第13話 生贄の娘
「どういうつもりだ!」
羽矩から少し遅れて闇の祭壇に向かっていた三人は、闇の祭壇内から聞こえる羽矩の怒号に驚いて足を止めた。
「今のって……」
驚きに目を瞬かせている初花に、藍は表情を引き締めた。
「羽矩!」
たとえどんな事があってもあまり感情を顕にしない羽矩の怒号を聞いて、藍は慌てて闇の祭壇に足を踏み入れた。
色とりどりの花びらが舞う幻想的なその場所では、薄く幾つもの裂傷を負っている羽矩と――
「愛、実……?」
呆然とその少女の名前を口にしたのは誰だったか……。
そこには、見慣れたはずの金に近い茶色の髪をした、砂糖菓子のような幼馴染が立っていた。
――悪夢だと、思った。
色とりどりの花が舞うその場所には不釣合いな悪意の塊。
憎悪、怨恨、この世の悪意全てが凝縮したような『それ』を纏っていたのは、あまりにも見慣れてしまっていた姿。
「っう……」
瘴気のあまりの大きさに初花は思わず愛実から視線を逸らし、口を覆った。
「なんだ、コレは……」
鋭敏、とは言えない感覚を持つ藍でもとても正視することは出来ないその瘴気に、呆然と口を開いた。
――気持ち、悪い……
『瘴気』と呼ばれるものを最も敏感に感じ取ってしまう“央雅の姫”である初花は、あまりの気持ち悪さに顔を蒼白にし、それでも倒れる事のないように膝に手をつき体を支えた。
「ぐっ……」
不意に胃液が込み上げてきたのを感じた初花は、必死にそれに耐えていた。
「初!」
そんな初花の様子に気づいた藍は口の中で言葉を紡ぎ、初花の額に手を触れた。
「……っふ」
「初は能力の訓練を受けた事はなかったんだな……気づかなくてすまない。簡易結界をはった。しばらくは大丈夫のはずだ」
藍のおかげで先ほどよりは幾分楽になった初花は、何とか態勢を整えた。
「憐花!」
どこかうっすらと微笑みすらも浮かべる愛実に、羽矩は射殺すような視線を投げかけた。
「随分と……頭が固くなってしまったようですね? 羽矩」
愛実の顔で、その声で告げられた言葉は愛実からはけして聞いた事はない、他人を見下すような口調。
「――憐花っ」
驚きながらも憎むような目でその名前を口にした藍に、愛実――憐花は微笑んだ。
「貴方が“藍”ね……蒼哉の息子なのに、拓水によく似ています」
どこか嬉しそうに告げた憐花は、藍を通して自分の想い人の面影をなぞっているようだった。
「憐、花……?」
不思議そうに名前を呟いた初花に、羽矩は憐花を睨みつけたまま口を開いた。
「央雅憐花。初花の母親、花恩の双子の妹で……自分の愛情を拓水に押し付けるためだけに結花を殺した張本人だ」
苛立たし気に吐き捨てたような羽矩の言葉に、憐花は眉を顰めて口を開いた。
「“押し付ける”……? 可笑しな事言わないでくださいな。私は拓水を、あの泥棒猫から取り返しただけです。姉上に似て、本当に狡賢い子……蒼茨様を私から奪っただけでは足りなく、拓水まで奪ったのですから」
「狡賢い? ふざけた事を!」
憐花の言葉に激昂した羽矩に、憐花は羽矩を睨みつけた。
「あぁ、羽矩は涙花の恋人だものね、結花と涙花は仲の良い姉妹なのだから……本当に狡い子。周り全てを味方につけ、いかにも自分が正しいかのように振る舞い私から全てを奪っていくのだから――」
“自分以外は敵”だと思い込んでいるような憐花の言葉に、曖花の視点で見た彼女との違和感を覚えた初花は、呆然としたまま口を開いた。
「瑞……曖花姉様は、そんなこと無いって……貴方はとても優しい人だって」
無意識の内に行ったような初花の言葉に、憐花は一瞬訝しげな表情を作り、自虐的に微笑んだ。
「姉上の娘なのに、随分と純真……曖花も貴方のような子だったら、死ぬ事など無かったのに」
“曖花も貴方のような子だったら、死ぬ事など無かったのに”
「え……」
殆ど独り言のような憐花の零した言葉に、初花は耳を疑った。
「まさか……!!」
「吉原で曖花を……水無鬼で結花の器で蘇った曖花を手にかけたのはお前か!」
驚愕したような羽矩の声と共に、激昂した藍の言葉があたりに響いた。
くすくすっ
驚愕している藍と激昂している羽矩の言葉に、憐花はさも当然のように悠然と微笑を浮かべていた。
「愛実……」
それまで呆然と傍観者に徹していた一久が、初めて口を開いた。
「うそ、だろ……」
愛実の――憐花の言葉にただ驚愕している一久に、憐花は冷めた瞳で一久を見つめた。
「お前は央雅の一族以上に、何も理解できない……恋人を気取っていたようだが、結局“譲原愛実”を知ろうとはしなかったのだから」
それまでの声音から一変し、冷えたような、侮蔑に近い瞳を向けられた一久は、呆然としながらその言葉を聞いていた。
「ど……して」
憐花の言葉に驚いて声を漏らした初花に、憐花は目を細めた。
「初花……貴方は何も知らないのね。この村やこの村を恐れた者たちの業も、陰惨な歴史も」
憐花の言葉に益々混乱した初花をよそに、羽矩と藍は驚愕の表情を浮かべた。
「まさか……」
ポソリと零された羽矩の言葉に憐花は愉しそうに微笑んだ。
「そのまさか……“譲原愛実”はこの村――虚無湖に捧げられた生贄」
「稀に見る……水無鬼の外の依り代」
無意識の内に漏らした藍の言葉に、憐花は微笑んだまま頷いた。
「水無鬼を恐れた者たちが央雅に献上し、依り代となる能力を持っていたがために生きたまま虚無湖に沈められた、生贄の娘」
「そんな……っ!!」
驚愕に叫んだ初花の言葉に、憐花は哀れみの目を向けた。
「本当、央雅の姫として生まれてきたのが不思議なくらいに純真……でもね、虚無湖、人の力ではどうにもならない時に、人身御供は繰り返されてきた。時には神に、邪神に。そして、この村の虚無湖にさえも。そして……」
憐花は言葉を切り、自嘲するような表情を浮かべた。
「人身御供は切り捨てられた存在。望むものは何一つ手に入らず、入ったとしてもそれは泡沫の幻。私は、奪われたものを取り返そうとしただけ。愛実は、村を憎んだだけ。私と愛実の願いは同じ――だから、滅ぼすの」
自然と、それが正当だと言うような憐花の言葉に初花は呆然と憐花を見つめ、“それ”に気づいたら羽矩は憐花に切りかかり、藍は初花と一久を庇いながら結界をはった。
「そ……んな」
驚愕の事実に呆然としている初花に、視線は前を見据えながら藍が叫んだ。
「憐花の話に引きずられるな! 瘴気に呑まれるぞ!」
「藍……でも」
困惑しながらも必死に何かを訴えようとする初花に、藍は言い放った。
「初は何のためついてきた?」
藍の言葉に、初花は目を見開いた。
「それ、は……」
混乱しかけている初花に、藍は苦笑ともつかない微笑を浮かべた。
「俺じゃあ瘴気は祓えない……草薙剣にも限界がある。瘴気を祓うことが出来るのは、央雅の姫である“初花”だけなんだ……」
告げられた事実に初花は硬直し、手を握り締めた。
「初花も、この村を護りたいと思ってくれたのではないのか?」
藍の言葉に導かれるように、初花はゆっくりと顔を上げた。
To be continued...




