屋根裏部屋1
目を開けると、太陽が高い場所まで上がっているのが窓から見えた。
普段起きている時間に聞こえる筈の鳥の声も無く、頭が一気に冴えるのが分かった。
「うわぁッ寝坊した!」
慌てて掛け布団を蹴り上げて見回したのは自室である屋根裏部屋だ。
勉強机の上に山のように積まれた本と、師匠よりは整理されておかれている魔法道具の数々はよく見慣れた光景である。
ガラス花瓶のような見た目の足下にある道具を踏まないように手でよけてベッドから降りた。
魔法道具のたぐいでガラスで出来ているような繊細な物は、壊さないように僕の部屋に置いてある。
師匠が寝ぼけてうっかり踏んだりしない為の配慮だ。
部屋の隅の帽子かけには頭部に持ち手のついた鳥の形をした陶器の魔道具が幾つもかけてあり、着替える僕と目が合うと威嚇するように鳴いた。
僕は屋根裏部屋から古びた木製の梯子を一段ずつ軋ませて降りる。
寝坊で慌てる僕を見て、受付に座りながら新聞を呼んでいたジュードさんは歯を見せて笑った。
「おはようアラン。今日はよく寝たな?」
いつも師匠の寝汚さに対して強気な僕の失態に、からかう調子である。
「ううう、すみません。何故か起きられませんでした」
「疲れか?無理はするなよ。お前は立派に安眠堂の戦力の一つだからな。
仕入れに関しても、もう殆ど教えることも無くなってきたし」
「そうですか」
僕はジュードさんに誉められて相貌を崩す。実質ほぼ一人で仕事を回しているジュードさんに認められる事は、僕が一人前に近いことを意味している。
僕が一人で十分この店を切り盛りしていけるならば、ジュードさんはもっと遠くまで貴重な材料の仕入れに行くつもりだと言っていた。
そうして単価の高い薬が作れれば、もっと生活も楽になるだろう。
この調子で頑張っていけば遠くない未来だ。
よし、と一人気合いを入れて僕は師匠を起こすべくいつも寝ている部屋へ行こうとした。
「フランキーは外出中だ」
当然のようにジュードさんに言われて、動きを止めて瞬きする。
「師匠が?ジュードさんが起こしたんですか?」
「いいや自力で起きたぞ。ここ暫くそうだっただろう?」
そうだったか、僕は少し頭を巡らせた。
ああ、そうだった。僕の長年の苦労の甲斐があって、師匠はもう自分で目が覚めて起きることの出来る人間になったのだった。
こう言うと極めて普通の事に思えるかもしれないが、師匠に限っては偉業である。
もう一度言う。偉業である。
隙あらば眠り、人生の目的を全て睡眠に捧げていた師匠が遂に自力で起きれる人間になるなんて。
僕は目に熱い物がこみ上げるのがわかり、ジュードさんにばれないように目頭を押さえた。
「そうでした・・・そうでした。外出先は何処でしょう」
「いつもの散歩だ」
「散歩!?」
僕は今度こそ顎が外れそうなほど大口を開けて驚いた。
丸一日外出しない日も普通だったあの師匠が、どんな天変地異があって散歩する人間になったのだろうか。
ジュードさんは僕に不思議そうに小首を傾げて言った。
「なにを驚いている。お前が言い出した事だろう」
「僕が?」
「ああ。ローリーさんの修行から帰ってきてから、やけに熱心にフランキーを毎日散歩させていただろう」
僕は言われて思い出した。鳥熊に襲われてから師匠の貧弱さをどうにかしようと、一念発起して毎日せっせと連れ出したのは僕自身だ。
どうして忘れてしまっていたのだろう。
すっかり習慣づいたおかげで、今日のように寝坊しても師匠は自分で散歩に行ってくれたのだった。
ジュードさんはいつもと違う僕の様子に疑問を持ったようで、新聞を畳んで無造作に机に置くと僕に向き合った。
「今日は随分変だな。また変な術でもフランキーにかけられたか?」
僕自身も、喉がつっかえるような、収まりの悪さを感じるものの原因が思いつかない。
「わかりません、師匠が戻ってきたら、師匠に聞いてみます」
「そうしろ」
師匠に聞けば、きっと分かるだろう。僕は師匠の事を魔術的な点で疑ったことはない。
例え直ぐに答えられなかったとしても一緒に考えてくれる。
意味不明な言動も多いが、本当に困ったことにはちゃんと面倒を見てくれるのだ。
その許されている甘えが何より嬉しく、感謝と尊敬を抱いている。本人に直接伝えたことはないけれど。
「ただいまー!」
いつもの元気な声が聞こえてきて入り口を振り向き、僕は固まった。
師匠である。確かに、いつもの黒い怪しげなローブや手袋やらをしていて、謎のテンションの口調は師匠そのものである。
しかし、その見事な美しい黒髪はなんだ。まるで舞台女優のように手入れがされ、絹糸のように艶めいている。
その肉付いた薄紅の頬はなんだ。痩せこけていて頬骨が浮き出ていた面影などなく、玉のように光って靨に愛嬌がある。
瑞々しいその唇は、薄皮が向けて乾燥しきった過去の干物のような様子を忘れ去れるほどに張りがあった。
「誰だこの美人は」
呆然として口からこぼれた言葉に師匠らしき人物がふふ、と艶やかに笑った。
「誉めるなあ、弟子よ!全部弟子のお陰じゃあないか!」
いやいや、流石にこんな変貌させるような変身術を師匠にかけた覚えはない。
「食事をとらせ、たたき起こし、運動させ。
弟子が人並みの生活にさせてくれたから、こうしてまともな姿に戻ったんじゃあないか!」
変身術ではなかった。地道な努力の結果のようだ。
確かにそれらに覚えはある。自分がやってきたことに間違いはない。
「僕のお陰・・・でしたっけ」
「そうそう」
目の前の美人師匠は輝きのオーラを発しながら頷いている。町中を歩いていれば、皆が振り返るような美人だ。
元の姿と余りに違う気がするが、目が二つあって鼻と口が一つずつある作りに代わりはない。
そう言われてそんな気がしてきた。うん、師匠が美人で困る事はないじゃないか。
「僕のお陰でしたっけ!」
「そうそう!」
僕はすっかり疑念を晴らし美人師匠を受け入れた。こんな素敵な師匠で何の不満もない。
僕たちの様子を見ていたジュードさんが僕に言う。
「そういえば何か聞きたいことがあったのではないか?」
「うん?」
ジュードさんと美人師匠の視線が僕に集まる。子供に向ける、溶けそうに甘い優しい表情で。
「何か、今日起きてから違和感があるというか・・・いつもと違う気がするというか・・・」
「気のせいだ!だって何の問題もないんだろう?」
畳みかけるように美人師匠は僕の疑問を笑い飛ばした。
小さな芽を摘むような、無造作な圧力を感じた。少しの反抗心が沸き上がる。
それを敏感に感じたのか、美人師匠は僕の顔をのぞき込む。視線を合わせてゆっくりと話しかけてきた。
「何が不満だ?」
「不満は無いんです。でも・・・」
「今、とても幸せだろう?なら、あまり細かい事など気にするべきではないよ」
目の前の美人師匠は今まで見てきた誰よりも魅力的で、優しくほほえんでいる。
何かがおかしい。いや、なにもおかしくない。
何かが違う。いや、なにも違わない。
迷った末に、はいと言おうとした僕の口からでた言葉はそれでも真逆だった。
「いいえ」
答えを聞いて二人とも瞬時に表情が抜け落ちた。人形のような二人に、やっぱりと納得する。
「これは夢、でしょう」
二人の姿が霞のようにぼやけて空気に混じって消えた。




