マーゼスとシェリー
私が帰宅したのは午前5時半のことだった。家の鍵を開け、高いヒールを脱ぎ、
「ただいま」
と一声かけると、そこには20代後半の男が立っていた。背丈は175cm程。眠そうに目を擦っている。だぼだぼのTシャツとジャージのズボンから察するに、今日も徹夜だったのだろう。徹夜ではない彼は髭も剃っていてとても恰好いいのだけれど、徹夜明けの髭が伸びた眠そうな顔も可愛くて私は好きだ。
「...おかえり」
「ただいま。寝ててもいいのよ?」
そう言いながらハンガーにコートを掛けると、飼い猫のアランがいつの間にか足元に擦り寄っていた。顎の下を撫でてやれば、ゴロゴロと喉を鳴らす。久し振りの感覚に笑みが漏れた。
「いや、朝飯作ったらねる...なにがいい?」
「そうね...じゃあいつものをお願いするわ」
「りょうかい」
名残惜しさを感じながらアランから手を引くと、ダイニングの椅子へ力を抜いて座り込む。ちらりとキッチンを見れば、眠そうに目を擦りながらゆったりと動いている姿が見えた。
この男の名はシェリーと言って、三年程前からこの家に居候している。急に私の家に押し掛けてきたかと思えば、ドアを開けての第一声が『居候させてくれ』だったものだから、とても驚いたのを覚えている。
元々仕事上よく一緒になったりもしていたのもあって、この家に馴染むのはそう遅くはなかった。今となっては家に誰もいないと寂しいものがあるぐらいだ。
仕事で家を空ける事が多い私より、PCで仕事をするシェリーの方がこの家の主らしくなってきていて、飼い猫のアランもよくシェリーに懐いている。
私はカウンターキッチンの椅子に腰掛けてトポトポと注がれた珈琲に角砂糖を一つ入れる。ブラックは苦すぎて飲めない。少しかき混ぜ、それから熱い珈琲に息を吹きかけた。湯気がゆらりと揺れる。
「はいよ、」と、しばらくして私の目の前には食パンの上にスクランブルエッグを乗せた『いつもの』が置かれた。ちらりと上を見れば眠そうなシェリーがいる。
「無理しなくて良いのよ?」
そう言うと、シェリーは眉間に皺を寄せながら一つ欠伸をした。
「俺は大丈夫。それより報告書まとめないとやばいんじゃないか?明日か明後日には本部まで行かなくちゃいけないんだろ?」
全く本部も鬼だよな、とぶつぶつ呟きながらドカッと椅子に座るシェリーを見る。珈琲を入れたカップを持つ手が怪しい。
「それ、零さないようにね」
シェリーは一瞬ワケがわからないという顔をしたが、珈琲のことを言っているのだとわかると眉を上げ、ズズッと珈琲を飲んで言った。
「それぐらいわかってらぁ」