第6話 禁忌の契約
「……結花」
とろける様な甘いその声に、人形のようにピクリとも動かなかった少女が顔を上げた
「……だぁれ?」
訊ねられた言葉に青年は一瞬悲しそうに目を伏せ、微笑みかけた。
「茨麻、だよ」
青年――茨麻の言葉に結花は首を傾げて少し考えた後、嬉しそうに茨麻に微笑みかけた。
「茨麻」
それは、絶望への序章。
茨麻が選んだ、破滅への道――
「愛実!」
まるで『物』同然の扱いを受けている愛実を見てかつてないほど怒っていた初は、愛実に縋りつく一久を引き剥がし、愛実の背と膝裏に手を入れ、愛実を抱き上げた。
「この村の医者は!?」
一久を完全無視し、愛実の姿に戸惑っていた羽矩と嵐に怒鳴りつけるように訊いた。
「医者……?」
訝しげな表情をしてポツリと漏らされた羽矩の言葉に、長い付き合いから初が本気で怒っている事を悟った嵐が慌てて遮った。
「羽矩、薬術師は?」
「志央姫蜜月華仙女――西園寺真白なら、央雅の邸にいると思うが……」
初の勇ましさに圧倒されている羽矩からこの村の医者――薬術師の居場所を聞きだした初は、愛実を抱いたまま振り返った。
「先に戻っているから!」
唖然としている三人に一言残すと、怪我人を抱きしめているため走ってはいなかったが、今来た道をものすごい勢いで戻り始めた。
後に残されたのは呆然としている一久と――
「勇ましいな……」
ポソリと漏らされた嵐の言葉に、羽矩がどこか呆然としながら無意識に「アイツ、生まれてくる性別間違えたんじゃないか?」という、初が聞いていたら張り倒されそうな感想を零した。
××××
黄泉の牢には行かずに、部屋で待っていた涙花とアリアに事の顛末を伝えたのは、愛実が治療を終えた後だった。
治療を終えたといっても、愛実は二度と左腕を使うことなど出来ないが……。
発見が早く、出血多量で死ぬ事だけは免れた。
「何で、愛実が……」
ポソリと漏らされた言葉と共に、静かに怒気を放っているのは今まで愛実の状況を理解しきれていなかったアリアだった。
一方それを今まで鏡を覗き込みながら聞いていた涙花は、深く溜息を吐いた。
「初様、鏡の中に何か見えますか?」
そう言って、今まで愛実の話をまるで聞いていなかったかのように鏡――八咫鏡を差し出した涙花を見て、押さえていた怒りが溢れそうになった初は、深く深呼吸をすると鏡を覗き込んだ。
そこに映っているのは自分ではなく、栗色の長い髪をした少女――
「え、何で……?」
――涙花だった。
どこか困惑している様子の初を見て、涙花は再び深い溜息を吐いた。
「そこに映っているのは『結花』――私の双子の妹にあたります」
涙花の言葉に、羽矩と嵐は驚愕したように涙花を見て、アリアは初の横から鏡を覗き込んだ。(ちなみに一久は愛実の側を離れ難いらしく、現在この部屋にはいなかった)
「嘘……そっくり」
ポソリと漏らされたアリアの言葉に、涙花は困ったように続けた。
「水無鬼――央雅では双子が生まれる事が多いんです。私も、そして従兄に当たる羽矩も」
その言葉に、初は目を見開いて訊いた。
「じゃあ、茨麻って人は……」
「俺の弟だ」
初の言葉に間髪いれずに羽矩が答え、羽矩は涙花に詰め寄った。
「どういうことだ?」
切迫した空気を持つ羽矩に涙花は困ったように首を振り、初から鏡を受け取った。
「先ほど――皆様が黄泉の牢に行った後からずっと結花が映り続けています。そして愛実様のあの様子、あまり考えたくないことですが……」
躊躇いながら言われた言葉に、驚愕しながら口を開いたのは嵐だった。
「まさか、茨麻が『死還術』を……?」
嵐の言葉に、涙花は困ったように頷いた。
「はい、けれど茨麻は『魂呼』――招魂が不可能です。死還術で結花の“器”を蘇らせ、“魂”は『他のもの』を代用させる可能性があります」
理解できない言葉で進められていく会話に、初が口を挟んだ。
「ちょっと待って、『死還術』やら『魂呼』って何? 何のことを言っているの?」
困惑している初とアリアを見て、嵐が困ったように説明を始めた。
「『死還術』というのは、死んだ人間を蘇らせるといわれている術――普通は不可能だし、水無鬼でも禁忌だからやろうとする人間はいないけれど」
嵐の説明に続けて、涙花が二人に向き直った。
「招魂――『魂呼』と呼ばれるのは、死した人の心、即ち魂を現世に戻すといわれている術です。こちらも使うことを禁止されていて、死還術と招魂の両方を使用し、死者を蘇らせる禁術といわれています」
二人の言葉に初は驚き、アリアが溜息を吐いた。
「結花って人、亡くなったの……?」
「本気で死んだ人間が生き返るとでも?」
驚いて悲しそうに言った初に微笑み、嫌そうに告げられたアリアの言葉に涙花は首を振った。
「私もそうは思いません。けれど確かにそれを信じる方もいます。そして、茨麻はそれを信じて実行して、そうして成功させてしまったんです。結花の器を現世に呼び戻す事に」
涙花の言葉を聞いて、アリアが困惑した様子で頭を押さえた。
「あぁ! もう! 全っ然理解不能!」
アリアの性格や頭の良さから、理解出来ないのではなく、理解しないのだと判断した初は、困ったように呟いた。
「姉様――瑞花姉様ならこういう話、知っていたと思うけど……」
独り言のつもりで呟いた言葉に、羽矩が言葉を返した。
「その瑞花って言うのは……?」
自分の独り言に興味を示した羽矩に驚きながら、初は困惑しながら答えた。
「さっきも言ったと思うけど、吉原で行方不明になった私の、姉……」
困惑しながら言われた言葉に、羽矩は苦笑して言った。
「違う、そうじゃなくて……瑞々しいの『瑞』に、『花』?」
空中に指で文字を書いて聞いてきた羽矩に、初は何を聞きたいのかを理解して頷いた。
「はい、それで瑞花――蒼羽、瑞花です」
告げられた初の言葉に、羽矩だけでなく嵐と涙花も硬直した。
「蒼羽……?」
驚いている嵐に微かに疑問を覚えながらも、初は頷いた。
「そう、蒼穹の蒼に、羽で、蒼羽。大切な友達から借りた名字だって、笑って言っていたけど……?」
驚いている三人に疑問を覚えながらも、初は幼い頃に聞いた姉の言葉を思い出していた。
「花の文字で、友人の名字が蒼羽、ですか……?」
ポツリと漏らされた涙花の言葉に、羽矩が眉根を寄せて呟いた。
「茨麻は、勘だけはいいからな……」
初からしてみれば疑問符しか浮かばない言葉に、嵐が困惑しながら言った。
「それならやっぱり、初が……行方不明の涙花の妹姫か?」
嵐の言葉に、初だけでなくアリアまでも固まり、涙花は困ったように頷いた。
「可能性は、あります。姉上は初花を連れこの地から姿を消し、“あの日”村へ帰ってきたのですから……」
“行方不明”
“あの日”
そしてお伽話として聞かされた、水無鬼の伝承。
涙花たちの話している事の中で理解できる事は少なかったが、唯一つ確かに判る事があった。
もう、戻れないという事。
望む、望まざると関わらず、巻き込まれてしまったのだ。
それは、生まれたときからすでに決められていたのかもしれない。
「一体、どういうこと……?」
驚愕して漏らされた初の言葉は、その場の皆の気持ちを代弁しているようなものだった。
To be continued...