夢
「ねぇ、あれ何のコスプレ? っていうか、今日どっかでイベントやってた?」
そんな言葉が聞こえてきて、はっと周囲を見回した。
目に飛び込んできたのは人、人、人の群れでまるで祭りの日のような人出である。
その中で茶色の長髪の女性が、友人らしき隣の女性に話しかけながら僕を指さしていた。
数えきれないほどの黒髪、白髪交じり、茶髪の人達。
そして目の覚めるような青髪の男性が一人。一部を赤く染めた人が二人。
僕のように若くして真っ白な髪をした人はいなかった。
この夢の中でも僕の容姿は目立つらしい。
人々の視線を感じながら、自分の立っている場所がどんなところか確認して絶句した。
目に入る物全てが異様な物ばかりだった。
数多の馬のいない馬車が走り回り、光はそこかしこから洪水のように溢れている。
耐久性が心配になるようなガラス張りの建物が平然と建っているかと思えば、雲につきそうな程の高さの人工建造物が遠くに見えた。
僕は何の夢の中に迷い込んだ?
通常、夢とは記憶の再現である。物語に不合理性はあったとしても、人物や建物まで突飛すぎる事はない。
あったとしても、せいぜい読んだ架空小説の影響を受けているぐらいだ。
しかしこの夢は何だ。
僕はどんな想像力を持っていても、この夢を作り上げる事など出来る気がしなかった。
千年ほども文明が進めば、あるいは海を渡った遠くの異国の地にでも行けば、こんな場所があるのだろうか。
いっそ神話の中のようにさえ思えるほど、僕の常識からかけ離れた景色が飛び込んできたのだった。
なんだ、この夢は。
僕は薄気味悪さを感じながら、人の流れに従って歩き出す。
建物に張り付けられた大きな看板は、文字らしき物が映し出されたかと思うと、瞬時に美しい風景の映像へと切り替わる。
他にも広告だろうか、沢山の絵が街中に溢れるほどに張られていた。
ああ、そういえば女の子が『人とか、絵とか』と言っていた。
間違った事は言っていない。拙い言葉で今の状況を説明しようとしてくれていたのだと、今なら分かる。
僕でさえ、この景色をどう表現していいか分からなかった。
一際目立つ鏡の四角柱は、モミュメントだろうか。
土埃のしない歩きやすい舗装された道を人に紛れて歩きながら、田舎から出て来たばかりの人のように周囲に視線をさ迷わせた。
とにかく、何処かで姿を変えよう。
夢の中の住人のくせに、まるで生きているかのように僕の事に注目してくる。それがとても居心地が悪かった。
三十分も人の少ない方に向かって歩くうちに人目のつかない路地に着いたので、一瞬で黒髪とズボンとシャツというこの夢の住人達がしていた容姿に変えておく。
角を曲がってきた男性とはち合わせたが、彼は僕に全く意識を向けずにすれ違って通り過ぎて行った。うまく溶け込めたようだった。
「落ち着け……やる事は、いつもと変わらない」
自分に言い聞かせ、夢に入る前に決めた事を思い出した。
まずはこの夢の中心地を探さなければならない。物の輪郭が明瞭になっている場所が中心地だ。
今は全てのものが明瞭に見えるので中心地だろう。けれどそうなると、範囲がどれほどか調べなくては。
不明瞭になる場所まで移動することで、夢の中心地の範囲を探ろうと決めた。
階段が外部から登れる七階建ての建築物が目に入ったので、人目を気にしながらこそこそと屋上へと足を進める。
人の多い繁華街から少し移動したからだろうか、周囲の建物は多少低いものばかりになっていて幸いにも見通しが良くなっていた。
そして遠くまでがはっきりと見えた。
見えてしまっていた。
「は、はは、……」
乾いた声が僕の口から漏れる。
見渡す限りの光景は、どこまでも鮮明に建物が続く。夢が曖昧になる場所など、どこにも見あたらない。
ああ、そうか。そういうことか。
僕はどうして夢魔に取り込まれた人が出られなくなったかを悟った。
広大なこの世界。原因となっている存在を突き止めるのは、砂漠の砂粒を探すに等しい。
腰が抜けて、その場にへたり込んだ。
「なんだよ、この広さ」
物を失くした時、部屋の中であれば数時間もあれば見つけられるだろう。
それが家の中で失くしたとなれば、数日かかるかもしれない。
仕事先から返ってくるまでの間に失くしたとなれば、どれだけ頑張って探しても見つからない事もあるだろう。
ならば、この広大な範囲から夢を生み出している元凶を探し当てるのはどれだけ大変な事だろうか。
何処まで歩けば、この夢は輪郭を失うのだろう。いや、そもそも全てが明瞭である可能性さえある。
僕も帰れないんじゃないか?
夢魔とは何だ。何がこの世界を構築している。
人の脳ではあり得ない、この現実にも等しい広大な世界を構築する存在とは。
悪魔か。それとも。
「神……?」
自然と口からこぼれた単語が、誰に届くでもなく消えていく。
僕は自然と上を見上げ、流れていく雲の細部に綻びを見つけだそうと目を凝らしたが、何も見つからなかった。
まるで、現実と同じように。
不吉な予感に冷や汗が背中を流れ落ちていった。
自分の右手の平に視線を向け、念じて小さな小鳥を出す。
それが出来る事に安心した。いつもの夢と同じように、何かを作り出すことが出来るようだ。
「大丈夫、これは夢だ」
僕は小鳥をかき消すと、自分に言い聞かせた。未知の世界に呑み込まれて恐怖に震える心を奮い立たせる。
この場所にはジュードさんも、ローリーさんもいない。
でも、師匠がいる。師匠を見つけだす。
そうすれば、きっとここから出られる筈だ。
僕はこの世界の何処かに師匠がいるという事だけを希望に、前を向く。
ズボンのポケットにコンパスが入っているのを思いだし、手に持った。
これが夢の異物までの方角を指し示してくれるだろう。つまり、師匠と夢の原因のどちらかだ。
青い矢印が頼りなく揺れたかと思うと、一つの方角を向いて止まる。
念のためもう一度コンパスをゆすって再現させたが、しっかり同じ方角で止まった。
ちゃんと使えるようだ。
「良かった」
今となっては、このコンパスだけが師匠を見つけだす頼りである。
僕は屋上から下り、道をコンパスが示すとおりに進んでいく。
どうやら来た場所へと戻っているようだ。先ほど見た繁華街に近づくにつれ人が多くなっていく。
この混雑では師匠とすれ違っても分からないかもしれない。
コンパスをこまめに確認するしかない。雑踏の中、コンパスに再び視線を向ける。
そこには縋る僕を嘲笑うかのように、回転する針があった。




