プロローグ「鉄血の夜明け」
数十年前、日本列島全体で地震が頻発していた時期があった。
いわゆる霊感や、魔感──魔力を感じ取る力と言っていいだろう。今の日本で魔力を察知できる人間などごまんと居る──が強い人はよく言っていた。「あの時、何かがズレた」と。
亜人種が世界に生まれ落ちるようになったのは、それからである。
例えばヴァンパイア。
例えば人狼。
例えば雪女であったり。
伝承か、もしくは人々の想像の元でしか生きていなかった化け物が、この世界に飛び出したのだ。
それは太陽が傾いた午後5時過ぎ。
山地 笑也はまるっきり人間だった。オレンジの光が住宅地にかかり、人型の影を作り出している。
そして彼は見つけてしまったのだ。今の状況の生みの親を。
「人……?」
薄赤色の髪の毛は、少々黒がかり、アスファルトには夕日をテラテラと跳ね返す血が、赤い線を刻み付けていた。
エミヤは思わずそこに駆け寄る。血を流して人が倒れているのだ。彼は非情な人間ではない。ケータイを手に添え、119番をなぞりながら駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか!? いまきゅうき、救急車を呼びますね!」
噛んだことは気にしてはいけない。非常事態だったのだ。今となっては駆け寄ったことを後悔しているが。
彼の呼び声に彼女は血にまみれた顔を上げた。大怪我だが車にひかれたわけではないらしい。どこか部位が欠損しているわけでもないのだが、彼女は大怪我を負っていて、かつ空っぽになっているように見えた。
「…何、あたしを助けるつもり…?」
「そ、そりゃ!もちろん──」
「なら──」
彼女の赤に濡れた手がそっと、彼の顔に近づく。エミヤの頬に水っぽい感触を残しながら、そしてカプッという音が耳に入った。牙を頚動脈に食い込ませ、すすすっと血を吸い上げる。
「あっ…あ……」
体から精気が抜かれる不快感。そしてそれを打ち消すほどの満足感、快感が彼を襲い…。
彼女は口元についた血を舌で拭うと、
「あんた…何者よ」
と独り言つ。彼は答えることができない。白目を剥き体を少々痙攣させている。彼女に寄りかかるように倒れてきたため、それを肩と胸を使って支える。エミヤの影が彼女の顔にかかった。
その少し彫りの深い顔を、彼女は真紅の瞳でまじまじと見つめ、
「……」
少し逡巡したあと、
「我、汝を我が…眷属とする……」
宣誓に従って、二人の影が絡み合いねじれあって、接続される。彼女はエミヤの体を自分がもたれかかっていた塀に預けると、すぽんと影の中に吸い込まれていった。