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【2夜目】菫姫の物語 『アルフェロアの魔女』

 昔々あるところに、メリンゲンマッセという土地がありました。その領主の娘はメイリンゲルという女の子。

 彼女は幼い頃から身体が弱く、滅多に甘い物が食べられません。そんな娘を哀れんでせめて香りを楽しませようと、伯爵は菓子職人を招いてお菓子の人形を作らせて、それを娘に与えるようになりました。

 娘はこれに大変喜んで、砂糖菓子の人形やクッキーの人形達に囲まれた玩具部屋で毎日……遊ぶようになったのだとか。


 娘をなんとか健康な身体にしてやりたい。娘の薬代のため、名医を雇うため……メリンゲンマッセ伯爵は重い税を取り立て領民に辛く当たりました。これは領民達の怒りを買うには十分な行為。

 人々はその憂さ晴らしに、物語を作りました。

 昼間は城から出て来ないメリンゲンマッセの娘は、魔女か吸血鬼か……そんな噂が流れ始めたのは、重い課税への当て付け。

 もっともそんな現実離れした話……最初は誰もそれを信じちゃいませんでした。けれどその噂を信じた子供が夜中城へ行き、玩具部屋を覗いた時のこと……そこで砂糖菓子の人形をバリバリ食べている召使いを見てしまったのです!

 まぁ、大変!その人形を本物の人間だと間違えた子供は、大慌てで引き返し……見て来た物を人々に喋ってしまいました。そこからはお察しの通り噂が噂を呼び、税への反発から……その噂はたちまち真実のように語られ始めたのです。


 このままでは危ない。娘の身を案じたメリンゲンマッセ伯爵は、彼女そっくりのメレンゲドールを作らせて、そして娘をこっそり城から逃がしました。彼は娘を旧知の友の城へ匿って貰うことにしたそうです。

 父の知り合いだというアルフェロア伯爵の城にやって来たメイリンゲル。城に近付いたときに、彼女が目に留めたのは……城の中窓際に映る少年の横顔。その端正な美しい顔に、メイリンゲルは一目で心を奪われると共に……懐かしさを思い出しました。


 「アルフェロアのおじ様。彼は?」

 「ああ、あれは私の息子のアルフェンだ。仲良くしてやってくれ……と言ってもあれも身体が弱い。もう何年もあの部屋から出てきたことはない」


 どういうことかと訪ねる前に、メイリンゲルは耳元から聞こえる不気味な笑い声に肩を震わせる……


 「お帰りなさいませ。ひっひっひ。おや?其方の可愛らしい娘さんは?」

 「きゃっ!」

 「紹介しようメイリンゲル。彼女は私の妻のアルヘイト。神通力をもつ呪い師だ」


 振り向けば、何年生きればこんな風に醜くなるのだろうと思うような……痩せて皺だらけの老婆の姿。


 「昔は美人だったんだが、ある日突然老け込んでなぁ。これでも私より年下だ」

 「ひっひっひ。嫌だねぇ貴方。女は日々年老いていく物なんですよ。最近化粧をしなくなっただけでね。私が何時までも綺麗でいては、私の不貞を貴方が疑わなければならないじゃあありませんか」


 その不気味な老婆は医者だと言うけれど、メイリンゲルには老婆が魔女に思えて仕方がありません。


(だって、どう見てもおじ様より年上よ!おじ様、騙されているんだわ!本物の奥様はこの魔女に殺されてしまったんだわ!)


 なんという所へ来てしまったんだろう。魔女の魔術は男の人を誑かすだけなのか、メイリンゲルには効きません。とんでもないことに気付いてしまった。そう思うメイリンゲル。しかし誰にも言うんじゃないよと言うように、魔女は怖い目でこちらを見ています。


 「メイリンゲル、君も身体の具合が悪かったら彼女に見て貰うと良い。腕は確かだ」


 伯爵にそう言われても、メイリンゲルは老婆が怖くて堪らない。さっと伯爵の影に隠れてしまうと、老婆は「人見知りだねぇ」とまた不気味な笑いをするのです。嗄れたガラガラ声で。


 「……あ、あの!おじ様、アルフェンは何の病気なんですか?」

 「あれの病気は移るから、部屋には誰も入れない。神力を持つアルヘイトだけが平気でいられるんだ」


 聞いてみてもよくわからない。解ったことは一つだけ。やっぱりアルヘイトは魔女なんだわと、メイリンゲルは震え上がります。


(でも、そんな病気在るのかしら?)


 聞いたことなど無かったけれど、それが風土病というものならば、確かに気をつけなければなりません。

 こうなった以上、領地へ帰れる日が来るまで、じっとしているのが一番。でも挨拶くらいはしなければ。メイリンゲルはアルフェンの部屋に向かいます。扉越しなら大丈夫。そう考える彼女が足を止めたのは、部屋の前にあの年老いた老婆が居たからです。


 「貴方は誰?」


 部屋の中から聞こえてくる綺麗な声。だけど感情の感じられない冷たい響き。


 「私はお前が嫌いだよ」


 老婆がそう答えると……内側から鍵が外されました。それを見てメイリンゲルは大慌て。

 嫌っている相手を、あの魔女はちゃんと治してあげていない。だからアルフェンは部屋から出られなくなったんだ。


 「元気な振りをしなければ、私もあの魔女に何かされてしまう」


 そう考えたメイリンゲルは、一生懸命快活に振る舞い、日々を過ごしました。そうする内に実際、身体が良くなっていく風にも思えるのです。

 それでも城には年の近い子供は居らず、匿って貰っている身で外を遊び歩くわけにも行かない。遊び相手になってくれそうなのは一人だけ。それでも今日も、アルフェンは外から見上げた窓の中。じっと悲しそうに空を見つめている。そんな美しい少年に、メイリンゲルは恋い焦がれます。


 「ねぇ、マルツィ。私はどうしたらいいのかしら?どうしたら彼を助けられる?」


 領地から一人だけ連れて来た動けない遊び相手。領民の襲撃の日も彼とだけは一緒だった掌サイズの小さな人形。それでも私にとってこの人形は弟とも呼べる存在。

 メイリンゲルはマルツィと出会った日を思い出しました。

 幼い頃に死んでしまった弟。それに悲しんでいた彼女に、城の料理番が作ってくれた……ケーキにその人形は乗っていた。お菓子が好きになったのは、その日から。

 料理番にはそんなつもりはなかったのでしょうけど、メイリンゲルはその砂糖菓子の人形が弟の生まれ変わりだと思うようになっていました。だって死んだら真っ白な骨になる。砂糖菓子はその骨にちょっと似ているから。


 病気でいつか自分が死んでも、私も砂糖菓子の人形になる。死んだ魂が……誰かの作った人形に宿る。人形になれば弟と、もう一度一緒遊べるかしら?いいえ、今だって遊べるわ。メイリンゲルは、そんな思いで人形をいつも持ち歩いた。

 恋する少女は友達に、悩みを打ち明けますが……今日も弟は無口。メイリンゲルは溜息を吐いて、その日はもう眠ってしまうことにしました。


 森も草木も眠る頃、ふっと彼女は目を覚まします。用を足したくなったのですが、真っ暗な夜は怖い。人形も一緒に連れて行こうとしましたが、枕元にマルツィがいません。代わりに見えるのは無数の黒い点。よくよく見てみるとそれは蟻!

 驚いたメイリンゲルも焦りと怒りが強まりました。蟻の行列は部屋の外まで続き、友達を取り返すべくメイリンゲルはその道を辿っていきました。

 蟻の行列は外まで続き、蟻たちは壁を登りアルフェンの部屋の窓へと入っていきます。


 「魔女は蟻を使ってマルツィを攫ったんだ」


 メイリンゲルは大急ぎで城中に戻り、アルフェン部屋まで行きました。扉に手を掛けると鍵穴の中から蟻たちが中へと入って居ます。やはりこの部屋には何かあるんだ。メイリンゲルがドアノブを捻ると、中で蟻が潰れる音がします。その音が聞こえたのか、部屋の中から誰かが問いかけてきました。


 「貴方は誰?」

 「……」


 その冷たい声は、老婆がここに入ったときと同じ。老婆の振りをすれば扉は開けて貰えるかも知れない。


(でも、人を騙して部屋の中に入れて貰うなんて駄目だわ)


 そう考えたメイリンゲルは別の言葉を告げることにしました。


 「……私は貴方を愛しています」


 数秒の沈黙の後、カチャと鍵の外れる音。一呼吸置きメイリンゲルはアルフェンの部屋に踏み込んだ。

 少年は夜だというのに何時もと同じ椅子に腰掛けて、窓の外を見つめています。


 「あの、アルフェン……様?私、このお城にお世話になっていますメイリンゲルです。私の人形、知りませんか?小さくて、可愛い男の子の砂糖細工の人形なの。……アルフェン様?」


 話しかけても少年は何も答えない。代わりに廊下に響く大声があり、その声はメイリンゲルを探しているようです。

 そしてその足音はどんどん此方に近付いてきます。咄嗟に寝台の下に隠れたメイリンゲル。彼女がそこに飛び込んだ直後、部屋の中に老婆が飛び込んできました。


 「アルフェン!あの小娘を見なかったかえ!?あの小娘、お前に色目を使うなんて」


 生かしておけないと大きな鎌を持った魔女。その鎌でメイリンゲルを殺すつもりなのです。メイリンゲルはガタガタと寝台の下で震えてしまいました。

 それに気が付いた、魔女がゆっくりと寝台に近付いて……アルフィンの椅子に背を向けます。


 「こんな所に居たか!小むす………っガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 シーツを捲り上げたところで、魔女は大きな悲鳴を発しました。その声は山の向こう海の彼方まで届いたとか届かないとか。

 やがて魔女が倒れて息絶えたのを確認し、メイリンゲルは恐る恐る寝台の下から這い出ました。

 するとそこには、剣を手にした少年が立っています。何があっても椅子から動かなかったはずのアルフェンが、どうして魔女を殺したのでしょう。

 魔女の断末魔に城中の人は飛び起きて、開かずの部屋へと集まりました。死んでいる魔女の顔を見た伯爵は目を見開いて……アルフェンを呵るのではなく、小さな声でこう漏らしたのです。


 「誰だ、こいつは」

 「父様、それは僕が説明しましょう」


 すっかり動けるようになったアルフェンはメイリンゲルに微笑んで、ありがとうと言いました。その笑顔が誰に似ているのか、彼女はようやく思い出します。砂糖菓子のマルツィにアルフェンの微笑はよく似ていたのです。


 「君と同じ砂糖の匂いのする男の子が、僕を助けてくれたんだ」

 「え?」


 あの魔女は幼いアルフェンに恋をして、彼を恋人にしたがった。それで彼を攫いに来たけれど、彼の母親に邪魔された。


 「目の前で母様を殺された僕は、頭の中が真っ白になった。そこを魔女に呪いを掛けられたのです」

 「それでは……」

 「ええ。僕に好きだと言った者が入って来たら、僕はその人を部屋に招き殺してしまう。僕を嫌いと言った者ならば、安全に部屋に入ることが出来る」


 先程の魔女は怒りのあまり、その謎々をするのを忘れていた。だから先にメイリンゲルが答えた分の呪いが生きていた。


 「僕が動けないように呪いをかけたのは母様です。母様は今際の際に神に祈って……僕が魔女に汚されないよう、どこもかしこも動けないようにしました。当然攫うことも出来ません。魔女はその呪いを解くため母様に成り代わったのです」

 「其方の呪いは大丈夫なのですか?」


 心配そうに見つめるメイリンゲルに少年は優しく笑いかけてくれました。呪いはもう解けているよと。


 「此方の呪いは僕に愛していると言ってくれた人がいて。僕がその子を好きになった時……解ける呪いでした」

 「なるほど、扉の呪いが遅れたのは……お前が葛藤していたからなのか」


 伯爵は息子と友人の娘の初々しい恋を、見守ってやりたくなりました。


 アルフェンの部屋の壁の中には、蟻は続いていてそこにはヒビがありました。伯爵がそれを割ってみると、中から殺された本物の奥方様と幾つかの女中の骨が見つかりました。そしてその骨の傍には……蟻たちに食べられてバラバラになった砂糖菓子の人形が。


 「貴方が私を守ってくれたのね」


 頭部だけまだちゃんと形として残っていたその人形に、メイリンゲルが感謝のキスを贈ると……人形の頭は砕け粉となりキラキラと光り輝き宙を舞い、それを吸い込んだメイリンゲルとアルフェンの身体から、悪い病気はすべて消え、二人は健康になりました。

 いいえ、それだけではありません。その粉は蟻たちを消して……殺された奥方様や、女中達の身体を作り直し生き返らせました。

 残った砂糖の粉は、小さな小瓶一つ分。それは金色に尚も輝いて……その後も一度だけ、奇跡を起こしたとのことです。


 *


 「菫姫、これは普通にいい話なのではないか?」

 「あら?泣いて頂くのは感動物でも構いませんでしょう?」


 どんでん返しを待っていた王子は普通に話が終わってしまったことに驚くが、菫姫はクスクスとカウントされない笑みを浮かべる。


 「ですが勿論ここでは終わりません。理様のお話があったように……メイリンゲルは幸せにはなれませんでした」


 感動で泣いていただけないのならと、菫姫はその後の物語を語り始める。


 「メイリンゲルとアルフェンは、甦った奥方様が二人の結婚を反対し、メイリンゲルを殺してしまうのです」

 「助けられておいて、とんでもない女だ」

 「母親とは、斯くも悲しい生き物なのですね」


 自分にもよく分からない。そんな響きで菫姫。なるほど、若い彼女は既婚者らしいが、母になったことがないのだろう。


 「悲しんだアルフェンはメイリンゲルを魔法の砂糖で甦らせますが、これがメイリンゲルの故郷に伝わってしまい……結果として彼女は魔女として殺されてしまいました」

 「……そのまま伝えるのは、憚りがあると……私の知る物語に改変されたのかもしれんな」


 唸る王子に菫姫は、そうですねと悲しげに頷く。物語とは真から嘘を生み出し、嘘が真になるものだからと。


 「その後ですが……粉はもう無いので生き返らせることが出来ない。アルフェンは今度こそ絶望し命を絶ったと言われています。……そして今日も砂糖菓子が甘いのは、二人の実らなかった甘い愛をそこに閉じ込めているからなのだそうです」

 「そうか……」


 やはり菫姫の話す話はやるせない。涙は出ないが、溜息が出てくるのを止めることは出来ない……


 「ねぇ、理様……私話の間中、ずっと貴方を見つめていました。そして思ったんです」


 じっと仮面の向こうから王子を見つめる二つの目。その色も解らないままに、王子は観察されている。


 「貴方はまるでアルフェンのような目をしておいでですね」


 愛しい人を失って、後を追いたがっている男のよう。暗にそう告げられて、王子の心はざわついた。


 「菫姫……?」

 「あら?またこんな時間ですのね。伝承、後はよろしくお願いします」


 12時になったと菫姫。彼女は席を立ち……召使いに王子の案内を頼む。


 「はい、菫姫様」


 少年が頷けば、菫姫が振り返る。


 「理様、明日は再び私から話をさせていただきますわね。楽しみにしていらして」


 楽しい夜をありがとう。唇だけで笑みながら、菫姫は扉の向こうへ消えていく。その背が消えても扉を見つめる王子に、少年が声を掛ける。


 「理様、宜しいでしょうか?」

 「ああ、すまない」


 部屋の灯りを消して、燭台を手に暗い廊下を進む少年。その背を見失わぬよう王子は追いかける。昨日よりも少しだけ、部屋までの道程が長く感じたのは気のせいか。


 「伝承、……菫姫の主人は出掛けているのか?」

 「はい。もう随分とお戻りになりません」

 「そうか……」

 「菫姫は随分と若く見えるが……主人もそうなのか?」


 あんな幼い少女を娶ったのが、中年か老人なら出会した時に殴ってしまいそうだ。そんな風に考えて、王子は自分の短気を嗤う。


 「何故、そう思うのです?」


 やはり少年は振り向かず、その背中が王子へと聞く。


 「二人の間に子がないのが気になった。余程菫姫が嫌がったのだろうと思ってな。ならば父親より年上の男か余程の見られた所のない男だったか。ならば釣り合わんなと」

 「……いいえ、お若い方ですよ。理様……貴方とそう年は変わらないくらいの方でした」


 そこまで言って少年は、ぴたと足を止める。部屋の前まで着いたらしい。


 「お休みなさいませ、理様。どうぞゆっくりお休み下さい」

 「ああ、ありがとう。……そうだ、明日も俺が寝過ごすようなら昼頃に殴ってでも起こしてくれ。馬にも会いたいからな」

 「はい、畏まりました」


 少年が一礼し、静かな部屋にまた一人。

 静寂と共に思い出すのは、背徳の王女と菫姫の類似点。


 「俺とそう変わらないくらいの年……“でした”……か」


 その言い方ではまるで二人が死に別れているようだ。それは夫の方だろう。普通に考えるならばそうだろう。


(しかし……)


 もしここが本当に冥界の現世の狭間なら……死んでいるのが菫姫。そうなりはしないだろうか?


 「君なのか……ならば何故、こんな……私を試すような振りをする?」


 浮かんできた涙をぐっと飲み込むため、王子は寝台に仰向けに……天井の色を見つめていた。涙が乾くまで、ずっと。

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