分隊長ダンカン外伝 「バルドの決意」
ヴァンピーアは今日も賑やかだ。
城には兵士、町には商人を始めとした民衆が住んでいる。
まるで何事も無かったかのように光と闇の争いは続いていた。
あの人の死はせせらぎに流れ行く小川のようにゆっくりと忘れ去られてしまってゆくのだろうか。
否、我は覚えている。ダンカンは我が認めた人間だ。分隊の面々も決してその偉大な穏やかで勇壮で苦労ばかりしていた背を忘れることはないだろう。
「そりゃあっ!」
人間の若者フリットが打ち込んで来るが、バルドは左の斧で受け止め、右の斧で素早く足を薙いだ。
「いてえっ!?」
フリットが倒れる。
「フリットの十五敗目でやんす」
ゴブリンのゲゴンガがはやし立てる。
「フリット先輩、勢いだけでは勝てませんよ」
アカツキが続く。
「あら言うわね、アカツキ君。でも、あなたもよ。あなたの相手は私。今の一瞬で勝敗を決することだってできたんだからね」
カタリナ分隊長が諭すように言う。
練兵場。各々の思いを込めて兵士達が訓練を続けている。ダンカン分隊長が死んでから、つまりオーク城の撤退戦から二月が経った。オークの軍勢の前に友を失った者、ヴァンパイア子爵サルバトールの歯牙にかかり、望まぬ戦いを勝ち抜いた者、そして暗黒卿の軍勢の前に誰もが多くの犠牲を払ったことを心得ている。
兵士は集まるが、戦場を知らない右も左も分らぬ者ばかり。これが我ら「魔物」なら力もあるが、人間は大した力を持ってはいない。しかし、それでも戦い続けるという。彼らの信じる神がそう命じるからだと誰もが答える。さもなければ王命だ。どのみち、それは敵対する暗黒卿を筆頭とするアムル・ソンリッサら、闇の者達にも言えることで、彼女らもまた己が信ずる神の命のもとに「光」と称された我らを討滅、いや、絶滅させようとしている。
二月、何も起こらなかった。
人間は成長するのに時間を要する。ありがたいことであるが、この二月の沈黙がおぞましい。このオーガーの誇り高き戦士バルドでも、暗黒卿という仇敵の前には恐れ足がすくんでしまった。だから、我らをかばい、命を投げ出して責任を果たしたダンカンは強い男だと思った。
フリットが立ち上がる。
「よーし、バルド、もう一本頼む! 今度負けたら酒を樽ごと進呈する」
刃の潰れた練習用の剣先でこちらを指し示す。
「我はあまり酒は好かん」
「そうだったか?」
フリットが尋ね返す。そうだ、近頃美味い酒が飲めなくなった。真に美味い酒が飲める時、それは暗黒卿を葬れた時になるだろう。我はダンカンの死を引きずっているのだ。
ダンカン。我はどうするべきだろうか。
懐に畳んである手紙の存在を感じる。
それはバルドの故郷「谷間の国」からのものだった。
族長のバインはバルドの実の息子で、彼が余命いくばくもないらしい。我らと人とを繋いだシルヴァンスという人間も看病に当たり方々に手を尽くしてくれているらしいが、容体は悪くなるばかりだという。
手紙にはバルドに戻ってもう一度族長を務めて欲しいという仲間からの歎願が幾つも記されていた。
バルドは危うく剣を受けるところであった。
それを斧で絡めとる様に弾き返す。剣はフリットの手から飛んでいった。
「ええい、くそっ、今のはわざと隙だらけにしてたわけか」
フリットが言った。
「隙だらけ?」
バルドはゴブリンのゲゴンガへ問う。
「やんす」
ゴブリンは頷いた。
迷いがある。迷いが我を駄目にしている。このまま戦になれば、我は無駄死にするだろう。ダンカンの仇も討てず、国の皆の求めにも応じられず。
「バルド?」
フリットが心配そうにこちらを見ている。
「いや、何でも無い。フリット、もう一本受けてやろう」
バルドは迷いを払しょくするように声を出した。
二
国から手紙が届いた。
族長バイン逝く。
バイン、死んだか。父親ながら死に目にも会えずすまなかった。
手紙には空席の族長の座にバルドが就くことを望む歎願がビッシリと書かれていた。最後に人間のシルヴァンスが文字を連ねていた。谷間の国を安心させることができるのはバルドのみだと。仲間達の思いに、願いに応じてやってはくれないだろうかと。
かつてその脅威だったはずの人間から見ても谷間の国のオーガー族に覇気が失せていることが分かるということだ。
オーガーから覇気を奪えば何が残ろうか。
「皆」
練兵場での小休止にバルドは重い口を開いた。
カタリナ分隊長、ゲゴンガ、フリット、アカツキがこちらを見る。
「ああ!」
バルドは頭を抱えた。
「バルド!?」
「どうしたでやんすか!?」
フリットとゲゴンガが声を上げる。
バルドは涙を流していた。反吐のように喉元までせり上がって来た感情が溢れ出ようとしている。
「すまぬ!」
大きくバルドは言葉を吐きだした。
「落ち着くでやんす。それで、どうしたでやんすか? バルド?」
バルドは手紙をゲゴンガに差し出した。
「ゲゴンガちゃん、何て書いてあるの?」
カタリナ達が集まって来る。
「バルドの息子さんが亡くなったとのことでやんす。どうやらバルドの息子さんは族長だったようでやんす。国の皆がバルドにもう一度族長に戻って欲しいと書いてあるでやんすよ」
オーガーの文字をゲゴンガが訳した。
「バルド、そうか、息子さんが」
フリットが言った。
「それもあるでやんすよ、でも、バルドはきっと悩んで悩んで答えを出したでやんす。で、やんすね、バルド、後はオイラは言えないでやんす」
ゲゴンガが最後に気遣うように言う。バルドは頷いた。そして隊の仲間達を見た。
「我は国へ帰ることに決めた。故に、ダンカンの仇は討てぬ。許して欲しい」
隊員達は顔を見合わせ、微笑んだ。
「そうか、俺達のためにダンカン分隊長のために、ずっと悩んでたんだな。気付けずにすまなかった」
フリットが言う。
「すまなかったでやんす」
ゲゴンガが続く。
「事情が事情だもの、レイチェル、いえ、シルヴァンス殿のサインだってあるわけだし、只事じゃ無いわ」
カタリナが続く。アカツキは隣で頷き、まだ少年の面影の残る顔で言った。
「バルド、ダンカン隊長のことなら俺達が引き受ける」
この入って一番日の浅い若者の口からこの言葉が聴けるとは思わなかった。
「バルド、誰もお前を責めたりしないでやんすよ。そんなことよりも早く出発して国の仲間達を安心させてやるでやんす」
最後にゲゴンガが言い、全員が頷いた。
「すまぬ。我は戦列から離れる」
どちらにせよ、悔いの残る選択だったと後にバルドは思い返す。孫のギリオンに次期族長として相応しい強さを教え、共に鍛錬に励みながら、バルドはそう思っていた。
谷の国が乱れること、ダンカンの仇を討つこと。
「おじいさま、どうしましたか?」
まだまだ幼さが残る三十歳のギリオンが戦斧を引っ提げて尋ねて来た。
「ギリオン、世の中には時に二つのうち一つしか選べぬときがある。場合によってはその苦悩が刹那の如く襲ってくる。だが、どちらかを取らねばならない。取らなかった方を潔く諦めろと言うのも無理かもしれぬ。だが、己は己自身の選択した道を誇れ。さもなければ誰も何も救われぬ」
「はい、おじいさま」
「太守バルバトス・ノヴァーに手紙を書こう。ギリオン、ヴァンピーアへお前は行け。ワシから教えることは何もない。後は彼の城の者達が教えてくれるだろう。次期族長としての資質を身に着けて再び戻って来い」
「ヴァンピーアへ!? 分かりました、おじいさま!」
ギリオンは姿勢を正して応じた。
そして去る。
オーガーの子供らがギリオンに尋ねる声を聴く。
「ギリオン、どうしたんだ、嬉しそうだね」
「うん、俺ね、人間の城へ行くことになったんだ。最前線の都ヴァンピーアだぞ、羨ましいだろう?」
そんな孫の声を聴きながらバルドはかつての隊員、いや、仲間達を思い返す。皆、元気だろうか。ギリオンのこと、よろしく頼むぞ。そしてダンカン、皆にお主の祝福を与えたまえ。
オーガーの族長バルドは晴れ渡った天に向かって片膝をつき、そう祈りを捧げたのであった。