第1話 崩された平穏
「……お願い、します。殺して、ください」
“彼”を想っていたのと同じ時間だけ延ばした栗色の長い髪をなびかせて、紫の瞳を涙で潤ませた少女はポツリと“彼女”に向かって言った。
少女の膝には少女自身の愛した、たった一人の人の頭が乗せられていた。
その胸から、血を流して。
「姉、様……」
辛そうに、困惑した様子で告げられた声に、少女は儚く微笑んだ。
それが、少女の姉が初めて少女に笑顔を見せた、最期の微笑だった……。
外部を一切拒絶するかのような、天然の要塞とも言われる“水無鬼”
その場所に住むのは人ならざる一族。人とは異なる能力を持ち、近隣の村々から年頃の少女を望月の夜、攫って行くという。
攫われた少女のその後は知れない、けれど彼女達が戻ってくる事は二度とない。
××××
このごろまことしやかに村に蔓延している噂をこの日初めて耳にした初は、呆れて溜息をついた。
「はぁ、皆、暇ねー」
聞きたいと強請ったのは初だったはずだが、すでに初は会話に参加する気すらないらしく、文机の上に積まれていた書類に目を通し始めた。
「ちょっと待て! 初が聞きたいって言うからわざわざ聞いてきたのに……」
まさか「続きを聞きたい」だとか感謝の気持ちを表してもらおうなどとはこの幼馴染には欠片とて期待してはいなかったが、あまりといえばあまりにもな態度に一久は一瞬、本気で切れかけた。
「……今回は初に同感」
「同じく」
続けられた幼馴染達の言葉に、一久は思わずまだ一言も発言していない少女を振り返った。
「カズ、でも私もそう思うよー?」
フォローに廻ってくれると思っていた幼馴染兼、恋人にまで見放された一久は、この中で唯一年上の嵐――と言っても彼も一久の言葉を否定してはいたのだが――に泣きついた。
そんな一久を横目で見て、あからさまに溜息をつくと初は書類を見ながら言葉を発した。
「まず第一に外部を拒絶するような天然要塞の村なんて、この辺りでは見たことがないわ。それにそれならば内部からも出る事が出来ないはず。完全に隔絶されることがない場合、ありえない。そして、完全に隔絶した場所で村を――なんてほぼ不可能に近いでしょ、やったこともなければ、やる気もないけれど。第二に、誘拐は夜やるのが相場と決まっているようなものでしょう? 真っ昼間から誘拐なんて、それこそありえないわ。第三に誘拐するなら年頃の女子が一番効率いいでしょう? 誘拐犯が男なら反抗してもたいした事は無い、その上誘拐されたあとの使い道は遊女なり、下働きなり様々。そう考えた時に帰ってくると期待する方が無駄! そして私は時間を無駄に使う暇なんて欠片たりともないのよ! お祖父様が倒れた上に兄上が今、村にはいないのだから!」
正論理詰めで泣きついている一久を切って捨て、初は机の上に山積みされていた書類の半分を一久に押し付けた。
「これを役場まで届けて、もっと有意義な情報を貰ってきて頂戴。もしも噂が本当でも、水無鬼とやらの村の所在が分からない以上、誘拐された村娘に辿りついたりなんかしないんだから」
さらりと流されて渡された書類を握り、かなりのダメージを受けた一久は、滂沱の涙を流しながら役場へとトボトボ歩いていった。
「いってらっしゃい」
語尾にハートマークでも付いていそうな勢いで、一久の背中に恋人の愛実の声が掛かったのもいつもの事。
そんな様子に溜息をついて、嵐は初の文机に山のように残されている書類のチェックを手伝いながら、初に聞いた。
「晴彦さん、帰ってくるのって半月後だっけ?」
「そう、都まで行くらしいしね。もう何だって兄上がいない時に限ってギックリ腰なんて……」
溜息をつきいやいや、というポーズをしている初に、嵐はクスクスと笑みを零した。
「それでも村の仕事を手伝うのは好きなんだろ? それにそうはいっても村長の事を誰よりも心配しているのはやっぱり初だし」
何もかもお見通しだ。とでも言外に匂わせる嵐に、初は少しむくれて言った。
「だって、村は私の居場所だもの。私を私として認めてくれる唯一の場所。絶対なくしたくはないんだもの」
照れているのを隠しながらむくれている初に、それまで黙って聞いていたアリアが訊いた。
「そして誘拐された人たちを探しているのは、もうあんな思いをする人がいて欲しくないから?」
アリアの言葉に、初は複雑そうに頷いた。
「そう、あんな思いをする人は、少ない方が良いんだよ……」
ポソリと告げられた初の言葉は、彼ら五人にとっては共通点だった。
性別も違う、生まれ育った場所も、環境も。
共通の趣味があるわけでもなく、また協調性があるわけでもない五人がこうして一緒にいるのは、ただ一つの共通点があったからだった。
両親が、いない。
そして誰も、片親の顔を知らないというのがこの不思議な幼馴染達の共通点だった
少なくとも初は父の顔を知らず、遊郭で働いている母に育てられた。アリアとはそこで出会い、それからなぜかずっと共にいる。
一久と愛実は家が隣の、それこそ生まれたときから一緒という関係で、火事で家と親を失い、一久の叔父夫婦を頼ってこの村に来たという。
この中で一番分からないのは嵐で、ある日遊郭――吉原にふらりと現れた男の子とは思えないほどの美貌を持つ少年だった。
初とアリアの母親が病気で亡くなり、それから二人の母の故郷を訪ねて――天涯孤独の嵐と共に村に来たのが六年ほど前。
この村に来る少し前に偶然出会った青年が晴彦――初の義兄――で、三人まとめて引き取られ、自分たちも両親がいないという一久と愛実とつるむようになった。
バタバタ
異常とも言える位うるさい足音で、深い思考の海に埋もれていた初は現実に引き戻された。
村長の家であるこの建物に気軽に立ち入る事が出来、尚且つこんな足音を立てるのは、先刻役場に向かわせたはずの一久だけで……。
「初!」
「うるさい!」
ガラリと荒々しく入ってきた一久めがけて、初は部屋の片隅に押しやられていた書物の中から、兄が土産と称して持ってきてくれた分厚い医学書を投げつけた。
バコン――
手加減、遠慮、一切なしの分厚い本を顔面に受けた一久は、その場で呻いた。
「~っいきなり何すんだよ!?」
そういいながら乱暴なしぐさで本を投げ返した一久に、初は食って掛かった。
「ちょっとそんな乱暴な扱いしないでよ! その本、兄様に頂いた大切な医学書なんだから」
「イキナリ本を投げるなと――」
その場で言い争いをはじめた二人をよそに、他の三人は『そんな大事な医学書なら投げつけるなよ』と心の中で突っ込んだ。
To be continued...
初投稿が14年前とかなっているんですが……。
個人的にはこのシリーズは大切で大好きなので、メインで使っていたホームページのサービス終了で消滅してしまう前にこちらに移行しました。