記憶(1)
何かの天ぷらでも揚げているような音がする。隣の家の瓦に水が連続して落ちているからだと思う。一人でいるには少し広い部屋の真ん中で、僕はただ生きていた。何か嫌なことがあったわけでも逆に良いことがあったわけでもない。そんななんでもない日を生きていた。
三月末。僕は仕事に追われていた。三月いっぱいで仕事を辞めなければいけないため引き継ぎやらやりかけの仕事やらが山積みになっていた。決して速いとは言えないスピードで引き継ぎ書の文章を打っていると後ろから声をかけられる。
「どう?終わりそう?」
「ちょっと厳しいですけど大丈夫です。終わらせます。」
その答えを聞くと上司はジムに通って鍛えたという僕の足ぐらい太い腕を叩きながら笑顔で立ち去った。
決して嘘をついたわけではないけれど本当のことを言ったかと問われれば多分違う。自分で自分が嫌になりながら続きをすることにした。しばらく淡々と仕事をしていると周りが騒がしくなってきた。何だろうと思い周りを見渡すと、どうやら人事異動が発表されたらしかった。辞める僕には関係のない話だと思いながら、けれど自分の周りの知り合いが異動するのかどうか少し気になりながら仕事をした。聞き耳を立てながら画面を見つめていると知った名前が聞こえてきた。
「嘘だろー。課長、今年は大丈夫だって言ってたのにー。」
「まぁどんまい。二課も悪くないから頑張れよ横島。」
あー。横島さん異動なんだ。今年は大丈夫だからって引き継ぎ書に手付けてなかったっけ。あと二日でするの大変だろうなぁ。
「赤野くん。赤野くん。」
肩をたたかれて驚きながらも急いで振り向き返事をした。
「あ、はい。何でしょうか?」
「えらくボーッとしてたね。五回くらい呼んだよー。」
身長が190近くある僕の母親と同じ歳の係長はそう言いながらヘラヘラと笑っていた。僕はすいません、と苦笑いしながらきいた。
「どうしたんですか?何かしました?」
係長は変わらずヘラヘラしながら
「明後日の飲み会さ、二次会まで来るよね?」
僕はお酒が強い方ではないが飲み会は好きだった。普段見られない人の一面が見れたり、逆に酔ったふりをして多少失礼なことや悪口混じりのことが言えるからだ。特に二次会以降になってくるとみんなだいぶ出来上がっているため、少々なことでは怒らないし、もっと言うと忘れているから職場で最年少の僕にとってはコミュニケーションをとるには最適な場だ。
「もちろん行きます。朝まで付き合いますよ。」
その言葉を聞くと満足そうな笑みを浮かべ
「送別会だからね。盛大に送り出してやるから覚悟しとけよ。」
そう言い放ち、自席に戻って行った。
そっか。ここともあと二日でお別れなのか。19のときから三年間お世話になったなぁ。四月からが楽しみだと思いながらも、寂しさのようなものも少し感じた。
窓に目をやると昼過ぎの太陽が水たまりに反射して目をさした。