【2夜目】王子の物語 『メリンゲンマッセの魔女』
※残酷な描写が濃い話になっています。閲覧注意。
長い夢を見ていた。目覚めると辺りは既に薄暗く、夕闇に包まれていた。
王子が目覚めて暫くすると、扉を叩く音がする。応えて出るとそこには召使いの少年が居た。
「お目覚めでしたか」
「俺は今まで眠っていたのか」
「はい、食事の際に訪ねたのですがお目覚めにならなかったので。旅の疲れでも出たのでしょう。これから夕食なのですが、夕食は如何なさいますか?」
「そうだな……折角だから頂こう」
「はい、それでは案内させていただきます」
食卓に招かれて口へと運んだ食事は、昨夜よりも幾分美味しく感じられた。菫姫と話をすることで動揺もなりを潜めたからか。
(いや、それどころか……)
「理様、昨晩はよく眠られまして?」
「え、ああ。お陰様で。こんなにゆっくり眠ったのは久方ぶりで……」
「そうですか。それは何より」
昨日より菫姫が近くに感じられる。目の錯覚かも知れないが……食卓が少し狭くなった様な気がするのだ。心の持ちようで変わる違和感なのだろうが、この場所が改めて不気味な場所だと王子は認識する。そこに思い当たって王子は、ここまで共に旅をしてきた者のことを思い出す。
「そう言えば私の馬のことなのだが……」
「ああ、それは伝承が世話をしてくれていますよ。伝承、明日にでも案内して差し上げなさい」
「はい、菫姫様」
日が暮れるのが早い。先程は夕方だと思っていたのに森の中はすぐに夜になる。森に踏み入ってからはいつもそうだった。木々が生い茂っているからか、この森の中は夜がとても長く感じる。すべての食事を終える頃には、時計も大分進んでいた。
「……菫姫、この料理を作ってくれたのは彼ですか?」
「ええ。何か?」
「いや、今日は起きられず朝食が無駄になったのではないかと」
「気になさらないでくださいな、実は私も今日は寝坊をしてしまいまして。伝承も簡単な物しか用意していなかったので」
「そうか。それなら良かった」
一人でこれだけの食事を拵えるのはさぞかし大変だっただろう。そんな思いから王子は食事をマナーの範囲で、なるべく残さぬようとする。
それを見つめる少年は、何故だろう。仮面のために表情など伺え知れないのだが、王子にはどうにも悲しそうに見えていた。
「それで理様?今日のお話はお決まりになりまして?」
「……ああ、もう決まりました」
王子の言葉に、菫姫は「まぁ、楽しみですわ」と微笑んだ。その唇だけの微笑みに、王子はこの不思議な少年のことなど忘れてしまって、菫姫との今宵の対話へと思いを馳せるばかり。
「それでは今宵は私から始めさせて貰おう。今日の私の話は、人形の話だ」
「まぁ、人形のお話ですか?」
「ああ。これは旅の途中で聞いた話なのだが……」
*
昔々あるところ……メリンゲンマッセという領主の娘に、大変お菓子が好きな女の子が居た。
彼女の名前はメイリンゲル。彼女は数あるお菓子の中でも一番ケーキが好き。可愛らしい飾り付け、甘い匂い。目と舌で楽しめる、そんなケーキが大好きだった。
けれどそんな彼女にも、嫌いなものはあった。それが、砂糖菓子の人形。
それはとっても可愛らしいけれど、味はそんなに変わらない。お菓子ばかり食べていたその子は、もうその味を食べ飽きていて……いつも人形達を残していたそうだ。
城の中には砂糖菓子の人形達が飾られた部屋が設けられるほど。
「メイお嬢様はどうして僕らを嫌いなんだろう?」
「美味しく食べられるために私達は作られたのに」
「僕らの身体の卵だって、生きていれば今頃雌鳥か雄鳥か」
「私達は雛たちの命を奪って、代わりにここに作られたのに。こんな風に飾られるだけなんて……私達、何のために生まれたのかしら」
人形達は悲しみに暮れたが、人形の身では泣くことも叶わない。勿論言葉も話せない。
しかしそれは昼間だけのこと。
人形が動かないということをそもそも誰が決めたのか。彼らは人の前で動けない宿命を背負っているだけで、我々人間が見ていない場所では好き勝手動いているものなのだ。
夜になると人形達は飾られた場所から飛び出して、我が身の儚さを夜毎夜毎に嘆くのだ。
「なぁ、みんな!元気を出せよ。メイお嬢様は優しい方なんだ」
けれど一体の人形は娘を庇う。彼は可愛らしい王子様の人形で、一番最初に作られた。娘が付けた名はマルツィ。彼女の一番のお気に入り。
マルツィとメイリンゲルは……昼間はよく一緒に遊んでいた。だから彼だけはメイリンゲルが本当は優しい娘なのだと理解していた。
「勿論、僕らが甘すぎて嫌いというのは本当だ。だけどそれなら捨ててしまえばいい!作らせなければいい!だけどお嬢様は僕らを作る!作らせる!」
「そうして私達の材料達が泣くんだわ」
めそめそと嘆く仲間達に、王子の人形はそれは違うと告げた。
「彼女は僕らを哀れんで、食べることが出来ないんだ。お嬢様は僕らのことは嫌いじゃないんだ」
メイリンゲルは装飾品としては人形を好んでいたので菓子職人達に人形を作らせては遊んでいた。
「食べて貰えないのはお菓子として悲しいことだけど、その目でお嬢様に喜んで貰えるのならそれも幸せなことだよ」
「そうなのかな」
「そうかもしれない」
「そうだといいわ」
「そうだよきっと!」
マルツィの言葉に人形達が次々と笑みを取り戻して行く中、玩具部屋に忍び込んできた者がいた。人形達は夜だと思ってすっかり油断していたが、それが人だと気付くやいなや……いつもの人形の顔をしてその場に留まった。それは貧しい身なりの農民達。持ってきた灯りで部屋をぐるりと見回して、憎々しげに人形を見る。
「おら達は食うにも困っているのに!」
「こんな食べもしない人形のために、また年貢を重くしただか!」
「許せねぇべ!こんなものっ!こんなものっ!」
人形達は悲鳴を上げて逃げることも出来ない。怒り狂った人間達に、為す術もなく破壊される。
「酷いっ!なんてことをっ!」
翌朝……本当に動かなくなった人形達を見て、メイリンゲルはわんわん泣いた。その涙に人形達は「やはりお嬢様は優しい人だったのか」と喜びに満ちた表情で、その魂は天に昇っていった。
屋敷に忍び込んだのは領民。そもそもの発端はメイリンゲルのお菓子好きにあった。
メリンゲンマッセ伯は世界中から有名な菓子職人を雇い入れ、可愛い娘にお菓子を作らせていた。その資金を集めるために……領主は領民に重い税を課していた。それにとうとう耐えかねた人々が城を襲ったのだ。
「お前達!城を襲った人間の子供を攫ってきなさい。……侵入者が名乗りを上げないのなら、領地の全ての子供を連れて来なさい!」
怒り狂ったメイリンゲル。伯爵も自分の高貴な城を、農民なんかに踏み荒らされた事が気に入らず、娘の好きにさせることにした。
家臣達が連れて子供達を見た、メイリンゲルはお菓子職人達に彼らそっくりの……大きさまでも寸分違わぬ砂糖菓子人形を作らせた。
唯の人形では駄目だ。とびっきりの人形が要る。
ケーキの焦げ目を付けるように子供達を火で炙り、クリームで飾り付け、腹を空かせた猛獣に齧らせる。悲鳴を上げる子供達の顔を姿をよぉく観察させて、菓子職人達にその子供達そっくりの砂糖菓子を作らせる。本物達が猛獣の胃袋に消える頃、痛みと恐怖に泣き叫ぶ子供達の人形が生まれた。メイリンゲルはその砂糖菓子の人形を……元の家へと帰してやった。
“腹が減ったと言うのなら、このお菓子を胸焼けするまで食べなさい”……そんなカードを人形に添えて。
子供達は皆苦悶の形相。生きたままお菓子にされてしまったような迫力がそこにはあった。
「おお、おお!なんと惨げぇっ!人をこんな菓子に変えてしめーだ、伯爵の娘は魔女に違いねぇ!」
「ああ、ああ、恐ろしいっ!」
「何故だ!何故おらだでなぐ、おらの子供をっ!悪魔だ!あの城の娘は人間でねぇ!」
遺族は嘆き悲しみ、城への反乱を企むも……城に城は警戒を始め、忍び込むのは容易ではなくなった。逆らえば明日の我が身。人々は恐れ戦く。
「んだども、あそこの家……確かに食うには困らんでね?」
「おお、んだんだ。砂糖食ってりゃいいんだ」
「馬鹿でねが!これはうちの息子だ!食えるわけがね!」
食べたら魔法が解けた時、生き返れないではないか。遺族は怒るも、他の領民は他人事。
「そもそも領主様に刃向かったのおめぇらでねぇか」
「んだんだ」
「ああ!止めてけれっ!止めてけれっ!」
空腹に耐えかねた他の領民は、領主の娘からの悪趣味な贈り物を割って自分の家へと持ち帰った。
「おお!こりゃ美味い!」
「向こうの家でも子供が連れて行かれたって話」
「よし!今度はあっちの家から分けて貰いにいぐか!」
一流の菓子職人が作った砂糖菓子。物珍しさはあったものの、貧しい人々はその味に病みつきになってしまう。
人が人の形をした物を食べるという妙な騒ぎ。メリンゲンマッセの領内は、軽い混乱の渦に飲まれていた。そこをたまたま通りがかった旅人は、メリンゲンマッセ領は人食い族が溢れていると急ぎ足で通り過ぎ、そんな噂を外へ広げた。
その内に菓子職人達は悪魔だとか悪魔と契約しただの、根も葉もない噂をされて……またこんな悲しい気持ちになるお菓子は作りたくないと一人また一人、この仕事に耐えられなくなった菓子職人が城を去り、メイリンゲルは自分でお菓子を作らなければならなくなった。
職人達のお菓子作りを傍で見る日もあったから、大体の流れは覚えている。そこにアレンジを加えれば、人形を作ることは出来るだろう。メイリンゲルは頷いて、早速お菓子作りに掛かった。
「でも私、飴細工なんて作れないわ。前に一度教えて貰ったことがあったけど、あの時も頭までしか作れなかった。……あ、そうだわ!」
メイリンゲルはいいことを思いついたと微笑んで、家来に通達を出す。
まずは材料集め。領内で悪さをした人間の、子供か恋人を城に連行。
……なるべく幼い方が良い。大きすぎると作るのが大変だから。それを城へと招いたら、身体を綺麗に洗わせて……生地に埋め込むため半殺しに。当然服は脱がせておく。
そこでスポンジの生地を全身隈無く塗りたくり、大きなオーブンへと入れる。焼き加減を確かめるため、途中で一度取りだして首を切ってみる。そこで血が流れなければ良い感じの焼け具合。血が出てきた場合はもう少し焼かなければならないのでオーブンへ戻す。
スポンジが焼き上がったなら生クリームを塗り、その上に季節の果物を飾り付けて……チョコレートの板に生地になった子の名前を書いてやる。そうして家臣に拷問させている間に作った首だけの砂糖細工。それをプレートの片側に載せ、もう片方には白くて綺麗な砂糖細工のようになるまで焼いた頭蓋骨を配置。後は棺の中に綺麗にラッピングして、完成。
「お菓子作りって簡単ね。これなら私にも出来るわ」
ここで初めてメイリンゲルは、お菓子を食べる楽しさから、お菓子を作る楽しさに目覚める。
「ああ、このケーキを人々がどんな風に喜んで食べるか」
食べるよりも食べさせる方が、もっと楽しいかもしれない。メイリンゲルはそのケーキを犯罪者の家まで届けさせて……それを食べる様を家来に伝達させた。
「領民達はそれが何か気付かず最初は食べていました。しかし砂糖細工かと思った骨が硬くて硬くて食べられない!そこでやっとそれが何か気が付いた者が、そこら中で嘔吐!その異臭につられた者もつられ嘔吐!」
「あははははは!馬鹿みたい!やっぱり生まれの貧しい人間は低俗ね!」
これ以来、すっかりお菓子作りにはまった領主の娘はケーキを作り続けた。最初は気味悪がっていた者達も、久々のご馳走だったのは確かで。クリームと果物とスポンジだけならもう一度食べたいと思った。
中にはそれが何かと知った上でその味に病みつきになった者も居て。
犯罪者を突き出すだけで、領主の娘はケーキをくれる。その内領民達は無実の罪で人を捕まえ城へ突き出すようになった。
こうなってくると嘘の噂も本当になり、メリンゲンマッセの領地を見に来た聖職者も、噂は本当だったのだと恐れ戦いた。聖職者はこのことを王へと伝え、王は王子にメリンゲンマッセの魔女を倒してくるように命じた。
しかし王子がメリンゲンマッセの領地に着いた頃、不思議なことに人がいない。代わりにそこに居たのは砂糖菓子の人間達。彼らは互いを食い散らかすよう壊れていた。砂糖菓子にしてはそれがあまりに見事な出来映えで、メリンゲンマッセの魔女は人を菓子に変えてしまえるのだと兵も王子も震え上がった。
王子は火と水を手に、メリンゲンマッセの城へ踏み入り、魔女を捜したが、魔女は何処にも居なかった。
代わりに城に居たのは等身大の娘の彫像。それは近寄れば甘い香りがする、美しい娘の像。この領内で一体だけ完全な姿でそこにあり、苦悶でも嘆きでもない柔らかな微笑を浮かべた乙女がそこにいる
「これも、砂糖細工か……」
王子はそれを壊そうとしたけれど、それがあまりに見事な出来映えだったので、壊せず城へと持ち帰る。
王子との戦いで追い詰められたメリンゲンマッセの魔女は、自らの定めた掟を破った呪いから、自らも砂糖菓子へと変えられた。
そんな逸話をでっち上げ、戦利品として魔女の人形を王子は傍に置いたという。
*
昨夜の夢をヒントに王子は物語を話した。もしも菫姫が彼女なのだとしたら……もう一度同じ問いかけに繋がる話をしたかった。その時彼女はどんな風に応じるのかを確かめたかったのだ。
しかし王子が「好きな菓子は何か?」と訪ねる前に、菫姫が驚いたような声を上げていた。
「あら?その話なら私も知っていますわ」
「何?」
その反応に、王子は少なからず驚いた。
「私の聞いた話とは、少し違いますけれど。もし宜しければ理様、私も私の知る物語を話しても構いませんか?」
「……ああ、構わないが」
「それならお話しさせて頂きますね。私の話はアルフェロア伯爵とその息子……アルフェン。それからメリンゲンマッセの魔女、メイリンゲルの物語」
人形が主人公か?と思ったけどそんなことは無かったぜ!たぶんそんな話。