第一章 少年魔術師と少女魔術師(1)
1
「どうしたんだ、春歌?」
香月が屋上にやってきたのはそれから五分後のことだった。屋上はあまり何度も入ることのできる場所ではないので、入るときには慎重な行動をするべきである。無論、見つからなければあとはどうでもいい、というわけでもないのだが。
一応、昼休みには扉の鍵は施錠されていない。解放されている、といってもいいのだが、しかしそこを使うことを先生たちはあまりよく思っていない。屋上は安全性が確保されていないから、というのが先生の言い分らしいのだが、大半の学生は自分でその責任を背負うことができないからだ――と考えている。まさにその通りなのだが、先生は何かあったときに学生を守らねばならない。それを考えると、『保険』として屋上の使用を禁止するのは、彼らにも理がある。
「……私は、まだ解答を聞いていないの」
「解答?」
「知っているはずよ。……それともあなたは私にもう一度、あんなハズカシイことをしろと言うわけ?」
香月は忘れているわけではない。もう少し時間がほしかっただけなのだ。
香月は二週間前、春歌から告白を受けた。
それは今では珍しいのかもしれない、王道の展開。
――好きです、付き合ってください。
その言葉を聞いて、ドキリと胸が高鳴らないわけはなかった。
だが、彼はすぐに考えた。
彼は魔術師だ。この前の事件のように、命を狙われる可能性だって十分にあり得る。
「……だから、難しいんだ」
「え? 何か言った。もしかして、解答!?」
「違う! そういうことじゃない」
正確には間違いではないのだが――今ここでいうことではない。彼はそう思った。
そんな時、彼の携帯が鳴った。
「……電話か?」
それを見て、春歌は頬を膨らませる。
「もしかして仕事の依頼? それにしても、学生だということをわかっているはずなのに、ユウさんも手荒だよね。これでまた長い間外出ってなったら、学業がおろそかになる可能性だって有り得るって解っていないのかな?」
「それはさすがに理解していると思うぞ。だって、そろそろ受験シーズンだからな?」
「それって来年の話よね? 来年の今頃、ならばそろそろ受験シーズンという言葉も頷けるけれど、まだ進路を決めたかどうか、って段階の話になるよね?」
「まあ、そうなるな」
香月の言葉にさらに腹を立てていく春歌。
しかしそんなことよりも、香月にはその電話に出る必要があった。それが仕事の電話であることは間違いない(香月はプライベート以外に仕事用の携帯電話を持っているので、基本プライベートの電話と仕事の電話が混合することはない)のだが、それの内容によっては緊急に対応する必要がある。
だから案件の緊急性を理解するために――電話に出た。
「もしもし、どうした?」
『香月か。今、話をしても大丈夫か?』
「大丈夫だから、今電話に出たんですよ。それで。ボス直々に何の御用ですか?」
『それが、だな……。いや、話せば長くなる。まずは今日の放課後、アジトに来てくれないか? 話はそこですることにしよう。とてつもなく長くなるのでね』
「まあ、そこまで言うのであれば……。わかりました、それでは、今日の放課後で」
そう言って電話を切った。
「……ユウさんから?」
こくり、と頷く香月。
午後の授業開始を知らせるチャイムが鳴ったのはその時だった。
「……おっと、不味い。急いで向かわないと、次の授業は英語だったから。あの先生にどやされると面倒なことになる!」
そして香月は走り出した。
春歌もそれを見て、彼の後を追った。
2
夕方。
ヘテロダインアジトにて。
「……突然申し訳ないな」
大きな会議室には、今三人の人間しかいない。
一人は柊木香月、一人は彼の妹である柊木夢実、そして、その向こう側でワインを嗜んでいる一人の女性は、ヘテロダインのボスであるユウ・ルーチンハーグだった。
「……実は、アメリカのとある刑務所から、ある魔術師が脱走しました」
「ある、魔術師?」
首をかしげる香月を見て、笑みを浮かべるユウ。
そしてユウは、ワイングラスを傾けて、中に入っているワインを飲みほした。
「……その名前は式山カノン。かつてランキングホルダーだった彼女は、ある脅威的な『魔術』を行使したことによって逮捕された」
「逮捕された……ですって? それは、どれほどの威力の魔術だというのですか」
言ったのは夢実だった。夢実は香月の隣に――正確に言えば角を挟んで横に座っていて、香月の表情を横目に話していた。
ユウはワイングラスをテーブルに置いて話を続ける。
「ええ、その魔術は世界を崩壊させることの出来る、圧倒的エネルギーによる魔術。エネルギーを凝縮させた球体を、その場所にぶつける。それによって、核以上の被害を受けることもある」
「……核以上の被害……。それが魔術で可能になるのですか?」
「かつては魔術師が戦場に出たこともあったんだ。そんなことは不可能じゃないし、何も珍しい話じゃない。実際問題、今でも世界の戦場には魔術師が戦争兵器として投入されているといわれているのだから」
魔術師が戦争兵器となっている時代。
それは昔ではなく、今でもどこかで起きているという。
夢実はそれを理解していたが、いざそう言われると困惑してしまう。それによって何が得られるかと言われると微妙なところなのだが、しかしながら、世界はそれでも変わらない。だから未だに魔術師を忌み嫌う勢力が居ることだって間違いじゃないし、魔術師組織のアジトに平和を謳う市民団体が抗議に訪れることだってある。
「式山カノンは、かつて中東で起きた『第二次魔術師戦争』で活躍した英雄だ。中東の奇跡、という単語は聞き覚えがあるだろう? きっと、いやでも社会の授業で習ったものだと思うが」




