星のふる夜
今宵の月は、極上の月。黄色い月の下、あなたは私を抱きしめる。太い腕、厚い胸。小さいころから、ずっとあこがれていたあなたが、私を抱きしめている。
幼いころから二人でよく遊んだ公園は、私と植松由之――ゆうちゃん――しかいない。ゆうちゃんは、人通りの多い道路から私たちが見えないように、トイレの裏で私を強く抱きしめている。
「マーちゃんのことが、ずっと好きだったんだよ」
甘い声で、私に告白してくれる。こんな日が、来るとは到底考えられなかった。決して、私たちは結ばれないと、幼心にわかっていた。
しかし、ゆうちゃんは、今、こうして私を抱きしめ、告白してくれている。クリスマスの寒空の中、お互いを温めるように、私たちは抱き合い、お互いの気持ちを体から確認しているようだ。
ゆうちゃんの胸は、とても温かい。温かそうな胸だとは、ずっと思っていたけれど、想像以上に温かい。外の気温は、10度を大きく下回っているはずなのに、寒さを全く感じることはない。
「寒くない?」
「ううん。大丈夫。ゆうちゃんは、寒くないの?」
「僕なら、心配しなくて大丈夫だよ」
私たちの家は、このすぐそばにある。だけど、二人きりになりたくて、私たちはなかなか家に帰ろうとはしなかった。もっと、ずっと、ゆうちゃんの側にいたい。このまま、二人きりでいられたら。私の初恋の人、ゆうちゃんと永遠に一緒にいられたらいいのに。
この願いが、叶ってしまっていいのか。いいや、叶わない方がいい。私よりももっと素敵な女性と一緒にいたほうが、ゆうちゃんにとって幸せなはずだ。私は、小さなときからそう思い続けてきた。
「そろそろ、帰る?」
かれこれ一時間は、公園にいる。このままでは風邪をひいてしまうかもしれないと思い、ゆうちゃんに聞いた。
「・・・・・・寒いか?」
「うん・・・・・・」
「そうか。じゃあ、俺の家に行こう。それで、温かいものでも食べて、ケーキを食べようか」
目の前にあるゆうちゃんの笑顔。こんなに近くで見ているなんて、こんなに幸せなことはないわ。一生分の幸せを使い切ってしまった気分よ。
ゆうちゃんは、私が編んだ手袋とマフラーをしている。私は、同じ柄の色違いの手袋とマフラーをしている。そして、左手の薬指には、ゆうちゃんがさっきくれた指輪が光っている。分厚い手袋をはめた手で、手を握り、ゆうちゃんの家に向かった。
「指輪、ありがとう。死ぬほど嬉しかった」
「おいおい、大げさだな。でも、喜んでもらえて、僕も嬉しいよ。いつか、この気持ちを伝えたいって、思い続けていたから」
ゆうちゃん、ありがとう。その言葉だけで、嬉しいよ。
この幸せは、きっと永遠には続かない。わかってるんだ。私たちは、ずっと一緒にいてはいけないんだ。まだ、ゆうちゃんには言っていないけれど、私たちは決して結ばれてはいけない。
握っている自分の手に、力を入れていいのか迷い続けている。ゆうちゃんは、しっかりと私の手を握ってくれているけれど、私は軽く握ることしか出来ない。
私の中の罪悪感。近いうちに、あのことをゆうちゃんに言わなくてはならない。
「今日は、星がきれいだな」
何も知らないゆうちゃんが、空を見上げて話している。どうしようという気持ちで、私はほとんど落ち着きがない。どっしりとしたゆうちゃんに、どんどん動揺していってしまう。
「ゆうちゃんは、星が好きだもんね」
小さいころから、ゆうちゃんは星が大好きだ。星座早見表を小学生のときに買ってもらった、あのときの喜びようはすごかった。
真向かいに住む私に、おおはしゃぎで、バルコニーから大声を出して早見表を見せてくれた。
私は、あきれるでもなく、ゆうちゃんが心のそこから喜んでいる姿を見て、こちらまで自分のことのようにうれしくなってしまった。
それから、高校受験に合格すると、ご両親から天体望遠鏡を買ってもらっていた。バルコニーで、毎日のように、星を見ていた。向かいから、その姿を眺めるのが、大好きだった。真剣な表情で、望遠鏡を覗き込むゆうちゃんに、男らしさを感じた。
時には、私を手招きしてくれることもあった。家族同士、仲がよかったので、躊躇することなくゆうちゃんの部屋に行き、二人で望遠鏡をのぞくことも多かった。
高校生のゆうちゃんは、背も高く、手も大きかった。足だってそうだ。ゆうちゃんの家の玄関の大きな靴を見ては、ドキッとしたりした。ゆうちゃんの横に並び、その背の高さを感じては、またもドキッとしたものだった。
そんな私の気持ちに、気付いていたのだろうか。
「今日は、雲がないから、うっすらと冬の大三角形がわかるぞ」
「え、どこ?」
「ほら、あそこ」
そう言うとゆうちゃんはぐいと私の腕をひっぱり、私の目の前で指差した。
「あの一番きれいに光っているのが、おおいぬ座だよ。その斜め左上にこいぬ座、その右側にオリオン座があるだろう?」
そう言われても、私には一番きれいに光っているおおいぬ座くらいしかわからない。目で、一所懸命に他の二つの星を探していると、ゆうちゃんはもう一度、丁寧に説明してくれた。すると、ようやく冬の大三角形を確認することが出来た。
「へ〜、きれいだね」
「だろ?」
ゆうちゃんは、ちょっと自慢げに言った。星だけは、誰にも負けたくない気持ちが、強いんだろう。だから、私は星の勉強は一切しなかった。
星座に関する本をたくさん買って、全部読んでいたゆうちゃん。興味深そうに、一人部屋の中で本を読んでいる姿を、自分の部屋から眺めては、心を奪われていた。きっと、私にそんな姿を除き見られてたなんて、気がついていないだろうけど。ちょっと鈍感なところが、私の母性本能をくすぐる。
「ゆうちゃん、ありがとう」
さっき、告白してくれたことを思い出しながら、そう言った。ゆうちゃんは、きょとんとして私の顔を覗き込もうとしている。
「何だよ、いきなり」
「さっき、告白してくれたでしょう。私、本当に嬉しかったんだ」
にやけた顔で、私の手を強く握り返してくれた。
公園には、待ち合わせをしていた。向かい同士に住んでいるのに、変だなって思ったけれど、たまにはそういうのもいいかもしれないと思って、ゆうちゃんの提案に応じた。
小さいころから、二人で遊びに行った公園には、午後6時に集合した。時間厳守で、私はぴったりを狙っていった。今日のために編んだ、手袋とマフラーを近所の雑貨屋で買った紙袋に入れて、風で吹き飛ばされないようにと、用心しながら紙袋を持っていった。
公園に着くと、一人ベンチで貧乏ゆすりをしながら、ゆうちゃんが待っていた。貧乏ゆすりなのか、寒さで震えているのか。もしも、後者であるならば、早く私が編んだ手袋とマフラーをして欲しい。
「ゆうちゃん!」と、大きな声で呼び、手をふりながらベンチに向かうと、ゆうちゃんはすっくと立ち上がり、コートに突っ込んでいた手を出して、私に手を振り返してくれた。
「ごめん、待った?」
明らかに、待ったと思われるけれど、ゆうちゃんは何も言わず、ただ笑顔を私にくれるだけだった。ゆうちゃんが座っていたベンチに、並んで座り、早速、私は自分が編んだ手袋とマフラーを紙袋ごと渡した。
紙袋を覗くと、その瞳が驚いていた。手袋とマフラーを片手で全部、出してしまうと、私の手袋とマフラーと、手に持っている手袋マフラーを交互に見ていた。
「これって、もしかして、色違いなのか?」
「うん、そうだよ」
同じ柄だけど、色違いで、一見ペアルックっぽくない感じにしたけれど、すぐにわかってしまったらしい。昔から、ゆうちゃんとおそろいのものが欲しいと思っていたから、色違いのものを編んでしまった。
不信な顔をしているゆうちゃんに、やはり、色違いじゃない方がよかったかなと、後悔した。
ゆうちゃんは、何も言わず、マフラーを首に巻き、手袋をはめると、手を広げてこちらに見せると、にっこりとした。
「喜んで・・・・・・くれた?」
「もちろん」
子供のころと変わらない、目を細めた笑顔を見せてくれた。ゆうちゃんは、喜んでくれている、その顔ですぐにわかった。
「俺も、渡したいものがあるんだ」
そう言うと、一度はめた手袋をはずして膝に置き、コートのポケットに手を入れてがさがさと何かを出そうとした。じっとそちらを見ていると、コートからはリボンのかかった小さな箱が出てきた。そのまま、それを私の顔の前に持ってきた。
「これ、プレゼント」
「・・・・・・」
目の前の箱を受け取り、「開けていい?」と聞くと、「良いよ」と言われたので、リボンを解き、箱を開けてみると、銀色に輝いた指輪が入っていた。ハートの石がとてもかわいらしく輝いている。
「これ・・・・・・」
高価そうな指輪に、本当にもらっていいものだろうかと心配になってしまった。ゆうちゃんの顔を見ると、私の驚いた表情に余裕の笑顔を浮かべていた。
「俺の気持ちなんだ。受け取って欲しい」
力強く私を見つめてそう言うと、私の左手を取り、手袋をはずすと、何も言わずに左手の薬指にその指輪をはめてくれた。サイズはぴったりで、きれいに私の指にはまってくれた。
「本当に、いいの? こんな、高価なものを・・・・・・」
「良いんだ。ずっと、僕の気持ちを伝えたかったんだ」
そこまで言うと、体をこちらに向けて、私の目をまっすぐに見つめた。
「マーちゃん、僕、ずっと、マーちゃんのことが、好きだったんだ」
絶対に、その口から聞くことがないと思っていた台詞だった。全く想像していなかった台詞に、私は口をぽかんと開けてしまった。
ゆうちゃんの周りが、一面バラ畑に見えた。私たちは、バラに囲まれている、そんな錯覚を覚えた。体中の力が、一気に抜け、倒れてしまいそうだった。
ギュウっと、次の瞬間、強く私を抱きしめてくれた。
ゆうちゃんのぬくもりを感じていると、公園の外に目を移した。夜だというのに、案外人通りが多い。
「ねぇ、ゆうちゃん」
「ん、どうした?」
私の体から、ゆうちゃんが離れた。
「こんなところじゃ、人に見られちゃうよ」
「あ、そうか・・・・・・」
私の言葉に、興奮から醒めたのか、公園を見回した。その間に、私は指輪の箱の中にリボンをたたんで入れて、コートのポケットにしまった。手袋をはめていないと、すぐに手が冷たくなってしまうので、指輪をはめたまま手袋をはめた。
突然、私の手を握り締めると、ゆうちゃんは道路から唯一死角になるトイレの裏に私を連れて行った。そして、思い切り私を抱きしめてくれた。
このことは、一生忘れることはないだろう。私の人生で、最大の宝物になると思う。それくらい、嬉しかった。
「ねぇ、ゆうちゃん、どうしてゆうちゃんは、一人暮らししないの?」
私は、何度もゆうちゃんに同じ質問をしていた。大学を卒業しても、ゆうちゃんは実家に居座り続けている。男の人って、実家から離れたがるのに、ゆうちゃんは全くそれらしいそぶりすら見せない。そこで、何度となく同じ質問を繰り返ししていた。
「それは・・・・・・」
すると、決まって真剣な顔で私をじっと見つめてきた。私の中の罪悪感が、耐えられなかった。そんな目で、見ないで。
ゆうちゃんから目をそらすと、それ以上、何も話してはくれなかった。
同じ質問をすれば、同じことが繰り返される。わかっているはずなのに、私は、同じ質問を繰り返してきた。
そして、もう一度、同じ質問を投げかけた。
「また、その質問だな。毎回、僕に応えさせてくれなかったからな。今日は、ちゃんと応えられそうだな。僕が、実家を出ないのは、マーちゃんの側を離れたくないからだよ」
わかっていたはずなのに、面と向かってちゃんと言われると、体中がカーッと熱くなってきた。恥ずかしくって、背中がもぞもぞする。
本当は、もっと早く言って欲しかったくせに、ずっと逃げてきた台詞だった。ゆうちゃんの行動を見れば、私の期待していることを言ってくれるだろうって、思っていた。それが、ついに、現実となってしまった。
今年は、弟が、結婚して家を出てしまった。仲がよく、面倒を見続けてきた弟が、とうとう誰かのものになってしまったんだ。いつかは、こんな日が来るとわかっていた。けれど、実際に弟がいなくなると、想像以上に寂しかった。向かいの家には、ゆうちゃんがいるのに。
それが、引き金になってしまったんだ。小さいころから、引き出しの奥にしまい続けてきた気持ちを、出してしまった。
だったら、もう一つ、隠し続けてきたことも、出さなくてはならない。一緒に、出さなくてはいけない、私の秘密。
「どうしたんだよ、自分から聞いておいて、顔を真っ赤にしちゃってさ」
嫌だ、顔が赤くなっていることをゆうちゃんに知られてしまった。私が、それを気にしていることも知らずに、ゆうちゃんは少し照れくさそうに笑っている。
ムードが、すごく朗らかだな。これじゃ、まじめな話がしづらいじゃない。
「さ、着いた」
そう言うと、ゆうちゃんは私の手を離し、さっさと家の中へと入ってしまった。少し後から、私もゆうちゃんの家に入った。