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15話



 育ちのいいマスの身を大胆に切り分け、一口で口に運ぶ。

 ピンク色の大きな切り身は、淡泊な味ながらも口に含むとバターの香りが口いっぱいに広がる。

 泥臭さもほとんどない。

 香草、そして添えられたレモンスライスにうまく消されている。味付けは塩胡椒が中心で、何か別の香辛料も使っているのかもしれない。

 とろとろのかぼちゃのスープは甘く濃厚で、臭みのないミルクの風味がパンとよく合った。



 一昼夜ぶりの食事を、とある食堂で摂っていた。

 いつの間にか忘れていた空腹感だが、食べ始めてしまえば慣れた感覚が蘇る。今まで我慢していたのだといわんばかりに体が食を求め、がっつきこそはしなかったが食べ始めてからはしばらく手が止まらなかった。


 食堂は、今日から暫くの間泊まる安宿の隣にあった。こういった店を客として利用するのは随分久しぶりだった。ちなみに宿屋の一階でも食事は摂れるようだったが、生憎酒場だ、子供の身なりの自分には流石に合わない。


 川や湖に囲まれた立地らしく、メニューは魚介料理が中心で、今食べているのも鱒のオーブン焼きだ。

 よく肥えていて、産地様様な新鮮さもあってとてもおいしい。

 食べ応えの割に安いのもありがたい。暫くジューブルッフに〝滞在しなければいけなくなった以上〟、無駄遣いはしたくないのだ。



 ***



 橋を渡ってからまず行ったのは衣類の購入だ。少々恥ずかしい思いをする羽目になったのも相まって、ともかく店が閉まる前にと早足で町を歩き回ったのだが、あいにく衣類を取り扱っていそうな店は見つからなかった。

 日も暮れていたので、店仕舞いをしたところも多かった。

 結局、大きな手押し車を転がしていた露天商から適当なシャツと外套を買って、物陰でさっさと着替えた。

 サイズは少々合わず、ぶかぶかで恰好がつかなかったが仕方ないだろう。

 露天商は衣類のほかにも、それこそ雑多と言っていいほどまとまりのない品揃えをしていた。

 これから必要になるかもしれないと、保存食として魚や肉の干物、パンとチーズ、それらを収める革袋、そして失くしてしまったナイフを追加で購入した。


 それぞれは二束三文といえるほどの値段だったが、量もそれなり。乞食のような身なりをしていた少年がポンと代金を払うのは少し驚いたらしい。声には出さなかったが目を丸くしていた。

 これが露天商ではなかったら、入店すら断られていたのではないかとも、今になって考えてしまう。


 着替えた後だからこそ、それまでの自分の恰好がどれだけ汚らしかったのかがよくわかる。穴やらなにやらでボロボロだったというのもあるが、落ち切っていないシミ、そしてずぶ濡れだったというのも悪かった。

 何しろ気候が気候だ。服を洗ってからいくらか時間が経っていたとはいえ、湿気が多くて乾く気配がなかった。

 粗末だが、しっかりと乾いたシャツに袖を通したときは随分気分がさっぱりとしたものだった。


 買い物を済ませてからは駅馬車のステーションを探した。

 通りは入り組むというほどでもないが、通りを外れると枝分かれも多く、ある意味北部よりも歩きにくかったかもしれない。

 上から見下ろしたときはそれほど気にならなかったが、道は平坦だけでなく、時折は矩形の切り石の階段がジグザグに伸び、あてずっぽうに歩いていてはいつの間にかもと来た道もわからなくなる。

 更には背も高く、地中海風といえばいいのか白壁が延々と続き、装飾の少ないややのっぺりとした見た目の似通った建物に囲まれている。慣れた土地でもないのだ、迷ってしまっても仕方ないだろう。

 時折周囲から浮き、いやに目立つ中途半端にゴシック調を目指したかのように高く、装飾華美な尖塔――よく見れば尖塔の中ほどよりもやや上部、四方にあるアーチ状の窓からは、鐘楼の一部が見切れていた。役場ではなく、教会だったらしい――を振り返らなければ現在地点がわからなくなってしまう。


 しかし、歩き心地は当然比べるまでもなかった。何せ北側のシルトの地面とは正反対に石畳だ。丁寧に切りそろえられた方形のタイル調で、泥まみれの靴で歩くのが少々ためらわれるくらいだ。


 停留所自体は――なんとかたどり着けた――広場から少し歩き、建物の密集地から外れたところにあるにはあった。

 簡易な停留所で、寄棟屋根で壁の一面に大きな窓を持ったこの建物は待合室のようなものだろうか。

 背後には馬車を格納しているであろう大きな小屋と、馬を休ませるための舎もあった。

 しかしそのどちらも、仕事は終わりとばかりに無人で、時折馬房から顔を出した馬が鼻を鳴らしてるのが見えるくらいだ。

 時間帯と定休日、駅馬車なんて利用したことがなかったので、どちらなのかはわからなかった。

 時刻表もなく途方に暮れていると、近くを歩いていた男性に「今日はもう出ないぞ」と話しかけられた。

 なら明日一番早くに出るのは何時かと聞くと、7時だそうだ。

 だが――

「バルトー? ああ、あっちはダメだ。しばらく運休さ」

 と。

 彼いわく、バルトー方面は全面通行止めらしかった。なんでも憲兵隊が街道を封鎖していて許可証無しには通行できないのだとか。

 何があったのかまでは、彼は知らないようだった。


 しかしその理由に限っては、察することができた。


 その後も男性は一言二言話していた気がするが、曖昧に返事とお礼を述べただけであまり覚えていない。

 こうも早くから計画に支障がでるとは思わず、少しばかり呆けてしまっていたのだ。



 ***



 手っ取り早くバルトーへ行くための手段がなくなってしまったわけだが、すべての道が絶たれたわけではない。

 簡単な話だ、歩いて行けばいい。

 迷う可能性を考えて選ばなかっただけ。徒歩でも行けないわけではない。


 しかし、バルトーへ行く必要が本当にあるのだろうか。

 今日立てたばかりの指針は、既に見直しが必要になっていた。


 スープへ浸していたパンを口に運ぶ。暖かいスープで湿ったそれは、舌にくちゅっと潰された。

 唇の端を舌で舐めとる。

 少し行儀が悪かったか。


 ある程度腹も落ち着き、ふうと一息を吐く。

 腹の底からでたように、深い吐息だった。

 どことなく諦めのようなものが混じっているのも、無関係ではない。


 木のスプーンを手慰みに弄ぶ。持ちなれたそれより幾分大きかった。

 考えるのはこれからのこと。

 これからどうすればいいのか。何が一番なのか。

 今更バルトーに向かったところで、十中八九望みのものは手に入らない。

 もとより憲兵隊が動かないこと、あるいは彼らより先に炭坑に忍び込めることを期待して動き始めたのだ。しかし街道は既に封鎖され、この様子ではきっと掃討戦すら始まっているかもしれない。明らかに、一歩も二歩も遅かった。

 ただの調査程度で封鎖なんてしないだろう、つまりはそういうこと。連中の存在を認め、駆除するべき、逃がしてはいけない存在なのだと判断したのだ。

 街道を外れて、それこそ藪でもなんでも掻き分けながら進めばバルトーに、うまくいけば炭坑にだって忍び込めるかもしれない。

 何せこちらには――認めたくはないが、化け物じみた身体能力が備わっているのだから。

 しかし、それも肝心の連中がいなければ意味がない。


 運よく、彼らがまだ穴の中の調査中だったとしよう。

 しかし彼らを出し抜こうにも、広いが狭い穴倉では調査中の彼らと鉢合わせてしまう可能性のほうが高い。彼らはきっと〝人数〟を駆使するだろう。細かく分かれる坑道とはいえ、全員で揃って動きはしまい。

 隠れるようなスペースだってきっとない。

 さらに言えば視界の悪い穴倉だ、下手に潜り込んで、物音でも立ててみろ。最悪屍食鬼どもの代わりに自分が追いかけられる羽目になるかもしれない。

 それゆえ戦果を片手に彼らが帰ってくるのを、身を隠し、穴の外から、それも指を咥えて待っていなければならないのだ。


 どうやら賭けには負けてしまったらしい。

 彼らが動かなければ一番都合がよかったのだが、どうにも仕事熱心なようだ。

 あるいは、蒸気機関の発展の真っただ中。 石炭の採掘は重要だということか。


 人目もある。急に天を仰ぐなんてことはしない。それでも深いため息をこぼしてしまうくらいは、仕方がないことだろう。



「お前もしかして、さっきのぼろ雑巾のガキか」

 諦観を噛みしめている時に話しかけてきたのは、同じく食堂で晩飯、いや晩酌と興じていた一人の客だった。

 すでに出来上がっているようで、赤ら顔を晒している。暖炉の火で焼けたわけではあるまい。給仕の一人に「隣の酒場に行ったらどう?」と言われていたのを覚えている。


 恰幅のいい、まだ年若い男だ。

 くたびれた作業着風の衣服を着崩し、酒瓶を片手に寄ってきた。酩酊状態ではないらしい、足取りは意外にもしっかりとしている。

 彼は、自分の座っていたカウンター席の隅、その隣にドカッと腰を下ろした。


「……多分、そうですけど」

 面倒なのに絡まれたなあと辟易していると、彼は「やっぱりな」と、してやったりといった風に笑う。

 面倒くさいと思いつつも、なんとなく、ほんの少しだけ懐かしい気分になってしまった。

「ここらじゃ見ねえ顔だと思ったからな。グルヌイユの連中にも見えねえしな」

 酒臭い口で彼はそんなことを言った。

「グルヌイユ? なんで―カエル《グルヌイユ》?」

 酔っぱらいの言葉なのだ、意味はないかもしれない。しかし、なんとなく『地元特有の』といった意味合いが透けて見えた。

「なんでって、お前も見てきたろ。あいつらの顔。薄気味悪いカエル面だったろ」

 思い出されるのは北側の、あばら家集落に暮らす人たちの顔。なるほど、お隣さんにもやはり好かれていないのか。

 少々遠慮がちに頷くと、彼は「そうだろうそうだろう」と、随分気分がよさそうだ。

 しかしこうも大々的に差別的な発言をされると反応に困る。それともここではそれが普通なのだろうか。ちらと横目で店内を見回してみると、我関せずがほとんど、そのほかでは同調している人も少しばかりいるが、渋い顔、厳しい顔をしている人のほうが多い。


「知ってるか、なんであいつらがあんなカエル顔なのか」

 ふるふると首を横に振ると、彼はにんまりと笑って、

「そりゃあな、ここらでとれる魚が原因さ。魚ばっかり食ってるからあいつらはあんなカエルみたいな顔なのさ。ひどいやつはカエルですらねえ、おんなじ魚顔になっちまうのさ」

 わけがわからない、といった顔をしていると彼は続ける。

「お前もジューラの魚を食っちまった」

 彼はまだ数切れ残っている、皿の上のマスを指さした。

「つまり、お前もそのうちあいつらとおんなじカエル顔になっちまうってことさ」

 はっはっはと大仰に笑う男。

 何か面白い話でも聞けると思ったが、単に脅かしたかっただけか。白けてしまった。

「って、つまんねえな。もうちっと怖がれよう」

「いやだって、怖がらせるには幼稚すぎて」

 魚料理を食べている客は周囲にもたくさんいる。

「幼稚って、相手がガキなんだから十分だろうに」

 

「子供怖がらせようなんてするあんたのほうがよっぽど幼稚だよ、この酔っ払い!」

 何を当たり前なことを、とでもいうような男。しかしいつの間にか近くまで来ていた女性に、彼女が手に持つお盆で思い切り頭を叩れた。


「いってえ」

「そりゃそうさ! 痛くなるようにしたんだから。というかあんた、うちの評判落ちたらどうしてくれんの!」


「このっこのっ」とお盆をふるい続ける彼女はこの店の給仕だ。もしかしたら店主の娘かなにかかもしれない。たしかに、くすんだ赤毛と鳶色の瞳は時折厨房から顔をのぞかせる女将さん――らしい女性――と似ているような。

 彼女はまだ年若く、20どころか10代半ばももいってないかもしれない。

 そばかすの残る顔と、なによりその言動の子供っぽさがそう思わせる。


「おお怖い」なんて頭をさする男性と、鼻息を荒くしながら胸を張る少女の様子を見て、思わず笑みが零れてしまった。


「君も、変なこと信じないでよね。ここの魚食べたって、顔が変わったりなんてしないから」

「うん。わかってる」

 大真面目に言うものだから、余計に面白い。

 彼女にしてみれば、なぜ笑っているのかがわからないのか、頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら仕事へと戻っていった。

 去り際に「ボドワン! お客さんにあんまり絡まないでね!」と男に注意しながら。なるほど、ボドワンというのか、この男は。


「こええなあ」と言いながら肩をすくめるボドワンは、幾分良いが冷めたのか先ほどよりも落ち着いていた。酒臭い息は変わらなかったが。



 食べかけの料理へと手を伸ばしたところで、男はまたも話しかけてくる。

「しかし、変なガキだな、お前も。恰好もそうだ。なんであんな襤褸切れまとってたんだよ。乞食でもそうそうねえぞ、あんな恰好」

「野犬に襲われたんですよ、ここに来るまでに。おかげで旅糧がなくなった」

 切り身をつまみながらそう答える。

 本当のことを言えるわけもなく、適当に考えていた言い訳を並べただけだ。

「なんだ、そいつぁ災難だったな。ここにはなんだ、お遣いにでも来たのか」

「炭坑のほうで働こうと思って。通行止めになってて行けないみたいですけど。あれってどうしてなんですか?」

「ああ、なるほどな。しかし通行止めか。たしか憲兵隊が検問敷いてるんだったか」

「そう。おかげで足止め食らっちゃった」

「ついてねえなあお前」

 本当に。


 ボドワンは酒瓶を傾ける。しかし「あ?」と呟いて瓶の口から中を覗き込んだ。

「けっ、なくなっちまった」


「あ、そうだ」

 酒が切れたので今日はお開き、と腰を浮かせた彼に待ったをかける。 赤ら顔には特別不快感は見てとれなかった。

「なんだ?」

「この町って、北と南でどうしてこんなに差があるんですか?」

 視界の端で、数人が嫌な顔をしたのがちらと映った。それに気づかないフリをして、ただただ純粋な子供の視線を男に向ける。

 どうにもこの話題は、一種のタブーらしかった。だからこそこの口の軽そうな――もしかしたらただ酔って気が大きくなっているだけかもしれないが――彼から聞くのが手っ取り早い。

 そうにらんだ通り、ボドワンは面白そうに眼を細めると再び椅子に深く腰掛けた。


「気になるか? まあ気になるよなあ」

 ニマニマと笑う男は実に楽しそうだ。


 実際、気にならないわけではない。優先順位こそ低いが、どうもあそこは尋常ならざる空気に満ちていた。そこに住まう者たち含めて。

 邪なる気配に敏感になってしまったがゆえ、しかし人の常識を捨てきれぬがゆえ。その正体が――人か、化け物かなのか、いまいち掴めなかった。

 ならば、と。

 知らぬならば教えてもらえばいい。ただそれだけだ。

 もしかしたら、線は薄いがあの屍食鬼どもとの繋がりもあるかもしれない。

 同類、あるいは味方でなくとも構わない。

 屍食鬼どもと敵対関係にあったとしても、そこらの人間よりは情報くらいは持っているだろう。

 もしただの人、容姿が特別化け物じみているだけの一般人だとしたら……期待外れであるのだが。


「あんまり町の評判落とすようなこと言わないでよね」という、先ほどの女性からのお小言に「わかってるわかってる」と適当に返事をすると、彼は「まずは、そうだなあ」と愉快そうに言葉を選び始めた。


「なんでカエル野郎どもの家だけが寂れてるかっていうとな、連中は移住組なのさ」

「移住組? 昔からここに住んでたわけじゃないんだ」

 〝カエル野郎〟には、突っ込まないほうがいいだろう。

「そうとも。まあ、随分前、それこそ俺が生まれるよりもっと前、ひいばあちゃんがまだ美人だっただろう頃の話らしいがな」

 だいたい、百年くらい前だろうか。


「その頃にあいつらがやってきて、この町に住みつこうとしたらしいんだ。だがまあ、何より見た目があれだ、気味悪がったって仕方ない」

「昔からなんだ」

「らしいな。ま、ルーツが違うんだろう。んで、迎合するというより、川の向こうになら町を作っていいぞってな。俺からすりゃあなんでそこで追い返さなかったんだって言いたいがな」

「まあ、普通はそう強くは言えないんじゃないですか?」

「俺なら言ってたよ。まあ、連中のことをそこそこ知っちまってるからかもしれんがな。さっきも言ったように、連中は俺らとはルーツが違う。もともと、ここからずっと南に行った海沿いの町の出らしくてな。そこもまあ、嫌な噂の絶えない町なのさ」


「噂?」

「ああ。なんでも、南洋のほうで暴れてた海賊が居ついてできた町だって話さ。漁業もそうだが、連中、海賊時代のお宝のおかげで妙に羽振りがいいとも聞いたぜ。それにつられて移り住んだってやつらも少なくはない。それで、まあ今はただの港町らしいが……真実は違う」

 彼はここぞとばかりに口端を歪める。

「言っちまえば俺らとはものの考え方がまるで違う、薄汚ねえ人でなしの血の流れた野蛮人どもの巣窟だ。連中はどっかの異邦の神だか悪魔だかを信仰していて、いまだに夜な夜な攫った人間を生贄に悍ましいサバトを開いてるときた。恐ろしい魔女どもだよ。攫ってきた哀れな犠牲者を、男は四肢をもいで殺し、女はもてあそんで、しまいにゃ海に沈めるのさ。まったく、なんであいつらが魔女狩りに合わなかったのか不思議なくらいだね。それこそ金に物を言わせて取引でもしたか、性根の腐った神父どもをもビビらせる化け物だったかのどっちかだろうな」


「お前も気をつけろよ? グルヌイユの連中どもがおんなじことをしてないとは限らねえ。特にお前みたいなガキは恰好の餌食だろうさ」

 彼はわざとらしく声を潜め、そう囁く。

 いつの間にか胡散臭い話になっていたそれは、こちらを怖がらせようとしているというのが明け透けだった。

 こちらから聞いておいてつきあわないのもどうかと少しばかり思わなくもないが、怖がって見せるというのもどうにも癪だった。

 結局「ふうん」と素っ気ない相槌になってしまった。

 だから、「けっ、かわいくねえな」と鼻で笑われても仕方ない。



「そこんとこ、どうなんだよ」

 ボドワンは唐突に振り向く。

 少しばかり荒げた声で問いかけたのは、店の隅でひっそりと食事をとっていた男に対してだ。ボドワンとは正反対の、ガリガリの男。

 室内だというのに中折れ帽をしっかりと被り、たどたどしい仕草でスープをつついていた。

 よく見れば、変な男だ。

 シャツの襟をこれでもかと立て、スプーンを握る手は手袋さえしている。いように指の短い、特別性の手袋だ。

 彼は一度こちらをぎょっとした顔で一瞥すると、視線をそらし「知らない」と小さく呟いた。


「ああ? 聞こえねえよ!」

 ボドワンの怒声が店内に響いた。

 こればっかりは顔を顰めずにはいられない。

 給仕をしていた先ほどの女性も、剣呑な眼差しでこちらを見ている。ボドワンの袖をちょいちょいと引っ張って顎で示してやれば、彼は「へっ」と小さく首をすくめた。

 帽子の男に絡むのはやめたのか、再びこちらのほうに向きなおると「まあ、悪いことは言わねえ。あっちに関わるのはやめておきな。お前みたいに、ここに住んでるわけでもないやつなら特にな」と、先ほどまでとは違い、真剣みの帯びた声音で、そして彼らを心底嫌ってるかのようにそう言った。

「あっちが寂れてんのは、連中が信用ならねえやつらだからさ。俺たちゃ誰も手を貸したがらねえ。なれ合いだってしたくない。だからあっちはいつまでたってもまともな家の一つも建てられないし、商売取引だってほとんどない。おかげで連中は魚を売るしか能もなくて貧乏なままなのさ。それこそ葬儀の時くらいだ、連中に手を貸すのは。まあ、それも嫌だってんで母ちゃんの世代で墓地も分けるようになったみたいだがな」


「お墓も分けたの?」

 なら、自分が見たのはおそらく北部の住人の墓だったのだろう。屍食鬼のせいもあるのだろうが、荒れ放題な雰囲気はあの寂れた家々に近しいものを感じた。


「おうともさ。ここんとこの連中は、あいつらには嫁も息子もやれんってやつばっかりだ。もちろん、貰うほうもな。たまに、〝混じっちまったもん〟もいないわけではないが……」

 誰を指しているかくらいは察しが付く。

「ここで生まれたんじゃなきゃ、一生関わり合いになりたくないって思ってるやつらがほとんどさ。それこそ死後の付き合いだってご免だってな、おんなじ土の下で眠るなんて想像もしたくねえんだよ」

 ものすごい徹底ぶりだ。ある意味彼の話の中で一番驚いた部分かもしれない。


「なんにせよ、さっさとジューブルッフから出てってほしいぐらいさ。別に、意地悪してるわけじゃねえ。それだけのことをしたのさ、連中は」


「それだけのこと?」


「つい最近だってバカをやったばかりだ」

 肩をすくめて、彼はそういう。


「それに――」と、彼は一度口をつぐむ。

 これまでの威勢の良さが急激にすぼまり、ボドワンは少しばかり目を伏せた。

「言ったろ、連中のサバトにゃ生贄が必要なのさ」

 そして、

「それも――人間のな」

 苦々しげに、そう吐き捨てた。




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