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夜の菊  作者: 小次郎(こじろう)
1/4

前編 プロローグ


 西暦三千三十五年頃。

 

 日本、異界との境界線が曖昧になってきて

 おおよそ千年がたつ。

 

 異界にはひとならざるものが在り、すまわっている。

 

 自分の屋敷から外に出たことなどない

 娘がひとり、祝言をあげることとなった。

 

 その日、雨が降るだろう。

 天気雨だ。

 昔そのことを、「きつねのよめいり」と言った。

 

 なぜ天気雨のことをそう呼ぶのか、西暦三千年あたりから謎とさている。




 * * *




 石垣の下は崖。

 その石垣の塀の上に、ひとりの女が腰掛けている。

 名は菊夜。

 名の由来は、庭に植えられた菊が満月のように満開にふくらんでいた夜、生まれたかららしい。

 香り高い菊が風にゆれ、美しかったと聞いている。

 ひとではない。

 化け狐だ。

 金茶色の髪に、金色の瞳をしている。

 崖の下は森で、菊夜はぼうっと空中を見つめている。

 次元の歪みだ。

 ここに来ると、時々、俗世の映像が見える。

 森が発する『気』の組み変わりが原因だと、菊夜は思っている。

 外のことが見える。

 秘密の場所。

 ここに来るのはいつもお忍びだ。


「菊夜様」


 菊夜は声の方へ振り返る。

 そこにいたのは菊夜の姉や、つくしだ。

 いつも亜麻色の髪を三つ編みにしている。

 童顔で、十八の菊夜より年下に見える。


 風になびく髪を、おもむろにかきあげる菊夜。

 香が飛び、風になじむ。


「やはりここにいたのですね。今日は何をご覧に?」

「見ないほうがいいわ」


 つくしは石垣に手をついて空中を見る。

 次元の切れ目から、人間の肝を食べている壷装束の妖怪の姿が見えた。

 親子のようだ。


「うっ・・・野蛮なっ」


 つくしは血の匂いでもかぎとったかのように顔をそらした。


「それよりも菊夜様。祝言の日取りが決まったようです」

「いつ?」

「三日後だとか」

「三日っ?なぜそんなに早く?」

「実は前々から準備はしていたそうなんですが、先に報せておくと菊夜様は逃げかねいないからだ、と御館様が・・・」

「ああ、そう・・・父上様は本当に底意地が悪いのね」

「誰かに聞かれたらどうするのですか。お口につつしみを」

「相手は?」

「まだ言わない、だそうです」

「本当に父上は」

「菊夜様」

「ここには私とあなた以外、誰もいないわよ」

「つつしみを」

「分かりました」



 白髪の役者顔。

 細面の少年がひとり、自室で座っている。

 名は藤美禰。

 名家の生まれ、次男だ。

 年は十六。

 つまらなさそうに、兄やである山茶花彦が読み上げている献上品の予定を聞いている。

 結納の献上品のことだ。

 今まで知らされていなかったが、三日後に祝言が催されるらしい。

 しかも、自分のだ。

 父と相手方の父親の仲が良く、生まれた頃から二歳年上の許婚がいることは知っていたが、あまりにも急な祝言の話に、納得がいかない藤美禰である。

 許婚の顔すら見たことが無い。

 名は菊夜というらしいが、それ以外は知らないに等しい。

 事情を聞こうにも、どうやら父はそれを予知して部屋を変えながら逃げているらしい。

 気配すら感じられない。

 いくら探しても見つからない。

 もしかしたら屋敷の外にいるのかもしれない。


「もういい。つまらない」

「分かりました」

 

 山茶花彦は品書きをしまう。


「お茶でも飲まれますか?」

「ああ。紅茶がいい」

「仰せの通りに」



「姉上」


 菊夜とつくしは振り向く。

 竹やぶの中から、黒髪の少年が現れた。

「竹千代丸・・・なぜここが?」

 菊夜の弟、十四歳の竹千代丸だ。

 近寄ってくる。

「失礼ながら、つくしのあとを追ってきました」

「それで、どうしたの?」

「三日後に祝言があるとか」

「ええ」

「納得がいかない。屋敷を出られるのでしょう?」

「それはまぁ、嫁ぐのだから、そうでしょうね」

「では、つくしは?」

「わたくしめは菊夜様のお世話役として嫁ぎ先に奉公せよとのご命令が出されています」

「そう・・・」

 竹千代丸はじっとつくしを見つめる。

「あの、何か?」

「僕、もうすぐ元服」

「ええ、そのようで」

「うん」

「はい」

「そういうこと」

「何がですか?」

「いや、いい」

「はい」

「姉上、そろそろ戻らないと屋敷の者に見つかりますよ」

「ええ。そうね。戻りましょう」

 菊夜は石垣の塀から降りる。


 三人はその場をあとにした。


 

 西暦三千十六年。


 出会いは、庭だった。

 

 ◇出会いは庭だった◇


 正午あたり。

 ちょうど松の木の枝の頂上を整え終え、木陰で休んでいる時だった。

 白壁と松の間、地面に寝転んでいる。

 松の根元には、円形の茂み。

 死角。

 目をつぶっている、俺。

 足音。


 ◇夜半。

 物音に気づいた彼女が、何者かとたずねた◇


 どうやら誰かが走っているらしい。

 近づいて来る、吐息。

「あっ」

 俺の足につまづいて、転んだ誰か。

 この屋敷の姫様だ。

 まだ十にも満たない頃だったか・・・。

 俺の腰の上に乗って、目をぱちくりさせている。

「しっ」

 人差し指を口元にあて、彼女は笑った。

「ないしょね?」

「かくれんぼ・・・ですか?」

「そう」

「菊夜さまぁ」

 つくし、という姉やの声。

 抱きつくようにして姿勢を低める姫。

 金茶髪を二つにわけて、横で団子頭にしている。

「菊夜さまぁ、どこにいらっしゃるのですかぁ?」

「しー、だからね」

「・・・分かりました」

「かくれてっ」

 頭を触られ、ぐいぐいと押し倒される。

「菊夜さまぁ」

 心なしか、鼓動が速くなっているが、それを懸命に隠す。

「ねぇ、あなたの名前はなんというの?」

「紫苑と申す、庭師です」

「くしゅんっ」

 可愛らしいくしゃみ。

「菊夜さま、こちらにいらしたのですね」

「見つかちゃった・・・」

 姫は俺の上から退いて、つくしという姉やのもとへと歩き出す。

 俺は隠れたまま。

 茂みの隙間から、後姿を見送った。

「じゃあね、しおん。また」

「誰に言われているのですか?」

「なんでもないわ」

「そうですか・・・今度は菊夜さまの番ですよ」

 姫は両手で目を隠す。

「いーち、にーぃ」

「早すぎますっ」

「さあーん」

 普段めったなことでは表情を出さない俺が、なぜかこの状況に、微笑を浮かべていた。



 ◇そう言えば、急に塀の上にのぼりたくなったからだった。

 旅の途中、ぶらりと夜の散歩に出た帰り道。

 カエルや鈴虫が鳴いている。

 それを聞きながら鼻歌。

 琵琶の音色。

 理由は、たまたま近くに屋敷の塀があり、のぼってみたくなっただけだった。

「お邪魔しますよっ、と」

 そこは庭。

 琵琶の音が途切れる。

「・・・どなた?」

「これはこれは、失礼を。あまりに綺麗な音色なもので、お顔を拝見いたしたく」◇


 翌朝、早朝。

「おい聞いたか?近々、姫様の祝言だそうだ」

 紫苑は驚いて振り向く。

「それはそれは」

「めでたいが、ずいぶんと急じゃなぁ」

「いつ、ですか?」

 珍しく口を開いた紫苑に、庭師達は意外そうな顔をする。

「ああ、おめぇは姫さんのお気に入りだからな。知らなかったのか?」

「・・・」

 紫苑は無言でその場をあとにした。

 角を曲がった所で走り出す。


◇「嫁入り前の娘に、容易に話しかけるとは・・・」

「あまりに美しい音色だったもので。それを奏でるお方も、そうとうな美人だとふみましたが、これはこれは勘違い。美人も美人、絶世の」

「家の者を呼びますよ。お帰りを」

「けっしてあやしいものでは・・・ありますよ」

「は?」

「俺ってあやしいんです」

 間。

「・・・あなたお名前は?」

「なに、名乗るほどの者ではございません」◇


 菊夜は自室にいた。

 お気に入りの違い棚の側には、これまたお気に入りの昇り龍の掛け軸がある。

 その龍がくねり、元の位置に戻る。

 墨で描かれたただの絵に見えるが、妖術がかけられているのだ。

 その前に大きな壷。

 そう言えば小さい頃、父上の壷を菊夜が割ってしまい、つくしが菊夜をかばって大目玉をくらい、菊夜は泣きながら姉やを辞めさせないでと懇願したのを思い出した。

 今日は霧がかかっている。 

 空気が冷えている。

 昨晩はあまり眠れなかった・・・。

 菊夜は朝日が霧を照らし、輝いていくさまを見つめていた。

 ガサガサと椿の植木の間から、音がする。

 紫苑が現れる。

「紫苑・・・どうしたの?こんなに早く・・・」

 走って来た紫苑は深呼吸。

 菊夜と目を合わせる。

 朝日に透けて、菊夜の髪は蜜色に見える。

 しばらくの、間。

「ご結婚、なさるとか・・・」

「ああ、ええ・・・聞いたの・・・」


◇「あなた・・・お家は何をしているの?」

「根のない草は腐りやすい。根無し草とはよく言ったもので。今からわたしが言うことを信じていただけるでしょうか?」

「なんです?」

「わたしは盗賊なのです」

「ああ、そう」◇


「いっぱしの庭師が口出しすることじゃないことは分かっていますが、姫様。これでよいのですか?」 

「分からないのよ。まともに屋敷を出たことも無い・・・もっと外を見てみたいの」

「では・・・」

「では?」

「・・・いえ。もしもその気になられたなら、いつでもご相談下さい」

「その気?」

「はい」

「逃げる、ってこと?」

「はい」

「殺されるわよ?」

「覚悟の上です」

「・・・分かりました」

「はい」

「ありがとう」

「・・・はい」

 菊夜の側、紫苑から見て右側に、菊夜の姉や、つくしが座っている。

 当然会話を聞いていたはずだったが、眉根ひとつ動かさない。

 ちらりと目を合わせると、紫苑は引き下がった。

「では・・・」

「ええ」

 紫苑は退場しようとする。

「紫苑」

 振り向く。

「ありがとう」

「いえ・・・」

「そう。今は・・・それだけ」

「はい」

 一礼。

 紫苑は姫の庭をあとにした。

 

   

 回廊。

 この屋敷の敷地内には、四季がない。

 無いと言うわりには、溢れている。

 特殊な結界に包まれているからだ。

 だから茉莉花がいつの花なのか、竹千代丸は知らない。

 中庭に植えられた茉莉花。

 その花弁は芳香と共に池に落ち、飛石に寄り添う。

 廊下の欄干から、飛石を飛び渡る。

 小さな波紋が池に現れる。

 反対側の欄干へ着地。


◇「ええ、盗賊なのです」 

 ひさしの上を歩き、ある程度近づいた所で庭に着地◇


 竹千代丸は廊下を左に曲がる。



 庭の散歩中。

 前には屋敷の主人、その後ろには妻である百合亜。

「なぜ相談もされずに決められたのですか」

「元々許婚だ。本当は元服したらの約束をのばしておったのだぞ」

 屋敷の主人は池の鯉にエサをやる。

「許婚がいたなど聞いておりませんっ」

「お前のように逃げようとするかもしれんからなあ・・・」

 屋敷の主人は百合亜に振り向く。

「あれはお前にそっくりだ」 

 間。

 百合亜は唇を噛み、無言を保った。


 屋敷の主人はその姿を見て、鼻で笑った。



 夕刻。


「母上」

 自室で茶を飲んでいた、百合亜。

「お座りなさいな」

「何のお話か、もう分かっておいでなのですね」

「祝言のことでしょう?」

 菊夜は座りながら言う。

「母上は知っていて黙っておられたのですか?」

「違うわ。わたくしも今日、聞きました」

「そうですか・・・」

 目を伏せる菊夜。

 菊夜と百合亜の姿は姉妹かと見間違えるほどに似ている。

 しかし百合亜は黒髪だ。 

「母上はご納得されているのですか?」

「していないわ」

 菊夜は少し安心する。

「わたくしのようにはなって欲しくないのよ」

「母上のように、とは?」

 百合亜は茶を手に取り、すする。

 間を作る。

 何かを考えているようだ。

「昔―」


 ◇近くで見れば見るほど、美人だった◇


「昔、母には好いたお方がいたのです」

「父上とは別の方ですか?」

「そうです」

「どのようなお方だったのですか?」

 間。

 百合亜の微笑。

「素敵な方でした」

 思わず菊夜も微笑む。

「それで?」

「母上」

 百合亜と菊夜は声の方に振り向く。

 そこには竹千代丸。

「姉上、やっぱりここに・・・母上にお聞きしたいことがあるのですよ」

「知らなかったのですって」

「そうなのですか?」

「ええ」

 側にいたつくしと目を合わせるが、すぐにそらす。

 竹千代丸は菊夜の隣に座る。

「どのようなお方なのか知らせもせず祝言とは・・・父上は何を考えておられるのか」

「今、母上が昔好いていた方の話を聞かせてもらっていたのよ」

「そんな話、していいのですか?」

「では、わたくし達も秘密で話をしましょう」

「ああ・・・分かりました。どうぞ」

「素敵な方だったのですね?どういう風に?」

「話し方が面白かったのですよ」


 ◇彼女が持っていたのは、螺鈿の装飾がされている琵琶だ。

「素敵な音色の琵琶ですね」

「盗むつもり?」

「あなたごと?」

 ふふん、と鼻で笑われる。

 俺は微笑を返す。

 少しむかつく女だ◇


「詩を読んでもらったりしたの」

「その方のお名前は?」

「名乗らなかったのよ」

「名前も知らない男に惚れるのですか?」

「あなたはまだまだ子供ねぇ」

「どういう意味ですか?」

 少しトゲのある言い方。

「好いているおなごぐらい、おりまする。もう十四ですよ」

「まぁ、初めて聞いたわ。どんな子なの?」

 間。

 懸命に言葉を探して思考しているのが分かる。


◇「私をさらうつもりなの?」◇


「さらいたくなるようなおなごです」

「あなたは本当に父上に似ているのだか、そうでないのだか・・・」

「少し心外です」

「少し?」

「遠慮して少し、と言ったのです」   


◇「今夜は遠慮します」

「今夜は?」

「ええ、今夜は」◇ 


 不機嫌を露にする竹千代丸。

 屋敷の主人は、血族にすら好かれてはいない。

「ああ、ごめんなさい」

「別に。顔だけは似ていること、認めますよ」

「それが『少し心外』分?」

「ええ」

 百合亜はお茶をすする。

 人払いしてあるので、つくしがお茶を出す。

「菊夜、竹千代丸」

 干菓子に手を出していた二人が母に注目する。

 百合亜の真剣な瞳を見つける。

「菊夜、この婚姻に納得できないなら逃げなさい」

「は?」

「竹千代丸、好いている者がいるならその方にそれを告げなさい。そしてもしも受け入れてもらったなら、一緒に逃げなさい」

「・・・母上?」

「なぜにそのようなことを?」

「母は逃げられなかったからです」

 数秒の、間。

「・・・父上から?」

「はい」

「政略結婚だとは聞いていますが、もしや母上は・・・逃げようとしたのですか?」

「実はそうなのです」


 父上、そうあの方との出会いは庭でした。

 私は体が弱く、時折縁側に座っては庭を見ているのが楽しみでした。

 その日は朝露に濡れた葉の光が綺麗で、美しい空気に満ちている日でした。

 前日は嵐で、残ったのは木々ぐらいで・・・

 崩していた体調が持ち上がり、久々に庭を見に行った日。

 確か鼻歌を歌っていました。

 失礼しますよ、と誰かが言って、振り向いて・・・

 そこにいたのがあの方でした。


「父上?」


 そうです。

 もう四十前の、上質な着物を着た姿でした。

 腰まである長い髪をうしろで束ねて・・・

 数秒の間見つめ合っていると、

 君がいいなぁ、と言われたのです。


「どういう意味ですか?」


 前日の嵐の日、あの方は旅の途中だったらしいのですが・・・

 風に行く手を阻まれ、我が家に泊まったらしいのです。

 その時に妹の茨枝にも会ったそうで・・・

 私は部屋にこもっていたので、その時が初めての顔合わせでした。


「政略結婚というのは・・・」


 我が家は小さな貴族。

 相手は―・・・もうお分かりでしょう?


「家同士で決めたのではないのですか?」

「一族に反対されたのに、あの方がご勝手に話を進めたのです」

「反対されたのは、母上の実家の位が低いから、ですか?」

「ええ、まぁ、そういうことでしょうね」


 求婚されてから間もなく、

 あの方のお父上が亡くなりになって、あの方が家を継いだのです。


「実権は父上に移った、と」

「そういうことだったのですね・・・」 


 私には好いている方がいたので、断ろうと思っていたのです。

 その方から恋文をもらい、駆け落ちを覚悟しました。

 しかし、それは許されませんでした。

 途中で捕まり、あの方におどされたのです。


「おどされた?」

「ええ。『君の妹の茨枝は可愛いなぁ』、と」

「それはっ・・・」

「ええ。茨枝はその時五歳。嫁に出すなど、あまりに無体なこと・・・」

「そういうことだったのですね・・・」

「母上は茨枝おば様を守るために、父上とご結婚を・・・」

「この話は絶対に内密に。茨枝は事情を知らぬのです」

「分かりました」

「分かりました」

 百合亜の微笑。

「あなた達には、ほんに好いている方と一緒になって欲しいのです・・・」

 菊夜は百合亜の黒い瞳を見つめる。

「もしかして母上は・・・未だに、そのお方を好いて・・・?」

「実は・・・ええ・・・そうなのです・・・」

「私も、そんな恋がしてみたいわ」

「あなたは世間知らずすぎます」

「母上は知っておいでなのですか?」

「私の実家は、人間界にあったのですよ」

「え?」

「黙っていましたが、我が家は人間の血が入っているのです」

「ああ、だからこちらの家に反対されたのですね」

「そういうことです」

 

 ◇その数日後。

 同じ道を通ると、白壁の向こう側から琵琶の音が聞こえていた。

 ひと蹴りでひさしに飛び、はぁいと言うと、視線が合う。

 異国のカーテンコールのような挨拶をしてみる。

 小さな笑いがとれた。

「変なひと」

「よく同じようなことを言われます」

 微笑。

 近づく。

 しばらくの間。

「いつも庭先におられるのですか?」

「あなたは宵闇のお散歩がお好きなようね」

「危険だと?」

「心配しているわけじゃないわ」

「心配しないと危険ですよ」

「どういう意味?」

「夜半に現れる男と、あなた普通に話をしておられる」

「ああ・・・では、ひかえましょう」

「ああ、いや。それは困る」

「あなたが危険だとおっしゃったのでしょう?」

「もう喋っている」

「ひかえる、と言ったのです」

「ああ、なるほど」

「なぜ困るのですか?」

「何がです?」

「さっき、私がしゃべらないと困ると言ったでしょうに」

「・・・ん~・・・」

 思わずほほを指先でかく。

「なぜでしょうね?自然と口から出たのですよ」

 間。

「俺があやしい奴だと?」

「充分に」

「けっしてあやしい者ではありませんよ」

「あやし過ぎる」

「なぜ?」

「あなた、私をさらうと言ったのですよ?」

「それは強ち本気ですよ」

「変な言葉使いね」

「気にするのはそっち?」

「あなた本当に変なひとね」

「よく言われます」◇


 廊下。

 菊夜と竹千代丸は並んで歩いている。

「姉上には、好いている方はおられないのですか?」

「なぁに?突然ね」

「おられない?」

「好いているひとはたくさんいるわ」

「そういう意味ではないのです」

「まだよく分からないのよ。なぜあなたの方が知っているの?」

「男の性でしょう」

「ん?」

「庭師の・・・紫苑でしたっけ?あの男のことはどう思っておられるのですか?」

「なぜいきなり紫苑の話?」

「なんとも思っていないのか・・・」

「そんなことはないわ。許されないことだけど・・・」

「おもって?」

「ええ、兄やだと思っています」

「ああ、そう・・・」

「なぁに?」

 竹千代丸はため息を吐く。

「なげかわしや・・・」

「何がです?」

 少し怒った口調の菊夜。

「なんでもありません」

「そちらの話?」

「もうそれでいいです」

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