箱庭の迷い人編ー3.箱庭女神と夜の森
青年は、世界の狭間で歪み、吸い込まれ、そして引き寄せられていた。
すると。突然身体がふわっとし、ぱっと視界が明るくなり、箱庭がいくつも存在する光景が広がった。
辺りを見渡した次には、雄大な女神の優しいバラ色の瞳が、彼を見つめていた。
『僕の……ハコ……ニワ…………壊さないで…………!助け……て……!君は……彼女と……創るの……セカイ…………』
彼にとって、聞き覚えのあるような甘く幼い声。
「ん?……」
『あうっ……!?』
女神のすぐ背後には、ガサガサとうごめく真っ暗闇が迫っていた。
『ぁ……』
真っ暗闇は、女神を一気に飲み込んでいく。
「!?」
『りん……たっ…………!僕の……世界の………………』
「俺が何だ?何よりここは……」
***
「んんっ…………」
月明かり届かぬ夜の森の中で、彼は目覚めた。
「クソネミ……ここはどこだ……」
何も見えない。フクロウや虫の声、木の葉が揺れる音が、ただ静寂に響いていた。
視界は何も見えないものの、とりあえず立ち上がってみた。
カサッ。すぐそばで何かが落ちる音がした。
「いやん。何か落とした?」
後ろを振り向いてみると光……。彼のスマートフォンが落ちていたのだ。
「ふむ、圏外か……とりあえずスマーホニュースでも見ておくか……」
彼は携帯を拾い、その場に寝転ぶとニュースアプリを見始めた。
しばらくそうしていると、ポツリ……ポツリ……。ザーッ……と、雨が降り出してきた。
その雨足は強いため、密集した木の下にいる彼の体や、眺めていたスマートフォンの画面にも雨粒が落ちてきた。
彼は、流石に何処かちゃんと雨宿りしないとまずいと思った。眺めていたスマートフォンをポケットにしまい、歩き出す。
しかし、辺り一面は闇。雨や地面の草を踏んで歩く音しか聞こえない。
「困ったな……本当ちゃんと雨宿り出来る場所なんてあるのか?」
彼は雨に濡れながらそう言いつつ、しばらく歩き続けた。
それからどれだけ歩き続けたことだろうか。周りの地面には木、夜空には雲が分厚くかかる下に、一軒の西洋屋敷が建っていた。
手入れのされていない庭は無造作に植物が生えていて、門や壁までツタが好き放題に這っている。この建物が建ってからどれくらい経つだろうか、壁や屋根の外観も所々崩れている。しかも空は暗いはずなのに、その建物だけほのかに浮かび上がったように明るく見え、いかにも何か妖が出そうな雰囲気だ。
「なんかこの建物、怪しくないですか……」
彼は雨を受けながら、その場に踏みとどまっていた。
すると、後ろから肩を叩かれる。
「どうしたんですか、風邪引きますよ……」
振り向くとそこには、自分と同じ年くらいの男がいた。肌は透き通るように白く、顔立ちも彫りが深く整っており、瞳は暗所でも分かるほどルビーのように赤い。ベストスーツをきっちりときこなしており、見た目年齢にしてはかなり落ち着いた印象だ。
「今、雨宿り出来る場所を探していて……」
彼がそう言うと、男は優しく微笑む。
「それなら、この館に泊まっていけばいいですよ」
「いいのですか?」
「はい。さぁこちらへ……」
彼は男に連れられ、屋敷の中へと入っていった。
「キャーッキャッキャッキャッキャッ!!!」
「!?」
彼は、驚いた。
館に入るや、金髪ツインテールの少女がいきなり逆さ吊りで目の前に現れたのだ。
「チャオ、これ今夜の餌!?食べていい?食べていい?」
少女は、チャオとお揃いの赤い瞳を光らせてヨダレを垂らしている。
チャオと呼ばれる男は、呆れたように言う。
「違いますよ、全く。お姉様はもう少し食欲を抑えられないのですか」
「何よチャオー。吸血鬼のくせに少食だからって。私は常に血に飢えてるのーっ!」
少女は、逆さ吊りのままじたばたと身体を動かした。
「やれやれ……」
チャオは、ため息をついた。
それを見て、男はつぶやく。
「なんだか分かりますよ、その気持ち……。俺の友達にもそういう子いますから……。」
「あの……本当ですか」
「ええ」
チャオの問いに彼が答えると、チャオは微笑みを見せた。
「なんだか嬉しいです……。あ、僕はチャオといいます。姉がお騒がせしてすみません」
《チャオ……森の奥の館に住む吸血鬼。落ち着いた控えめな性格》
少女は、くるりんと地面に着地する。
「私が見ての通り、チャオの姉である吸血鬼チャコ様よ。あなた肉つきも良くて中々美味しそうじゃない……」
《チャコ……森の奥の館に住む吸血鬼。チャオとは弟であり、彼とは違う積極的な性格》
チャコは、あいさつをすると彼に接近してヨダレを垂らしていた。
「こら、お姉様……」
チャオは、彼からチャコを引き離した。
「いや……慣れていますしちょっとくらいいいんですよ。俺はりんたと言います。今夜はお世話になります」
彼……りんたも自らの名を名乗り、軽くお辞儀をした。
《りんた……どこにでもいるような見た目の、音ゲーが好きなイマドキのメガネ男子。》
「良くないですよ。チャコは一度獲物にかぶり付くと肉体が枯れるまで吸い尽くしますので」
チャオは、真剣な表情だった。
「ふむ、それはよくないな……」
りんたも、それは勘弁と相槌を打った。
「ちっ……チャオが余計な事を言うから……。あと、りんた。この世界では堅苦しくする必要ないのよ?少なくとも見た限りでは、あんた、この世界では珍しい人間の大人じゃん。ほら、気楽に話してごらん」
チャコがそう言うと、りんたは自然に肩の力が抜けた。
「そうか。よろしくな、チャコ」
「ぐっ!」
チャコは、グッドサインをりんたに送った。
「大体チャオは堅苦しすぎるのよ。りんたが素で話せないじゃない」
「そう言うお姉様こそ吸血鬼ならもう少し謙虚にされてはどうですか。まずはその服装から……」
チャオに指摘されるチャコの服装は、黒いレザーのコルセットにミニ丈の黒いチュールスカートという、パンクを連想させる露出度が高いものだった。
「誰がどんな服装をしてもいいじゃない。いちいち体裁を気にするなんて馬鹿馬鹿しい」
「けれどもお姉様、貴方は仮にも……」
「いつもグチャグチャうるさい!!黙れカタブツ!!」
「……お姉様……」
「二人とも客の前で喧嘩するなよ」
りんたがチャオとチャコの間に入り、喧嘩を止めようとする。(厳密には自分が不快になったので)
「すみません……」
チャオは何も文句を垂れず、すぐさまに謝った。一方のチャコは。
「チャオが屁理屈立てるから悪いのよ〜。別に何したっていいじゃないねぇ、りんた」
チャコは、チャオを悪者のように仕立て上げ、りんたに話題を振った。
「いや、ノーコメントで……」
りんたは、完全に困惑していたのであった。
「はぁ……。まぁ、りんたさん。姉対策は万全にしておきますので、今夜は安心してお休み下さいね」
ニコニコと微笑むチャオの手には、吸血鬼よけで知られているニンニクや十字架が持たれていた。
「うげっ!?いつの間に……近づけるなぁああ………!!」
チャコは、それを見るやすぐに逃げ出した。
「あらま……」
りんたは、微笑ましくそれを見届けたのであった。
《そうしてりんたは、吸血鬼の館に一晩泊まることになったの。さて、次の日にはどうなっているでしょうか。ククク……》