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汝、深淵に呑まれることなかれ  作者: 南天
プロローグ
1/21

1話


 臭い。

 生臭いにおいが鼻をつく。

 生ごみに顔を突っ込んだみたいに臭い。

 鼻腔にたむろする刺激的な香りを脳みそが捉えて離さない。脳と身体はあることを欲した。そして下された命令はちょっと前から腹の底からこみ上げていた何かを後押しした。


 ――あ、まずい。


 堪える努力はしたのだが、どうにも我慢強さが足りなかったようで、嗚咽でとどまってくれなかった。生臭さに生暖かさが加わった。

 行き場のない吐瀉物が顔の前で停滞し、顔を舐めるように、間隙を、貴重な空気の通り道を塞いでいった。


――っ!!?


 声にならない悲鳴を上げながら、顔を無理やり動かすとなんとか新たな空隙を作り出すことができた。どうやら、自身のアレで窒息死することだけは避けることができたようだ。

 理不尽で間抜けすぎるな結末から逃れることができたことに安堵の息をつこうとするも、再び鼻孔を強烈な刺激が襲った。ついでとばかりに空気が通るたびに喉奥が痛辛い。

 排泄物の分際でこの私に牙をむくとは……



 満足に息も吸えないこんな場所とはさっさとおさらばしたかったが、現状が全くと言っていいほど把握できていない。気づけば自分は見知らぬ場所で、身動きができない状態になっている。おそらく、埋まっていた。パニックになることすらできないほどに理解不能な状況だった。「あ、夢だこれ」ともならない。夢にしては臭すぎる。汚い。


 そもそもここがどこなのか以前に景色を確かめることすらできていない。埋まってるせいで暗い、というよりも目を開けることができないのだ。おそらく顔を、いや全身を取り囲むものから目の清潔、目の健康、目の安全を必死に瞼が守ってくれている。我が体ながら優秀なもので、目を開けてはいけないと本能的に理解しているのだ。シャッター並みの頑強さで上下瞼がくっついている。

 もし、目を開けたらどうなるか。

 目に染みる、では済まなそうな予感がビンビンとする。少なくとも顔を正面に向けると酸っぱいあれが薄っぺらな角膜を蹂躙するはずだ。


 暗い。

 瞼越しにうっすらと光を感じるくらいだ。

 腕を動かせば、ぐちゃりと何かが水音を立てる。肌に冷たく、時折ちくりと刺すような突起物が混じっていた。囲んでいた何かのバランスが崩れたか、右肩あたりに新たな圧力が発生した。

 いたいいたいいたい。

 右耳の裏になんか角が刺さってる。


 いつまでもこんな状態では埒が明かない。

 実際のところは先ほどから身体を動かそうとしているのだが、金縛り中に無理やり動こうとしているがごとくに体が重く、うまくいかない。これは困った。

 体がまるで自分のものでないように言うことを聞かない。

 なんだ結局は夢だったか? 寝ゲロしただけで実は今も爆睡中なのか?

 ……寝ゲロってやばくない?気道がふさがって窒息で死ぬとかなんとか。




 ――生きねば。




 動かした腕が『がしゃり』と音をたてながら眼前の何かをかき分けた。足を踏ん張れば不安定で崩れていく中でもなんとか丈夫な足場を探り当てる。


 ずぼっ


 という擬音が伴いそうな勢いで、私はようやく何かの中から抜け出した。


「くさい」


 抜け出した先もやっぱり臭かった。



 遥か空に浮かぶ月とこんにちはした。こんにちはと返してくれないのは時間帯的にこんばんはだからだろうか。

 黒印紙にわざわざ白点を追加したように輝く月の周りで、星々も妙に輝いている。文明の光など必要ないのだと主張いるかのように力強い月明かり星明り。まるで汚物塗れの自分のことすらも歓迎してくれるみたいに暖かい。

 世界が私の誕生を祝福してくれているかのような感覚を覚え、この素晴らしい自然を堪能しようと深呼吸を試みる、がせき込んだ。

 

 むせた。

 えずいた。


 息を吸う度に腐臭が肺へと蓄えられる。耳は遠くで飛び回る虫の羽音を捉えていた。きっとハエだ。ぷーんぷーんと不快な羽音がやたらめったらに聞こえる。

 当然だ、自分はゴミの中に埋まっていたのだから。

 見渡す限りのゴミ、ゴミ、ゴミ。

 

 家電の類は見当たらない。残飯以下のゴミの群れだ。生ごみに不燃ごみ、ボロボロの家具らしきものにおかしなほどに長く鋭い金属片など用途不明なもの。

 何かの残骸、何かの端材、そして何かの死骸。一番多いのは、死骸だった。

 何の動物の死骸かはわからないしわかりたくないが、大小様々損傷具合も様々な死骸共が衣服も毛皮も半ば脱ぎ捨て、隠すべき中身を恥ずかしげもなくさらしている。


 なるほど腐臭の正体はこれか。


 もう一度、腑の底からヤツがやってきた。



 幸い自身の周りには割れたガラスなんかが少々混じっている程度で他は生ごみとなんかの家具の残骸だろう、木片が占めていた。あの金属片とか近くにあったらと思うとぞっとする。変に動いて大事な血管とか切ったら……それにガラスや釘だって危ないし、そうでなくてもちょっとの切り傷から感染症にならないとも限らない。こんなゴミ山だ、十分あり得る。


 ともかく、いつまでも埋まっているわけにはいかない。よっこらせといまだゴミ山の中に埋まっている下半身を引き抜いた。目に見えないだけで危険物が近くにないとも限らないのでできるだけ慎重に。支えも崩れずに済んだ。

 不本意だが、身体が軽かったのが幸いしたのだろう。

 思うに、そんなに深く埋まっているわけではなかったようだ。これが奥深くだったらそうは簡単にはいかなかっただろう。実に運がいい。

 ゴミ山スタートがデフォルトならばの話だが。



***

 


 ゴミ山から使えそうなものをいくつか見繕いながら脱出を図る。何せ今の私は素っ裸だった。そこらの死骸と同じく恥ずかしいもの丸見えである。まだスキンに覆われているだけましというもので、ハエが寄ってきても集られるということはないが。

 襤褸布から原型を保っている衣服まで使えそうなもの、楽に取れそうなものを邪魔にならない程度に抱え込む。選別は後でいい。腹も減っているがさすがにここから掘り当てる気にはなれなかった。


 ゴミ山の果ては二メートルもない天然の崖だった。少し小高い所に立った時に見渡せたのだが、ぐるりと全周囲この崖が続いている。 つまりゴミ山というよりゴミ溜めだったのだろう。アホほど広い窪みに無造作にゴミを捨てているのだ。ここまでひどい不法投棄は見たことがない。集積所にしては償却も埋め立てもできそうな設備が見当たらないあたり本気でただ捨てただけ。

 これだけのゴミがそんな簡単に自然に帰るわけないだろうに。



 ゴゴゴゴと地鳴りのような低い音が響く。

 ぐらつく足場にあたふたしながらとりあえず四つん這いになってやり過ごそうとする。

 すわ地震かとキョロキョロすれば、やや離れたゴミ山の中から巨大な何かが顔を出した。


 円筒状の体を持ち、いくつもの節に分かたれ、それぞれの節では細長い節くれのようなものがわたわたと蠢いている。


 ただただでかい芋虫が飛び出した。

 その大きな顎に大量のゴミを詰め込みながら。

 どうやらこれらのゴミも簡単に自然に還りそうだった。




 不安定な廃棄物の上を地雷原の上でも歩くかのごとく慎重に、されど急いで進む。もはや四つん這いさながらに歩く。安全そうなゴミに手をつきなが慎重に慎重に。

 このゴミ山はどうやら先ほどの彼が片付けてくれるらしい。生臭くも暖かく迎えてくれた自然への心配なんてしなくてもよかったみたいだ。

 彼がいたからここにゴミを捨てているのか、それともゴミという名の餌があったから彼がここに住んでいるのかのどっちが正しいのかはわからないが、とりあえず巻き込まれてはかなわんとせっせと窪みの縁を目指す。

 

 いつ彼が足元から飛び出してくるかひやひやしながらも、ほどなくして縁にたどり着いた。低い崖とはいえこの小さな体躯ではなかなか挑み甲斐のある壁であったが必死さとは時に人を野生へと変える。布束を崖上に放ったのち、とっかかりを見つけひょいひょいと登りきる。際まで届くゴミの群れに削られたか3cmもない凹凸ばかりであったが、不安定なゴミ山よりなんと心強いものか。気分はさながら忍者である。



 地面の上に腰を下ろすことで、やっと一息つくことができた。

 ゴミ溜めから距離をとったわけでなく、吸い込む息も吐く息もいまだ臭いが、それはもう、体を洗うまでどこにいっても変わりそうにないので別にいい。

 拾った襤褸の中から使えそうなものを選んで纏い、ついでのついでに拾ってきていたこれまたボロいホルダー付きのベルトを腰に巻き、赤黒い何かがこびり付いた簡素なナイフを納めてようやく素っ裸を卒業した。

 

 春か夏か、それとも際立った季節などないかどうかは知らないが、夜でもそれほど寒くないのはありがたい。それとナイフを持ってきたのはまあ自衛のためである。あんなバケモノを見てしまってはちっぽけでも武器の一つでも欲しくなるものだ。


「ふんっ」と満足げにポーズを決めるとなんとなしに達成感が訪れる。

 だぼだぼの裸ワイシャツにボロしかまとってないが、ボロもボロでなんだかマントみたいだ。そう思うとボロも悪くない。ボロいが。

 ナイフも持ってまさにファンタジーの一員である。これで美少女であったなら需要が一気に増えたに違いない。

 幸か不幸か野郎であったが。


 まだだ、まだ美少年の可能性もある。諦めるにはまだ早い。男の娘でも……いやそれは健全な一男児としてどうだろう。嬉しいものだろうか。

 鏡も拾ってくればよかったか。これだけ種類も量も豊富な資源の塊なのだ、手鏡のひとつやふたつあってもおかしくない。惜しむらくは質だけが足りていないことと高すぎる命のリスクを抱えていることか。再び足を踏み入れる気にはとてもならない。



 しかしまあ。

「どこだここ」

 ぴりぴりと痛む喉からでたのは疑問の声。

 命の危機からも一応逸し、ようやく一息ついたとあって周りを確認するほどの余裕ができた。ちょっぴり誰の声だと焦りはしたが自分の声以外ありえない。体がまるきり変わっているのだ、声だって当然変わっているだろう。子供らしいちょっと高めの声、ボーイソプラノであった。

 

 視界に映るのは一面雑木の世界で、いくら明るい月明かりとはいえ木々の向こうまでは見通せない。木々の合間から光が漏れるなんてことはなく、耳を澄ましたところで風に揺られて木々が騒めくだけで人の声どころか獣の遠吠え一つ聞こえない。ぶんぶん飛び回るハエぐらいだ、命の音は。

 この仮称ゴミ捨て場は人の営みからはある程度外れた位置にあるらしい。そもこんな臭いところに家なんか建てないか。

 

 せめて村はずれの~や街はずれの~と枕詞がつく程度の距離であればいいのだが、山を一つ越えた先の~ならばいろいろと考えなければならない。

 主に人里を探す方向からサバイバルで生きていく方向にシフトする必要がある。何よりもまず生き残らねばならぬのだから。



 どうせやることなどないのだ、明日以降の指針とともに、これからの人生設計でもたてながら夜を過ごすことにしようか。

 今からじゃ寝床だって満足に探せない。暗闇に包まれた森なんていろいろ怖くて歩けやしないのだ。下は履いてないからちびっても平気だが。

 その点ここはあまりの臭さとゴミ山の主を忌避して肉食獣などは寄ってこないだろう。衛生面と引き換えに身の安全は保障されたようなものだ。

 

 くうくうと時折訴えかけてくる我が腹を無視して手近な木の根に腰を下ろす。自身な小さな体など容易に覆い隠すほどの幅の樹の腹に背を預け、ほうと息をついた。

 ウロチョロするアリを鬱陶しく思うが、ぶんぶんうるさいハエよりましかと諦める。

 だからかむなよ、絶対かむなよ。



 さて。

 明日からどうしようか。



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