終わりの始まり
平穏の終わりは唐突にやってきた。
僕が数日がかりの仕事を終え、久しぶりに安眠堂に帰ってきた時のことである。
「ただいま」
「アラン、おかえりー!」
今日は師匠が昼寝をしなかったらしい。机の上に散らばる荷物をまとめているようだった。
ジュードさんは新聞を広げながら店番をしていて、視線を僕の方へ向けて無事を確かめた。
「問題はなかったか?」
「はい。ちゃんと悪夢の原因の呪具を見つけて、依頼を達成してきましたよ。
これで依頼者は今日から安心して眠れるはずです」
「そうか」
自信に満ちた声を聞いてジュードさんは満足げに頷く。僕は荷物を下ろすと馴染んだ椅子に座って一息ついた。
最近僕一人でもこうして外の仕事を任されることが増えてきた。
仕事をするようになった分、師匠との距離がよく分かる。師匠が平然とこなす仕事は桁違いに難しい。
たとえば今回の仕事で、何か失敗をしたとして僕が被るリスクは悪夢に魘されるぐらいだ。一方師匠は少しの失敗で命を落としかねない危険な仕事も気負わずこなす。
僕は自分が同じように仕事をこなせるイメージがまるで持てなかった。師匠の精神面の図太さはダイヤモンド並である。
変人であるのは会話して5秒で分かることだが、こういう意味でも凡人の枠を越えている。
師匠は夢魔術師と名乗るに相応しく、僕はまだまだ未熟である。そんな凄い師匠が、僕の師匠であることを口には出さないが誇らしく思っていた。
「ふむふむ!アランも中々立派になったなぁ!これでいつでも安眠堂を任せられるな!いよっ新店長!」
師匠の元に来て成長期を栄養状態よく過ごせているお陰で、確かに僕の身長は伸びたと思う。
しかし内面が成長している実感はあまりなく、魔術も師匠に遠く及ばない。なので立派などと言われてもむず痒い気持ちになる。
まあ、どうせこの発言はいつもの怠惰を極めたいが為のものだろう。
調子のいいことを言って、自分の仕事を減らす魂胆に違いない。呆れた顔で師匠を見る。
「師匠、何を言っても昼寝の時間の延長は認めませんからね。
一応店主なんだから、ちゃんと来客時には起きてくださいよ。……って、何の為の荷造りですか?」
僕は師匠が手元で遠出をする時のように荷物をまとめていることに気付いた。
よく使う香炉や、難しい案件の時に持ち出す帳面などを括っている。一週間は帰らないような量を大きな鞄に詰め込んでいた。
「ちょっとお仕事! しばらく戻れないかも!」
いつになく唐突な仕事だと思った。慌ただしい様子にも見えるが、感じた普段と違う様子はその程度だけである。
荷物を詰め込み終わった時には、雑然としていた師匠の机の上は綺麗に物が整理されていた。
「アラン、ジュード、後を頼んだ!」
いつものように師匠は機嫌良く笑って言うものだから、ジュードさんは新聞から視線も上げず静かに「ああ」と返事をし、僕もいつもと同じように師匠に言った。
「分かりました。師匠、気をつけていってください」
「はーい。今回はお土産ないからガッカリしないでね!」
「はいはい」
黒づくめのいつもの姿で大きな鞄を肩にかけ、扉を開けて師匠は出て行った。
振り返りもせず、躊躇や名残惜しさは何も見せなかった。だから、僕たちは少しも気付かない。
一人減っただけなのにとても静かな店内になる。
「何処に行ったんですか?」
「エテュードのレベイン村だ。アドルフが持ってきた話だったな。詳しくは知らん」
「アドルフが仕事を仲介することもあるんですね」
「いや、珍しい。初めてじゃないか?大体は情報源としてこちらがアドルフに聞くことが多いな。
今回はフランキーしかアドルフの話を聞いてないから、俺は内容を把握していないが」
レベイン村なら馬車で1日ぐらいだろう。何日も泊まりがけとは、師匠にしては難しい仕事なのだろうか。
しかし師匠は腐っても夢魔術師フランキーである。特に心配もせず、僕は屋根裏部屋の自室に戻って勉強でもすることにした。
いつもと同じように起きて食事をして店番をし、師匠がいない分面倒はなかったがかえって暇すぎる日常を過ごして2日が経過した。
太陽が昇りきった昼頃、安穏とした空気は突如として破られた。
大きな音をたてて扉が開き、ローリーさんが飛び込んできたのである。
「おい、フランキーはいるか!?」
僕は騒がしい様子に店の奥から顔を覗かせた。
どれだけ急いできたのだろう。ローリーさんは額から汗を流しながら、店内に視線を向けて師匠の姿を探す。
受付にいたジュードさんが、焦った様子のローリーさんに首を傾げながら答えた。
「いや、今は外出中だ」
「何処に行った!?」
ジュードさんに顔をつき合わせて叫ぶ。何をそんなに慌てているのか。
この時初めて、師匠が出て行ってからも平穏に過ごしていた僕の胸に不安が生まれた。
「エテュードのレベイン村だ」
困惑しながら言ったジュードさんの答えに、ローリーさんから表情が抜け落ちた。そして、じわじわと絶望に顔を曇らせていく。カウンターに肘を付いて片手で顔を覆う。
まるで人が死んだと聞かされた時のような、深い悲しみがあった。
「どうしたんですか、ローリーさん」
ただならない様子に僕の心拍数があがっていく。この最強の人物がこうも動揺するとは、どんな大事があるのだ。
ローリーさんは顔を見上げて僕の姿を認識し、酷く苦々しい顔をして告げた。
「夢魔だ」
一瞬、単語の意味の認識が遅れた。僕が正しく意味を思い出した頃、ローリーさんは更に言葉を続けた。
「レベイン村に夢魔が出た。フランキーは・・・間違いなく追っていったのだろうな」
珍しくアドルフからの依頼と言っていたのは、もしかして嘘だったのだろうか。
師匠は夢魔が出たら自分に情報が来るように指示していたのでは?そう考えた方が自然だった。
しかし何故、僕たちに嘘をついたのだろう。嫌な予感が増大していく。
「夢魔が出たからと言って、どうしてそう嘆く。行ったのはフランキーだろう?」
ジュードさんの言葉の影には師匠への絶対的な信頼があった。何があっても師匠は問題を解決出来ると全く疑っていない。
「ああ……そうだな、その通りだ」
しかし、口では同意しつつもローリーさんの目には哀れみが浮かんでいた。無知な僕たちを可哀想に思っているのがありありと見えた。
ジュードさんはその視線に小さく舌打ちする。事態の深刻さを、ローリーさんの様子から察したらしい。
夢魔について、何を知っている? どれほどのことを知っている? その恐ろしさ、本当に知っているのか。
僕は自問して答えられず、唇を噛んだ。
ローリーさんを以前見た時はその存在感に圧倒されるばかりだったが、今は小さく背を丸めて普通の青年のようにしか見えない。最強の魔術師ローリー・オーツが打ちのめされている。
彼は僕に警告していた。師匠は夢魔に捕らわれていると。夢魔を師匠から忘れさせろと。
緊張のあまり口がカラカラに乾いて、無理矢理に唾を飲み込んだ。
「迎えに行きましょう。今すぐ! まだ、間に合うかもしれない」
「……そうだな」
ローリーさんは険しい顔をしながらも、僕の提案に少し希望を見出したようだった。
いち早くジュードさんが無言のまま慣れた手つきで店を閉める作業と外出の準備を進めていく。
最速で全ての準備を終えると、3人で安眠堂を飛び出した。
二日前に出て行った師匠に、一歩でも近づいていると願いながら。




