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傍にいる理由1

ドシリアス注意

 ベッドと椅子しか置いてない狭い一室で、採光の為だけに作られたような小さな窓。

 そこから入ってきた日の光が、ベッドの上に横たわる弟のエドの顔を照らし出していた。

 もう数分は眺めているが、布団が呼吸に合わせて動く様子もなく。

 本当に亡くなっているのは確からしかった。

 綺麗な言葉を選べば眠るように、と表されるのだろうがエドに限っては元々死体みたいな貧弱な体だったのでそれが本当の死体になっただけと言うのが的確だろう。

「容態が急変したのは今朝だ。呼びに行こうと思ったが、その前に死んだ」

 俺の後ろで藪医者のジジイが感情のない声で事務的に言った。

 耄碌してそうな高齢だが、足腰だけはしっかりしていてこの小さな診療所をたった一人で切り盛りしている。

 藪医者だが、医者は医者だ。俺の弟が藪医者に治療してもらえたのは俺がマフィアの飼い犬だからであり、このジジイがマフィアのお抱えの医者だからだった。

「・・・・・・出て行ってくれ。兄弟の別れだ」

 俺の言葉に肩をすくめると、躊躇うそぶりもなく藪医者は部屋から出ていった。

 静かになった部屋でエドの顔をのぞき込む。良く自分に目元が似ているが、輪郭はやせ細っていて比較も出来ない。

 可愛がっていた弟だったが、胸の内に広がるのは惜別の思いではなく兄弟という重石がなくなった開放感だった。

「エド」

 いつも申し訳なさそうに謝るお前に否定していたが、内心苛立っていたのを賢いお前は気づいていただろうか。

 何一つお前のせいではない。知っていたが、それでも俺はお前を恨んでいた。

 せめて死後の今は天国か極楽か、知る由もない別の場所でろくでもない兄と分かれて幸福に包まれていると信じさせてくれ。

 言葉に出さずに懺悔する。胸によぎるのは、弟を抱えて歩まざるを得なかった自分の半生だった。

 記憶を遡ってみると弟が歩けるようになった頃には既に体調を崩しがちだったような気がするので、弟の虚弱な体質は生まれ持った性質なのだろう。

 人に言えない仕事ばかりしていた母も忙しく、俺は仕方なく予想も出来ない弟の体調に振り回される事となった。

 他に誰もいなかったから、義務だと勝手に思い込んでいた。それは後々まで、深く俺の内部に突き刺さっていた。

 まともな生活なんて夢にも思い描く事もなく、俺は日銭を稼ぐために道端で靴を磨き、家では弟の面倒を見るだけの毎日だった。

 場所取りの為に同じような獣のような眼をした子供と争う事もあった。

 俺だって生きるために一歩も譲らなかった。時には殴り合いだってした。

 運良く筋力には恵まれていたので、気づけばそれなりに同じような子供をまとめる立場になっていた。子供同士とはいえ尊敬や親愛で成り立ってない、極めてビジネスライクの関係だ。

 得だと思わせていれば裏切る事もないので、分かりやすくていい。情なんて、ハナから互いに持ち合わせてはいない。

 それでもうまく回っていた。

 ・・・・・・きっかけは何だったのだろうか。

 耐えきれなくなった母が失踪した事だろうか。

 人間を一人、殺した事だろうか。

 酔っぱらっていた若い男を、身ぐるみを剥いで路地に転がした時のことだった。

 運悪く、男は酒樽の角に頭をぶつけて死んでしまった。流石に俺も焦り、隠す手だてを必死に考える。

 このころには役人の見回りも、マフィアの動向も子供の情報網からよく知っていたので、マフィアがよくやるように重石を手に縛って川に沈めたのだ。

 それを忘れかけたある日、アイロンのかかった服を着こなした男が俺を訪ねてきた。

 男は俺に聞いた。マフィアの手下となって、弟を養うか。二人とも殺されるか。どちらがいいかと。

 記憶の中の俺は諦めきった表情で、その男の手を取った。

 弟がいなければきっと俺と母親は別の人生もあったろう。しかし、現実はそうはならなかった。

 今更背負い続けてきた重荷がなくなったところで、まともな道に戻れるはずもない。

 目的を失い、夢を描くことなく、ただ生きている。俺はそんな人間でしかないのだ。

 ああ、いつまで続く。この無意味な人生。きっと死んでも弟と同じ場所には行けまい。

 弟には最後まで、俺がまともな仕事についていると嘘をついていた。エドは無垢に信じたまま逝ったのだろう。

 自分の両手の平に視線を落とす。一見普通の手のようにしか見えないが、時折この手は血生臭く香っている。

 俺のようにマフィアに人質がいる人間は、特に危険な仕事を割り当てられていた。つまり、暗殺である。

 慎重な性格がこの仕事に合っていたようで、マフィアの内部でそれなりに評価されているようだ。

 待遇はマシになってきたが、所詮汚れ仕事なので幹部になることは決してない。

 今日は夜から仕事が入っていたのを思いだし、弟との別れを終える事にした。

 部屋を出ると診察台に本を広げて眺めていた藪医者が顔を上げて俺を見た。

「もういいのか?」

「ああ。葬儀屋を呼んでくれ」

「分かった」

「俺はこれから仕事だ。戻れなかったらあんたに任せる」

 マフィアの一員である俺の仕事がまともでない事は察しているのだろう。藪医者はなげやりに頷いて了承した。

 診療所を後にして、裏通りの人がまばらに行き交う中に足を向けた。不幸を負った人間の運命など知るそぶりもなく、日の光が路上に降り注ぐ。

 エド。お前は外を出歩く俺を羨ましいと言ったな。俺のように走れる体が欲しいとも。こうして外を眺めて、町中を好きに闊歩して。色々な人と交流して、人並みの生活をしてみたいと。

 だがこの手は人を殺すのだ。

 無情に残酷に冷徹に容赦なく。お前の世話をする同じ手で。

 暢気なお前が好きではなかったよ。

 言ってしまっていたら、きっと俺を嫌いになっていただろう。拒むこともできない自分を俺以上に嫌悪しながら。

 それが分かっていたから、俺はお前を鬱陶しく思っていたのかもしれない。

 瞼を閉じる。懺悔を言う相手もいなくなってしまった。

 ああ、畜生。これからどうやって、生きていけばいい。

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