4話
ぬ、抜けた。
背丈以上もある藪を、掻き分けるようにして進み続け、ようやく開けた場所に出た。
「!!」
街路樹のようなものだろうか、列植されたように等間隔に植えられた広葉の木々の先に目を引くものが一つ。ごみ溜めを抜け出して以降、ようやく出会えた人工物。
それは単なる木柵。
されど人の営みの証である。
小石を踏むことも厭わずに駆け出すと、1分とたたずにたどり着く。
「街道だー!」
木柵は随分と長く続いている。
また、木柵の向こう、腰ほどの高さのそれを乗り越えた先は未舗装とはいえ均された地面で、かすれてこそいるが車輪の轍すらも見て取れる。
ようやく見つけた人のにおいに、テンションはうなぎのぼりに上がっていった。
ごみ山目覚めてから、およそ五日後の出来事である。
***
池のほとりで目覚めてから、朝食をよこせとばかりに訴える腹をなだめるために道中リンゴを探しながら山を歩き回った。
化け物鹿を避けるのはもはや運だと半ば諦め、ともかく山を下ることを重視した。
遭難した場合は山を上れ、と聞いた覚えがあるのだが、悲しいことに救助など絶対来ないとわかっている以上、自力で下りるしかないのだ。
危険を承知で、川でもあればと池沿いに少し歩いたが、どうも堰止湖の類ではないらしく、近くに分離したであろう河川らしきものは流れていないようだった。
向こう岸ならいざ知らずだが、泳いで渡る気はまるでしない。ぐるりと回れば可能だが、どこまで続いているかわからない。
結局下りになるような道を選んで歩くほかなく、あとできることといえばは時折果実をつまんだり、見かけた湧き水で喉を潤す。そして、天候に恵まれること、化け物に出会わないことを祈るばかりだった。
まあ、結局祈りは届かず、化け物鹿のほか化け物蛇や化け物鳥などに何度か遭遇することになったのだが。
どうもこの山の動物たちはみな隆々とした肉体を持っているようで、いちいち命の危険を感じてしまう。リスやウサギ、小鳥のような可愛らしい小動物なぞは一切いない。
いるのは気の狂った巨大怪獣ばかり。
もしやあれがファンタジーでお馴染みの魔物というやつだったのだろうか。完全にフィールドボスクラスだろうと思っていたのだが、あれが雑魚扱いされるような世界観なのだとしたら、自分は町に引きこもって町人Jあたりに徹したい。あんなのを相手にする日常なんて、想像もしたくなかった。
幸いだったのは、彼らは皆草食……なんてことはないだろうが、ほぼ丸腰の獲物である自分に興味を示すものがはほとんどいなかったことだ。
怪魚は別。あいつはダメ。
怪魚を除くと皆自分のことなど眼中にないとばかりに、大蛇ならば大きな岩を締め上げ粉砕していたり。大鳥ならば大空を曲芸飛行していたり。大鼠ならば無心に斜面を掘り続けたりと、ただの習性と言っていいのかわからないような行動を繰り返すばかりであった。
求愛行動でももっと自重しているだろうよと言いたくなるほど、どれもスケールが大胆なもので、かつ病的な執着を見せていたように思える。
たった一度だけ、連中の食事シーンに遭遇してしまうこともあった。
何やらブンブンうるさいなと、もしやハチかと身構えたのだが目に映ったのはかの化け物鹿の死体。別個体だとは思うがあの化け物が死んでいるなどと予想外すぎたので目を丸くして凝視してしまった。
するとどうだろうか、あの巨体に群がる黒い毛むくじゃらの何かが見える。
近寄ることなく木陰から目を凝らすと、それは足の裏ほどの大きさの肉食アブが獲物の死骸に集っているところだった。
あるいはあれが一番命の危険を感じたものだったかもしれない。
ムシヒキアブと分類されるものによく似た髭もじゃにサングラスをかけたようないかついアブ数匹が、化け物サイズの鹿に張り付いて口吻を突き刺していた。
こちらに気付かなかったのか、死肉専門だったのか、寄ってくることはなかったが「虫すらもこんななのか!」と恐ろしく思ったものである。少しばかりちびりもした。
また、下山の途中、標高の変化からか植生が変わり、リンゴ似の果実のなる木が見当たらなくなってしまった。なんとか在庫が切れる前に山を下りきることができたが、もう少し彷徨っていればドキドキフルーツチャレンジをしなければならないところだった。
前例があるため、特別毒なんてないんじゃないかとは思うのだが、常識の通じぬ世界でそんな甘い考えではきっとダメだろう。
異世界探検の最初で最大の問題点はその知識不足かもしれない。
何が安全で何がタブーなのかがわからず、食事一つままならない。
ともかく、早いところ安全な寝床で安全な食事と睡眠をとりたいものであった。
***
かくして苦節の果てに人の営みに寄り添う第一歩を踏み出すことに成功したわけだ。
人に出会ったわけでなく、ただの木柵、ただの街道を見つけて喜んでしまうのもまた、仕方ないことなのだ。
街道ならば、どちらに歩いてもいずれは人里にたどり着くだろう。そうはいっても近い遠いの違いはあるので、どちらに進むかでなかなかに迷ってしまう。
辺りは見渡す限りに何もない。
背にはたった今下りてきた黒々と連なる山々と、それを遮るようにして生える、まるで手の加わった様子のない麓の草藪、そして列植された木々。
加えてすっかり風化し色褪せた木柵が長く長く続いている様はここから向こうがまるで禁足地であるかとばかりに仕切られている。
一方で正面、山の反対側は対照的に見渡す限りの緩やかな丘陵地で、芝生の地面が広がっている。
牧草地のような場所だ。
時折灌木らしきものが見えるくらいで、せいぜいがなだらかな起伏しかない穏やかな光景。
もしやこの木柵も、放牧している動物が向こう側へと越えていかないように建てられているのかもしれない。
温厚な家畜があの山に分け入りでもしたら、まあ餌になるかはわからないが化け物鹿の暴力をはじめ、巻き込まれて即ひき肉だろう。
当然山に戻る気は一切ないので、とにかく街道を歩きながら牧草地のほうを眺め続ける。
農家さんの小屋か何かでもないかと目を凝らして探しているのだが、見渡す限りに何もない。
放牧地と仮定すると、放牧地と畜舎の距離を離し過ぎるとはあまり考えられないのだが、実際の酪農は知識なんてない自分の想像よりさらにスケールが大きいものなのかもしれない。
いつのまにか日も傾いてきた。このままではまたも野宿になってしまう。
肩を落としながら歩くこと幾ばくか。
影法師も背高のっぽになったころ、風に乗ってかほんのりと獣臭さと、野太い「めぇめぇ」と何かの鳴き声が聞こえてきた。
何か、とはいえ姿が見えないだけでおそらく羊か山羊だろう。
目を皿にして音の出どころを探すと、少し小高くなっていた丘の向こうからずいぶん大きな羊と、羊に乗った人間らしきものが見て取れた。
あいにく逆光で詳細はわからなかったが、シルエットからして人に間違いない。つば広のハットをかぶり、羊にまたがるのは一風変わったカウボーイに見えた。
とうとう人を見つけたと、疲れ切っていた足にも気力が戻り、芝生の元をパタパタと駆け出した。
「おーいっ!」
大きく片手を振りながら駆け寄るも、人を見つけたあまりの嬉しさからか、何もない大地の上で転んでしまったりもした。
顔を上げると丘からたくさんの羊を引き連れながら二人の人物がやってくるのが見えた。
近くまでくるとその姿がようやくわかる。
カウボーイハットに、ケープのようなものを羽織った男性二人。
一人は髭もじゃの老年の男性で、もう一人は幾分若く、壮年期に入ったばかりといった顔。日に焼け、掘りの深いヨーロピアンの顔立ちをしている。
老年の男性が景気よく手を振り返してくれているのが見て取れたが、いまさらになって一つ心配事を思い出してしまっていた。
〝言葉は通じるのだろうか〟。
正直通じなかったら詰んでいる。
まあ、なるようにしかならないか。
いそいそと立ち上がり、シャツにへばりついていた草を払うと、再び羊の群れのほうへと駆け出した。
***
出会って最初の一言が、
「お前さん随分ひどい恰好だなあ。なんだ、追剥か人さらいから逃げてきたのか」
といったものだった。
随分と驚いたように老年の男性、後にジョフロワと名乗った男性が開口一番にそう話しかけてきたのだ。
ちなみに、
「きっと人さらいのほうでしょうよ、お父さん。こりゃあ匿ってやりゃにゃあな」
と、オラースと名乗った男性が相槌をうっていた。
話が通じることに若干の驚きとそれ以上安堵感を胸に、しばし固まっていたのだが、それらをまとめて胸に秘め、
「えっと、まあ、そんなところです」
と、実際は全然的外れであるということを隠して、曖昧に頷いていた。
いや、もしかしたら人さらいというのはあながち間違いじゃないかもしれない。気づいたらごみ溜めの中――全然別人の体になってだが――にいたのだから。
そんなことは露も知らないジョフロワさんもオラースさんも、自分の境遇を気の毒に思ったのか、「今日はうちに泊まっていきなさい」と、招待状代わりに温かい手で羊の上に引っ張り上げてくれた。
かつての不安など杞憂でしかなかったと、嬉しさを噛みしめながら自分はその手を取った。
思わず涙ぐんでさえしまう。
薄暗さはてんで味方をしてくれず、陽気に笑うジョフロワさんに頭をくしゃくしゃに撫でられてしまった。
久々の人との触れ合いは随分ごつごつとしていた。
彼の前に座るように羊の上に乗せられたのだが「随分臭いなあ、お前さん」と言われ感極まった涙もどこかへ吹っ飛んでしまったりもした。
「アン坊、もうすぐ着くかんな」
なれない馬上ならぬ羊上でのバランスとりに苦戦していると、つむじのあたりをごつごつとした手で撫でられた。
くすぐったいのと、ちょっとばかし痛いので逃げようと体をくねるも、無遠慮に撫でるのは頭一つ鷲掴みできそうなほど大きな手で、逃れようなど初めからなかった。
ちなみにアン坊、というのは自分のことである。
自分の名前は「アンジュラ」だ、と言ったら「おう、変な名前だなあ」と一蹴されてしまい、アン坊と呼ばれているのだ。
おそらく顔と全く合わないだろう元の名前を名乗るのもどうかと思われ、名を聞かれたときのために考えていたのだが、不評らしい。
「まあ、外国の子なのかもしれませんよ」と、オラースさんに苦笑しながらフォローされたのが余計に空しかった。
タローだサトーだ言われたほうがよっぽど変だろう! と勝手に憤るが、全部胸の内でのみの激情である。
「そういやジョフ爺って羊飼いなんだよね」
「そりゃあ、見りゃわかるだろうさ」
「じゃあさ、なんで羊に乗ってるの」
というかこの羊大きくない? という言葉は呑み込んで。この世界では常識かもしれない。
なんで羊に乗っているのか、というのは純粋な疑問だ。いわゆるカウボーイと呼ばれる人たちはどうも馬か牛かに乗っているイメージだったのだ。
「羊飼いなんだ、乗ったりもするだろう。こんなにでっけえんだ、いかつい大人一人乗ったくらいじゃあ怒ったりしねえさ」
豪放な性格らしく、もっともらしい返答などは返ってこなかった。ちらと隣に並ぶオラースさんの方を見たところで助け舟は出る様子もない。
「馬に乗ってるイメージだったんだけどな」
イメージとのズレに落胆している風を装ってと、反応を伺ってみた。
子供が遠慮するなと、下手に敬語を使うことを禁止されてしまったのだが子供らしい振る舞いのほうが案外難しかったりする。何より気恥ずかしいのだ。
「馬かあ、馬は高くてなあ」
ジョフロワさんはシミジミといった風にこぼした。
「うちでも昔は飼っていたんだよ。そうはいってもまだ僕が子供の頃のことだけどね。ただどうも、ここらの草は馬に合わないようでいちいち干し草を取り寄せないといけないのさ。だからまあ、僕らは馬じゃなくて羊に乗るしかないんだよ。幸いここいらの家畜はみんな大柄だしね」
後を継いだオラースさんは「不格好だけどね」と笑ってごまかした。
あとやっぱりこの羊はでかいのか。そりゃ本来人の腰ほどくらいしかないのに、体格のいい二人が乗っても地に足つかないくらいだからな。
馬ほど早くは歩きも走りもしないが、柔らかな毛皮に覆われた背は鞍いらずですらある。
乗りたくなる気持ちもわからなくない
もしかしたら山の動物たちも単に体格が恵まれているだけだったりするのだろうか。
異常行動の方は説明がつかないが。
「へえー、変な話だね。馬と羊って食べるもの違うんだ。草なら何でもいいと思っていたよ」
「そりゃあ馬にも羊にも山羊にも牛にも、グルメなやつだっているんじゃねえか? もしくは俺みたいに都会の珍しくて高い料理より、母ちゃんが作ってくれる野菜のスープの方が好きだったりな」
その例えだとここの牧草はどっちなのだろう。
「住んでるところの草がいい、ってのはあるんだろうね。ここら辺には馬はいないから」
オラースさんの補足がとてもありがたい。
何か聞くなら彼の方がいいかもしれない。
ジョフロワさんの言はどこか孫かひ孫でも相手にしているかのようなものばかりで、非常にむず痒い。
「アン坊は知りたがりだなあ、偉いぞう」
わしゃわしゃ撫でるのも止めていただきたい。このままでは子供ムーヴが板についてしまいそうだ……
「おうおう見えてきたぞ」
指さす先には柵に覆われた畜舎が。そこから更に行ったところに木造ながらも大きな平屋建てが建っていた。
本当はこんなものより色々聞きたいことがあったりするのだが、どう切り出すべきかと迷ってるうちにジョフロワさん宅に着いてしまった。




