第7話 暴走
「涙花、彼女は本当に……」
困惑した様子で告げる羽矩に、涙花は困ったように首を傾げた。
「判りません、彼女が“初花”である確証が持てれば良いのですが……」
深く溜息を吐きながら、羽矩は夜空を見上げた。
「どうしたら……まさか!」
会話の途中で“それ”に気づいた羽矩は、草薙剣を部屋に置いてきた事を酷く後悔した。
「涙花――」
自分を庇おうとする羽矩に、悲しそうな表情で涙花は首を振った。
「大丈夫です。――青き焔よ、我が意のままに……」
「邸にまで、瘴気が……」
羽矩の言葉に、涙花は悲しそうに言った。
「羽矩、自分を盾にしないで……」
涙花の言葉に羽矩は目を見開き、涙花を抱きしめた。
「すまない……」
「もぅ、なんだかなぁ」
初達は央雅の邸――客間を借りて眠っていた。とは言っても、大怪我人である愛実は薬術師である真白と同室でこの部屋にはいないし、男性二人も他の部屋で寝ているのだが――
普段は寝つきもよく、断眠などしたことのなかった初だったが、未だに頭の中が混乱して眠れずにいた。
「あぁ、もう!」
僅かな物音でも起きられるという特技を持ったアリアを起こさないように、あくまで小声で唸った初は、寝所から抜け出した。
さすがに単だけでは忍びなく、袿を一枚着る。そして音を立てないように慎重に部屋を出た。
「はぁ」
部屋を出る事でさらに疲労した初は、溜息をつきながら廊下を歩いていた。
黙々と考えながら歩いていたせいで、渡殿までもひたすら歩き続けていた初は、人の声に足音を止めた。
「――ない」
驚いて目を見開いた初は、思わずその場で立ち止まり聞き耳を立ててしまった。
「――愛してる……」
初に告げられた言葉ではない事は理解していたが、ハッキリと告げられた言葉に初は顔を真っ赤にし、足音を立てないように慌ててその場から立ち去った。
「い、いまのって涙花さんと羽矩さんの声だったよね? あの二人ってそういう関係だったんだぁ……」
「涙花と羽矩は幼馴染からそのまま恋人になった恋人同士、確かもう婚約もしてたはずだから」
「へぇ……」
ピシッ
ボソボソと、自分一人にしか聞こえない位の声で呟いていた初に、どこからか声が掛かり、初は再び硬直した。
「覗きはあまりいい趣味じゃないと思うけど?」
あまりの呑気そうな声に初は思わず庭に目を向け、その場にいた人物に再び驚いて硬直した。
「嵐……?」
その問いが疑問系だったのは、初が知っている嵐と今、目の前――木の枝に腰掛けていたのだが――にいる嵐がまるで別人のように見えたからだった
日本人とは思えないほど整った白磁に近い肌に、長い蒼の髪。
暗闇に光るのは、深い緑の双眸。
着崩している着物から覗く肌は月の光を浴びて、これ以上ないくらい妖艶さを演出していた。
「何でそんなに艶っぽいの……?」
男性であるはずなのに、そこらの女性より――というか、自分より百倍は色気が滲み出ている嵐に思わず呆然と呟いてしまった後、初は頬を染めて視線を逸らした。
「何でそんな格好で、そんなところにいるの!?」
慌てて視線を逸らした初に苦笑し、嵐は事も無げに口を開いた。
「涼んでる、とでも言うのかな。ココ、俺の指定席」
からかい半分――そして含みを持たせたその口調に、初は顔を上げて嵐を見据え、少し躊躇いがちに口を開いた。
「嵐って、この村の出身なんでしょ?」
質問ではない――疑問ではあるが、すでに確信を抱いているらしい初に、嵐は溜息を一つ吐くと頷いた。
「“岡崎嵐”は仮の名前。本当は武藤藍――央雅の姫を護る、守人一族の跡継ぎ候補の一人」
月を見上げながらどことなく哀愁を漂わせ告げる嵐――いや藍に、初は仕方ないとばかりに肩を竦め溜息を落とした。
「やっぱり。じゃ、私がこの村――央雅に関わっている可能性は高いということだ」
初の言葉に訝しげに初を見つめた藍に、初はくすくすと微笑を零して言った。
「だって、そうでしょ? 藍がこの村を出た理由は、母様か姉様――両方かな、の監視じゃないの? ……それと、私が『妹姫』かどうかの選定」
悪戯が成功した時の子供のように笑っている初を見ながら、藍は深く、深~く目の前にいる幼馴染の洞察力に感嘆の溜息を漏らした。
「そこまで判るものか……?」
「最初はわかんなかったんだけどね。何せ藍は秘密主義でしょ。でも一久からこの村の噂を聞いたときに……少し間があったからね」
うっすらと目尻に涙までためて笑いながら言う初に、藍は苦笑した。
「あんなもんで判ったのか?」
「ん、まぁ。これでも十年ほどは藍と顔つき合わせてる仲だしね……愛実はどうかわかんないけど、アリアは多分気づいているよ?」
「一久は半々くらいかなぁ……」
どこか愉しげに告げられた初に苦笑していると、突然の不快感に襲われた。
拭えない不快な感覚に初は身体を強張らせ、藍は着崩れを直して庭に足をつけた。
「藍、これって……」
「大丈夫だ」
不安気に呟く初を庇えるように少しずつ近づきながら藍が囁いた。
「何……? やだ……」
いつもとは異なる初の態度に少し疑問を感じながら、藍は慎重に初との距離を詰めていた。
藍がいつも以上に気を張りながら初を守ろうとしている中で、初は瘴気の影響を受けて、この地の過去を視ていた。――いや、見せられていた、というべきか。
闇の祭壇に立つのは、長い栗色の髪と翡翠の瞳を持つ少女――一見しただけでは涙花と判別が付かないほど、彼女は涙花に酷似していた。
『――なぜ、ですか?』
声も口調も涙花と酷似している少女は、一人の青年に向かって訊いた。
『私は――』
告げられた絶望的な言葉に、少女は涙を流した。
『貴方は……』
言葉を途中で切り、少女は首を振って青年から視線を逸らした。
『いいえ……“だから”なのですね』
少女の言葉に青年は軽く目を見開き、口を開きかけた。
『憐花……』
『分かりました』
青年の言葉を意図的に遮り、少女は持っていた小太刀で長い髪を切断した。
そして妖艶に微笑み、青年の影に隠れていた少女を見据えた。
『結花、貴方にも私と同じ絶望を』
『姉様!』
愕然とした表情で“叔母”を見つめた少女は、彼女から発せられた瘴気にに全身を包まれた。
『自分』に向けられた憐花の悪意に、初は無意識の内に悲鳴を上げていた。
「いやぁああ!!」
尋常ではない初の叫び声に、藍はおろか離れた所にいたはずの涙花と羽矩――挙句の果てには眠っていたはずのアリアまでもが集まってきた。
「初!」
二人の元に駆けつけた三人が見たものは、恐怖に暴走する初の――
漆黒――深い青とも見える、瘴気を燃やし尽くす焔だった。
To be continued...