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汝、深淵に呑まれることなかれ  作者: 南天
プロローグ
2/21

2話


 木々の合間から吹き付ける風がひんやりと心地よい。

 日が昇ってからは夜に感じていた過ごしやすい暖かさもどこへやら、辺りは蒸すような暑さに包まれた。暑いのとゴミ臭いのは合わせたらいけないと思うの。またリバースするところだった。


 結局、そろそろ曲がりそうだと鼻が不満を訴え始めたため仕方なく移動を余儀なくされてしまった。

 体も襤褸も、無駄に長い髪も全部が全部ゴミ臭くなってしまっているため、完全に逃れることこそできなかったが、臭いの大本から離れただけましだろう。

 曲がりそうだった鼻も今ではむずむずする程度である。

 これでも常なら胃をムカつかせるのに十分なレベルなのだが、慣れとは実にすごいものだ。でもゴミの臭いなんかに慣れたくなかった……



 これからの大きな指針としてはやはり人里を目指すというもの。

 これほどのゴミを捨てに来ているということはそこそこ大きな集落、都市なんかがあってもおかしくはないとは思うのだ。

 そのためまず林道にでて、森を抜けて、そして街道にでる。ごみ溜めの外周をぐるりと回ってみても人が通るような道がなかったのが少し気がかりではあるが、試してみるしか道はない。


 正直なところこの方針にも不安要素がないわけではない。ちゃんと人里に出られるか、という意味ではなくもっと根本的に。


 もし人に会えたとしても、受け入れてもらえるのか、というものだ。

 どう考えたところで、ここは慣れ親しんだ文化圏ではない……はっきり言って〝異世界〟である。

 そのため、まず言葉が通じるかがわからない。

 お金も持っていない。

 この世界の常識なんてまるでない。

 そしてこんなみすぼらしい恰好をした子供など不審に思われるだけでは済まない。


 という諸々の問題が積みあがる。

 下手をするとうまく人里にたどり着いたとしても怪しいからと放逐される、人買いにさらわれる、最悪……ないとは思いたいが殺されてしまったりなんてあるかもしれない。

 まったく、いつのまにか異世界デビューしていたのだが出だしがハード過ぎないだろうか。

 初っ端から、ゲロで死ぬかと思ったくらいだぞ。


 とまあ、色々と心配事はありはするが見ず知らずの土地でのサバイバル生活なんかよりは万倍ましだろうということで人里を目指すことにしたのだ。


 今はひとまず飲料水の確保、ついでに水浴びと洗濯のできそうな川か池沼の捜索中である。

 また、道中適当に、そこら辺になっている果実をもぎ取っては集めている。余った布を風呂敷代わりにしているのだが、すでに包み切れないくらい集まってしまった。

 えらく縮んでしまった身長でも手の届くような中低木ばかりから集めていたというのに、これっぽっちも苦労することなく大収穫となったのは少しばかり予想外である。食料確保って結構苦労するものじゃないの? たまたま実のなる時期で、たまたま人よりも野生動物よりも早く収穫できたってこと?

 ……全部が全部有毒ということはないと嬉しいのだが。

 見た目は……少しばかり深い色をしたものばかりではあるが、一応リンゴやブドウの亜種みたいなものがほとんどだ。

 黒々と光るつややかな皮は、実に食欲をそそらない。集めておいてなんだが、そもそも食えるのかどうかはかなり怪しい。

 黒豆……いやたしかこんな色のサクランボもあったきがする。そう考えると、まあ。


 飢餓感に襲われ動けなくなってからでは遅いと、とにかく目につくものから集めていったのだが、最悪荷物が増えただけになるかもしれない。一種類をたくさんに、ではなくたくさんの種類を少しずつと選んでいったのでどれか一種でも当たりがあればいいなあ。


 本当は動物たちが食べてるものを自分も集めよう、なんて考えていたのだがウサギの一匹鳥の一匹いやしねえのだ。

 ごみ溜めから離れたら獣ぐらいいるのでは? と昨日は考えていたのだが、予想は大外れである。いや、いないわけではないのだろうが……


 青々と、いやもはや黒々と茂った極相の森に、しぶとく生き残る下草やシダ類。

 ゴロゴロとした大岩がそこらに転がる岩がちな地形なこともあってここは結構な標高の山なのだろう。

 岩がちということもあって、正直足が痛い。

 靴も拾っておくべきだった。

 余った布を足首で結って靴の代わりにしてはいるが、足の裏はきっと傷だらけだろう。

 まあ、襤褸布とはいえ持てるだけ持ってきてよかったということにしておこう。これがなければ探索もままならなかったかもしれない。


 さて、先ほどから注意して歩いてはいるのだが、剥き出しの土よりも剥き出しの岩のほうが多いため、獣の足跡はほとんど見つかることはない。

 その代わりに、木々には結構わかりやすい痕跡が残っていた。

 ただそれがちょっと歓迎しにくいものであって、樹皮が結構な頻度でえぐれている、というものだった。

 そう、えぐれているのだ。

 熊のひっかき傷でも鹿の食害などでもなく、まるで何かが暴れた後のように大きく傷つき、樹齢何十年かといえるような大木ですら時折根元から傾いていたりする。

 大風で幹が折れた、冬に凍裂した、なんてものでもない。明らかに何かが意識的にせよ無意識的にせよぶつかってできた傷である。

 

 この痕跡のおかげで野生動物がいないわけではないことはわかっているのだが、できればこの傷をつけたやつとは出会いたくはない。

 確実に熊以上のやばいやつである。きっと山の主とかそういうやつだろう。

 そんなやつと出会ったら? こっちは刃こぼれした血まみれナイフ一本。一体何ができようか。


 動物の痕跡をたどれば水場にもたどり着けるかな? なんて、これまた昨夜考えていたのにまたも無駄になった。こいつの後だけは辿りたくない。


 もしかしたら、か弱い野生動物たちもみなこいつに恐れをなして身を隠しているのかもしれない。だとしたら、こいつの縄張り、行動範囲から外れさえすれば賑やかな森に出会えるのではないか。


 そうと決まればやることは一つ。傷を辿るのではなく傷を避けて進むだけだ。


 ……今までと何も変わらなかった!



 ***



 なかなかにまずいことになってしまった。

 昨晩からきゅーきゅーなっていた腹の虫が限界にきた、ということもあるのだが、それよりももっと確実で即席な命の危機だ。


 前方に、ものすごくでかい鹿がいる。


 距離は結構離れているし、たくさんの木々を挟んでもいる。それでも随分とサービス精神が旺盛なのか、見物に邪魔になりそうな木々を軒並み倒していくのだ。


 そう、例の傷の犯人を見つけてしまった。


 あの木々の傷はなんと鹿が暴れた結果だったようだ。まさかの鹿である。てっきりなんかドラゴン的なやつかと思っていたのだが、鹿である。

 いやしかし、狂ったように暴れる鹿というのはなかなかに怖い。遠目にもわかるほどにぎょろりとした目はギラつき、荒い鼻息はすぐそばで聞いているようだ。嘶くことすらなく、ただただ暴力を振りかざし続けている。

 

 そも体躯からしてニホンジカなんてものでなく体長3mはありそうかというほどの巨体。

 雄々しき巨体は岩が波打っていると見紛うばかりに逞しい筋肉に溢れている。

 おそらく牡鹿なのだろう、その頭部に飾るは、5枝にも分かれる王冠のごとく立派な角。

 生え変わりがないのか、その巨体にすら不釣り合いなほどに大きい。

 その立派な角で、2mも3mもあの周囲長をもつ大樹たちをへし折っていたのだ。


 ひとたび角を揮えば大樹はその身を弾き飛ばされ、えぐれ具合によってはそのままみしみしと音を立てて倒れ行く。

 倒れた木々が立てる地を揺らすほどの轟音は、また別の木が弾き飛ばされる破裂音にかき消されてしまう。

 あの鹿はただただそんなことを繰り返していた。



 あんなものに突かれでも轢かれでもすればまずひとたまりもない。

 森の無法者の正体は想像からかけ離れてはいた、あるいは想像以上に恐ろしいモノだったかもしれない。

 食うでもなく、身繕いでもなく、ただただがむしゃらに力を揮う。もしかしたら体やその角を鍛えるため、縄張りを誇示するためという理由でもあるのかもしれないが、傍目には狂っているようにしかまるで見えない。


 あんなのがいりゃ、そら動物はみんな逃げるわ。

 山の主どころかもはやフィールドボスだ。


 まあ感想はほどほどに。今はどうすべきかだ。えらく冷静に観察しているように見えて実際は動くに動けなかっただけである。足がガクブル状態だったこと、あいつに気づかれないよう息を殺していたということ、また対応を間違えば死に直結するためまずは見に徹するしかなかったというのもある。


 だいぶ落ち着いてきた今、取れる選択肢は以下の三つだ。


 まず第一に、この身に宿っているかもしれないチートを信じて、ナイフ一本でヤツに立ち向かう。

 こいつはノーだ。

 あるかもわからんものに頼る度胸なんて持ち合わせちゃあいない。

 ついでになんかすごい力を持っていてもあんな化け物の前に立つのはごめんである。


 第二に、ここから逃げる。

 とても魅力的な案である。

 問題なのはアレはやたらめったらに木々をなぎ倒している、つまり進行方向といったものがなく、進んで進んでぶつかった邪魔なものをなぎ倒していることだ。そんな動き方をしているせいで正面に進んだかと思えば右にそれ、左にそれ、いつの間にか初めとは正反対を向いていたりする。

 道理でどれだけ傷を避けて進んでも、結局傷持ちの木にぶち当たるわけだ。ぜひイノシシさんを見習ってほしいものである。

 なんにせよこれではどちらに逃げればいいのかが全く見当もつかない。


 第三に、ここでじっとしてやり過ごす。

 幸い自分の存在はアレには気取られていない。いや、もしかしたら気づいていたとしても興味を持たれないかもしれない。命に関わるため確かめたいとは思わないが、なんとなくそんな気もする。

 ただただ息を殺し、アレが暴れるのに飽きるか暴れながらにどっか行くかをここで待つ。

 下手に動くのよりもいいかもしれない。



 なんて思っていたんだけどなんかあいつこっちに向かってきてない?

 やばくない?

 あ、ダメだこれ逃げろ逃げろ逃げろっ!!



「――ィッッ」


 大気を裂くような破裂音が耳を突き抜けていった。遅れてパラパラと、樹皮も材も混ぜこぜとなった残骸が散らばっていく。

 咄嗟に耳を塞いだものの、それが連続で起こるようものならたまったもんじゃない。


「やっばいやばいやばいっ」

 語彙力の消失もやばいが命の喪失のほうが大ごとだ、いつの間にか伏せるようにして倒れ伏していた体をのそのそと立ち上がらせ、棒になったのかと思うほどに力が通ってる感覚のない脚を必死に動かす。

 足裏の痛みが辛うじて己の足が存在していることを教えてくれる。鬱陶しかった小石や小枝に感謝しなければいけないかもしれない。


 少し後ろでは何本もの木が倒れ伏し大地を揺さぶっている。心なしか先ほどより仮称やつあたりの威力があがっていないか? 傾くくらいでは済んでいない木々が増えている気がする。

 いつ巻き込まれるか分かったものじゃなく、乱立する大樹や低木を支えにとにかくまっすぐ進む。いちいち太ももほどもありそうな張り出した木の根につまずきそうになって、思ったより早く進めない。

 すぐ後ろ、とはいえ実際は何十mも樹高のある木々達だ、こんな厄災を振りまいている張本人はいまだ50mも60mも先。いちいち木に突っかかっていることもあって、駆け出さない限り追いつかれることはないだろうが、このままでは距離を話すこともできない。


「ええいこんなことならさっさと逃げ出してればよかったっ!」


 震える足と震える声で泣き言を言っても何も変わらない、今はただただここを離れるしかなかった。

 鹿はこちらに気づいているのかいないのか、八つ当たりのごとき暴力を揮い続けている。


 運悪く、木の根に蹴躓いて足が止まった時、鹿と自分の間を遮っていた木々の中で一段と立派な大樹が轟音を立てて倒れた。

 びりびりと肌を痺れさせる音の嵐に動き止めざるを得ず、巻きあがる砂煙に瞼を絞りながらも思わずふっと背後を振り返った。

 一気に開けた視界に、先ほどよりえらく距離の縮まった場所に立つヤツをはっきりと見た。

 隆々の体躯に、天に抗うかのような角、強者としての存在感をそのままに、されど知性など沸騰したような真っ黒な目が、ともすればこちらを見ていたのかもしれない。

 濁り切った黒い目は何を映しているようにも見えず、ただひたすらに暴力を押し付ける相手を求めている。

 まだ距離があるはずだというのにまるですぐそばに立っているかのような威圧感、毛の一本一本まで見分けてしまえそうなくらいに無駄に冴えた視界はその狂い切った威容を目に収めてしまった。

 既に干からびていた喉はさらにキュッと締め付けられ、ひどいひきつけを起こしそうになるのを必死に堪えていた。

 奴がこちらを意識しないように。

 そっとその場を離れるのが得策だろうが、足どころか体全部が動いてくれない。

 妙に冷静な思考の根幹だけが「さっさと逃げろ」とはやし立てている。

 はっはっと犬のように浅い呼吸を繰り返し、酸素が足りないと心臓が痛むほどに唸り続ける。

 閉じた血管をこじ開けているかのようなピリピリした感覚とともに体の隅々、足の指先まで血が行き渡るのを感じ、体は今か今かと待ち構えていた。


 先にアレが動いた。


 一片の欠けもない角が新たな木へと押し付けられ、黒い樹皮も薄橙の材もやりすぎなだるま落としのように弾き飛ばした瞬間、体はまるで一緒に弾き飛ばされたたように走り出した。

 がむしゃらに、ただがむしゃらに、時折躓き転びながらもそんなのどうでもいいと、這いながらも駆けずり回った。

 

 足の痛みも、打ち付けたからだの痛みもすべて無視して、ただアレから距離をとるためだけに走り続けた。




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