出会いと別れ
ゆうちゃんと別れ、家を出ることになった。これで、両親二人だけの家となってしまうんだ。少し寂しそうな両親と別れ、私は社長の家へと引っ越した。
車で、社長が迎えにきてくれ、昨日の夜、荷造りしておいた荷物を、手分けして運んだ。両親とは、もう二度と会えないわけじゃないので、湿っぽい感じの別れではなかった。ただ、私がこの家に来ることが、あるかどうか。実家に帰れば、ゆうちゃんと会ってしまうかもしれない。しばらくは、ゆうちゃんと会わないようにしたいと思っている。
顔を見てしまえば、気持ちが揺らいでしまう可能性は、十分にある。自分の弱い心を出さないためにも、もう会いたくはない。
社長の家は、高級住宅街の中にあった。高そうなマンションの最上階が、社長の部屋だ。もちろん、入り口にはオートロックがあり、エレベーターもついている。全体的に、落ち着いた茶色に統一されており、ドアノブなど細かいところに金色があしらわれている。
社長の部屋に着き、大理石の玄関を抜けると、だだっ広いリビングに目を奪われた。窓からは太陽の光が、注ぎ込まれ、部屋が真っ白く見える。白とアイボリー――似たもの同士の色ではあるが、上手く混ぜ合わせてあるので、とても落ち着いた感じに見える――に統一された、清潔感のある部屋だった。
奥の部屋に案内されると、「ここが、あなたの部屋よ」と言われた。その部屋は、すでに掃除がされたようで、塵一つ落ちていないし、荷物が置けるようにクローゼットも空になっていた。ベッドだってある。
ここまでよくしてもらって、恐縮していると、部屋を案内すると言われてしまった。荷物を置いて、社長に部屋を全て案内してもらった。トイレとお風呂はもちろん別になっており、トイレにはウォシュレットが付いていた。
台所は、少し広く、導線にかなり気を使ってあるらしい。大きな冷蔵庫が台所を支配するかのように、置いてあり、電子レンジやオーブントースターなどは、棚に整頓されてある。
全ての部屋を案内してもらうと、隣の人に挨拶をしようと言われてしまった。言われてみれば、それが一番大切なことだと思ったが、全く心の準備が出来ていない。隣には、どんな人が住んでいるのかと聞いてみると、フリーのWebデザイナーで、私たちとは全く逆の人が住んでいると言われた。私たちとは全く逆の人とは、見た目は男性だけど、中身は女性だということだ。
何も手土産も持っていないと言うと、社長と隣人はとても仲がよく、今度一緒に呑みに行けばそれでいいと言われてしまった。少し、不安にはなったが、社長に着いていくことにした。
隣人に挨拶に行くと、短髪で鋭い目をした男性が出てきた。この人が、元女性? 一目見ただけでは、男性にしか見えない。声を聞いて、少し女性のやさしさが見え隠れしているような気がした。
その男性の名は、小園壮太。本名は、壮子さんだとか。壮太さんは、私たちを家に上げてくれて、親切にお茶を出してくれた。私が引っ越してきた挨拶をしに来たのに、手土産も持たずに来た私を、丁寧にもてなしてくれて。申し訳ないような気がして、肩身が狭くなった。
「そんなに緊張しないで下さい」
壮太さんに促されるが、どうも申し訳なさでいっぱいで、肩に力が入ってしまう。出されたお茶に口をつけると、壮太さんの部屋を見回した。作りこそ、社長の部屋と変わらないが、インテリアがまるで違う。壮太さんの部屋は、原色が多く使われている。黒や赤や青や緑と、はっきりとした色で構成されている。
テーブルは、黒。椅子もそうだ。カップは、黒地に大きな白い円が描かれている。とてもおしゃれな部屋で、私は見とれてしまった。
「真澄さんも、こう言うインテリアが好きなのかな?」
「え、そうですね。自分の部屋はこう言うインテリアではないけれど、憧れのインテリアだなって思います」
「憧れかぁ」
照れ笑いを浮かべると、壮太さんは自分のお茶をすすった。そのしぐさも女性のものとは、思えなかった。男性らしい豪快さがあり、全く女性と思うことはなかった。
それからも、壮太さんとはちょくちょく会った。社長抜きで、二人で会うことも多かった。壮太さんは、聞き上手で、次第に私の心にある寂しさに気付くようになっていった。何でも話を聞いてくれ、全く怒ることなく、反論することのない壮太さんに、正直にゆうちゃんのことをだんだんと話すようになっていった。
壮太さんは、何も言わずに私の話を聞き続けた。いつだってそうだ。ゆうちゃんのことを忘れようとしているのに、なかなか忘れられない胸のうちを、いつしか壮太さんに言うようになっていた。私の話が終わると、優しい言葉で私の心を温めてくれた。お陰で、ゆうちゃんがいなくても一人で立てるようになっていけたと思う。壮太さんが、話を聞いてくれると思っただけでも、気が楽になったのは確かだ。
引っ越して、一ヶ月が過ぎたころ、壮太さんの部屋で、二人でお酒を飲んでいると、またもゆうちゃんの話になった。
「彼の思い出が詰まったものは、全て実家においてきたけれど、私の体が、彼の全てを覚えているんです。普段は、なんとも思っていないんだけど、ふとしたときに、彼の記憶が自然とよみがえることがあるんです。彼の優しさが思い出されたとき、全身に痛みが走るんです。苦しくて、悲しくて。まだ、彼のことを忘れていないんだって、実感させられるんですよ」
今日もまた、ゆうちゃんを思い出しては、苦しい胸のうちを話した。口にするのが辛いと感じる瞬間もあるのだが、それ以上に、壮太さんの優しさに触れたいと思うようになっていた。
壮太さんは、少しだけ顔を曇らせたが、すぐに温かい目で私を見てくれた。
「だったら、忘れなくて良いじゃないですか。忘れたくても忘れられなくて、苦しむくらいなら、ずっと覚えていればいい。その彼のことを忘れることが、必ずしもいいこととは言えないでしょう。思い出して、苦しいと感じるのならば、俺と共有しませんか?」
意外な言葉だった。全く想定していない単語が出てきた。壮太さんと、私の苦しみを共有するって、どう捕らえたら良いんだろう。
「壮太さんと・・・・・・共有?」
「そうです。真澄さんが、一人で苦しんでいる姿を見るのは、俺にとっても辛いことです。だったら、一人で苦しまず、もう一歩踏み込んだ仲になってみてはどうかなって思うんです」
「それって・・・・・・」
「俺と、真剣に付き合ってもらいたいんです」
強い視線を私に送りながら、壮太さんはまっすぐに自分の思いをぶつけてきた。
「初めて会ったときから、素敵な人だなって思っていたんです。話をしていくうちに、気持ちはどんどん大きくなっていって。真澄さんを守ってあげたいって、思っているんです」
「気持ちは嬉しいんですが、私は、まだ、彼のことを・・・・・・」
そこまで私が言うと、続きを聞かずに壮太さんが言った。
「いいじゃないですか。彼は、真澄さんをここまで見守り続けてきてくれた人です。忘れなくたっていい。俺に、彼の話をし続けてくれたっていい。ただ、真澄さんの側にいたいだけです」
ひどいことのような気もしたけれど、壮太さんの気持ちを受け入れてみようと思った。ここまで、私のことを親身に思ってくれているんだ。これ以上、人を悲しませたくはないし。
こうして、私は壮太さんと付き合うようになった。壮太さんに甘えて、ゆうちゃんの話を止めることはなかった。それでも、壮太さんは嫌な顔を見せることはなかった。