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夢?

二の句が継げなくなった僕に、師匠は無機質な声をかけた。

「場所、移動しようか」

「……はい」

有無を言わさない態度に戸惑いながらも頷く。

無視されていた事に対する怒りなど、何処かに吹き飛んでしまった。

再び背を向けて歩き始めたその姿に、共に歩く僕を気にする様子など全くなかった。

ついてくるなら勝手にすればいい。そんな内心が透けて見えるようだ。

誰よりも慕う師匠なのに、他人と共に歩くよりも居心地が悪い。

どうしてこんな態度を僕にとるんだろう。

後ろ姿を追いながら、必死でその原因を考えた。

実は僕の事が嫌いだったとか?

それならそうと、言ってくれればいいのに。僕は迷惑をかけるつもりなんて微塵もなかった。

恩人の師匠に疎まれるぐらいなら、自分で安眠堂を出て行っただろう。

けれど、僕が師匠に従順だというのは今までの生活の中で十分に知っているはずだ。

あんなに優しく甘やかしておいて、突然態度を豹変させるだろうか。

現実では素振りすら見せず、わざわざその為に夢魔の夢に閉じこもるなんて馬鹿な事をするとは思えない。

夢魔に性格を捻じ曲げられたとか?

そうであったら、それはとても恐ろしい事だった。

幻覚や幻聴で惑わすならともかく、本人の性格を捻じ曲げる魔術など聞いた事がない。

どんな禁術にも存在しないだろう。それほどの繊細な事を、夢魔の夢は行えてしまうのだろうか。

その可能性はあったが、現実に帰還した女の子の様子を思い出し、それもまた違うように思えた。

分からないことが多すぎる。

師匠を自分の力で目覚めさせると豪語しておきながら、やはり師匠の力を当てにする甘さがあったのだ。

けれどそう上手くいかない現実に気付き、暗闇の中で唯一の明かりを見失ったような心地だった。

僕は本当に、師匠に依存しきっていた。

師匠は夢の住人達と同じ格好をして、すっかり溶け込んでいる。

現実から迎えに来た僕を見てもこの態度。話しかけなければ、無視されて終わっただろう。

師匠が夢から帰ってくるつもりがない事には現実に残された物から気付いていたが、それは帰れない程危険を伴うからだと思っていた。

しかし師匠は帰れないからではなく、帰ろうとしていない。

その違いはあまりにも大きい。

どうすれば『元』の師匠に戻ってくれますか?

僕は声をかけようとして、その背中から伝わる拒絶に口を開くことが出来なかった。

辿り着いたのは人通りも少なく、手入れされた植物が垣根のように並ぶだけの小さな公園だった。

一つだけ置いてあるベンチに腰を下ろした師匠は、ようやく後をついてきていた僕に正面から向き合ってくれた。

「それで? 何か言いたい事があるんでしょう?」

言葉遣いさえ、いつもの師匠と違う。いっそ別人であればどれだけいいだろう。

僕が勘違いして他の人に話しかけてしまっていたとすれば、少なくともこの混乱はなくなるのだ。

けれど僕は、この人が師匠であると確信している。

表情の作り方や少しの仕草が、師匠であると伝えてくる。

叱られたような気持ちで、いやそれ以上の恐怖を抱きながらおずおずと言葉を発した。

「ジュードさんも、僕も師匠の帰りを待っています。

いくら師匠がいなくても安眠堂が問題ないからって、僕たちはその為に師匠を必要としているんじゃないんです」

「そう」

冷たい相槌。心が軋む。

僕の口は次第に必死さを帯びて、早口のようになっていく。

「ローリーさんも夢魔の噂を聞いて、来てくれました。

彼のお陰で僕たちはすぐに師匠の所へたどり着けたんです。

でも怒ってましたから、このまま現実に帰らないと何をされるか分からないですよ」

「へえ」

適当な返事で、何も伝わった様子がない。それでも諦める事は出来ない。

「師匠。僕は師匠に何の恩も返せてないんです。これからだったんです。

お願いです。僕に恩返しをさせてください。僕と一緒に戻ってください!」

師匠の返答はなかった。ただ腕を組みながら、僕に向かって人形のような無表情を向けたままである。

「師匠」

口の中は乾ききって、目は見開いて師匠を凝視する。緊張と混乱に震えながら、僕は師匠の判断を待つ事しかできない。

そして僕の話を聞き終えてもなお、その冷たい顔が崩れる事はなかった。

この夢はそんなに居心地がいいのか。

現実でも夢に耽る日常だったが、ついに帰る事さえ嫌になってしまったのか。

その横で嘆く僕らの事など、頭の片隅にも浮かばなくなってしまったのか。

絶望の涙がこみ上げてきてそれが僕の頬を濡らす様を見ても、師匠は僕を慰める事などなにもしない。

「師匠……」

僕は全ての気力を失ってしまって、その場にへたり込む。

「僕の事が、嫌いになったんですか?」

返事はない。師匠は同じ姿勢のまま、温度のない視線を向け続けている。

暫く無言の時間が過ぎていった。

小鳥が動かない僕たちの傍に降りてきて、人間がいた事に気が付いて慌てて空へと逃げていく。

やがて師匠は背もたれに体重を預け、片眉を上げて困ったように小さくこぼした。

「夢の次は、幻覚。一体、いつになったら消えるんだろう?」

僕はその瞬間、全てを理解した。

「師匠、まさか……」

拳を戦慄かせ青ざめていく顔色を自覚しながら、師匠に向かってか細い声を上げた。


「僕も、ジュードさんも、ローリーさんも、安眠堂も、あの町も。

あっちの世界を、全部夢だって思っていたんですか?」


不思議そうに首を傾げる師匠の様子に、それこそが真実であると僕は悟った。


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