええ」

 菊夜は手を伸ばしてみる。

 手を開け閉め。

「近くなったような気がする・・・」

 小次郎の微笑の気配。

「あなたは本当に素直な方なんですね」

「は?」

「いえいえ」

「なんで笑ってるんですか?」

「いえいえ」

 小次郎が更に笑った気がした。



 数日は、うららかな日々を送っていた。

 子供達も菊夜になついてきたし、問題はすみれぐらいのものだ。

 一番小さかった心太も、さらに年下ができて子育てに夢中だ。

「僕、お兄ちゃん」

 菊夜はそれを聞いて嬉しさを感じる。

 竹千代丸が、弟が欲しい、弟が欲しい、とごねていたことを思い出す。

「そうねぇ」

 心太は自慢げに微笑んだ。

 菊夜は、これがとても貴重な時間であることを確信する。

 どうやら庶民は、比較的好きな時に好きなことを話してもいいらしい。

 誰かに見張られていることもないらしいことも分かった。

 庶民にまぎれて、それが幸せだと感じている。

 畑仕事の合間に食べる、塩味の握り飯は美味しい。

 そんな小さなことに、幸せを見つけられる自分が嬉しい。

 ◇彼女はその場で紅を塗ってみせた。

 恥ずかしそうに微笑まれる。

 小さな幸せを感じる。

 彼女の名前を知ることもできた。

 そうとう大きな、小さい幸せだ。

 矛盾しているかもしれないが、あえてそう思うことにする◇



 さらに数日後。

 夕刻。


「たのもう」

 玄関先に出てきた数人の子供達。

 目の前には、ひとりの男。

「和尚はいるか」

「和尚様は休まれています」

 少しこわごわと、子供のひとりが答えた。

「金髪の女がいると聞いた。出せ」

「わたし?」

 偶然いた、金髪の子供が言う。

「違う。十八ぐらいだ。いないのか?」

 子供達は不思議そうな、複雑な表情を浮かべる。

「いないのか?」

「お菊姉って何歳?」

「さあ?」

「お菊?」

 男が片眉を上げる。

「何してるの?もうすぐ夕飯よ」

 竜胆を抱いている菊夜と、その隣を歩いていた小次郎。

 強面の男と目が合う。

「ん?お客様ですか?」

「菊夜姫」

「えっ?」

 菊夜は思わず反応してしまう。

 子供達、小次郎が菊夜に振り向く。

「姫、お探ししました。別所でお話しとうことが御座います」

「姫?」

 男は小次郎の質問を無視する。

「姫」

 菊夜は困惑。

 頭を高速で回す。

 戻って来て下さい、なら、この場で言えるはずだ。

 至るに、ここを離れた方が、ためだと思った。

 父上が私を逃す真似すら、するわけがない。

「小次郎さん」

 菊夜は竜胆を小次郎に抱かせる。

「ちょっと出てきますね」

「え?ちょっと待って下さい」

 菊夜は聞こえなかったふりをしてぞうりをはく。

「行きましょう」

 強面の男はうなずいた。

「お菊さん?」

 菊夜は振り返らず、外に出た。


「・・・どこまで行くの?」

「もうすぐ着きまする」

 寺のすぐ近く、草原だった。

 そこに数人の男達がいる。

 いい予感はしなかった。

 強面の男が立ち止まったので、菊夜もその手前でそうする。

「それで、お話って?」

 男達の中からひとり、歩み寄ってくる者がいた。

「姫・・・」

 菊夜は目を見開く。

「紫苑っ」


「やっぱり心配だ。探しに行ってくる」

 小次郎は竜胆を子供のひとりに抱かせ、下駄を履く。

「お兄、『姫』ってどういうこと?」

「分からない・・行ってくる」

「ねぇ、和尚様に言っておいた方がいい?」

「ああ・・・そうだな・・・そうしてくれ」


「紫苑・・・」

「姫・・・」

 紫苑はたずさえた刀を抜いた。

 鞘を捨てる。

 菊夜は数秒、構えたその姿を見ている。

「・・・紫苑?」

「俺に任せてくれ」

 うしろに控えている、男達に紫苑が言った。

「紫苑?」

 紫苑と目が合う。

「姫、どうか俺と、共に死んで下さい」


 ◇さらおう、と思った。

 本気で、だ◇


「紫苑・・・?」

「お館様が言われました。あなたを手に入れてもいい、と」

「それで何故、共に死ぬ、なの?」

「その代わり、死ね、と言われたのです」

「・・・意味がわからないわ。好いている人とは、なるべく長く一緒に生きたいと思うものではないの?」

 しばしの、沈黙。

「あなたには・・・そう思わせてくれる誰かがいるのですね」

「え?」

 紫苑は無言になる。

「どういう意味?」


 ◇次の訪問が最後だった。

 彼女を迎えに行ったのだ。

 彼女の名前にちなんで、百合の花を持っていった。

「俺と共に、生きてください」

「え?」

「俺の嫁になってください」

「私は・・・人間ではないの・・・」

「知っています。あなたは化け狐だ」

「えっ?」

「俺もなのです」

「なんですって?」

「俺は匂いでかぎわけることができるんです」

「じゃあ、それを知っていて人間のふりをしていたの?」

「別に隠していたわけではないのです」

「聞かなかったから?」

「ええ・・・まぁ・・・」

 百合亜の微笑。

「ありがとう。嬉しいわ」

「じゃあ・・・」

「ごめんなさい。それは無理だわ」

「無理?」

「結婚が決まったの」

「俺があなたを幸せにする」

 数秒の、沈黙。

 彼女の瞳には、涙が浮かんでいた。

「ダメなの。妹を犠牲にするわけにはいかない・・・一族全員が、あいつに殺されるかもしれないの」

「あいつ?」

「名前は言えないわ」

「俺は、これが最後の訪問だと決めてきたのです」

「お願い。帰って」

「俺が嫌いですか?」

「愛してるわ」

「え?」

「愛しているわ。だから、もう、関わらないで・・・」◇

 

「手に入らないのなら、いっそ・・・殺す・・・」

「紫苑・・・」


◇「ゆりあ・・・」

「やめて。そんなすがる様な声で言わないで」

「どうしてもダメなのか?」

 無言。

 無言。

 無言。


 無言。


「・・・分かった。つきまとってすまない。もう、ここには来ない」

 彼女がはじめて、俺の名前を切なそうに呼んだ。

 せめて、彼女の指先にでもいいから、触れてみたかった。

「あなたに触れたい・・・」

「私もよ・・・」

 百合亜は泣いていた。

 そうとうな覚悟で、俺を拒絶していることが分かった。

 彼女と俺は定められた仲だと、分かった。

 そしてそれを邪魔する者がいることを、一時期忘れることにした。

 彼女にゆっくりと近づき、ほほに触れる。

 俺がやった紅をつけている。

 口付け。

 ひと時の、逢瀬だった◇ 



 寺。

 写経をしている途中だった。

「和尚様」

「なんだ」

 背中を向けたままの和尚。

「お菊姉とお兄が・・・」

 和尚は振り向く。

「なんだ?」

「変なおじさんが来たんだよ。お菊姉のこと『菊夜姫』って呼んでた」

 和尚は目を見開く。

「なにっ?」

「なんだか嫌な予感がするよ・・・どうしよう?和尚様」

「出てくる。みんな先にゆうげにしていなさい」

 和尚は立ち上がった。

「でも・・・でも・・・」

「でも、でも、はなしだ」

「・・・はい」

 和尚は部屋を出た。


 ◇その日から、毎日のように彼女を思い出す。

 しかし彼女の家には近づかなかった。

 どこか遠くに嫁いだらしい◇


「紫苑・・・」

「俺もすぐに、参ります」

「紫苑っ」

 斬撃。

 菊夜は左肩からななめに、表を斬られる。

 大量の血がしぶく。

 即死、だったらしい。

 ひざから崩れ、そのまま前のめりに倒れた。

 紫苑は刀を首に当てる。

「姫、今、参ります・・・」

 

「お菊さんっ」

 息を切らし、小次郎が草原を走って来る。

 そこには、黒装束を着た男達。

 倒れている菊夜と、見知らぬ男。

「お菊さんっ、お菊さんっ」

 かまわず走って近づき、菊夜を抱き上げる。

「お菊さんっ」

「誰だこいつは・・・」

「お菊さんっ」

「見られたからには・・・」

「ああ・・・」

「お菊さんっ」

 菊夜を揺さぶる小次郎。

 その背中から、影が近寄る。

 衝撃。

 小次郎はくぐもった悲鳴をあげる。

 そのまま、気絶した。

 菊夜の上に覆いかぶさるようにして倒れる。


 和尚は子供達に見られない所まで歩くと、鼻に集中した。

「草原・・・」

 和尚は急に走り出す。

 枯れていたとも思えるほどの皮膚に、みずみずしさが戻る。

 ハゲあがっていた頭に、金茶色の髪がなびいてくる。

 和尚の姿は、二十代半ばにまで変化していた。

 その姿は、小次郎に似ている。

 

 ◇彼女・・・倒れている彼女を見て、すぐに分かった。

 百合亜の娘だと。

 どれほど驚いたことか・・・。

 明らかに百合亜の姿、生き写しだった◇

 

 全速力で走る。

 風を切る音が耳を打ち、過ぎ行く。

 すぐに草原につく。

 倒れている者が三人。

 彼女の髪は、首を取るかわりに切られたのだろう。

 半分ほど、無くなっていた。 

 側まで近づく。

 小次郎にはまだ、息があったが、和尚は動けなくなってしまった。

 小次郎の喘鳴交じりの声。

「お菊さん・・・」

「小次郎・・・お前は・・・」

「お菊さん・・・」

「菊・・・」

 和尚は菊夜の横顔に視線を落とす。 

「菊・・・」

 ◇菊夜、という名前らしい。

 毛色ですぐに分かった。

 俺の娘であると。

 ああ・・・もっと・・・もっと喋っていればよかった。

 あまりにも彼女、百合亜に似ているので、目すら合わせないようにしていた。

 俺の娘、菊夜。

 そしてよそに、いつの間にかできていた、菊夜の兄、小次郎。

 ふたりが、互いに惹かれあっていることは薄々気づいていた。

 しかし、小次郎には、俺が父親であることすら言っていない。

 そう。

 気づかれていることに、気づいてはいた・・・。

 ・・・ああ。

 菊夜。

 小次郎・・・。

 もっと、愛してやればよかった・・・◇


 和尚は一筋の涙を流した。

 金色の瞳だった。


 まるで夜空に浮かぶ満月が、ふくらんで熟した菊のような、そんな日のことだった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ