道ならぬ恋
「私、恋してるの!!」
そう溌剌とした表情の少女は頬を染めて僕に宣言した。
愛らしい様は誰がどう見ても、恋する少女だ。
僕は屋根に座って、隣の少女の力説に声を傾ける。
そう、今居るところは落ちたら怪我では済まされないような危険な屋根の上である。
座っている赤い瓦の屋根の隣には鐘塔があり、鐘が吊された周りには守護天使の華美な像が周囲を見渡していた。
こんな変な所にいるのは、勿論此処が夢の中だからである。
師匠曰く修行だとかで誰とも知れない夢に潜入させられたのだが、夢の主人に簡単に発見されて今に至る。
夢の主人たる彼女は青い髪が印象的な美しい少女で、僕を話し相手に任命したのだった。
「この恋に一生かけてもいいわ」
「へえ。そんなに良い人なんだ」
僕は正直、人の恋話なんて興味もないのだが、夢の主人の機嫌を損ねるのもつまらないことになりそうで仕方なく話を合わせている。
少女は大言壮語にもそんな風に言うが、僕はどうにも本当には思えず適当に相槌を打った。
「そうよ、怪我した私を介抱してくれたの。優しかった」
「ふうん」
ああ、それは女の子が好きそうなパターンである。
僕なんて他人に積極的に関わるのが怖いので、そんな状況にはならなそうだ。
きっと彼女が恋した人は人当たりがよくて面倒見の良い、親切な人間だ。
「ほら、来たわ!」
「・・・え」
少女が指さした先の人物を見て、僕は戸惑いを隠せない。
鐘塔に上ってきて今にも鐘をならそうとしているのは、どうみてもおじいちゃんに分類される男性だった。
「・・・ちょっと年上過ぎない?」
「渋いわよね・・・素敵」
どうやら恋は、こんな障害など気にも止めないようだ。
彼女の恋が成就したとして、あの男性は白い目で見られるのは確実でありそうだ。
実際は彼女が一方的に好いているのだから、不憫。いや、妬ましいと見るべきか。
凄いなあと素直に彼女に感心する。
僕は他人に一歩線を引いて接してしまうから、そんな風には振る舞えないだろう。
「毎日おはようって言うと、おはようって返してくれるの」
「普通じゃない?」
「他の人は返してなんてくれないわ」
それは周囲の環境が冷たいな。でも僕の住んでるところでも爽やかな挨拶など期待できないからどこもそんなものか。
老人は慣れた手つきで鐘をならすと、直ぐに階段を下りて姿を消してしまった。
「毎日鐘をならす姿を見るのが、私の日課なの」
「そうなんだ」
だから夢の場所も鐘塔の近くなのかと納得する。
しかしいくら修行とはいえ、少女の恋バナを延々と聞かされるのも退屈ではある。
師匠は僕に何をさせたいのだろう。
あの人なりに可愛がってくれているのを、僕はちゃんと知っている。
だからこれにも意味がある筈なのだ。
傍目に見ても分かるぐらい浮かれて老人の姿を見送った少女は、姿が見えなくなった途端落ち込んだ顔をした。
眉をハの字にして、胸の前で手を組む様子は祈っているようにも見える。
「どうしたの?」
「・・・現実で、もう何日もあの人の姿が見えないの。
私が会えるのは、今は夢でだけ。何かあったのかしら」
僕の脳裏に閃くものがあった。
もしかして、彼女の悩みこそが僕の修行なのではないか。
いや、そうに違いない。僕のやるべき事は此処では他に無いように思えた。
僕は自分勝手にもただ己の為だけに、彼女の悩みを解決しようと思い立った。
「何か思い当たる事はある?」
「いいえ。私があの人に会えるのは、いつもほんの少しの時間だけだから」
顔を歪めた彼女は、膝を抱えるようにして体を縮こませる。
「もしも・・・よ?」
声は泣きそうに震えていたが、気丈にも堪え、言葉を絞り出した。
「あの人が、体調崩してたりしたらどうしよう。
もう、会えなかったらどうしよう・・・」
少女の弱りきった姿に静かな衝撃を受ける。
そこには確かな熱があった。僕がまだ知らない、手に入れた事のない感情の熱が。
そこに尊さを見出してしまったのは、僕がまだ本当の価値を体感してないからだ。
「僕が見つけるよ」
自然と言葉が出ていた。
一瞬前まで考えていた、自分の修行とかは関係なく。
「本当?」
少し期待を込めた声で、少女は僕を窺う。
「うん。君の大切な人を、見つける手助けをさせてほしい」
ほっとした表情で、少女は柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。
実はちょっと強引にでも協力を取り付けようと思ってたけど、そうしなくて良かったわ!」
僕は笑顔を返そうとした顔がひきつるのを止められなかった。
夢魔術師の弟子としては結構洒落にならない言葉である。
なぜならば、此処は彼女の夢の中。
師匠ほども熟練していない僕なんて、掌の上の虫同然である。
気分次第で簡単に殺されることも実は出来てしまうのだった。
師匠は「彼女を怒らせない方がいいよ!命的な意味で!」なんて笑いながら言っていたが、師匠の場合重い警告も軽く言うので、たぶん本当に危ないのだろう。
彼女がどんな脅しを考えていたかは分からないが、実行されることはなくなったようでまずは安心した。
「怖いことは勘弁してよね」
「ええ、そんなことしないわ。手伝ってくれるなら」
実に嬉しそうなその笑顔が不穏だ。
これ以上この件に関して考えるのは止めよう。僕の精神衛生上良くない。
師匠が選んだ夢の主を信じるしかない。
「ま・・・まあ、まずはこの場所が何処か教えてよ」
「町の西外れの方にあるの」
そう言うと、彼女は僕の手を取って宙へと浮かび上がる。
地面から足が離れるという経験をしたことがない僕は、彼女の手をしがみつくように握った。
上空から見下ろした町並みは普段とは違う視点からであったが、確かに見覚えがあった。
「ああ、セントアダルバート教会かな」
「名前は知らないわ」
そう答えてから、彼女は僕をすがるような目で見て言った。
「お願いよ。また、此処で。あの人に会わせて」
「起きたらこの教会の事を知ってそうな人に聞いてみるよ。
それとも、自分でもう何か調べたりした?」
彼女は首を横に振る。諦めた表情だった。
「誰も、何も答えてくれないの」
僕は首を傾げた。どういうことだろう。
彼女には教えてくれない事情があるのだろうか。
聞こうと思って口を開いた時、視界が次第に白く染まりだした。
目覚めの時間だ。もうまもなくこの夢が終わろうとしている。
僕は慌てて最後にどうしても聞きたい事を聞いた。
「君の名前は?」
白む視界で輪郭も見えづらい。彼女は答えず、ただ笑っている。
そんな意地悪な。
手伝いをする僕に、もう少し協力的になってもいいじゃないか。
僕は彼女の秘密めいた笑いを見つめながら、夢から覚めたのだった。
◆
目が覚めたら、師匠の顔が超至近距離にあって反射的に右手を顔にめり込ませた。
「おっふ!いきなりなんだ!」
「師匠こそ、なんでそんな顔近いんですか!」
師匠は直撃した鼻をいたわるように手で押さえつつ、涙目で僕を見た。
「なんだいなんだい。
心配して覗いてやってたというのに。この仕打ち!」
「え、師匠いたんですか?」
「おうとも。屋根瓦の一部に扮して一部始終をじっくりと観察したぞ」
うわあ。ちょっと危ない人っぽい。
行為はともかく、素直に技術力には感心する。
夢の中で自分の本来の姿から離れるほど擬態するのが難しくなる。
以前僕が三つ耳のあるウサギを出したが、普通の人の技術はその程度なのだと最近判明した。
ましてや生き物でもない屋根瓦に化けるなど、技術力は本当に凄いのだ。技術力は。
「しかし弟子もお人好しな。
折角可愛い美少女を探してきてやったのに、ロマンスを始めるどころか人の恋路の手伝いとな!」
「そんな魂胆だったんですか!?」
「いや、修行だよ修行!弟子で遊ぶのは二の次さ」
いつもの調子で楽しげに話されて脱力すると同時に、はたと気づく。
「あれ・・・ということは、あの子の手伝いをするのが修行じゃあないんですか」
「・・・さて!昼寝の準備でもするかな!」
「今起きたばっかりでしょう!
じゃなくて、僕はどうすれば良かったんですか?」
師匠は実に楽しそうに、けれど突き放すように言った。
「自分で気付け!」
僕は一体、何を見落としているのだろう。




