眠り姫3
瞼を開けるのが、これほど億劫だったことはない。
窓から入った光が目を焼く。眩しさに再び目を強く瞑って、今度はゆっくりと目を開けた。
顔を横に向けて自分が寝かされている状況を確認すると、どうやら見知った自分の部屋だった。
しかし、少し古びているような気がする。掃除を手抜きでもしたのだろうか。
段々と冴えてくる頭で、私は現状を把握した。
「・・・起きてしまったのね」
随分と長い間、夢を見ていた気がする。とても幸せな夢を。
眦から涙がこぼれた。此処にはカルロは居ない。
あの人と一緒になれるなら、私は何だって出来るのに。
眠る瞬間に飲まされたのが毒薬でも構わなかった。
死んでもなお、私と共にいてくれさえするならば。
それだけで良かったのに、今の私の周りには彼は居ない。
こんな現実欲しくない。
もう一度夢を見ていたい。
自分の涙を拭おうと手を動かしてみて、その緩慢な動きに驚く。
本当に随分長い間体を動かさなかったようだった。
「・・・誰か、呼ばないと」
ベッドから降りようとして、足腰が想像以上に弱っていたため床に崩れ落ちてしまう。
その自分の虚弱さをきっかけに、氷のような不安が胸に広がった。
一体、どれだけ長い間自分は眠っていたのだろう。
起きあがろうとしても、震えるばかりで一向に力は入らない。
立つことなどとても出来そうにないので、這うようにしてドアに向かって進んだ。
目に映る手足の細さはまるで木の枝のようで、それが自分の体だと信じられない。
扉を開けて、誰かが部屋に入ってくる。私が始めて見るメイドのようだ。
年かさを経ている彼女は、芋虫みたいに転がる私を見下ろす。
「・・・起きられたのですね」
それは冷たい声で私のことを心配している要素は何処にもなかった。
どうしてこんな、私に愛情のひとかけらもないようなメイドが私の部屋にいるのだろう。
「そう、なの。起きたわ。
・・・ねえ、ダミアンはどこ?」
私はいつも傍にいてくれる、信頼している家人の名前を告げた。
きっと、起きたことを伝えれば飛んで来てくれると思って。
しかし、メイドが放った言葉に私は凍り付いた。
「彼は4年前に亡くなりました」
「え・・・?」
理解したくない。
だってダミアンは白髪混じりとはいえ、まだまだ老いを感じさせないぐらい若々しかった。
いつも私のことを心配して、お嬢様お嬢様って追いかけてきてくれていた。
それに今、彼女はなんと言ったか。
「4年・・・?」
メイドは呆れた顔をして、ため息をついて言った。
「ご自分がどれだけ眠っていたか、ご存じないのですね。
30年ですよ。もう、貴方のお父様はご病気で亡くなってしまわれました。
ああ・・・それともカルロとかいう男の方が気になりますか?
刑期を終えて、何処かで所帯をもったそうですが」
「さんじゅう・・・!?」
あまりの年月に絶句する。一体なにが。
どうして。なにが。
恐ろしい事態にガタガタと体が震える。唇が戦慄いて、歯が擦れる音が口から漏れた。
嘘。うそ。だって、私寝て起きただけよ。
そんな一瞬で、そんなこと・・・!
部屋の壁に鏡がかけてあった。その丸い円の中に見えた自分の姿に呼吸が止まった。
痩せこけた、若さなどすべて失った只の女が、落ち窪んだ目でこちらを見ていた。
「いやああああああああ!!!!」
一瞬で悟らせた。私は、全てを失ったのだと。
眠っている間、何もしなかった。
その間も時は過ぎていた。私を置いて。
怒濤の後悔が押し寄せる。
起きれば良かったのだ。夢など放って、どれだけ悲しかったとしても。
現実に向き合えば良かった。
もうダミアンと話をすることは出来ない。
父に甘えることも出来ない。
カルロは私を見捨ててしまった。もっと早く起きて向き合えば良かった。
若ささえあれば、出来たことも沢山あった。
新たに恋を始めることも出来た。恋など捨てて、父の仕事を手伝うことも出来た。
何もかも遅い。
全て遅い!私が眠っていたから!!!
「起きれば良かった・・・!」
痛いほどの悲しみを帯びた声色で絶叫する。
「もっと早く、起きれば良かった!!!!!」
それは殆ど正気を失った叫びだった。
「お願い!誰か!」
冷たいメイドは物のように動かない。
「これが嘘だって、夢だって・・・」
私は頭を抱えて髪を振り乱し、声の限りに叫ぶ。
「言ってえええ!!!!」
取り乱す私に答える声があった。
それは聞き覚えのない、掠れきった、間抜けな声だった。
「はい、嘘でーす」
そして私は毛布を吹き飛ばして飛び起きた。
心臓が破れそうなぐらい大きな音で、小刻みなリズムを刻む。
「え・・・」
いつもの見慣れた部屋だ。綺麗に掃除も行き届いている。
勢いよく自分の手足に視線を移し、目を見開いて観察する。
肉付きの良い、健康な手足がそこにはあった。
鏡を見た。いつもの、若い自分の姿が映っていた。
呆然として隣を見ると、目元しか見えない全身黒い格好の怪しげな人物と、対照的に真っ白な髪をした少年が自分をのぞき込んでいた。
「流石に、性格悪くありませんか?」
「何を言う。これぐらいのインパクトがあった方がいいだろう?
此処までやれば、もう二度と同じことはするまい。
一応仕事だからな、見習え私の仕事への真面目ぶりを。完璧かつ最善!
褒めよ、讃えよ!」
「嫌な方向へ真面目なだけな気がする・・・」
「何故そんなに冷たい目で見る!?」
そんな会話を平然と私の目の前でしている。
さっき会ったメイドのような冷たさがない事に少し安堵しつつ、私は二人に話しかけた。
「あの・・・貴方たちは?これは夢?」
「夢な訳あるか!この私が、せっかく丁寧に繊細にお嬢さんを目覚めさせたというのに!
ええい、これでもまだ寝たりないというならとっておきの悪夢を・・・」
「止めてください師匠!これ以上は精神が崩壊しちゃいますよ!」
「こんな時に使わずしていつ使う!悪夢を作ったのはいいものの、誰も買ってくれないんだもの」
「わーわー!グレンダさん!
早くもう寝ないって言わないと、師匠の在庫整理につき合わされちゃいますよ!」
騒がしい二人だ。しかし、どうやら自分の身に危険が迫っているようなので、慌てて言った。
「もう暫くは寝ないわ!当分夢はこりごり」
白髪赤目のアルビノらしき少年はほっとして私に向かって笑った。
「良かった。ダミアンさんも喜びます」
「ダミアン・・・?ダミアンも居るの?」
「居るに決まっているだろう。この夢魔術師にわざわざ仕事を持ってきたのだから」
どうやら少年に師匠と呼ばれたこの人は魔術師のようだった。
であれば、今までのは本当に全て夢だったのだ。
あの悪夢は、魔術師によって見させられていたらしい。
状況がようやく飲み込めてくる。
カルロに何かされてから、幸せな夢を見ていたのだ。
それは全てを忘れてしまうぐらい幸せだったけれど。
あの悪夢が私の愚かさを見せつけたのだ。
扉が勢いよく開かれ、そこに立っていた人に涙が止まらなかった。
「ダミアン!」
「お嬢様!お目覚めになりましたか!!」
ダミアンは少し疲れた顔をして、私の前に駆け寄った。
「ああ・・・本当に・・・良かった・・・」
いつもの姿に安堵して、私は胸によみがえった悪夢の不安を喚いた。
「それは私の言葉よ!もう、貴方に会えないかと思った!
謝ることも出来ないのかと・・・!」
「お嬢様、一体何の話で?」
「夢を見たのよ、ずっと寝てた先の未来の夢を。私以外誰も居なかったわ。
ひどい悪夢。生まれてこの方、あれより酷い悪夢は見たことないわ!」
夢魔術師に咎めるようなダミアンの視線が向いたが、当の本人は素知らぬ顔で他人事のように私の話に頷いていた。
少年の言うとおり、この人性格悪いわ。
「でも、それでようやく分かったの。私が馬鹿だったって。
傷ついて、もう何もかも嫌になって考えることも放棄していた。
あんな悪夢を見せられちゃ、どんなに苦しくても現実と向き合った方がマシだわ」
ダミアンは私の言葉に一つ一つ頷いてくれる。
それがどんなにありがたいことか、私は見ようともしてなかった。
「ごめんなさい・・・あと、ありがとう」
「いいえ・・・いいえ・・・!」
浮かぶ涙を拭うダミアンの後ろでもらい泣きしている少年と、何を考えているか分からない無表情の夢魔術師を見た。
「貴方たちも。起こしてくれて助かったわ、ありがとう。
・・・当分悪夢に魘されそうだけど」
見た物を思えば、どうしても素直に礼が言えなかった。夢魔術師は目を細めて言った。
「ならば我が店に来るが良い。本当の良い夢というのがどういうものか、教えてしんぜよう。
涎を垂らしながらにやつくぐらいの、とっておきがあるぞ」
本当にいい性格だこと!
私は笑って、きっぱりと思いを伝えた。
「いいえ、結構!自分の夢ぐらい、自分で乗り越えるわ!」