第9話 死者の祈り
生れ落ちたのがこの村でなければ、幸せになる事が出来たのだろうか――
想像の全てはすでに仮定でしかなく、今ある事実は消す事など出来ない。
だからせめて、大切な者たちにはささやかでも幸福を……。
あの二人のような思いをする存在が、せめて、この時代に生まれることが無いように。
存在しないはずの神に縋り、祈りは、願いは叶いますか?
私のような者でも、大切な子供達を護る事は、出来るでしょうか?
「羽矩……」
悲しそうに漏らされた曖花の言葉に、羽矩は嫌そうに眉を顰めた。
嫌悪と拒絶。
羽矩の態度から、少なくとも羽矩は曖花を好んではいないことに初は気づいた。
ピクン
気まずい沈黙が漂う中、反応を示したのは羽矩に庇われていたはずの涙花だった。
「涙花……?」
訝しげな声音の藍に、その場にいた者は涙花に視線を向けた。
「涙花!」
側にいた羽矩に肩を掴まれ呼びかけられても全く反応せず、涙花はどこか虚ろな眼を向けて口を開いた。
「……鏡……八咫鏡――現世で一番清浄なる場所。闇の中に、潜むもの……目覚め――新たな、宴……黄泉の声……」
不吉な、予言めいた言葉を残して涙花は意識を手放した。
「羽矩、どういうことだ!?」
驚いたように訊く藍に、羽矩は涙花を抱きしめたまま、唇を噛み締めて呟いた。
「まさか……藍! 八咫鏡は?」
叫ぶように告げられた言葉に、藍は慌てて八咫鏡を覗き込んだ。
『それ』に映し出されていたのは、災い。
この村の呪いの形である“カレン”が蘇ったという印。
「“カレン”が……蘇る前兆だ」
困惑しながら、それでもはっきりと告げられた藍の言葉に羽矩は涙花を背に隠し、曖花を睨みつけた。
「お前が“器”だな?」
確認という形をとってはいるが、その言葉はすでに断言している羽矩に、曖花は悲しそうに顔を伏せた。
「違うわ、羽矩――」
「後で確かめればいいことだ」
曖花の言葉を途中で遮り、羽矩は草薙剣を構えた。
「断罪する」
ただ一言だけ吐き捨て、羽矩は悲しそうに瞳を伏せた曖花に切りかかった。
ザッ
「なっ」
刀が空を切る音と共に、羽矩の驚いたような声が当たりに響いた。
「どういうつもりだ! 茨麻!」
曖花の立っていた場所から数メートル離れた場所に、茨麻は曖花を抱きしめながら着地していた。
「お久しぶりです、兄上」
あくまで悠然と――微笑さえ浮かべている茨麻に羽矩は殺気を隠そうともせず、その視線を向けた。
「そんなことはどうでもいい! それよりお前、央雅を――水無鬼を裏切るつもりか!?」
無駄な言葉は一切省き単刀直入に訊いた羽矩に、茨麻は深く息を吐いた。
「私は央雅を――水無鬼を裏切るつもりはありません」
「その言葉を信じるとでも? ――譲原愛実、連れ去ったのはお前だろう?」
断罪するかのような羽矩の言葉に、茨麻は驚いて目を瞬かせた。
「……気づいてはいなかったのですか?」
逆に茨麻に問われるような形になった羽矩は、一瞬困惑した。
「……どういう」
意味だ――?
そう問いかけようとした羽矩の言葉を遮ったのは、漆黒の焔だった。
「っ!」
まさか攻撃されるとは思っていなかったのだろう――茨麻は、驚いて曖花を外套で庇った。
「……んで」
それまで困惑と驚愕で傍観者に徹していたはずの初は、いつの間にか庭に下りていた。
「初……」
困惑しながら掛けられた藍の声がきっかけになったのか、初は伏せていた顔を上げて、涙を流しながら茨麻と曖花を睨みつけた。
「私、アリアと違って理解能力遅いし、藍と違ってこの村の事なんて何も知らない。瑞花――曖花姉様から村の事を聞いていたっていっても、所詮この村の事は『お伽話』でしかないんだから。でも! どんなに重大な理由があったにしても愛実を――ほとんど無関係な愛実をあんな目にあわせるなんて、絶対許さないから!」
涙を流し睨みつけながら――平常心を失いながらも、最も制御の難しいといわれる漆黒の焔を生み出し攻撃してくる“初花”に、茨麻は驚愕と同時に畏怖を覚えた。
「再誕の焔をあそこまで制御できるとは……」
外套で曖花を庇い、刀で焔を祓いながら曖花だけに聞こえるように呟いた茨麻に、曖花はどこか悲しそうに囁いた。
「……それが、初花――あの子の稀有なる力だもの」
「貴方がこの村から、裏切り者と誹られながらも隠し通そうとした?」
「……」
茨麻に返ったのは長い沈黙。けれどその沈黙こそが、何よりも確かな肯定だということを茨麻は知っていた。
「……曖」
「隠し通すことなど出来ませんでした――私は、エゴで初花をこの村から引き離し、そして傷つけただけ」
茨麻の言葉を遮って曖花は辛そうに告げた。
例えそれが真実でも――
「それでも貴方が、それを認めてはいけないのでは?」
慰めるように掛けられた言葉に、曖花は苦笑した。
「“悪役”に徹すると決めたとき、こう言われる事は理解していました。私は大丈夫です」
――そう、私は大丈夫
こうすると決めたのは、この道を選んだのは私。
だから、生きていける。
そこまで考えて、曖花は苦笑した。
死したはずの自分――それが現世にあるのは、茨麻の結花への想いと、僅かな幸運と偶然。
本来ならばこの場には存在する事すら叶わなかった。
ゆえに、茨麻の願いは叶わなかったのだから。
「ちっ」
思考に入ってきた茨麻の舌打ちに現実に引き戻された曖花は、一瞬だけ眉を顰めて茨麻を襲おうとしていた焔に自らの能力をぶつけた。
「なっ!」
まさか自分の生み出した焔が相殺されるとは思っていなかったのだろう――驚いて目を見開いている初花に、曖花は苦笑した。
「感情的になりすぎていますね、それではせっかくの能力も宝の持ち腐れというものでしょう……そんな使い方しか出来ないのなら」
ポツリと警告とも忠告とも取れる言葉を残し、曖花は茨麻と共にその場から姿を消した。
――今、覚醒し始めた初から離れるために。
忠告のような言葉を残された初は、呆然と二人の消えた空間を見つめていた。
二人が消える瞬間――
曖花はどこか悲しそうな、けれど嬉しそうな、慈愛に満ちた瞳を初に向けていた。
「なんで……」
呆然と呟かれた問いに返る言葉はなかった。
To be continued...