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恋人同士

 まどかに釘を刺されたのに、なかなかゆうちゃんに大事な秘密を言えないでいる。私は、男なのって、一言伝えるだけなのに。その一言が、どうしても言えなかった。


 告白をされた日以来、私たちは毎日会うようになった。休みの日には、必ず二人でどこかへ出かけた。特にプラネタリウムに行くことが、一番多かった。他にも、映画を見たり、ボーリングやカラオケ、買い物にも行ったりした。夜は、ゆうちゃんの宝物の望遠鏡で天体観測をした。


 そして、毎朝、私たちは手をつないで駅まで一緒に行く。付き合う前から、一緒に朝は駅まで行っていたけれど、付き合ってからは手をつなぐのを当たり前のようにしていた。手袋をはめてはいるけれど、手袋から、ゆうちゃんのぬくもりはしっかりと感じられた。ふんわりと私の手を覆う、大きなゆうちゃんの手に、毎朝、パワーをもらっていた。


 帰りも一緒に帰れるときは、駅で待ち合わせをして、家まで一緒に帰った。帰りも、必ず手をつないでいた。ゆうちゃんのぬくもりに、私は甘えていた。そのぬくもりにはまると、そこから出たくないと思ってしまう。わがままな自分が、ひょっこりと顔を出してしまうのだ。


 大事なことなのに、いざ、ゆうちゃんを前にすると、全くそれらしき言葉すら言わないでいる。「私は卑怯だ」と思いながらも、しっかりと手はゆうちゃんの手を握り続けた。


 就業時間を終え、会社を出ると、タイミングよく携帯が鳴った。ゆうちゃんからだ。毎日、この時間になると、必ずゆうちゃんは電話をくれる。あらかじめ、手に持っていた携帯に余裕を持って出た。


「もしもし、ゆうちゃん?」


「マーちゃん、今日は一緒に帰れる?」


「今、会社を出たところだよ。一緒に帰ろう」


 大事なことを言わなくてはならないとわかっているのに、上ずった声でゆうちゃんと話をしてしまっている。


 寒空の下、素手で携帯を握り締めて、ゆうちゃんの声を注意深く拾った。街は、ざわめいていて、携帯から漏れるゆうちゃんの声を掻き消そうとしているようだった。


 携帯を切ると、待ち合わせの地元の駅へと向かった。どこによるでもなく、ただただ、ゆうちゃんに会いたい一心で、電車に乗り込んだ。帰宅ラッシュの電車の中は、くらくらしてしまいそうだ。もともと人ごみは、苦手だけれど、こればかりは仕方がない。つり革につかまって、窓に映る自分の顔を確かめた。疲れた顔でゆうちゃんには会いたくないから。


 地元の駅に着くと、まだ、ゆうちゃんは着いていなかった。改札の前でゆうちゃんが来るのを待つことにした。駅前は、家路を急ぐ人たちで騒がしかった。部活帰りの疲れた足取りの高校生や、サラリーマンやOLが我先にと、駅に吸い込まれたり、駅から吐き出されたりしている。


 その中に、小さな子供が含まれていた。母親の手をしっかりと握り締め、幼稚園の黄色いかばんと帽子が、とても愛らしい。ぎょろついた目で、こちらを見たので、私は思わずニコッと微笑んでしまった。その子供は、無表情のままこちらをじっと見つめると、母親に強く手を引かれて改札の中へと入っていった。


「お待たせ」


 背後から、ゆうちゃんの声がした。


「かわいいよな」


 目じりを下げて、先ほど私が見ていた幼稚園児を、ゆうちゃんはいとおしそうに目で追っていた。私が、その子供を見ていたところを見られてしまったのかもしれない。


 私の気持ちに全く気がついていないようで、ゆうちゃんはいつものように私の手を握ってきた。そのまま握り返したくない気分だったが、いつものくせで握り返してしまった。今日もゆうちゃんの手は、温かい。


「今度の週末は、どこに行こうか?」


 のほほんとした表情で、ゆうちゃんは言った。


 それどころじゃないんだよ、ゆうちゃん。大事な大事な話があるんだ。そう心の中で言ったものの、口に出してはなかなか言えなかった。


 ゆうちゃんの横顔。夕日を浴びて、少し赤く頬が染まっている。それでも、男らしく凛としたその瞳は、私の心を離さないでいた。


「マーちゃん、特に行きたいところはない?」


「え、そ、そうだね・・・・・・。それより、話したい事が・・・・・・」


 覚悟を決めて、話そうと思ったそのとき、


「あら!」


 最悪な事態が起きた。私たちが、固く手をつないで歩いていると、正面からゆうちゃんのお母さんが現れたのだった。


 急いで、私は手を離した。


「いつの間に、そういう仲になっていたのかしらね」


 怪しいものを見る目で、ゆうちゃんのお母さんは私たちを見ていた。手をつないでいたところを、ばっちり見られてしまったみたいだ。


「いつかは、二人がそういう仲になるんじゃないかって、思っていたのよ。由之もようやく、決心がついたみたいね」


 その言葉に、ゆうちゃんは頭をかいて照れ笑いを浮かべた。


「いやだなぁ。母さん、変なこと言って」


「良いじゃないの。私たちの孫が見られる日も、そう遠くはないみたいね。じゃ、私は用があるから」


 軽く会釈をすると、ゆうちゃんのお母さんは、駅のほうへと向かっていった。駅前のスーパーの特売にでも行ったのだろう。今朝、新聞の折り込みチラシに、駅前スーパーでしょうゆの特売があると書いてあった。


「孫だってさ」


 私とは、全く違う視点を持っていたようだ。ゆうちゃんは、離した手をもう一度握ってきた。私は断るでもなく、また、その手を握り返してしまった。


 小さいころからあこがれ続けてきたゆうちゃんの手だ。一秒でも長く、触れていたい。でも、本当のことを話したら、もう握ってはくれないかもしれない。例え、握ってくれたとしても、もう素直に握り返すことは出来ないかもしれない。


「マーちゃんも、子供は好きだよね?」


 確認するように、聞かれてしまった。危ない雰囲気が立ち込めてきた。このまま話をすすめたら、本当に「結婚」の二文字が出てきてしまうかもしれない。早く、私が男だと言わなくてはならない。


「それよりも・・・・・・」


「何、どうかしたの?」


 ゆうちゃんを見つめてそう言うと、見つめ返されてしまった。ドキッとして、一瞬心臓が止まったような気がした。その瞳に抱きしめられると、大事な言葉が出てこなくなってしまう。愛しすぎるその瞳で、私を見つめないで欲しい。目でそう訴えてはいるものの、ゆうちゃんの瞳はじっと私を抱きしめ続けた。


「いや、あの・・・・・・」


 耐え切れなくなり、視線をはずした。ゆうちゃんの手を離し、手を組んだ。


「マーちゃん、何かあったの?」


 私はこんな態度をゆうちゃんに見せたことがなく、ゆうちゃんは心配しているようだ。このまま洗いざらい言ってしまおうと思うのに、強気な心と臆病な心が交差する。


 告白された公園を通り過ぎると、私たちの家までは、ほんの数分で着いてしまう。ゆっくり歩こうとしているのに、なぜか足は速く歩きたがっている。今日できることを、明日に延ばそうとしている。一体、何回同じことを繰り返してきただろう。


 言わなくちゃ。何度も自分に言い聞かせるが、とうとう家に着いてしまった。何も言わずに、私はそのまま家に入ろうとした。今日の自分の行動が、恥ずかしくてたまらなくなったのだ。他の人から見たら、何ともないことに思うかもしれない。だけど、私にとっては一大決心であり、それが出来ない自分がすごく嫌で仕方がない。こんな私を、ゆうちゃんに見せたくない気持ちになった。


 家のドアに手をかけると、私の腕をつかみ強く私を振り向かせると、私の頬にゆうちゃんはキスをした。ハッとした私は、周りを見回した。人影すら見えず、その光景は二人だけのものだったと確信した。


「また、明日な」


 心配しているはずなのに、笑顔を見せて、ゆうちゃんは家の中に入っていってしまった。その背中に、「ごめん」と言った。



 次の日の朝になると、何事もなかったかのように、私たちは手をつないで駅へと向かった。ただ変わったことと言ったら、「結婚」と言う言葉を私が避けているのがわかったのか、ゆうちゃんは子供を見ても何のリアクションもとらなくなっていた。



 私の会社の社長は、私と同じ病気の性同一障害の男性だ。今は、女性のなりをしているけれど、もともとは男性で、私と同じ境遇を経験している人だ。社長も手術はしておらず、戸籍上は男性のまま。手術をする気があるのだろうかと思ってはいるけれど、突っ込んだ話をしたりはしなかった。


 社長には恋人がいるらしいという噂を耳にしたことがある。もし、それが本当なら、今の私の状況を理解してくれ、相談に乗ってもらえるかもしれないと思った。今まで、深い話をしたことがなかった人間が、突然、重たい相談をもちかけても平気かなとは思ったけれど、社長の人柄を信じて、ゆうちゃんの事を相談することにした。


 今日は、社長と二人でミーティングをすることになっていた。会議室で二人きりになれる。


 仕事の打ち合わせをすんなりと終わらせると、席を立とうとする社長を呼び止めた。


「あの、ちょっと良いですか?」


「何かしら?」


「プライベートなことで申し訳ないんですけど・・・・・・」


 申し訳なさそうに、もじもじしながらそう言うと、社長は「何でも言って頂戴」と目で言ってくれた。それに甘えて、私はゆうちゃんとのことを話し始めた。私の言葉に社長は、うんうんと頷いては、親身になって聞いてくれた。


「そうだったの。最近、きれいになったなって思っていたのよ。男がいたのね」


 弱みでも握ったと言う嬉しさの表情ではなく、安堵したような表情をしていた。机の上においていた私の手の上に、そっと手を置き、社長が上目遣いで、私を見つめた。


「自信を持って。ずっとあなたを、見てきてくれた人なんでしょう?」


 ずっと私のことを見てくれた人。誰よりも、私の側にいてくれた人。それが、ゆうちゃんだ。なのに、私が男だと言うことを、まだ、ゆうちゃんは知らない。それって、矛盾しているような気がした。


「案外、板屋さんが思っているよりも、簡単なことだと思うわよ。私だって、彼氏がいるんですもの。最初は、私を女だと思って近付いてきたけれど、男だと知ったからって何も変わることはなく、そのまま付き合い始めた人だっているのよ。板屋さんの彼氏は、ずっと板屋さんの側にいた人なんだもの、すんなりと受け入れてくれると思うわ」


 社長は、それから実体験を話してくれた。私は、黙ってそれを聞いていた。だんだんと自信がわいてきた。男と知っても、ちゃんと女性として接してくれる男性がいるということに、安堵した。それと同時に、大事な問題が浮上してきた。


「でも、例え女性として私を受け入れてくれても、私は、彼の子供を産むことは出来ません」


 私が言うと、これには、流石の社長も困惑した顔を見せた。


「確かにそうね。だけど、板屋さんのことを大事に思ってくれているようだし、子供はあきらめがつくと思うんだけどな」


「もし、彼が子供をあきらめたとしても、私があきらめられないような気がするんです。あんなに素敵な人は、この世に二人といない。だからこそ、彼の子供を産んであげたいって。でも、私にはそれが出来ない」


 体がじんわりと温かくなってきた。こみ上げてくるものを感じると、急いでそれを飲み込もうとした。飲み込んでも、飲み込んでも、こみ上げてくるものはあとをたたなかった。


 女性として生まれていれば、ゆうちゃんの子供を産めたのに。女性を見るたびに、自分が男性として生まれてきたことを悔やんだ。


 不妊症に悩む女性だって、たくさんいる。しかし、私はそれ以前で、生まれながらにして子供を産むことは出来ないのだ。心が女性でも、体も女性でなければ、子供は出来ない。最愛の人の子供を意みたいと願う女性の気持ちは、痛いほどよくわかる。


 どんな治療を受けたところで、ゆうちゃんの子供は産んであげられない。実際に、ゆうちゃんと付き合ってから、このことを真剣に考えるようになった。もっと早く、真剣に考えていれば、付き合うこともなかっただろう。傷口を広げることをしなくてもすんだのに。

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