五
まさか、知らない間にアンバーさんの血を飲まされてるなんて……。 頭の中で、セレンティナアンナさんが、天国に旅立つ時の画像が再生された。 彼女のニヤニヤ顔がアップになる。 絶対に彼女の差し金だな。
リビングには大きな両開きの扉があって、そこから中庭に出ていける。 石畳の床に円卓のテーブルセットが置いてある。 天気のいい日はここで食事をしたりする。 主にフィルたちが気に入ってる場所だ。 今日は満月だ。
「はぁ~~」
さっきから、溜め息しか出ない。 階段を降りてくる足音が聞こえてくる。 パタパタと歩く足音は華か。
リビングに降りてきた華が、俺に気づいて声を掛けてきた。 コップを持ってるから、水飲みに来たのか。
華が俺の隣の椅子に座る。 俺にも、水差しを差し出して来たけど断った。
「眠れないの? 珍しいね」
「華は、まだ起きてたのか?」
「うん、私は夜型人間だから。 ついつい夢中になちゃって、駄目だって分かってても、夜更かししてしまうんだよね」
部屋で何をしてるのか、想像出来るな。 華はコップの水を一口飲んだ。 何か閃いた顔をした華は、徐に立ち上がった。
「ちょっと、待っててね」
自分の部屋に駆け足で戻ると、直ぐに戻って来た。 俺に小さい巾着袋を渡して来た。
「これね、鞄の中に入ってたの。 携帯とかポーチとか財布は入ってなかったのに。 これとお弁当だけ入ってたんだ。 アロマオイルを染み込ませてるんだけど、桜の香りなの。 桜の香りはね、不安を取り除いて安眠できる効果があるんだって。 元の世界に居る時に使ってたの。 絶叫マシーンに乗る時に、持って乗ろうと思ったんだけど、すっかり忘れて……ふふ」
華の顔つきが危なくなって、瞳が怪しく光った。 そんなに怖かったのか、無理に乗せて悪い事したな。
「もう、匂いが薄くなってるけど、まだ使えると思うから使って」
「うん、ありがとう」
巾着を受け取って匂いを嗅いでみる。 桜の香りに混じって、微かに華の匂いがした。
他愛無い話を華として、部屋に戻ろうとした時、背筋に寒気が走った。 辺りを見回しても何もない。
おかしいな。 嫌な感じがしたんだけど。 スキルに何も異状がないか訊いてみる。
『スキルが感知できる範囲には、危険はありません。 安全です』
何もないか……
「優斗くん? どうかした?」
「いや、気のせいかな。 今行くよ」
華におやすみを言って、部屋の前で別れる。 ベッドに入って、枕の下に貰った巾着を敷く。 桜の香りと華の匂いが微かに漂ってきた。 華が隣で寝てるみたいでちょっとやばい。
ベッドの柔らかさと疲れてたのか、アロマオイルのお陰か、直ぐに睡魔に襲われ眠りについた。
ベネディクトは、大木の枝の上で満月を見上げている。 ベネディクトが居る場所は、優斗たちの隠れ家に近い場所、スキルが感知できる範囲外だ。 森の陰から、黒い影がベネディクトに近づく。
「ふ~ん、クリスの奴やられたのか。 手間が省けてラッキー。 そうだ、いい事思いついた。
王宮にまだ、勇者が持ってた武器があったよな? お前、それを持って来い。 元々、手に入れるつもりだったしな。 王弟は気づいてないだろ。 武器に、勇者の力が宿ってるのは知らないはずだ。 今は、それどころじゃないだろうし、簡単だろ。 じゃ、頼んだぞ」
黒い影が頷くと、揺れて歪んで消えた。
「クリスも馬鹿な奴。 返り討ちに遭って」
クスクス可笑しそうに笑っている。
「エルフの血か……どうやってあいつを魔族にするか。 その時が楽しみだな」
ベネディクトは音もなく煙のように消えた。
『花咲華の位置を確認、安全を確認しました。 昨夜の就寝中に、危険はありませんでした。 今朝の画像を送ります』
頭の中で、朝の報告をするスキルの声が響く。 断る前に華の寝姿が送られてくる。 おかしい! 前は送ってくるなって、言ったら送って来なかった。
何でだ。 華が慌てて起き出して、着替えをはじめる様子が映し出された。 そうか、今日の朝ごはん当番は華たちだったか。 昨日は結構、夜遅くまで起きてたみたいだし……。 呑気に眺めてる場合じゃなかった。 華が俺のスキル越しの視線に気づいて、めちゃ怖い顔で睨んでる。 慌ててスキルを停止する。 やばっ! どんな顔して食堂に行けばいいんだ。 冷や汗が止まらない。 ベッドから飛び出して、現実逃避した。 兎に角、朝練で煩悩を振り切ろう。
隠れ家の周囲を目隠し用の森が囲んでいる。 そこにアップダウンがあるランニングコースを、隠れ家に住み始めた頃に、華が作ってくれた。 軽くランニングしている瑠衣の横を、猛スピードで走り抜ける。
「おお、優斗! 張り切ってるな」
瑠衣には相談出来ない。 何故なら、揶揄われるだけだから! たまにキッチンで、朝ごはんを作る華の画像が、頭の中に流されて来る。 【透視】のスキルを停止したのに……勝手に開始したのか? これは、自制が効いてないのでは? 華にスキルの事を受け入れてもらえて、理性が効かなくなってるんじゃないのか!!
これ、やばいんじゃ……。 お風呂とか間違っても覗けないのに!! 華は何も言わなかったけど、お風呂とか着替えとか絶対に覗かなかったし。 華も視線を感じなかったから、そこは信じてくれてたはず……。 下手したら華に嫌われる!!
青くなって、猛スピードで叫びながら、ランニングコースを煩悩を振り切る為に走り抜けた。
『異世界転移したら……。』を読んで頂き誠にありがとうございます。
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