常連客1
勉強というものはやってみたら面白いもので、僕はすっかり夢中になっている。
環境は完璧とは言えない。店に置いてある本にかなり偏りがあるのは、所有者を思えば仕方ない。
それでも今日も自分で本を開き、そこに載っていた内容に興味をそそられた。
「師匠、魔術師に催眠魔術は効きにくいって本当ですか?」
片手で天秤を使って薬を量っていた師匠は、天秤から視線を逸らさず僕の質問に答えた。
「そうだ。一般人よりは抵抗が強いから、そうと知られず魔術をかけなければ直ぐ解けてしまう。
だから、発動呪文は極めて平凡な・・・日常会話のような単語となる。
歴史上最も短かった呪文は大魔術師ノーマン・アーキンの『それな』の3文字だ」
大魔術師チャラいな。
僕は大魔術師が『それな』と言いながら周囲の人物に次々と催眠魔術をかける様子を思い浮かべた。
「気付きますよね?それ」
「いや、普段から口癖のように言っていたらしく、結構気付かれなかったらしいぞ?」
どんな大魔術師だと思った。
好意的に解釈して、おそらく、ふんぞり返っているようなタイプではなかったのだろう。
「ちなみに師匠は?」
「『スキトキメキトキス』」
「はい嘘ー!」
師匠のような怪しさの極みの人物に、唐突に会話の中で『スキトキメキトキス』とか言われてみろ。
どんなに無防備に会話をしていた人でも、眉をひそめてどん引きする。
「不自然すぎる。どうしてそんな分かりやすく嘘をつくんですか。
どう考えても嘘でしょう?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
師匠はあくびをかみ殺しながら、椅子に深く座り込んだ。
「大体、答えるわけないだろう。一つ呪文を作り上げるのにどれだけ頭を働かせなければならないと思う。
その間起きていなければいけない事を思えば、隠すに決まっている」
その通りだった。僕は自分でも馬鹿な質問をしたと思い、決まり悪く視線を逸らす。
師匠はそんな僕を観察するようにじっと見つめた。
「ていうか、弟子よ。ちょーあたま良くないか?」
「なんですか、その超頭悪そうな言い方」
「いやだって。ついこの間まで文字も読めなかったひよっこ所か卵の黄身のような弟子が、そんな質問してくるなんて想像出来なさすぎて今日も卵かけご飯がおいしい。
・・・ではなく。ちょっと時の流れが早すぎて気分はシニアだ」
「はあ、生憎僕は比較対照がいないので分かりませんけど」
何か不都合があるだろうか。僕はこの環境が気に入っている。
本人の性格上全く意識する事が出来ないが、師匠が僕の将来の全てを握っているのだ。
気にせずにはいられなくて師匠の顔色を伺ったが、師匠はいつもの気楽さで笑い飛ばした。
「まあいいか。弟子が早く熟してくれることは嬉しいぞ!
早期熟成、大いによし。収穫がその分、早くなるからな。
どんどん大きくなれー!」
「人を野菜みたいに言わないでください。
どうせ僕が一人前になったら、自分一人ぐうすか寝るんでしょう?」
「言うに及ばず」
「やっぱり」
腹の底からため息を吐き出して首を横に振った。
師匠と出会ってしまったが為に、僕の人生は一本道か。
まあ感謝してるし、いいんだけど。
僕が諦めながら師匠が作業中床に落としてしまった、薬の材料を手で拾い集める。
そのとき、珍しく店のドアベルが音を鳴らした。
しゃがんだ体勢のまま視線を向けると、そこには酷く大きな隈の出来た金髪の青年が立っていた。
虚ろな目をしていて窶れた様子は、長い間眠っていないのだろうと簡単に推測できた。
元の顔立ちは整っているだけに、逆に雰囲気が非常に刺々しく威圧感を与える。
「おーアドルフ、久しぶり」
「・・・部屋を借りる」
「どーぞどーぞ。永眠してこい」
師匠の様子からどうやら常連客だと知った。
ジュードさんが頑なに実在すると言っていた、あの常連客である。
店が閑古鳥鳴いているから素直になれないだけで、てっきり嘘だと思っていた。
彼は慣れた様子で、宿泊できる二階の部屋に消えていった。
不気味なインテリアに囲まれているのに、何故か心地よい睡眠に襲われるというある意味恐怖な部屋は、師匠の自慢の一室だ。
「実在したんですね・・・常連客。
この変な店に、なんの魅力があって!?
絶対嘘だと思ってました!」
「・・・弟子よ。今の発言、流石に泣きそうになるんだが」
「え、あ、ごめんなさい。つい思ったことが」
「とどめ刺された!」
師匠が手で顔を覆うが、いつものことなのであまり気にならない。
師匠は打たれ弱いが、回復も化け物並に早いのだ。
「酷い隈でしたね。あの・・・アドルフさんでしたっけ、いつもあんな感じなんですか?」
「まー、概ね地獄を覗いてしまった聖人みたいな顔色の悪さだな。
あれでもマシになったんだぞ?会ったときは本気で幽霊みたかと思いこんだからな。
危うく退治しそうになった。ていうか、退治する気満々で睡眠薬ぶっかけてようやく気付いた」
「退治し終わってますね」
今も昔も客に対して最低な対応である。
「トレジャーハンターなんだと。トレジャー!ハンター!
格好いいよね、職業だけは。ロマンと冒険って感じ?
よくそんな不安定な仕事選んだよね。
墓荒らしと何が違うのか分からん。
何処かで呪われて来たらしくてな。ざまあないな。
安眠堂の商品でないと眠れないらしいぞ?しょっちゅう来て、全くいい迷惑だ」
「可哀想に」
勿論アドルフさんが、である。
この店がなくては生活が成り立たないだろうに、店主に迷惑扱いされている。
師匠に歓迎される客は基本的にいないけれど、ここまでコケにされなくても。
「決まった時間が経ったところで、アドルフを起こしてやってくれ。
強めの魔術かけるから、うっかりすると本当に永眠する」
「凄く簡単に人の命、弟子に預けてきますね」
「優秀な弟子を持って、自慢に思うぞ!」
「こんな時ばかり調子がいいんだから」
「本当だとも」
僕は頭を撫でて褒めてくる師匠を満更でもない気になりつつ、話半分に聞いた。
どうせ、本音は面倒なだけであろう。
「安心したまえ。たとえ弟子が失敗しても、コワーいお兄さん達を煙に巻くのは得意だから!」
「誰ですかそのコワーいお兄さん達って。
またそんな冗談を・・・冗談ですよね?」
「ははははは」
笑って誤魔化された。師匠の言っていることが理解できないが、何か重要な情報な気がする。
しかも師匠は僕の質問に答えてくれない。不穏だ。
僕はいそいそと昼寝の準備をしだした師匠に、どうやら本格的に丸投げされるようだと悟った。
「部屋にある酔漢の人形の酒瓶を外せば起きるから。
ついでに枕元においておけば、起きた時にアドルフがびっくりして面白いぞ」
「いつもそんなイタズラしてるんですか、子供か!」
「眠らせたジュードを運んで添い寝させた事もあったけど、流石にジュードに殺されかけたな。
しかしどっきりとしては大成功だった。・・・くそう、あの時の快感をもう味わえないとは」
起きたときにあの鉄仮面のジュードさんが隣に寝ていたら、それはもう盛大に驚くだろう。
僕なら本気で死に神の迎えが来たかと思う。
ますますアドルフさんに同情心しか湧かない。せめて僕ぐらいは彼に優しく対応しよう。
「あー、多分大丈夫だと思うが言っとく。
ジュードが帰ってきた後に起こした方がいいぞ」
仕入れに外出しているジュードさんはまだ帰ってこない。
タイミング良く帰ってきてくれるかは分からなかった。
「どうしてですか?・・・って、もう寝てるか」
師匠は既にアイマスクを付けて、部屋の片隅にある揺り椅子で眠っていた。
とうとういつも見えている目すらも見えなくなってしまった。ただの布の固まりにしか見えない。
誰かが中身を綿とかに変えても、ぱっと見ただけでは気づけないだろう。
いつかそれでどっきりを仕掛けられそうだ。心構えだけしておこう。
僕の師匠への対応は完全にイタズラ小僧に準じる。
「ジュードさん、早めに帰ってきてくれるかな」
もし時間がきてしまったら、ジュードさんを迎えに外に出るべきかどうか。
しかし、僕の外見上トラブルになりがちなので一人で外に出たくない。
今だって殆ど安眠堂の中だけで生活していた。
ジュードさんがいるときは一緒に外に出ることもあるが、それも大きな帽子を被って厚着している事が多い。
結果として師匠のような怪しい格好になってしまい、一目でああ、あそこの弟子ね、と判断されてしまうのが都合がいいやら悲しいやら。
「お師匠さんに憧れているのね!」みたいな事をお店のおばさんに言われ、はい、と答える度に僕の心は納得できない何かを飲み込んだ。
違うんです必要に迫られているだけなんですと全力で否定したい。
いや尊敬してない訳じゃないけど。
憧れるには師匠の面倒を僕が見すぎている。
よく今までジュードさんと店をやっていけたものだ。
気を抜けば直ぐに寝るし。起きたら行動が予測不可能だし。
この前も近所の野良猫を集めて自分の体の周りに寝かせ、気持ちよさそうに寝ていた。
おかげで数週間は家中ノミだらけで、ジュードさんが怒髪天をつく勢いで怒り狂っていた。
僕にとっても地獄だった。もう痒い思いはしたくない。
師匠だけは何故かノミに噛まれないのが余計に腹立たしい。
人間だとノミに認識されてないのだろうか。
僕は常日頃の苦労を思い出し、ため息をついた。
ジュードさんが帰ってくるのはまだまだ先になりそうだった。