常連客4
僕はアドルフと共に、緊張しながら安眠堂へと戻ってきた。
ジュードさんに怒られるのは目に見えている。師匠はどういった反応を示すだろうか。
扉を開くと客を出迎えるように、カウンター越しに師匠が椅子に座っていた。
アドルフは即座に頭を床にこすりつけるように下げて、怒濤の謝罪を口から吐き出した。
「すいませんでしたぁぁあああ!
俺がアホな事言ったばかりに、アラン君が俺の所のファミリーに危うく売られかけました!
見ての通り、殴られてます。傷物にして申し訳ない!
本当にすいませんでした!
俺を代わりに気の済むまで殴ってくれ!」
師匠は表情を全く動かさず、その様子を能面のように眺めている。
「フランキーの所の店員を、俺が意図して手を出す筈がないのを知ってるよな?
分かってくれるよな?
無言は止めてくれ、心臓に悪い。アラン君の治療費は当然だし、迷惑料だって出す。
頼む。頼むから・・・」
そこでアドルフは大げさにも涙を目に浮かべて言った。
「前みたいに夢で女装させるのだけは止めてくれ・・・!
俺にそんな性癖はないんだ。夢の中で人の反応がやけに好意的な演出もだ!
あの時は毎日冷や汗かいて飛び起きたんだ!」
「妙に怯えてると思ったら・・・。お仕置き経験済みですか。
前にも何かしでかしたんですか?」
「出来心でな、店に陳列されている『おいしいものを食べてる夢』の中に『激辛料理に苦しむ』悪夢を一つだけ混入させたんだ。
見事、フランキーが引き当てた」
「客が引き当てなかっただけマシですが、結構な悪さですね」
アドルフは無理矢理開かれかけた性癖の扉を思い出したのか、鳥肌が立った腕を摩っている。
彼には直接的な暴力よりも、予想外の方向から忍び寄るような恐怖の方が苦手そうだ。
そんなんだからイタズラされる側になったのだろう。
「そろそろ何か反応してくれ、フランキー」
師匠は普段のテンションの高さを全く見せず、微動だにせずこちらを見ている。
心底怒っているのか。珍しいこともあるものだとよくよく顔を観察して気づく。
「師匠、寝てますね」
「はぁっ?」
閉じた瞼に実に見事に描かれた目の絵が描かれていた。
師匠の新たな才能を発見してしまった。
「本当だ。器用な・・・!」
「このまま寝かせていても仕方ありません。起こします」
放っておいて師匠が自分で起きた例はない。
僕はいつもの通り、師匠の頭をひっぱたいてたたき起こした。
弟子が師匠に暴力をふるう光景にアドルフは驚きを露わにする。
「此処の教育はどうなってるんだ・・・」
アドルフが何か言っているが、僕だってやりたくてやってるのではない。
「はぁー!よく寝た!いつもながら良い腕だな。弟子よ」
大きなあくびをして師匠は本当の目を開いた。そして、僕の顔を見て首を傾げる。
「おや?我が弟子はそんなジャガイモと紫キャベツを合わせたかのような顔をしていたか?」
酷い言いぐさだが、確かに僕の顔は殴られたせいで青く腫れ上がっている。
「アドルフのせいです!」
「そうか。価格100倍!」
「うわあああぁあ!そんな簡潔に!状況も聞かず惨い仕打ちを!」
師匠は絶望するアドルフを軽く笑って流し、僕に顔を向けて改めて聞きなおした。
「どこに散歩に行っていたんだ?
余りに遅いからジュードが探しに飛び出していったぞ」
僕はジュードさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
衝動的で馬鹿なことをしたと改めて思い返す。ジュードさんは僕のことをきちんとみてくれていて、今も労を惜しまず探してくれて居る。
帰ったら、しっかり謝ろう。心配かけてごめんなさいって。
師匠にも・・・いや、この人寝ていたな。
家出の弟子の事なんて放っておいて、居眠りしていたな。
僕の事なんてどうでもいいのかと問いかけようとして、師匠がこのカウンターに座っていたことなど一回も今まで目にしてなかった事を思い出す。
もしかして、僕が帰ってくるのを此処でずっと待ちかまえていたのだろうか。
口ごもる僕に、師匠は優しく声かける。
「で、どうしたんだ?」
「師匠・・・」
僕は少し躊躇した。だって、相当おかしな事を聞くに違いない。
でも胸に刺さった疑念を晴らす為に、勇気を出して口を開いた。
「僕を、魔術の材料に使ったりなんて、しませんよね」
師匠は目を見開いてピタリと動きを止めた。
そしてゆっくりと瞬きする。どうやら本当に心当たりもない事を聞いたようだった。
僕は止めどなく溢れる安堵感に包まれ、目に浮かぶ涙を袖で拭う。
そんな僕の様子に驚いて首を傾げ、師匠は僕に逆に聞いてきた。
「弟子よ。実は魚の化身だったり、牛の化身だったりしないよな?
だとしたら申し訳ない。週に二回ぐらいは共食いさせている」
「違います。ちゃんと人間です」
「だよなあ。一体全体、どうしてそんな変な事を聞かれたのやら。
今時の若い子の発想が全く読めないぞ」
「アドルフのせいです」
「なるほど。そこに繋がるか」
師匠の視線を受け、アドルフは体を震わせて怯え出す。
「あと、この店で新聞を見つけたんです。
『アルビノ虐殺相次ぐ。魔術師が高額で取引か』
確か、記事にはそう書いてあったと思うんです」
「ふむー。そんな新聞あったか?」
「隠してあったんです!」
「そうかもしれない、そうでないかもしれない。
ちょいと持っておいで」
僕は店の中に入り、見つけた新聞を持って師匠まで持ってくる。
アドルフを視線で脅して遊んでいた師匠は、片手で受け取ってその新聞をちらりと見流した。
「ほら、よく見たまえ。アルビノはアルビノでも、スッポンのアルビノの話だぞ」
僕はまだ師匠のように素早く文字を追えない。
渡された新聞をじっくり読んで、どうやら本当にスッポンの事を書かれていると知った。
「何で隠されてたんですか?」
「隠してたんじゃない。バランスが悪い棚の下敷きにして高さを合わせてただけだ」
「なんだ・・・」
僕は間抜けな自分の勘違いを知った。此処を出ていく事にならなくて、本当によかったと胸から重い息を吐く。
「僕、逃げなきゃって・・・馬鹿でした」
「逃げられたら困るなあ。だって、眠ってる間の店番が居なくなるから!」
「そうですよね。困りますよね!」
にこにこ笑って言うと、師匠は苦笑いを浮かべながら頭をなでてくれた。
「素直な反応過ぎて困惑!」
そこにアドルフが恐る恐る声をかけてきた。
「なぁ・・・」
「ん?まだ居たのか?」
「いるさ!価格100倍は流石に冗談だよな?」
「ははは、そうとも。では、500倍ぐらいでいいか?」
「やめてくれぇえ!流石に破産する!」
両手を床につき、大の男が涙を流す姿は見るに耐えない。
流石に可哀想に思えなくもない。
「フランキー頼む。俺はアンタの頼みなら何でも聞いてやるさ。
この俺が、犬の如く従順なのはフランキーだけだからな?
その価値と意味を知ってくれ」
「ふむ」
顎に手を添えて暫し考えに耽っていた師匠は、どうやら名案を思いついたようだった。
「そうだ!弟子よ。
今後アドルフの薬の調剤を行うべし。それで手打ちにしよう」
「は!?こいつの実験台になれってか?」
アドルフは僕を指さし、あり得ないと言わんばかりに叫んだ。
「そうとも!代わりに値引きだ。元の価格より多少融通してやらんこともない。
なあに、我が弟子は優秀だぞ?器用だし、安心したまえ」
それでも納得のいかなそうなアドルフに、師匠は初めて優しく笑いかけた。
どんな疑い深い人間でも好印象を抱いてしまいそうな、素敵な笑顔だ。
「こんなこと常連の君にしか頼めない。勿論、不満があれば言ってくれて構わない。
次代の安眠堂店主を、どうか育ててやってくれはしまいか」
「うぐっ」
今の今まで冷遇していた所に、この高評価である。
アドルフはみるみるうちに顔を赤らめて、言葉に詰まってしまった。
師匠凄い。
僕も初めて任してもらえる仕事とあって、声を張り上げてアドルフに言った。
「僕、ちゃんとがんばるよ!!お願いします!」
アドルフは照れて頭を掻きながら言った。
「仕方ねえなぁ。任されてやるよ!」
「流石アドルフ!ありがたいぞ!」
胸を張って得意げな様子のアドルフに、師匠が小声で言った「チョロい」の一言は僕の胸の中に深くしまっておいた。
全ては師匠の手の内である。
手に持つ新聞を、調剤や実験用の大皿に乗せて燃やす。
「とっとと捨てておくべきだった」
フランキーは次第に炎に包まれていく様子を無表情に眺めた。
記事には遠い異国の地で魔術師に殺される『人』のアルビノの様子と、それに抗議したこの国の魔術師達の話が載っていた。
フランキーにとって記事の内容を変えてみせる催眠術など、簡単な事であった。
「例え遠い地の話であっても知っておかねばと、とっておいた記事がよりにもよって弟子に見つかるとは」
無知や無理解が、同じ人同士だというのにおぞましい惨劇を作る。
それにアルビノである彼が巻き込まれない事を願った。
「知らなくて良い」
皿の上の紙は、程なくして全て灰へと変わり果てた。