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傍にいる理由2

 人生において面倒なことがなくなって、残ったのはどうでもいいことだけだった。

 ただ生きている。俺はそれだけの存在で、仕事は多く割り振られるようになったがそれもどうでもよかった。

 慣れてしまえばどんな仕事も機械的にこなすだけである。

 転機が訪れたのは、墓の下に入ったエドが真っ白な骨に変わったであろう頃のことだ。

 その日の仕事はファミリーを裏切った奴を殺すことだった。

 バートラムという何度も顔を合わせた相手だったが、特に感情が沸き上がることもなく普段通りに仕事をすることにした。

 人気のない道を歩くバートラムを襲い、猿ぐつわを噛ませて音の漏れない地下室へと連れてくる。

 細身の体型なので、一人でも運ぶのは簡単なことだった。

 椅子に縛って身動きを完全に封じたところで、口を外してやった。

 冷たい石が剥き出しの地下室で、いるのは俺と相手の二人だけである。

 雪山にでもいるのかというぐらいに身震いしたバートラムは、充血した目で俺を見上げてくる。

 頬には連れてくる時に殴った痕ができていた。

「ジェローム」

 震えながら言うのは俺の名前だ。俺は小首を傾げて応えてやった。

「やあ、バート」

 愛称を呼んだのは、少しでも口を軽くして裏切りの詳細を語らせる為だ。

 可能であれば情報を持ってこいと言われているが、必ずとは指示されていない。

 だから、どう転んでも良いのだった。

 しかしバートラムは俺を見てますます顔を青ざめさせるばかりで、少しも気を緩ませた様子はない。

 どころか顔を俯かせ、ボタボタと涙を落としはじめた。

「あんたが来たんじゃあ、俺も終わりか。そうだろ?フミンヘンの死神よ」

 最近呼ばれはじめた二つ名を呼ばれる。呼ぶのはファミリー以外のマフィアばかりだから、成る程、こいつの視点はもう完全に向こう側なんだなと再確認した。

「どうだろうな」

 いつもの感情のない俺の声が地下室に響く。温かみのない声に、これでは何も聞き出せないなと自嘲した。感情豊かなフリをするのは苦手だ。

「はは、ジェローム。俺を哀れむか?馬鹿だと思うか?いや、お前はどうでもいいんだろうな。悪魔の取引で心を失った話があったろう。童話の。お前を見たとき、あの話を思い出したよ」

「そうか」

「でも、俺こそ、お前を哀れんでいたんだぜ?今だってそうさ。お前は馬鹿で哀れな道化師だ」

 恐怖から早口になっているバートを、どうせ最後だと思って語らせてやる。

 バートラムはいびつに笑いながら、俺に言った。


「お前の弟、治らねぇように毒盛られてるのも、気付かねぇバカ野郎だってな!」


 そうか。

「とうとう毒の量間違えて、殺されちまった!」

 そうだったのか。

「いつもいつも、真面目にファミリーに尽くしてさぁ!ジェローム!」

 俺はショックを受けている自分に驚いた。嫌いだと思っていた。鬱陶しかった。死んでしまえと、一度ならず思っていた。

 そのくせ、俺は誰かにエドが殺されたと知って怒るのか。

 バートラムは一縷の望みをかけて、ぎらぎらした目で俺を見ていた。

 体を前のめりにさせて、全身で訴えかけてくる。

「なあ、お前も裏切っちまえ。今なら俺も手助けしてやれる」

 俺は無言でバートラムを見る。内面の衝撃はいつもの癖のお陰で表情には全く出ていなかった。

 彫像のよう、とも言われる俺の無表情に、バートラムは次第に絶望を感じて顔を曇らせていく。

「教えてくれて感謝する、バート」

 今度の愛称を呼ぶ声には、自分なりに感情を込めたつもりだ。表には全く現れていなかったが。

 俺はその日の仕事を、いつになく丁寧に実行した。



 俺はファミリーを裏切ることにした。一人、また一人と削るように殺していく。

 怒りに任せて、とも言えるがそれは激怒や憤怒といった激しいものではない。

 それでも俺の中には他の感情が何にもなかったので、実行するには十分の理由になった。

 そんなことを続けたらさすがに俺が裏切っていることに気がついて、ファミリー側も罠を張ってきたのだった。

 狙っていった場所に何人も待ち伏せされていた。ギリギリのところでどうにか逃げ切る。

 歩いて歩いて、傷だらけの体と朦朧する意識で暗黒街の一角で倒れ込んだ時には、雨が降り出してきていた。

 変な雨だ。温かい。

 それから先、どうしたのだろう。思い出せない。・・・・・・思い出せない?

 俺は目を勢いよく開いた。今まで、自分が寝ていたことに気付く。先ほどの夢は、意識を失う寸前までの過去だ。

 周囲を探ると、個人の寝室にしては簡素で、宿屋にしては調度品の多い部屋に寝かされているらしかった。ここが何処であるかは把握できない。

 そして傍で自分を観察していた黒づくめの人間の存在に気づき、拘束すべく即座に手を伸ばした。

 が、それは実行できなかった。

 不自然に強烈な眠気が襲ってきたからだ。伸ばした手が力なく沈んでいく。

「私に敵意を向けると、眠くなるぞ。止めた方がいい」

 しわがれた声は辛うじて女であることが推測できる程度の弱々しいものだ。

 その特異な格好から察するに、魔術師だろう。しかし今まで見てきた中でも100年前の風刺画のような、一等怪しい魔術師だった。

 俺は襲い来る眠気を払うために、自分の手にナイフを突き刺した。溢れる血がシーツに滲んでいく。

「うわあ、ベットが!汚れる!やめたまえ、見ていて痛いし!」

 魔術師は慌てた声で、俺の額に指を当てた。力が抜けてベッドに倒れ込む。どうやら魔術を使われたようだった。

「買ったばかりのベッド。買ったばかりのシーツ。買ったばかりの布団・・・」

 酷く悲しい声で魔術師が血塗れになった俺の手を取る。ナイフと引き抜いたかと思うと「そして開店祝いの特効傷薬・・・・・・」と、ぶつぶつ文句を言いながら怪しげな紫色の液体を手に掛けた。

 そんな惜しそうな目をするなら使わなければいいのに。

 じゅわじゅわと泡だった後には、手には何の傷跡も残されていなかった。

 どうやらファミリーの追っ手ではないらしいことと、自分に抵抗する術がない現状を把握する。

「・・・・・・誰だ」

 俺の問いかけに、目元しか分からない黒づくめの奇妙な魔術師は胸を張って答えた。

「よくぞ聞いた!私はこの『安眠堂』の店主、フランキーである!

君は半日前、道ばたに落ちていたから拾ってきた!」

 なるほど。どうやらこの場所はフランキーの営む店の中のようだった。

 しかし、自分という怪しげな男を拾ってくる理由が分からない。実験台にでもするつもりだろうか。

「拾ったものは、拾い主のもの!という訳で、店員にならないか?今なら第一号の店員だ!これを逃さない手はないぞ」

 どうやらそんな理由らしい。この妙な魔術師は、たったそれだけの理由で俺を介抱したのだった。どんな人間かも知りもせず。

 馬鹿馬鹿しいが、不思議と気分は悪くなかった。久しぶりに少し晴れた気持ちだった。

「悪いが、今取り込み中でな。アンタの店を手伝えるほど暇ではないんだ」

 巻き込んでやるのは可哀想に思った。今までこんな気遣いなど誰かにしてやったことはないが、フランキーを変人だと思いつつも気に入った。

 しかしフランキーは俺の言葉など気にした様子もなく、当然のように言った。

「知っている。悪いが、覗かせてもらった」

 何を。と疑問に思うのと同時に、寸前まで見ていた夢の内容を思い出す。

 奇妙なぐらい克明に覚えている夢だった。そしてこの店の名前は『安眠堂』である。

 なるほど、どうやら本物の魔術師のようだった。

「俺の夢を見たのか」

「・・・・・・すまない」

「いや。つまらない話だったろう」

「それは私が決める。でも、楽しくはなかったな」

 前に魔術師を見たのはいつだったか。曲芸師のように火の玉を投げてくるやつがいたが、特に苦労せず仕事を終えた覚えがある。

 フランキーがそれを越える魔術師なのかは判断がつかなかったが、相手の手の内の中である以上、俺が適いそうにない状況だと改めて認識した。

「それでも俺を誘ったのか」

「まあね、真面目そうだし」

 何処を見てそう評価したのか分からない。人を殺しもするし、裏切りもしている人間だ。

 フランキーは俺の反応を気にしたそぶりもなく、懐から大きな赤い石のようなものを取り出した。

 楕円形の手のひらに乗るぐらいの大きさのそれは、どうやってか中に複雑な文様が細密に内部に立体的に書かれていた。

「魔術を保存する血盟石だ。このサイズの物は珍しいんだからな!超高かったんだからな!

それに、私が全力で魔術を込めといた。この店の商品で一番高価な売り物だ。これを使えばどいつもこいつもぐっすりさ。ただし、一回だけの使い切りタイプ」

「眠るだけか?」

「眠るだけ」

 いつの間にか体の硬直は解かれていた。動くとはいえフランキーを拘束するつもりはもうない。

 体の確認を終えるのを見計らって血盟石を手渡されたが、効果を聞くと大して役には立ちそうにない。これをどうしろと言うのだ。

「店員になるのは、そのドタバタが終わってからでいい。キリが良いところで、ぜひここに戻ってきてくれ」

 なんて楽天的な発想だ。俺はこの先そう長い間生きられないだろう。

 ファミリー一つ敵に回して、死なない筈もない。フランキーの暢気な発想は、全く夢物語だった。

 呆れたが、それも表情にはでないのが俺だった。

「覚えとく」

 受け取った血盟石を自分の懐にしまう。人生最後にこの妙な魔術師に拾われたことは、そう悪くはなかった。

「世話になった」

 俺はベッドから足を下ろし、立ち上がって肩を回す。夢見はよくなかったが体は回復できたようだった。俺が扉を開けるのをフランキーは止めずに、一言だけ告げた。

「忠告しておく。できればソレは夜に使った方がいいぞ!」

 俺は返事代わりに片手を上げて応え、妙な縁ができた安眠堂を後にしたのだった。

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