【6夜目】伝承の物語 『背徳の姫君』
若干エロス方面注意報。エロス姫が話す話ですから今更ですか。
ネタバレになるから注意書きにBL注意報と書けないけどそろそろ書いても良いんじゃないかなって思った次第。え?相手がおっさんだとBLじゃない…だと?
そうですね、犯罪ですねわかります。
「女とは何とも奇妙な生き物で。くるくる回る、裏表。昨日の嘘が今朝の真実、今宵の本音が明日には偽り。彼女たちは他者には過去と未来と今を求め、しかし自身はいつも今を生きる。故にこの城の掟は女性にとっては都合の良い仕組みなのです」
「……何の、話だ」
体中を打った鈍い痛み。王子が意識を取り戻し呻いたところで聞こえる声はまさしく死の衝動、死神デストルド。王子の自殺願望に引き寄せられたと言うのだろうか?何時の間にやら城の外へとやって来ていた。
天窓を破った時に無かった痛みを感じている。それが何を意味するのか、薄ぼんやりとは察しが付いた王子の傍に死神は歩み寄る。
「その瞬間心の底からそれを真実だと思っていれば少なくともそれが嘘にはなりますまい」
「あの女が話した、物語外はすべて真実だったと?」
「若い伴侶をお持ちだとはあっしも耳に。しかしねぇ、それは未来に若い男を縛り付けさえすれば、その言葉は嘘にはならない。城主様は貴方をそうするつもりでゲームに誘ったんでさぁ」
「そんな馬鹿な話が……」
子供がいない。その言葉は、未来の夫との間にまだ子供がいない。或いは王子の父と別れたから子供がいない。王女を子供とは思っていない心もあるから子供はいない。歪んではいるけれど苦痛に喘ぐ背徳を見るのが好きだと言う菫姫は、ある意味では伝承を嫌っていない。言いがかりのような言い訳で、菫姫をこの城は守っている。
「或いは七日目にこの森が飲み込まれる場所に、それとも貴方が知らない夜の内、城主様の伴侶は帰って来ていたのやもしれやせん」
菫姫が何を演じていたにせよ、その瞬間の言葉は紛れもなく真実であると死神は断言。そうでなければ城の掟は菫姫を石に変えただろうと口にする。
「……俺が嘘を吐けなかったとでも?」
「それとこれとは話が別物。嘘などあっしは幾らでも吐いていた気がしやす。つまり石化の呪いが及ぶのは完全なる死者。仮面を纏った者だけでさぁ」
「それでは」
王子が意を決したように離れた場所で倒れ込んだままの砦に駆け寄るも、彼も石化はしていない。唯気を失っているだけだった。
がっかりしたようなほっとしたような、何とも不思議な気分。そこで先程まで自分が何を望んでいたかを思い出し、王子は辺りを見回した。
「背徳……?」
砕けてしまったのだろうか。辺りに転がる石ころが愛しい人の欠片なのではと恐れ戦き取り乱す。そんな王子を死神は嘲笑い、顎をくいっと動かし一方向を示してみせる。
「しかし愉快な理の殿下様。考えてもご覧なせぇ。嘘偽りが彼女を石に変えたのなら、何が彼女を取り戻す奇蹟になりましょう?」
「あ……あ、ああっ」
「答えは真実にございます。もっともそれが愛の告白か真名の啓示かは解りかねますが」
色つやを取り戻した髪、ふっくらと色付く頬。目が覚めるような海色の瞳。生きていた頃と何も変わらない、王女の姿がそこにある。
「こ、理、さま……?」
「……背徳っ!」
感極まった王子は熱い涙を流し、王女を思いきり抱き締めた。その後は口付けをするでもなく唯々見つめ合うだけなのだが、心の奥底まで触れ合っているようなその姿。これには流石の死神も凝視を忘れ、うっすら顔を赤らめ視線を逸らす程だった。
「背徳……」
「理様……」
そうしてしばらくの間、二人は互いを見つめそれ以外の言葉を無くしたように、呪いのように名前を呼び合うことしか出来ない。しかしこんな幸せな呪いがあるだろうかと王子は微笑む。もう二度と王女の声を、聞くことは出来ないと思っていたのだから。これまで見たこともないような……柔らかな王子の笑みに、王女はすっかり参ってしまい、ますます頬の熱を火照らせていく。そして何か言おうとするけれど、やはり王子を呼ぶことしか出来ずに見つめ合う。
「お熱いところ水を差すのも何なんですがね、一つお耳に入れたい話が」
やがて困った様子の死神が言う。無粋な奴だと思いながらも、王子は死神を振り返る。
「何だ?」
「あっしは城主様の名前に聞きお覚えがありやしてね。そうなればその伴侶の名も知れるという物。城主様は確かに唯の亡霊にございますが、名前だけならもう十分に悪魔様の一味です。王女様もそれはご存知ですね?」
確かに言われてみれば、石になる直前に伝承は口にした。自殺をした魂は悪魔に仕えることになる、と。地獄での伴侶が悪魔である菫姫は、名前だけならその結婚で悪魔になったと聞かされているのだろうか?王子は僅かに首を捻った。
「はい、母様は間もなく悪魔になります」
「あの女が悪魔に?」
すんなりと菫姫の正体を受け入れる背徳。その様子ではここに来て真実を知ったようだ。だがそれを掟で縛られ、告げることが出来なかった。王子から逃げようとしたのも、真実を知ればこそ。全てを知って手を放さない王子に観念したのか、すっぽりとその腕に背徳は収まっている。唯それだけのことにも王子は胸が締め付けられるように、唯々王女が愛おしい。
「悪魔との離縁により、彼女は本物の悪魔になる。だから今度から自殺した魂を得て結婚することが出来るんです。母様は……理様を欲しがっていましたから」
「デストルド、そんな話があるものなのか?」
「普通悪魔が人間と離縁することは無いんですがね。そういう概念は稀です。大抵は墓場送りでさぁ、不要になれば魂を食べてしまえばいいんですから」
「まぁ、確かにそうだな」
傍に置きたいから結婚する。煩わしくなれば食料にしてしまう。それで良いなら離婚なんて話は出て来ない。改めて人間と悪魔は違う世界を生きているのだと王子は納得をしてしまう。
「けれど離縁するというのは悪魔にとっては名前分けであり魂分け、独立した存在と認める、ある種の財産分配。人間が悪魔になる方法の中の一つではありやす」
「しかし何故その男は菫姫と離縁をしたがる?」
「元々計画的婚姻だったということか、気が変わったか。倫落姫の伴侶の悪魔はまだ若い悪魔でして、しかし生前の罪業から死んですぐに悪魔となって……いや、生きながら既に悪魔の魂になってしまっていたのかも。それは兎も角としてその男、思い人が居りましてね、誰の姿にもなれる淪落姫をお気に召し結婚をされたのです」
「それでは……」
「菫姫の噂話は、理の殿下が見るより先に生まれた話。詰まるところ、貴方がそれを望む前から彼女に背徳姫の姿を映すよう望んだ者がいるということ」
「何故、そこまで詳しい?」
「あっしは例の戦争以降貴方に目を付けていやしてね、また沢山の魂が手に入ると着いて行く中、その男の魂も地獄へ運ぶことになったんでさぁ」
「それではまるで……」
この俺がその悪魔を知っている風ではないか。王子は自問自答して、体中に冷や汗がぶわっと浮かぶのを知った。
「まさか、その男は……」
背徳の姿を求めた。背徳との結婚を望む悪魔。邪魔者である理を、菫姫に縛り付けるそのあくどい手段。そして死んでから日が浅い、元は人間だった悪魔。
「理様……」
ぎゅっと背徳を抱き締める腕が僅かに震える。これまでろくに聞こえていなかった、夜の森の異形の囁き。その向こうから何者かの向かってくる音。それは馬の蹄の音。黒い甲冑を身に纏った異形の騎士が此方にやって来る。その男を目に留めてカタカタと震え出すのは背徳だ。
「ほほぅ、掟の城に本当の主がやって来たようで」
「まだ0時にはなっていない、七日目までまだ時間はあるはずだ」
「先程あっしが冥界の扉を開けやしたから、その時に流れ出た方がいらっしゃったんでさぁ」
「何故それを先に言わない!」
そんな危険があるのなら、先に言っておくべきだと王子が吠えるも死神は後の祭りとけたけた笑う。
「何々心配いりやせん、あっしが持っている鍵で開けられるのは魂の扉のみ。形の門を開けるには六日の供物が必要で、七日掛かるもんなんでさぁ。ですからあれはまだ魂だけ、少なくとも殿下の大事なお姫様には指一本触れられないでしょう。精神的なセクハラは出来るやもしれやせんがね」
「六日の供物?」
「物語を物語る。これこそ第七門の眷属には最高の供物と言うもので、七日掛かるというのもその門にちなんだもんでさぁ」
ガシャンガシャンと鳴る鎧。馬の歩みが止まるとき、それも止み……物の怪共の囁きも、ぴたと止まった静寂に。城の主が兜に手を掛け、しかし掟がここまで及んでいるのか彼はそれを止め、何らかの賭け事を挑むような視線を王子に向けるのだ。死神は王子の疑いと、悪魔の名乗りに答えを与えるべく、掌を空高くに掲げ、宣誓するよう名乗りの代行をする。
「俗世での彼の名は確か……感情の君。彼方での名はテロス=パトス……終焉の情念公と申す方。生前積まれた悪徳を讃えられ、若年にして伯爵の地位を与えられたそうで」
「情念公……だと!?」
しがみついてくる背徳を、渡してなるものかと王子はしかと抱き締めて、目の前の鎧を睨む。その何は覚えがあった。王子が王女を失う前に、殺したはずの男の名。
「しかし、貴様は……」
背徳が死んだのと情念公が死んだのは同じ日だ。同じ日に死んだ魂が、何故こんなにも別の場所にある?この男が菫姫と結婚したのは、忘れられない背徳の面影を求めたからだろう。王子が驚きを隠せずにいると、死神が教える。死後の世界に時の概念は現のそれと異なるのだと。
「更には理の殿下、元々背徳姫は海に落ちた魂でありやす。その魂は冥府に回収されず、海神の管理下に置かれ海の底、大陸棚の壺の中海の娘達の永遠の慰めとなる定め。よって背徳姫と情念公は別の場所に魂を回収されたのです」
「数々の罪を犯した背徳が、冥府に落ちればきちんと裁判で地獄送りになり裁きを受けたでしょうに。海神の甘いこと……転生を許さず永遠に嘆きの歌を歌わせるだなんて、まったく良いご趣味」
「菫姫っ……」
「でももっと良いことを思いつきまして私、主人に頼んで領主様にお願い申し上げましたの。第七公のお優しいこと!物語を書き換えて、背徳の魂をこの森に呼び寄せてくださったんですわ」
クスクスと笑う菫姫は城の外へは出ず、エントランスより外を窺い見る。
「貴方、お帰りなさいませ。ちょっと見ない内に成長して生前の姿に近づかれましたか?肝心の実体ももうすぐ追い着いて帰還されるようですね」
ならばその前に背徳を連れて逃げるか?王子は砦を揺すり目覚めさせようとする。しかしそれは無駄なことだと菫姫が笑うのだ。
「理様、貴方はまだしも背徳は既に死んでいますのよ?森から逃げたところで生き返るための身体は無い。罪深いその子の魂を、天が回収しに来ることもない。来るとしたら海神の使いでしょう。海に沈み永遠を彷徨う歌となるか、悪魔の慰み者になるか、その子は裁かれる他道はないのです」
そんなことはさせるものか。何か道はないものか。王子は必死に考えて、黒騎士を睨み付け叫んだ。
「……情念公、我らの長きにわたる因縁、今日こそ断ち切ってやろう!この俺と勝負をしろ!」
しかし男は王子の脇を通り過ぎ、菫姫の待つ城内へ。そこに入って初めて男が言葉を発した。
「……何を言い出すかと思えば」
その声を聞き、可哀想なくらい背徳が震え出す。その震えを止めてやりたいと、王子は背徳をしっかりと抱え直した。
「それが再会の挨拶とは、随分と無粋な方だ」
「その鎧が貴様の仮面だろう。それが外れなければここが冥府となり身体を取り戻したとしても、背徳に触れることも、口付け一つ叶わぬはずだ」
「おかしな方だ。私が妻である菫姫と賭け事を行うとは思わないので?」
「ああ、思わないな。そこの死神と菫姫と伝承は、仮面を賭けなかった。仮面の賭けは生者と死者との間にのみ行える賭け事だと俺は見た」
「ふっ……」
それが正解だったのだろう。男は小さく笑い振り向いた。
「それは私にとっては好都合。勝ちさえすればこの重い枷を外し我が姫を思う存分可愛がることが出来る。しかし其方には何の利益もないのでは?それとも姫を諦めることでも互いに賭けるか?否、賭けたところで諦められる我々では無い。よってそれは賭けとして成立しない」
賭け事のルールは双方に定めた利益がなければ賭けとして成立しない。それを尋ねるこの男が誠実なのではなく、この城の掟を男が恐れたからなのだろう。つまりこの城は悪魔をも石にすることが可能と王子は気付く。
「いや、あるな。俺が勝ったらその領主悪魔への取り次ぎを頼もう。海神から背徳の魂を奪うことが出来るような相手だ。何か知っていることもあるだろう」
「竪琴の名手のようにはいかぬだろうに、往生際の悪い殿下でいらっしゃる。だが……良いでしょう。賭けの内容を私に決めさせていただけるのならその条件、飲みましょう」
「……ああ、言ってみろ」
「それなら理の殿下、賭けは城内でなければ意味がないんじゃないですかねぇ」
王子と騎士が睨み合ったところで、ちゃっかり城内に戻った死神が促して来る。死神が嫌がる程だ、外が危険だというのも本当らしい。王子は王女と共に砦を城内へと運び、再び皆で食卓へと戻る。
「それで、賭けの内容とは?」
「領主様は気紛れでいらっしゃる。私が呼びかけても応じてくださるかは怪しい。そこで領主様を呼び出すような話を話せたら、貴方の勝ち。話せなかったら私の勝ちというのは如何だろう?」
「何だそれは、その言い方だと我らがどちらも話す風には聞こえない」
「それはそうです。語り手は背徳姫にお頼み申す」
「は、背徳に……だと!?」
この数日、背徳が話した話を王子は思い出していた。物語を供物に求めるような悪魔が満足し現れるような物語を、背徳が話せるだろうか?
(いや、俺が背徳を信じずに誰が背徳を信じてやれるのだ)
そうは思っても、隣に腰掛けた背徳は不安そうに王子を見ている。王女自身、自信がないようだ。そうなることを知っていたのか情念は、新しい言葉をそれに付け加えるのだ。
「勿論、背徳姫には分が重いのは重々承知。なれば、話の途中で背徳姫に我ら二人は三度ずつ質問を行えることとする。姫様はその質問に真実を持って答えなければなりません。そうして話の流れにスパイスを入れて、領主様が招きに応じてくださるような話を語らなければならない。これが賭けの内容です、如何かな?」
王女が何を答えるかを、真実を知っていれば、ある程度の誘導尋問は可能。賭け事としては成立している?
「で、ですが……人伝の話では、質問されても正しく答えられるかどうか……」
「ええ。ですから姫様がお話下さるのは、貴方自身の物語。貴方が生きて死ぬまで、死んでから今日これまでのことを物語りになさるのです」
「わ、私のこと……!?」
「ご自身のことでしたら、誰より本当をご存知のはず。そして私も彼も、愛しい貴方の本心をもっと知りたいと思っている」
舐め回すような視線と言葉に、王女は脅える。それでも一度王子の方を見て、強く頷き……悪魔に向かって顔を上げた。
「わかりました。理様もそれで宜しいですね?」
「……ああ」
「ちなみにあっしらはどうすればいいんですかねぇ」
部外者全開と言った場の空気を破るよう、死神が手を挙げる。菫姫も少しハラハラした様子だが、このまま七日目がやって来れば自身の願いが叶うのだ。足止めは有り難いと、王女の話が長引くように、何とか介入できないかと企んでいるらしい。
「そこの馬はまだ目を覚まさないか。ならば菫姫は私に助言、そちらのお客人は殿下に助言。話し合って三度の質問を行ってくれて構わない」
「それであっしに何の得があるんですかねぇ……と言いてぇところですが、領主様とお近づきになるチャンスはなかなか美味しい。そんなら殿下に味方するのも悪くはねぇって話のようで」
長ったらしい言葉だが、要するに味方に付いてくれると言うことか。死神が王子の傍に椅子を移動させてくる。それを見て菫姫も情念公の傍へと動き……丁度テーブルの向かい側に、両者とその味方が睨み合う形になった。
「背徳……辛いかも知れないが」
「……手を、握っていてくださいませんか?」
「ああ」
お安いご用だと、王子は王女の膝へと手を伸ばし、その手を握る。それに王女はほっと息を吐き、物語るために息を吸う。
*
まずは仮面についてお話ししましょう。私が思うに死後に仮面を頂いた者はきっと、生前何らかの嘘を吐いた者。
菫姫……母様は女の仮面を纏い、多くの殿方を手玉に取った。私は……私は自分の心に仮面を付けて、多くの人を傷付けました。仮面を外した今、包み隠さず全てをお話しするべきなのかも知れません。理様は情念様を憎んでおいででしょうし、私も少なからず辛い気持ちはございます。しかし、それでも誰が何が悪かったのかと問われれば、それは私だったとお答えするよりありません。
私のことをお話しするということですので、まずはそうですね。私の生まれた、私の故郷を……
それは大洋に落とされた宝石。海と空に挟まれるよう、二つの青の水平線の遙か彼方に……それはそれは、美しい国がありました。自画自賛だなんて言わないで下さいね?誇ることが何もない私が、誇れる物があるのならそれは故郷の美しさだけなのです。
皆様もご存知の通り、私の国は神託により治世を行ってきました。私が生まれる前に落とされた神託では、“生まれた者が男児なら、国を滅ぼす災いとなる”、“生まれた者が女児ならば、許されざる契りを交わすだろう”……この二つが落とされました。
しかし父や私が後者を知ったのは私が生まれた後、正確には私が物心着いた頃。私が女として育てられたこと、元は男であることを……父は神殿に教えませんでした。神は絶対だと説く神官の方々に、真実を知られれば私は預言回避のために処刑させられていたはず。王の地位を求めた者も居ましたが、それは誤り。狙うなら神殿の長でしょう。神託で動く国の王は、神殿に頭が上がらないのです。この後出しの神託に、父は大層ご立腹。
だって私は女ではありませんから、その神託は全くのでっち上げなのです。それの意味するところは、父の考え得る限りの下世話な妄想からそうかけ離れては居なかったのでしょう。
「ええい、神官共め!勝手なことを!」
「ですが陛下、預言回避のために姫様を神殿に預けなさいませ。契りと縁遠い処女神に仕えさせれば何も問題は起こりません」
「預けた所で娘目当ての悪漢が、神殿を襲わないとも限らぬ!そうでなくとも欲求不満の神官共に姫が乱暴されたらどうする!?安心など出来るか!」
父はそうやって神殿からの申し出を断り続けました。それもそのはず、私の性別を知られることは私の死に繋がります。
父はいつも私に優しく、私はそんな彼が大好きでした。けれどいつの間にか、彼が与えてくれる大好きと、私の感じている大好きが食い違い始めてしまった……違和感こそ感じていましたが、それが決定的な物となってしまったのは親族の者から父の夜伽話を耳にした時。
その方から何度も夜伽の仕事を命じられる内に、心は磨り減って……それでもいつか慣れが生じて来る物で、私は何時しか思い始めます。
「こんなことで、お父様のお慰めになるのなら……」
麻痺していく理性が、私の心を惑わせます。父の秘密を守るための申しつけ。それを耐える内に私はこれが父のためだと必死に自分に言い聞かせてきたのです。その内に自己暗示に掛かってしまったのでしょう。前にも増して恩人である父を大切に思うようになりました。そう思う心を否定しては、これまで耐えて来たこと全てが無意味になるから。私が私を守るために、父を大切だと思い続けなければならなくなったんです。辛ければ辛いだけ、彼を大切だと言い聞かせる。その内に、どうしてこの程度のことを、それを望んでいる父のために尽くしてやれない物かと私は考えます。もう既に私は、どっぷりと背徳の淵に浸かっていたのです。もしあの日、理様と出会わなければ……私は背徳の声に従って更なる禁を犯していたことでしょう。
私はこれまで出会った殿方の、誰とも違う理様に……惹かれていくようになりました。理様に惹かれることで、私は自らを省みて、自分がどんなに罪深い人間なのかを知っていきます。それは貴方に惹かれれば、惹かれるほどに。
理様のお陰で私を揺する大臣もいなくなり、束の間の平和。けれど恋を知った私の目は、前にも増して悪しき光を宿すようになりました。以前から、見つめ合い微笑みかけることで殿方の心を惑わすことがあったのだと言われれば、そうなのだろうと思います。しかしそれを自覚したのはこの頃でした。
私は女性ではありません。違和感が服を着て歩いているような物。しかし神の気紛れか悪戯か嫌がらせか、私は違和感を感じないような姿で生を受けました。それでも私は女性ではありませんから、女心を一から百まで理解は出来ません。その理解不足は私の表情に時として表れます。それは男性にとって、女性の嫌な部分……鼻につく所が無いと言うこと。女性の姿形を好んでいても、女性の心と魂まで愛している男性は、世に何人いらっしゃいますか?私には解りませんが、恐らくそれはそう多くはないのでは?
彼らは天秤に掛けているのです。女性の心と体を。そうして身体に天秤が傾いているからこそ、彼は彼女を愛していると思うのです。その反対に、男性の身体と心を天秤に乗せて……前者に抵抗があっても、後者に強く惹かれれば……そういう思いを知らない方も、そういう風に恋をすることもあるのだと思います。
私という人間は、私の真実を知らない殿方からすれば、女としての秤の上……天秤の片側が空に等しく、だからこそ私の偽りの姿形を見ただけで私を好ましく思ってしまうのです。
そこに新たなスパイスとして、恋に恋して戸惑う私の表情が加わります。これまで作り笑いの愛想笑い、そんな仮面を演じていた私から……はじめて素の表情が現れて。私が生身の、触れられる人間であると言うことを知った人々は、以前より多くの関心を私に寄せることになった。或いは、理様との対話で慌てふためく私を見、大臣のように嫉妬の心から理様を疎ましく感じた方もいたのやもしれません。
大臣亡き後、その言葉を真に受けた者がいたというのは……ご存知ないでしょうね。その言葉は何時しか以前の夜伽相手の耳にも伝わり、一部の人間の間で私の正体を暴こうとする動きもありました。父の忠臣達がその運動を抑え込もうと私を守ってくれましたが……彼らも次第に何故でしょう、おかしくなって行きました。噂話を聞くことで妙な気分になったのか、これまで殺していた良くない気持ちに火が付いたのか。
「姫様、連中に……神殿に貴女の正体が広まれば……お命も消し飛ぶことでしょうね」
「どうしてですか?これまであんなに良くして下さった貴方が!」
「五月蠅い!これまで可愛がって来た姫様に裏切られた私の気持ちがわかるものか!」
「裏切る……?」
「あんな悪漢共にいい顔をして、どうしてこれまで尽くした私に報いて下さらない!」
「な、何を仰られているのかわかりません」
「私が信用出来ないのですか!この十数年、姫様の秘密を守り続けたこの私がっ!私でしたら、私が姫様と結婚出来れば国は安泰です!秘密は必ずやお守り通します!」
「し、正気に戻って下さい!お願いです!」
「私は真剣です!」
「嘘っ……そんなの、嘘ですっ!」
目の前が真っ暗になりました。城の中ももはや安全とは呼べない場所になってしまうだなんて。けれどここで屈すれば、話が漏れて同じ症状の者を生み出してしまうだけ。そう、私がもっと早くに父を癒す覚悟を持てていたのなら。こんなことにはならなかった。ならなかったのに。
大切な父が守る国。殺されるべきだった私を生かしてくれた場所。優しい人達。大好きだったはずの国。気付けばそれが足枷になっていく。この国に居る限り、何度も幾らでも同じ話はやって来る。私が嘘をつき続ける限り、それは終わらない。
「海の向こうは、どんなところなんですか?」
「戦ばかりで荒れている……だがいつか、この国にも負けない美しい国にしたいと私は思っています」
「素敵な夢を、お持ちなんですね。王子様は立派です……とても……。私とは、全然違う」
理様の故郷。遠く離れた場所。しがらみも足枷も、神託もない。誰も私のことを知らない場所。そこに行けば私は思い悩み、苦しむことも無くなるのでしょうか。けれどこの国から逃れたいと思うことは、父から逃げたいと言うこと。それはこれまでの私の行い全てが無意味になる。無駄だったと私がそれを認識してしまう。そうなれば、私の心は壊れてしまう。国は捨てられない。父を見捨てることは出来ない。
理様に惹かれることで、父を慰めようなどと言う気持ちは何処かへ消えて……そうなることで父の危ない夜遊びは続いてしまう。嗚呼、またそれを誰かが見てしまう。そうして私を脅しに来る。ありとあらゆる手を使い、私を脅しに来る者に……私が人質に取れるものはもはや私自身しかありません。私はナイフを隠し持ち、自分自身を傷付けて彼らを脅して逃げることしかできません。
戦うことをしてこなかった私では、まともに戦って敵うわけがありませんから、そうなる前にさっと自分を人質に、逃げ出すのが精一杯。その逃げ出す道で理様に出会ったのが九百九十九日目のこと。
あの日の私は貴方に失望されやしないかと、内心冷や汗ものでした。貴方に助けて欲しいと言うことは、私の全てを明かすと言うこと。私の正体も私の罪も、受け入れるほど理様は私を想ってくれているのか。逃げ出したいという私に貴方は失望しないだろうか。不安で不安で堪らない。
やがて私が理様と出会って一千一日目の朝が訪れ、私は理様に真実を明かしました。その場で理様が私を受け入れて下さったのなら、私も共に……海を渡る決心をして。
それでも……ここからは皆様もご存知ですね。あの日の理様は、涙を流し私を冷たく罵った。私の裏切りを理様はどうしても受け入れられなかった。それも仕方のないことです。私もそれはよく解っていました。それでも、他に私が選べる道は二つだけ。国に留まるか命を投げ出すか。逃げ出すことは出来ません、生から逃げ出すことは出来ても。
私と貴方は違う。平和な場所で背徳に生きた私と、戦場で理を説いた貴方。そんな貴方に受け入れて貰えたなら、私はこれまでの悪徳全てを許されるような、そんな甘い考えを抱いていたのだと気が付きました。理様に拒絶されて初めて。
正しき貴方が拒むのです。私は私の罪深さを強く強く受け止めました。この世には真に一片の救いなど無いのだ。理様にも愛していただけない私です。誰より真っ直ぐ求めてくれた貴方に許して貰えない私を、誰が許してくれるでしょうか。
海の向こうに帰った貴方。私を手に掛けられなかった貴方。それでも離れた時間がきっと、憎しみを募らせる。いっそ私を見せ物にして首でも刎ねてくれるのか。そんなことばかりを考えて……理様が国へ帰ってからというもの、塞ぎ込んでしまった私を心配してくれたのは父でした。
「お前の友人が、海の向こうの国が攻めてくるらしい」
「お父様……」
「お前が戦うことは無い。お前は私の娘だ。娘の手に剣は重たすぎるだろう」
私をぎゅっと抱き締めて……父は戦場となった港に急ぎます。私はそれを見守ることしか出来ず、大きな背中を……小さくなるその背中を何時までも見つめていました。しかし、これまで一度も戦ったことがないのは父も同じ。数多の死線を潜り抜けた理様率いる兵団に敵うはずもありません。父の無謀な戦いに巻き込まれ、降参の仕方も知らぬ兵達の多くが傷つき倒れました。
王が倒れたことで国は混乱の渦に飲み込まれ、取り返しの付かないところまで来ているのを感じました。理様に拒絶された今、私の居場所は父だけだった。その父を失った以上私が縋れるものは王女の地位と国への想い。暗示を掛けるまで大事に想った父のこと。その父が命を賭けて守ろうとした国のこと。これ以上の犠牲は出せない。そうなれば私は、ドレスを纏ったままでも重たい剣を引き摺って、理様に挑まなければなりません。私が最後の犠牲でなければなりません。戦わずして、降ることなど出来なかった。それが私の中に生まれた最初で最後の意地でプライド。心を繋ぎ止める最後の方法。
「理の国の王子よ!これ以上私の国で好きにはさせません!この国が欲しいのならば、この私を倒してからにして下さい!」
「……戦を、剣を知らぬ手だ。そのような成りでこの俺に挑むか」
「私はこの国の王女です!国を見捨てることは出来ません!」
手加減されているのが解る。それでも全く隙がない。たった一度も攻撃を食らわせることが出来ない。遊ばれている子供のよう。戯れに振り下ろされた剣を何とか防いでも……ぶつけ合った刃が教える力の差。手が指が、身体が力が経験が!何もかにも負けている。
「勝負あったな、背徳の王女」
「………っ」
あっと言う間に得物を弾かれ私は地べたに這い蹲って……その銀色の光が振り下ろされる時を待つ。
理様は私が男であると知っている。それを曝いてこの場で殺すことはわけないこと。貴方は私を憎んでいるのだから、憎んでいるからこの国を滅ぼそうとやって来たのだから、そうするべきなのに。なかなか訪れないその時を訝しみ、視線を上げた先で、理様が敗北に打ち震えているのは何故か。
この私を憎んでいると必死に言い聞かせるその瞳。とても悲しげで、辛そうで……見ていられない。貴方の中に光が宿る。ゆらゆらと燃える炎が見えている。憎しみの底で今も尚、こんな惨めな私への愛がある。それでも正道を行く貴方は、そんな貴方を……私を認めて許してあげることが出来ない。そして貴方は逃げた。あの日海の向こうへ逃げたよう、私を殺すことから逃げてしまった。
「さぁ、笑え背徳」
そんな風に逃げるなら。中途半端に私を許すなら……いっそ一思いに殺して下さればいいのに。だって正しい貴方は決して私の思いを貴方の思いを認めて下さらない。貴方の傍にいても私は苦しいだけです。私を愛して下さらない貴方の傍に置かれること、……貴方しかいなくなった私には耐え難い苦痛だと言うのに、貴方はそれを強いるのですか?
「ふっ……あ、……あっ、あははははははっ……はははははっ!」
もう笑うしかありませんでした。何もかもがおかしくて。私が惨めで、馬鹿みたいで、滑稽で。父が私が、身を磨り減らして守ろうとしてきた国が、滅んでいくのをもう止めることも出来なくて。そんな無力さが私を笑わせて行くのです。
「俺は王女の名を当て笑わせた。約束通り姫は貰っていく。平和的婚姻の成立で、侵略行為はここまでとする!だがこの国は俺の国の支配下に入って貰おう」
こんな風に私を連れ帰るのなら、どうしてあの日……私を連れ去ってくれなかったのですかと、自分勝手な恨み言が浮かんでしまう。
それなら私は貴方を憎めるか?王女としての私は理様を許してはならない。それが国と父のため。それでも貴方の顔を見る度に、私の憎しみは反転し……恋心は募るばかりでございます。終いには……理様が知らないことを知っている私は、貴方が許さないような宜しくないことを考え始める次第。もっと近くに来て欲しい。その手で唇で……貴方に私の全てに触れて欲しい。そんな汚らわしいこと、貴方が許すはずがないのに。
けれど愛しい人と思い合っているはずなのに、唯こうして何もされずに飼い殺されるというのも辛いこと。それは私がこれまで知らなかった苦しみです。そんな悶々とした暗い気持ちは、良くない風を運んでしまい……悩める私の表情に、溜息に火種は生じてしまう。
今日も生きていられる幸せに……誰も私を知らない国で、大好きな人の傍にいられる幸せ。そう言い聞かせたところで手放しで喜べないのは、結局何も変わらないのだと……人々の噂話が聞こえてしまうから。見張りの兵士の噂話。私はまた、人々に妙な気持ちを起こさせている。笑ってなどいないのに。憂鬱面さえ人を惑わす毒なのだ。
私の毒に煽られるよう……私を忌み嫌う理様でさえ、日に日に私への気持ちが表に現れ始めている。その目にその顔に、答えが書いている。決して言葉にされないその答えに、私の胸は締め付けられるよう痛むのです。
貴方をそうさせてるのは私という毒なのだ。貴方はきっと立派な王になる。私とは違う。
理様は私を愛してはならないお方。貴方はそんな貴方を許せぬお方。貴方の悩みに貴方が気付く前に、私は貴方の前から消えなければならない。それが貴方を惑わした、私が果たすべきこと。
(皆が悪かったのではない……何もかも、悪いのは私だったんだ)
国を出て初めて見える水平線の向こう。そこにもはや見えない故郷。外に出て初めて解った、己の正体。平和呆けした国におかしな者が多かったのではない。私がそうさせていたのだ。だって理様の治める理の国さえおかしくなっている。私は何処にいてもそういう毒なんだ。長らく続いた平和を見飽きた神様が、世界を荒らすために盛った毒。戦争を起こすための火種が私。平和の中に生まれたから、長く火は燻った。けれど荒れた国に落とされたなら、すぐに火は燃え上がる。やっと戦争が終わったと理様が言っていたのに。この国を平和で美しく豊かな国にしたいと、夢見ていたあの人の国を、私が壊してしまう。逃げ出さなければ、早くここを逃げ出さなければ。これ以上私はそんな物にはなりたくない。
窓の外から覗き込んだ暗い海。人が助かる高さではない。それでも……
「何処へ行くおつもりですか」
「あ、貴方は……」
意を決し飛び込もうと言うところで室内に現れた騎士。それが其方にお座りの情念公様。彼は私の思惑を察知して、私に囁きかけました。
「この城から逃げたいのですか?それなら私の領地にお出で下さい。この城は息が詰まるでしょう」
「私はっ……」
「ぐずぐずするな!周りに男だとばらされたいか!」
「な、何故それを!?」
「殿下に迷惑を掛けたくないのなら、黙ってご同行を。殿下が国民から男色趣味の変態扱いされればあっと言う間に国は荒れ分裂する。解るな?」
「……」
「海へ逃げても死体が上がれば同じこと。この辺りの海流はよく浜に死骸を運ぶぞ」
どの道行く先は一つしかなかった。逃げ道を完全に断たれた私は、彼に従いました。後は事態を大事にせず、代わりの者を妻として傍に置き、理様が私のことを忘れて下されば……。飼い殺しの妻が入れ代わったところでどうせ気付く人もない。そう思ったのに……理様は取り乱し、事態は明るみに。
理様が追いかけて来てくれたと知って、本当に嬉しかった。それでも私は、貴方に会わせる顔がなかった。名目上とは言え貴方の妻である私が、また罪を重ねてしまった。それだけではない。また国が荒れてしまった。私を傍に置く限り、私を守ろうとする限り……理様の国に平和は築かれない。
私が貴方に釣り合わないと知っても、私は貴方を愛してしまった。貴方が思ってくれる以上に、私が。だから私は貴方の傍に居ることが出来ませんでした。冥府にでも逃げて隠れることが、私が貴方にして差し上げられる唯一の愛情表現であり、愛の証明だったのです。貴方に愛の言葉を残すことも、その言葉を求めることも、理様には苦痛でしょう。私は理様を思えば、想えばこそ。とうとう命を投げ出す覚悟を決められたのです。
*
王女が一息吐いたところで、情念公が片手を挙げる。ここに来るまで誰一人口を挟めなかったのは、感情的に言葉を連ねる背徳に……その場が飲まれてしまったからだ。
「理様……」
「解っている」
話の途中までなのだ。胸の内を掘り起こすと言うことは、当時の複雑な感情も表に出せと言うこと。決して王子を非難したかったわけではないが、そういう風に聞こえたなら申し訳ないと告げる王女の目。
「むしろ、そのような温度のある言葉に触れられて俺は満足だ」
「理様……」
瞬時に頬を赤らめて背徳が俯いた。これまでの長ったらしい葛藤全てが言うなれば王子への告白のような物だったのだと気が付いて。
「ご両人、質問者スルーでいちゃつくのはどうかと」
空気の読めない死神が、二人の会話に水を差す。王子は軽く舌打ちし、テーブルの向こうを見据える。
「何を質問したいのか?」
「私の最初の質問は……我が領地、最西の古塔であったことの一部始終を詳しくお話し頂きたいという旨。背徳姫、あの時貴方がこの私に何をされたのか、その可憐な唇でお聞かせ頂こう」
「な、……悪趣味が過ぎるぞ情念公っ!」
あまりにも不躾な質問に、王子は目を見開いた。
「それとも姫。仮にも貴方が殿下をお想いならば、思い人を前に自身を偽るなど宜しくないことでしょう」
「くっ……」
「あら理様?領主様は残酷な話とそういう下世話な話が大好きでいらっしゃるのよ。主人は貴方に塩を送るつもりで最初の質問をしたにすぎません」
口元に意地汚い笑みを浮かべた菫姫。王子は僅かに当たるように死神へと声を荒げて真意を探る。
「デストルド!」
「いやはや……名高き第七門の領主様は確かにそういう方だとお噂は確かに耳に」
何ということだ。この賭けに勝つには、王女が言いたくないであろうこと……心の傷を抉る問いかけをしなければならない。悪魔共の趣味は人間には到底理解できない代物だ。
王子は悔しげに唇を噛み締める。
「うーん、そうね。どちらかというとこの場で再現のために実演があると嬉しいわね。おっさんと女装ショタの犯罪臭は確かに悪くは無いんだわ。白米のまま皿三枚分は食べられる」
「何!?」
誰だそんなろくでもない発言をしたのは。女の声だ。だが菫姫でも背徳でもない。では誰だ。王子が辺りを見回しても誰の姿も映らない。しかし何故だか両肩に何かが触れる。
「な、何奴っ!」
椅子から転げ落ちるよう、その場を脱した王子。王女に助け起こされて顔を上げれば、先程まで自分が腰掛けていた椅子の後ろに上半身を預けた女が見える。
背徳は言うまでもなく、菫姫より遙かに豊かな乳房。女性としては魅力的なのだろう蠱惑的な肉体、衣装の娘が見える。その娘のおかしな所は頭に二本の角と、二対の翼。それからその背にも折りたたまれた翼が見える。双眸はさながらガラス玉のような透明水色。視力があるのか怪しく見える不思議な色。不思議と言えば髪はもっと変わっている。髪の色は薄い菫色。この女が菫姫と名乗っても外見だけなら納得できそうなその風貌。菫姫が言っていた領主悪魔とはこの女のことなのだろうか?
「菫、領主様にすぐにお茶を」
「は、はい貴方っ!」
王子が惚けている間にも、城の主達は忙しなく歓待の仕度を始める。
「しかしあんたも役者ね情念。こんな楽しそうな催し、渡り歩ける場所まで来たら私が来ないわけがない。賭けには負けるつもりで、王女様を苦しめて、どっちにしろ現れる私の機嫌取って?なんかあんたにとって都合良い風に物語を締めさせようって魂胆でしょう?」
「お気づきでしたか」
「行間読めばその位、物語の悪魔には見えるわよ」
ずずずと冷えた茶を啜り、さっさと王子が座っていた椅子を陣取った女悪魔は足を組み、ドレスの裾から曲線美を覗かせる。一瞬其方を見てしまった王子にむっとした顔になる背徳を面白がったその悪魔は、背徳の身体をまさぐり始める。
「そんな格好で一丁前に嫉妬って、可愛いわねぇ。苛めたくなるわ」
「な、何を言って……うわぁっ!な、なななな何するんですかっ!?」
「いや、文章として描写するなら実物に触れて置いた方が良いかなと思ったわけよ。これから濡れ場なんでしょ?ほほぅ、どれどれ……ううむ、なるほど。成長過程で止まったのが惜しい。とはいえ色艶感度共に良好。これはこれでマニア受けはばっちり……」
「理様ぁっ!」
「俺の背徳に何をするっ!」
王女の声で我に返った王子は、すぐさま女に向かって長剣を振り下ろす。しかし愛用していた剣は、女に振れた瞬間に蛇に変わって王子を襲う。咄嗟に飛び退いて、尻餅をついたところで頭上からくすくす笑う女の声が落ちてくる。
「随分と勇敢な王子様ね。だけどアウェイで魔王退治はそう簡単にはいかなくてよ」
「な、何の話だ!?」
「時計をご覧なさいな。丁度針が十二の一分前で止まってる。辛うじて六日目が続いているということね」
「壊れただけではないのか?」
「直してあげても良いけれど、それで困るのは貴方でなくて?菫姫の奴隷になりたいなら止めないわ」
空になったカップをくるくる女は指で回して、それをポンと床へと落として見せた。ガシャンと割れるはずだったそのカップは床にぶつかる瞬間何処かへ消えて……探してみれば再び机の上。女が飲んだはずの中身さえそこに残している。
「な、何事だ……これは……」
「理の殿下方の世界は剣と魔法のファンタジーというより、剣だけのファンタジー世界でやすからねぇ。こいつは大分分が悪い」
会いたかったという領主が現れて、今や敵か味方かわからない死神が、それでも王子に助言する。
「地獄のデウス・エクス・マキナと名高い第七公にお会いできるとは、いやはや感無量」
「あら?デウス・エクス・アクマの方が語感が良くない?機械仕掛けの悪魔って意味で。ていうかそこの死神、第六領地辺りに通勤してない?胡散臭い匂いが移ってるわよ」
「き、機械仕掛けの悪魔……?」
「それならサタン・エクス・マキナだと思います」
それだと悪魔仕掛けの神になるのではと、死神と女悪魔の会話に割り込む背徳。先程何をされたのか忘れたわけでもあるまいが、生前に受けた出来事に比べればやはり大したことではなかったと気付き剛胆になったのかもしれない。
「へぇ、死語に通じてるなんて神託のある国はやっぱ違うわねぇ。情念なんかじゃなくて私に嫁がない?」
と思ったのは一瞬だ。再び女領主に襲われかけた背徳は、悲鳴を上げて王子に縋る。
「こ、理様ぁ!」
「いい加減にしろ」
王子は蛇をそのまま剣に使って、女領主の頭を叩いた。まさか蛇で殴られるとは思っていなかったのだろう。椅子から落ちた女悪魔は強かに腰を打ったようで、自分の腰をさすりながら振り向き激昂。
「ちょっ、何するのよ野蛮人!家畜上等の人間風情がこの私を殴るだなんて!私痛めつけるのは好きでもされるのは大嫌い!夜伽以外でこの私の腰を痛めさせるだなんて生意気だわ!良い?世の中そんなに甘くないのよ?主人公補正とかこの時代の物語にあると思わない事ね!某五日物語なんか酷いわよ!笑わない王女様がうっかりどこぞの婆を笑ってしまっただけで罵られて呪われて、結婚できなくなりかけたんだからね!そう言うちょっとしたことで不幸になっても知らないわよ!っていうかしてやろうか不幸にっ!ちょっとイケメンだと思って甘くしたらつけ上がりやがって!」
「悪魔だろうが魔王だろうがなんだか知らんが、何でも有りの存在ならば都合が良い。貴様が海から背徳の魂を拾い上げたことで、俺は妻を情念公なんぞに無理矢理寝取られかけて母親である菫姫に隷属を迫られて迷惑して居るんだ。貴様が諸悪の根源ならば、責任を取るのが筋だろう!」
「嫌よ、何で私がそんな慈善活動しなきゃならないの?」
「き、貴様……っ!」
他人の不幸は蜜の味だと女悪魔は言い張った。
「そうね、確かに私……物語の悪魔は万物の森羅万象全てにおいて機械仕掛けの、脚本仕掛けの悪魔でしょうよ。だけど私が貴方の言うことを聞いてあげる義理はないわけよ」
あと一分時が進めば、この場は冥府に飲み込まれ……まだ生の岸に乗っている王子も砦も命を落とす。
「理様、この方が時間を止めて居る間に……貴方と砦だけでも生きて帰って下さい!」
「それは出来ない。第一この性悪女は俺がそうしたところで森を抜ける直前に時計の針を進ませるのが目に見える」
「あら?よく分かったわね、偉い偉い」
ケラケラと王子と王女を嘲笑う女悪魔。
「でも貴方達って結局どうなろうとある程度不幸なわけでしょ?だからどう転んでも私としては楽しいのよ。出来れば一番胸糞悪い最悪な終わり方になれば最高なんだけど」
女悪魔が取り出すは、書きかけの本。覗き込めばそれはこれまでの六日間を観察し綴ったらしい文章がある。
「物語を物語る者達を物語るための物語り。斬新でしょ?」
「な、なんて悪趣味な!!ずっと、俺達を見ていたのか!?」
「なかなか良い暇潰しだったわ。生きている時に見つけていたら、もっと貴方達の人生滅茶苦茶にして楽しめたのにね、残念だわ。でも私の考え得る限りの最低基準は満たしてるわね、神もたまにはいい仕事するじゃないのよ」
「俺の道を……背徳の人生を馬鹿にするかっ!」
人が悩み傷ついて、苦しんだこと。それを娯楽と呼ぶ悪魔。最低な神を褒めるその女が、王子はどうしても許せない。
「人の不幸を嘲笑うか!?そんなものは、本当の喜びではない!真剣に悩み苦しみ抜いてこそ、人は本当の喜びを知るのだ!貴様のように傍観し他者を嘲笑う者には知り得ない、最上の喜びを俺達は知っている!それは悪魔共!貴様らには生涯得られぬ快楽だ!」
「あっははははは!強がっちゃって、吠えるわねぇ童貞王子様。そんなこと言って本当はそこのお姫様と色々やりたいことがあったんでしょう?悔しいわよねぇ?その子もう死んでるから、何にも出来ない!手を繋いだり抱き締めたりしたつもり?あはははは!それって唯心が通い合ってるだけよ?実体があるとはいえ触れ合ってるのは魂だけだもの!唯の人間の魂は実体がないものねぇ!死んだところで何も出来ない!できっこない!悪魔とその伴侶は冥界では実体を得られるから、楽しみね!目の前で愛した王女が情念公に好き放題されるのを悔しがっていればいいわ!お前は生前も、死後も!愛しい王女をその手に抱くことは敵わない!」
女悪魔は口を大きく釣り上げて、短い旋律を歌う。すると黒騎士の鎧が水のように融けて消える。残されたのは両目を覆う仮面と礼服だけ。
王子が思い出すのは伝承のこと。悪魔の召使いであった伝承は、菫姫達と同じ扉を潜れなかった。彼は確かに死んではいるが、夜ではなく昼間に属する仮初めの器を与えられていたのだ。これから一度冥府に赴き、その後で彼と同じ身分になる王子は、昼の身体。悪魔の花嫁となる背徳は、これまでの菫姫同様夜に属するようになる。ならば王子が扉を潜ったところで、死神に連れられて赴いた冥府と同じこと。二度と触れ合うことも叶わない。
「感謝の言葉もありません、第七公」
「うふふ、良きに計らえとか言ってみたりなんかして」
王女の話が終わる前に悪魔が現れた。悪魔の登場が王子の勝利条件。しかし人前では生者との賭け事に含めなければ外せない鎧や仮面。情念公が自由の身になった今、危ないのは王女。時計が進み王女が情念公に、王子が菫姫の物になってしまえば……騎士と王子の賭けは水に流され、それでも此方の敗北となる。
「背徳……」
残る道は一つだが、時を止めるような悪魔を前にそれを果たせるかは微妙なところ。逃げ道を探す王子とは逆に、王女は一歩女悪魔へ進み出て、小さな身体で王子を庇う。
「まだ、私の話は終わっていません。質問にも答えていません。約束では私は私の死後まで語ることを許されていたはずです」
「へぇ、答えるって言うの?女の子でもないお姫様?」
「お答えします。約束通り、質問全てに」
「それは何のために?」
「私は真実を、胸の内をさらけ出します。その上で、貴女に納得をして頂くのです」
「どういう風に?」
「どのような結末になろうと、私はそれを受け入れるだけ。その上で私は私の思いを語り、貴女に綴って貰います。これは理様と情念公様だけの勝負ではありません。今よりこれは私と貴女の勝負になったのです」
私の言葉に胸を動かされるか否か。それにより貴女がどう動くかは変わるはず。
神託を受け入れて来た背徳の王女が、神にも等しい力を持つ悪魔相手に今挑む。初めて抗ったのだ。その成長に王子は言葉も出ない。唯、唯……その横顔に見惚れるだけ。
「……いいわ。つまらない話をしたらどうなるか。生前よりもっと酷い目に遭わせてあげる」
女領主と睨み合い、一歩も引かない背徳。その態度には、気紛れな女領主も興が乗ったよう。領主の心変わりを悟った情念公は、一同を席に着くよう促して、自身もまた席へ着く。
「……領主様が現れた今、質問を変えよう。ならば背徳姫」
「はい、なんなりと」
*
背徳の火があった。その炎は生まれながら母の身体を焼いて生まれ落ちる罪を抱いた。母殺しの呪いだろうか、美しい母をも越える美しい娘。けれど神の悪戯気紛れの倒錯で、美しいその娘は娘として生まれはしなかった。
少女の瞳は海と空を溶かしたような青。されど少女身を焦がす炎は燃え上がる赤。ゆらゆらとゆらゆらと、時折瞳から覗く深淵。憂鬱も時に香辛料。赤く染まった少女の頬と美しい瞳は、恋の媚薬、匂い菫……人々を惑わせる。背徳の火を見た者は瞬く間にその虜となり、その炎に触れた者は背徳によりその身を焦がし、他者をも焼き焦がす。国々を焼いた戦火も、全ては背徳の娘が罪よ。奴こそが、嗚呼奴こそが!生まれなければ、生まれなければ。
遙か地の底、涙の泉、落とされた悲しい母の嘆き怨みが谺して、娘の美しさは日増しに増していく。
一方で背徳の遙か彼方。海の向こうには、血を分けた道を隔てた理の風が吹く。志半ばで焼かれた母の無念か情念か。愛しい男の面影をそこに宿し健やかに、彼もまた美しい母の血からか、美しい武人となる。それを悟っての偶然か、はたまたそれは必然か。働かずの物臭神の書き記す稀なる舞台。神々の脚本はぐるりぐるりと巡り始める。
国を乱す争いの種。多くの人を殺すため、神に作られた背徳の娘と……多くの民を救うため人に作られた理の子と、対なる二人の邂逅が訪れる。
その炎を吹き消すために送られた理は、背徳の火をかえって燃え上がらせる風となった。それを神話的に言うのなら、自身よりも美しいと讃えられた娘を怨んだ美の神の仕業だろうか。
神の悪戯から、思い合っても思いを口にすることが出来ない二人は、すれ違い心を隔て、空回り生死に別離する。
愛しい人を失うことで、精神を病み始めた理。風の化身たる彼の、胸に巣くった愛の炎。それはゆらゆら、愛しい人を失って尚栄える炎。自らの風に煽りに煽られ、今更のようにそれは愛だと彼自身に気付かせる。これまで歩いてきた道が滑稽に見えてくる。守りたかったはずの国がもはやどうでも良くなってくる。
背徳の娘を失い、それで世界は救われたか?否、世界は荒れに大荒れ。嘆き悲しみが地を揺るがす。背徳の娘に焦がれた者共の、その心に今も残る炎が戦火に変わり、また多くの人と土地を焼き払い業を増していく。
自ら命を絶った背徳の娘。娘はその罪深さから、贖いを求められた。しかし娘の歌声を気に召した海神は、冥府の神に娘の魂を渡さず、裁判を受けさせることを拒んだ。
けれどそれも取り込めば、一冊の本の中の出来事。神の気紛れさえ脚本の一部に過ぎない。物語の悪魔は本の中の神に繰り糸を這わせて、神の気紛れを起こさせる。
「そんな危ない魂が、海から逃げ出したらどうする。もう二度と生まれ変われぬように、悪魔共の餌にしてしまおう」
全能神の言いがかりに、流石の海神も逆らえず、此度の戦で死ぬ者の魂の何割か。それを海に沈める約束で手を打つことにした。こうして海から掠め取られた魂が、封じられたのはとある森。最西の岸を越え、最果ての島の最果ての森の中。冥府に繋がる門がある。その島に迷い込むことが出来るのは、生死の境目に落ちた人間。完全なる生者では最果てには至れず最東の岸へとたどり着く。
人間を掟の城に招くには、迎え入れる役が必要。門の外に置かれた悪魔の使い魔は、その奇妙な城の中、昼夜問わず客人を待つ蜘蛛。願望を映す城の女主は獲物を誘き寄せるための花。その糸に絡め取られた虫の数は数え切れないほど多く……蜘蛛となった背徳の火は死後も他者を不幸にせずにはいられない。罪を償うはずの務めが、また新しい罪を生む。刑期は終わらず無間地獄。魂が磨り減り消滅するまで悪魔に仕えなければならない。夜の向こうにある冥府の扉。背徳はそれを潜ることも許されない身の上で、一日中眠らずに働き詰めの毎日。
死んで初めて出会った母に使用人として使われて、正しい愛情の一つも向けて貰えない場所で。唯一慰めがあるとするなら、現を映す水鏡。愛した人の無事を祈って夜毎水鏡を眺める王女の下に、愛した理の風が舞い込んできたのは皮肉な話。
六日に渡る物語合戦。理の風は自らの心の背徳心を受け入れて、掟の城の呪いを破り背徳をその手に取り戻し……けれどここでめでたしと行かないのが悪魔の綴る脚本故か。背徳は既に死んでいる。棺桶に首から下が埋まったような理が、どうあって背徳とめでたしと結ばれるものか。ペンとインクを操るような語り部役を放棄して、傍観に努めた物語の悪魔も、人間が導き出す結末に淡い期待を抱き始める。そのピリオドは悪魔自身が下す決定、それをも上回る愉悦めいた絶望かもしれぬと……悪魔は背徳の言葉が紡がれていくのを唯待った。
これが最後の物語り。銘打って紡がれる歌。
小癪な小娘。小娘ですらない小娘。恐るべき悪魔と渡り合う不屈な魂の音。その響きに耳を澄ませて、今勝負が始まった。背徳の姫君の小さな唇が、真実の歌を紡いでいく。物語を物語る物語りもこれで最終話。
*
「まずは最初の質問。私についての認識を窺いたい」
「包み隠さずお話しします」
「海を渡り“貴女”に挑戦した、私の言葉を覚えているか?」
「……いいえ」
「殿下の国で監禁されていた貴女と私が再会した時、“貴女”は私を覚えていたか?」
「……いいえ」
「しかし“貴方”は死後はこうして私を覚えていてくれた。その理由は?」
「貴方の死に顔が忘れられませんでした」
「貴方、なんてことをっ!」
情念公と王女の会話の最中、広間に戻ってきた菫姫。夫が自分に何の相談も無しに三つの問いを済ませてしまったことに気が付いて、彼女はカンカンに怒り出す。
「何を勝手なことをしているのですか貴方っ!」
「家内が夫の決めたことに口出しをする者ではない」
「まぁっ!なんて勝手なっ!」
「口喧しい。これだから女は。これが背徳姫であったら……」
「も、もう我慢なりません!この私が女でもないあの子に劣っていると、劣っていると言い切りましたねっ!今すぐにも離縁しましょう!ここは今日より私の城です!貴方は出て行って!」
「まだそうは行かない。あの時計を見よ。第七公のお力で、まだ六日目の夜は続いている」
茶の仕度を何度行ってもまったく作業が捗らず、諦めて帰ることになった理由を知る菫姫。さっと女悪魔に向き直り、その場に頭を垂れ懇願。
「領主様!どうか時間を!時計の針を進めさせてください!私はもう一秒だってこの男の妻でいたくありません!」
「……よく分かったわ。情念公。貴方はブルーシュトラオスでアルティフェスタな人形が、欲しいというわけね」
それは触れられて、側に置ける飾りであるかと女領主は断定気味に問いかけた。
最高の女とは、最高の花嫁とは何か。それを問われた男。死神の語った話など知らぬその男は、即座にそれを肯定できず、自身の言葉で言い換える。
「私にとっての最高の妻とは……女のように可憐であり、私の神経を逆撫でする物言いをせず従順であり、常に私を喜ばせる目の保養!何時何時如何なる時でも触れることを許し、女の魂の醜さと浅ましさを持たない、世界中のどの女よりも美しい少女のことでございます」
「下衆が」
情念公も菫姫もお似合いだ。自分勝手な押しつけがましい汚れた愛を口にする。冷たく吐き捨てた王子に、女領主は視線を送る。
「それなら理の王子。貴方はそうは思わないという事?側にも置けない、触れることも出来ない。それでも満足できる思いがお前の語る愛だと言うの?」
「それは……」
「嗤わせるな人間。お前は触れずに王女を傍に置き、それで満足できなかった。王女の死後は傍にも置けず触れられない痛みからお前は狂った。所詮綺麗事で取り繕っても、この情念公こそお前の鏡よ。人間の、男の妄執その物だ!」
情念公を否定するのなら、王子は望んではならない。この悪魔にそれが出来るのだとしても、王女を生き返らせ……共に幸せになることなどあってはならない。主張と望みが食い違っているだろうと女悪魔に罵られた王子。その気迫に飲まれ、言葉が出ない。そんなつもりではないと返そうにも、それでは背徳をこの場から救うことは出来ない。悪魔の言葉の罠に乗せられ踊らされていく。
「それは早合点という物です。理様はまだお若い方。見出す答えが見えていないだけです領主様。理様ならばきっと、私の話と……理様の質問が終わる頃にはきっと。貴女の問いに答えられる解答を見つけてくださいます」
だからこそ、愛した人が見つけた答えなら……どのような結末になってもそれを受け入れるだけだと王女が深く頷く。横目で微笑まれた王子は、そんなことが出来るだろうかと不安がる気持ちを大いに吹き飛ばされた。王女がそう信じるのなら、きっと答えは見つかるだろう。そんな安心感さえ覚える。
「なるほどね。確かに背徳姫、貴方は多くの男共の理想の女であるかもしれない。それは私も認めましょう」
演じることに慣れた王女は、相手の望みを感じ取る。そして愛する者の窮地には、身と心を犠牲に必ず庇い守り通す。常に相手を立て、自分を主張しない。そんな理想の愛を与えてくれる献身的な背徳。その愛を勝ち取れば、どんな人間であっても必ずや心が満たされると、女領主が言い切った。
「時の砂が流れ落ち……歴史を積み重ねる程に、性別の境界は曖昧になり男にとっての理想の女は死に絶える。私の綴った数多の書物がそれを物語り教えてくれる。それは何もどちらが悪いという話ではないけれど、敢えてどちらと言うのなら、どちらも悪いのよ。人間なんて虫螻が、身の程知らずに傲り高ぶり、互いに見下す相手が欲しくて堪らないってだけの話だもの」
「それは違います!……違うと思います」
「使い魔風情が、頭が高いっ!恥を知りなさい伝承っ!」
女領主の言葉に口を挟んだ王女を見、なんて図々しいと菫姫が八つ当たりのような罵倒を浴びせる。こんな娘でもない娘が、この自分を差し置いて最高の女であると言われたことが許せないと怒り狂って……
「構わないわ、言ってご覧なさい」
「り、領主様ぁっ!」
あんまりですと叫く菫姫を宥めた女領主がにたりと笑う。
「この私を楽しませるつもりなら大歓迎よ。夢も理想も大いに結構。その方が壊し甲斐がある。話なさい」
「はい、それでは……」
王女が悪魔達に一礼し、席を立つ。そうして自らの考えを精一杯に主張する。
「理想を持つことだとか、何かを求める気持ちは悪いことではありません。いけないのは……押しつけと、自分の内側を省みないこと。それこそが何より重い悪徳です」
「ふぅん、それはどういうことかしら?」
「私だって女性ではありません。世の男性のようにやましい気持ちはございます。だからこそ殿方全てを悪だと断言は出来ないのです」
「背徳……お前は」
「どうぞ理様。その問いを続けてください」
王子の言葉を察した王女はそれを促す。その言葉をも主張に変えて、悪魔を切り裂く剣に変えてみせると微笑んで。
「第一の質問だ。背徳……お前は俺を相手にやましい気持ちに取り憑かれたことがあったのか?」
「ええ、ございます。私は……背徳は、貴方のお手に触れたい。貴方の腕に抱かれたい。その唇で私の名前を呼んで頂きたい。そうして……そのまま口付けて欲しかった。それが叶わないのなら私から貴方のお手に触れたい!貴方に抱き付いてしまいたい!知らないはずの貴方を呼んで、背伸びをしてでもその唇に触れられたらと……いいえ、それ以上さえ!何度思ったことでしょう!」
そう言いながらも、王女はもう王子の手を放している。一度話が中断した時、その手は離れてしまった。石から戻ったその時も見つめ合うばかりで、自分からその言葉を行動に移すことはなかった。
石の呪いから解けても、王女は重い石のよう。その内側は温かく、凍った石像などではないのに、自分からは動かない。先程だって、王子の言葉を得てその手を頂く形を取った。それこそが王女の語る主張なのだと王子は気付く。
「貴方が私を評したように、確かに私は汚れた淫らな人間です。背徳の名に似合いの人間です。私もそれを理解している。しているからこそ、私は躊躇うのです。その手に触れても良いものか……と」
許されないのは一方的な思いを表面化してしまうこと。その押しつけは愛ではないと王女は語る。
愛するから、愛すればこそ。愛しい人の幸せを願うものなのではないですか?その幸せを考えて身を引くことも愛でありましょう。
切々と語られる王女の言葉の群れに、王子は支えられている。こんなにも愛しているのだと王女の過去と今の言葉から伝えられているのだから。強く勇気づけられて行くのが解る。
「どんな悪事もやましい事も、思うだけでは罪ではないはず。それは悪ではありません。空想は理想は人間にとっての本質。今よりより良い明日を求める、生きていくための希望。だから母様も領主様も、隔たった認識をお持ちだと私は言いたいのです」
しかしそれは情念公にとっても許しの言葉。情念公と王女の間にあったこと。その一部を王女は許し肯定しているのだ。やはり我が姫は素晴らしいと満足げに男は頷くばかり。それを見た菫姫が自尊心を抉られて、悔しげに夫の足を踏み鳴らす。けれどまだ身体を取り戻していない男の足を擦り抜け、彼女は床を強かに打ち足を挫いた。ご機嫌伺いに、その手当てを申し出た死神は、場の空気に当てられぬよう逃げたのか、或いは部外者の色が濃くなったのを感じての退避であるか。何にせよ、空気を読めるのにこれまで読んでこなかったというのが見て取れる行動だった。
「我が身を省みることが愛だと、先程口にしたわね?」
「ええ、しました」
女悪魔の問いかけに、王女は確かにと頷く。
「愛すればこそ、触れてはならぬ。何も語ってはいけない。それがかの人にとっての災いならば、祈るものは平穏でしょう」
王女が王子から逃げ続けた解答が、今ここに明かされて行く。自分がこんなにも深い愛に包まれていたことに気付けなかったこと。その何と愚かな。王子はこれまで何度も自身を愚かだと嗤ったが、こんなにも目から鱗が落ちたのはこの日が初めてだった。
「人が人足る、何たるか。それは心か肉体か。それは心に違いない。人の肉体は獣と大差ございません。だからこそ人は理を、神を求め天の定めた道を強いるのです」
「黙れ小娘、汚れた娘。貴様ら人間の心など精神など、肉体に付随する物に過ぎぬ」
性別や感情が消え去った領主の言葉。そこからは唯漠然とした、高き威厳の塔が積み上げられている。元々この悪魔はきっと、どちらでもありどちらでもない。言葉の節々からそれを臭わせる。歪みで人を愛し憎むのはおそらく。悪魔に一矢報いる手掛かり、そのヒントを王子は掴む。
「原始の本能に逆うことが何を意味するかわからんか?それは存在と誕生を否定すること。ひいては自己否定の始まりだ!貴様の言葉は貴様を滅ぼす呪いとなるぞ!」
「それは私の最後の話を聞いてから判断下さい。ではそろそろ語り始めても良いでしょうか?最西の海へと落ちた、私の話を……」
掴んだ最後の切り札に、鬼が出るか蛇が出るか。それでも挑まなければならない。この夜を越えて、再び朝を迎えるために。
*
海に落ち死んだ私の魂は肉体から剥がれ、私の身体が食物連鎖によって解体され無に帰るのをじっと眺めていました。暗い海の底で、溺れ死んだというのに。呼吸が出来なくなってはじめて、ほっと息が付けるような気持ちになりました。
身体が無くなることで私は私を苦しめた背徳から解放され、とても幸せな気分。この遙か海の上。その上に浮かぶ大陸。そこに理様が生きている。地を這う虫が空の鳥を見つめるように、それは何とも遠い話で、だけどだから……恋い焦がれてうっとりしてしまう。今日も貴方が生きていてくれる。そう思うだけで幸せになる。後は貴方が幸せでいてくれますように。それをそれだけを歌える幸せ。全ての煩悩から解放されて、それを願える心が嬉しくて、私は本当に幸せでした。
滅多に誰も来ないような辺鄙な海に落ちた魂は、冥府の使いや水妖達が見つけるまでは時間が掛かる物らしく、それでもそれにしては比較的早く私が海神に見つかったのは……その歌の所為でした。
「海に落ちた魂が、恨み言を歌わないとは何とも珍しい」
「こんなに若くして死んだのに、まるで未練が無いみたい」
《ええと、なんだかすみません》
海底の神殿で取り調べられた私は、海の王族方に頭を下げました。そんな反応が物珍しかったのか、海神の娘の一人……海の王女がこんな事を言い始めます。
「父様!私この方が気に入ったわ!境遇はカオスだけれど、王子様の魂だなんて素敵だわ!私に下さいな!」
「ちょっと!姉の私に譲りなさいよ!私の瓶詰め王子コレクションに加えるの!」
「王子属性があるのは解った!解ったからおまえ達少しは落ち着きなさい!」
突然争い始めた娘達を一喝する海の王。その大声が海の上に届いて荒波に変わっていくのを見、私は故郷は無事だろうかと少し不安になりました。こんな諍いが原因で、船が沈没でもして誰かが死ねば、あまりにも浮かばれませんから。
《あの、僕を……私を裁かないのですか?》
恐る恐る海神に尋ねてみても、彼は髭を蓄えた首をはてと傾げるのです。
「裁くも何ものぅ。人間の魂は壺に入れて保管するのが海の習わしじゃ」
海の民にとって人間の魂は鑑賞物。インテリアのようなものだったんですね。そこには悪人も善人も意味を成さない。唯、このお嬢様方が争うか、押しつけ合うかの違いくらい。飽きられた魂は大陸棚に保管され、日の光も届かない……海に住む者も滅多に訪れない場所で永遠に閉じ込められるのだと言います。それに比べれば美しい王女達に取り合われるだけ幸せだろうと言わんばかりの海の王。
「しかし何とも良い歌声じゃ。儂の娘達には劣るがな。其方が歌うだけでこの海の底が明るくなりそうじゃのぅ」
よもや照明器具付自動琴だと思われていやしないか。私は少し微妙な気持ちになりました。
悪魔の方々が人の魂を味と腹持ち、それから摂取エネルギーで量るのは解りますが、海の方々は人の魂を旋律と色合い光度で量るようです。
その後も海の王族は皆々様争われて、最終的に私は瓶詰めで神殿のシャンデリアにしようという事になりました。生前の裁きや報いにしてはなんとも優しい罰だと私は感じたものです。けれど他の魂達にとって、海に縛られ転生出来ないと言うことは耐え難い苦痛であるようで、神殿の彼方此方から嘆きの歌が聞こえてきます。海に沈んだ未練達。それは生への執着。私のような安息を感じる者は見つかりません。
その内に私も未練に当てられて、これまでとは違う気持ちが浮上してきました。それは未練を覚えられない我が身への罪の意識。何の罪もなく死んだ人々がこんなにも嘆き悲しんでいるというのに、多くの災いを招いた私に何の罰もなく、嘆かないというのはとても理不尽なことに思えたのです。そんな私の罪悪感に引き寄せられた天と冥府の御使いは、海神に話を付けこの城へと連れて来ました。そうしてこの城の前で、魂を瓶から解き放ち……解放された私は人の身体を取り戻します。
「君は自殺をした魂だ。罪を悔い改めるべく、残りの寿命と罪の刑期の分、この城で働きなさい。その器は仮初めの器。この森から逃れようとすれば、すぐに消滅するでしょう」
天の御使いが言いました。
「これは……」
一見生前と変わった風には思えない。それでも仮初めの器には、最初から妙なものがありました。顔を覆う仮面。それを外そうとすれば、冥府の使いが咎めます。
「この城の中……人前でその仮面を外せば君は石になる。これが第一の掟だ」
「第一、の……?」
「いや全てが一に終結されてはいるよ。まずはそれが約束事になっている。この城の呪いは約束に掛かっている」
二人が言うにその仮面を人前で外すには、生者との賭けの報酬にしなければならない。その時は石にならずに仮面を外すことが出来るのだとか。それ以外にも城の中で、自分の心と言葉が噛み合わない嘘を吐いたなら石になることも教えられました。
「自分に正直であれ、嘘を吐いてはならない。仮面は守れ。これを守っていれば危ないことはないでしょう」
「それにそれを付けている限り、森の化け物共に襲われることもない」
「この仮面は何なのですか?」
「それは君の罪その物だ」
「……僕の罪」
水鏡に映るのは、これまで着たこともないような男物の召使いの服で、素顔を隠した私の姿。
「女物の服を着て素顔晒すことで人の心を惑わした罪業の罰として、男の服を着なさい。そうして人に素顔を見せなければ、生前のような悪しき光を人々に与えることもないだろう」
「罪を噛み締めこの煉獄島で悔い改めるのですよ。城主に話は付けておきました。挨拶に行きなさい」
天使と悪魔に見送られ、私は城の主……菫姫の下へ向かいました。初めて彼女に会ったとき、それは大変驚きました。仮面で顔の半分見えないとは言え、見慣れた自分自身をそこに私は見出したのですから。驚いて声も出ない私に、菫姫は優しい声で語りかけ……
「よく来ましたね、毒姫。私の息子……」
「あ、貴女が母様……!?」
「誰が母様です!?この私を殺しておきながら、良くもぬけぬけと!」
ピシャリと拒絶の言葉と共に、頬を打たれた痛みが走る。かと思えば咄嗟に仮面を守った私を、飲み込みが早いと褒めるのです。
「お前はこれより伝承、私の奴隷。私の手足として働くのです。それが背徳の罪を犯し、自分殺し、母殺しの罪を犯したお前に下された罰なのです!」
母を殺して生まれておきながら、寿命分まで生きようとせず自ら命を絶ちきったその業の深さ。生きながら犯した数多の背徳の罪。
「そ、それは何年くらいなのでしょうか?」
「積もりに積もって一万年ということでしたが何か?この城で新たに悪さをしなければ刑期は減って行くでしょう」
それを耐えればようやく私の魂は許される。いいえ、ようやく報いらしい報いが来たのです。死んだ時とはまた違う意味で、私はほっと安堵しました。
「わかりました。貴女にお仕えさせて頂きます菫姫様」
膝を折り頭を垂れれば、満足したように彼女は声を高くして……
「では約束しなさい。お前には城の雑用をして貰います。よって“お前は昼間の間城の敷地外へは出ない”と約束なさい。全ての雑用は城の中と庭と泉で賄えるはず。勝手に逃げ出されては堪りませんもの」
「わかりました、約束します」
考えようによってはこの罰も幸福なのかも知れないと私は思いました。母に振り回される日々ではありますが、生き別れの肉親と、こうして一緒にいられるのですから。
そんな風に、死後はどんな境遇でも幸せを見出してしまえた私を見て……菫姫は日増しに苛立つようになりました。私を苦しめるつもりで招き扱き使ったのに、当の本人に堪えた様子が見受けられない。それが悔しかったのか、彼女は私を苦しめることを考え始め、ついにある夜、菫姫は水鏡の前に私を呼び……大怪我を負った理様を見せて来ました。
「ご覧なさい、伝承」
「理様に何をするおつもりですか!?まさかこの島に呼ぶつもりでこんなことをっ!?」
「ここに来て、初めて取り乱しましたね」
私の動揺を知り、愉快気な母……菫姫。私を前に、母が初めて嗤って見せる。
「彼は多くの人を殺しました。死ねば必ずや地獄に落ちることでしょう」
「そ、そんな!理様は……確かに人は殺しました。それでも王として、常に最善の未来を目指し、理を説き正道を重んじて来た方っ!」
「そんなことを言われても、死んでしまえばそうなるでしょうね。天国と地獄の仕組みは貴方も理解しているでしょう?」
これは私を海から引き上げた二人から聞いた話ですが……私が罪悪感を抱いた時、私は地獄に落ちることが決定付けられました。地獄と建前上言いましたが、私の言う地獄は正確に言うなら煉獄でしょうか。
地獄の定義は悪魔の領土、領地、私有地であり、そこに連れて行かれた魂は治外法権により永劫の時を弄ばれる。こうなってしまっては天の言葉も届きません。
煉獄というのはあくまで罪を清めるための場所。悪魔の私有地以外の地獄を指します。その国の名を概念上地獄と呼び私はそれを地獄と言いました。地獄国の地獄県とか地獄州というのが悪魔の私有地。地獄国の煉獄村とか煉獄町、或いは煉獄番地……この島もそう言った場所の一つに分類されます。紛らわしい話ですよね。私も最初は頭が痛かったです。地獄国じゃなくて冥府国でも問題ありません。死後の世界が定義方式によって呼び名が変わるというだけですね。
地獄国の冥府裁判所という場所が厳密には冥府であって、地獄国をそのまま冥府と呼ぶこともありますから。冥府の門が開くと言うことは、外界から守られていたこの煉獄島に、地獄国への通路が解放されると言うこと。そうなれば生者の魂が地獄の毒の空気を吸い、まだ生きている肉体を死に至らしめ……本当に死んでしまうという話。
つまりは、ですね……悪魔と契約でもしない限り、真っ逆さまに悪魔の居る地獄に送られることはありません。地獄送りの魂はまず何もない煉獄へと送られます。そこから己の罪に見合った煉獄を生み出して、浄罪のために時を費やすのです。私の場合、似合いの煉獄が既にあったと言うことでここへ送られたのでしょう。そんな風に既存の、誰かが作った煉獄に引き寄せられる魂もあります。話が逸れましたね、戻します。
冥府の裁判が長引くのは戦争のためなんです。戦争では多くの人が人殺しになります。罪悪感が人を地獄送りにするのなら、戦争により精神が麻痺した兵士達は皆天国行きになってしまうでしょう?国のためという大義名分が在る以上、人殺しの罪に押し潰されぬよう、開き直りの心が出てきてしまう。勿論そう思えない人だっている。だから酌量の余地と罪の重さを見極めるために、戦争での一般兵は冥府での裁判を受ける仕来りがあるんですよ。ある程度の地位があって、戦に直接関わった人間は裁判無しで刑が決まりますが。私は直接人を殺した訳ではないので裁判の無いままここへ来ました。
けれど理様は人をその手に掛けている。しかも一国の主ともなれば、門戸無用で天地の秤に掛けられます。理様は確かに殺人を犯しましたが、国のために人々に尽くしてきたことも事実。心の天秤、その采配に従って罪業は決まります。
「彼が罪の意識を抱いている限り、地獄送りは避けられない。王族の魂が煉獄に落ちれば……頼りになる悪魔の後ろ盾が無ければ、すぐに食料にされてしまうでしょうね」
そうです、煉獄は安全な場所ではありません。この島をこの城を夜毎跋扈する魑魅魍魎が居るように、人間の魂は悪魔の餌。煉獄に魂を漁りに来る悪魔は大勢います。運良く導き手に出会えないまま煉獄を彷徨えば、すぐに悪魔に捕まって食われてしまう。煉獄は煉獄毎に掟が異なり、それに従い全てが動いています。しかし裁判無しに煉獄落ちした魂は、地獄での生活をまるで知らない丸腰の赤子同然。
「それなら生死の境に居る彼を、この島の特性を使って招いてみましょう。そうして貴方への罪悪感を払拭してあげられたなら、彼が天国へ行くことだって難しくはありません」
けれど……この島に理様を呼ぶことは、本当に危険なこと。この城にたどり着くまで数日掛かり、夜の間は魔物が彷徨く。まだ生きている理様は仮面がありません。魔物から身を守る術がないのです。渋る私の心を見透かすように菫姫は……
「それは知っています。だから私と取引をしなさい」
「取引……とは?」
「主人に頼んで彼がこの城に来るまでの間、魔物に襲われぬよう警備をさせます。主人は門が閉まっている時は、私同様夜の間しかこの島に留まれませんけれども」
「僕に何をお望みですか?」
「主人が貴方を見初めてしまったらしいのです。その思いを尊重し、私は名前と領地分けを条件に離縁することにしました。よって、貴方があの方の新しい妻となりなさい」
以前目にした菫姫の夫はまだ若い少年悪魔。彼は当時から全身鎧を身につけてはいましたが、それがまさか情念公だったとは思いも寄りません。悪魔としての彼はまだ若く、その身体も幼い。けれど芸術分野に秀でた彼は歴史と物語に属する第七門の眷属。この六日間の儀式により力を高め身体を成長させたのでしょう。ですがあの頃は結婚相手の正体も知らず、僕は嫌がりました。
「しょ、正気ですか菫姫様っ!僕は男です!」
「何を今更。生前男性と結婚した貴方が何を?それに……良い話ではありませんか。貴方が別の者に嫁ぐとなれば、王子も貴方を諦め罪の意識から解放される。そうなれば地獄に落ちることもない。……違いますか?」
「それは……」
理様の幸せを願うならそれが最善。拒む理由はないはずだ。そう促されれば、確かにその通り。返す言葉もありません。今度こそ本当に報いの時が来たのだと、これは仕方がないことなのだと言い聞かせ、私はその提案を受け入れました。愚かな私が菫姫の企みを知ったのは、理様が城を訪れる直前でした……
「嗚呼、もうすぐ会えるんだわ!愛しい私の可愛い子!」
その夜……もうすぐそこまで迫っている理様に、興奮気味に菫姫は鼻歌を歌っていました。突然明かされた理様と私達の繋がりにも驚きましたが、何より驚いたのは菫姫……母の企み。
「僕の心を知って、そのような事を企んだのですか!?」
傍に仕えさせるつもりで理様を呼び寄せたなんて話は聞いていない。それでは彼が天国に行くことも出来ない。嵌められたんです僕は。
僕の心をずたずたに引き裂いた後、用済みになった僕を悪魔に押しつけ自分は……我が子である理様を仕えさせる。それは僕への復讐めいた隷属ではなく、愛の鎖による隷属。僕に成り代わり、理様の心まで手に入れてしまおうという恐ろしい計画っ!
仮面の内から溢れる涙に、菫姫は「その顔が見たかった」とも、「仮面を外して今の顔を見てみたかった」とも言い惨めな僕を嘲笑う。
どうすればいい?どうすれば助けられる?女の格好をすることは僕にとっての嘘になり、すぐに石化が始まる。それなら城を出て真実を語る?駄目だ。素顔を見せなければ信じて貰えない。城の外で素顔を見せたなら、夜は魔物がやって来る。理様を安全に導くことも出来ない。それなら昼?駄目だ!菫姫に昼間は外に出ないと約束させられている。これを破っても石になる。
菫姫に嵌められた。全ての逃げ場を奪われている。どうすればいい?どうすることも出来ない。他に方法があるとすれば、男の姿のままの僕を……私そっくりの菫姫よりも好きになって貰うことくらい。
(駄目だ……)
そんなこと、出来るはずがない。僕はこのまま理様を目の前で奪われて行くのを見せられ、彼の身体も魂も助けられず、無念の涙を流しながら悪魔に娶られるのだ。似合いの定めじゃないか。数々の罪を犯した僕への報いはこれだったのだ。
もう何もかも諦めて、僕は理様が訪れるのを待ちました。素っ気ない素振りで、もうなるべく傷つかないよう……昔みたいに、心まで仮面を纏って。
対する菫姫は僕を演じ、僕になりきり、そう思い込むことで嘘さえ誠に変える。僕には真似できません。怖くてとてもじゃないけど出来ませんでした。
菫姫が僕になっていくのを傍らで見て、嬉しそうな理様を見て、僕はこれが罪の重さなのだと打ちのめされて……まともに理様の顔を見ることも出来ません。
冥府の門が開くまでの時間潰しに菫姫が提案した物語り勝負。
物語を話すと言うことは、不確かな前提の話をすること。無意識に嘘を吐くことでもあります。だから物語として話すことは掟には触れない。これは台詞の練習ですと前置きし、愛の告白をするような逃げですが、それは有効なんでしょう。ですから駆け引きとしての嘘は有効。冗談の一つも言えないようでは物語りも語れません。違反になるのは約束として誓った言葉が嘘になること。菫姫の言動を見て僕が気付いたのはそこまでです。
菫姫が物語の語り手に僕を加えたのは、僕に部外者顔をさせず、当事者として僕を苦しめたい気持ちと、僕に気付かない理様を嘲笑っての油断だったのかもしれません。それでも理様は、少しずつ僕を気に掛けて……僕を見つめてくれるようになって。
嗚呼、仮初めの器だと言うのに、それだけで生きていた頃のように僕はおかしくなっていく。海に沈んだ頃はもっと違う気持ちで思えたはずなのに。貴方の視線に当てられると僕は、……私はおかしくなる。風邪でも引いたみたいに頭がぼぅっとなって、あるはずもない心臓が、バクバクと脈を打つような錯覚。死んだ日に捨てたはずの願いが再び甦る。貴方のその手に触れたい、触れられたい。死んだ私の冷たい手に貴方が触れて。生きている貴方の温度を感じ取りたい。胸が締め付けられるように、貴方を求めてしまう。
菫姫を見ないで欲しい。私をこんな所まで追いかけて来て下さったのに、どうして一目で私を見抜いて下さらないのですか?だなんて……馬鹿げた、くだらない子供じみた嫉妬。嗚呼、でもそれは貴方も嫌がる……人の嫌な部分かもしれない。昔のようにあざとく可愛いお姫様を……お姫様を演じることが出来なくても、せめて昔の僕らしく。
(僕らしく、だって?)
空っぽな人間。そこに何がある?国も身分も家族も失った今、まだ消えない光は……理様への心だけ。だけど貴方が好きだなんて突然言ってしまったら、やっぱり貴方は私を気味悪がるかもしれない。いいや、そんなことはない。でもそう言い切れる?可愛い女の子の服じゃない。男の格好をしている僕に、そんなことを言われて……貴方は狼狽えないでしょうか?……駄目だ。僕には出来ない。怖いんだ。また貴方に罵られるのが怖い。裏切られたと、傷ついたような貴方の瞳を見たくない。
(だけどこのままみすみす貴方を失うわけには……)
そうだ。僕の気持ちを追い求めるのが間違いだ。肉体に心を振り回されてはならない。僕の望みは何だった?理様の幸せだ。理様の無罪を証明し、生きてこの煉獄から地上へ帰すこと。
*
「理の殿下、ここで一つ質問タイムと行きやせんか?」
「質問だと?」
王女の話の最中、王子の傍まで近付いていた死神。耳打ちされた言葉に、王子は目を丸くしたが、王女に向かって発言を求める。まだ死神が此方の味方をしていることに驚いただけが理由ではない。
「背徳、二度目の質問がある」
「はい、どうぞ理様」
「お前は俺に一日で森を抜けるための地図を渡してくれた。俺はここに来るまで三日間森を彷徨った。あの地図はよくよく考えれば偉大だ。こんな妙な場所から一日で帰れるような代物……お前は一体何処で手に入れたのだ?」
「……お答えします」
王女は王子の傍に佇む死神に、柔らかな視線を一度送って微笑んだ。
*
理様を安全にこの森から帰すには、理様に城の外で夜を迎えさせてはならない。ともすれば、どうしても一日で脱出する術を探らなければなりません。けれど私が城を自由に回れる時間は少ない。夜は城に湧く小悪魔も居て、何かしようものならすぐに筒抜けになってしまう。悪魔の花嫁の使い魔である私は、本当に特別な力を持たない。私の身体は夜の向こうの塔へ行くことも出来ない。
夜の向こうの塔は丁度私と理様が動ける部分と鏡合わせのように向かい半分、夜の間だけ此方側に現れて見える建物です。そこは冥府と繋がっているので冥府に属する肉体を持っていなければ入ることが出来ません。そちら側の掃除をするには私は此方側、朝の向こうの塔を完璧に掃除すれば良い……わけはなく、代わりに一室散らかさなければなりません。そうすれば対になったあちらの部屋が綺麗になりますから。けれど問題はあちらにあるものがこちらにあるとは限らないこと。むしろこう言い切れるでしょう。こちらを探して何の手掛かりもないと言うことは、向こうには確実に存在するのだと。そんな確信を得ても意味はない。ありません。手掛かりがその塔にあるのなら、為す術も無い……眠れぬ夜をひたすらに悩んでみたけれど、これという答えは何処にもない。
「ひひひ、お悩みですねぇ」
「デストルド様!?」
扉の向こうへ消えたはずの死神が現れたのは、四日目の明け方の早く……ということは五日目の早朝。この頃は理様も菫姫も魔物達も寝静まり安全な時間です。
「朝から出歩かれて大丈夫なんですか?」
「死神は夜に徘徊するわけでもありやせんしねぇ、死は二十四時間三百六十六日営業でありやす。閏年すら休み無し!」
別にこちらの部屋でも構わなかったなんて。こんなことなら砦の取り替える前の藁だらけの飲み水で水拭きなんてしなければ良かった。不敵に笑う死神の、何とも頼り甲斐のありそうな。理様、彼は恩人でもあるのでそんなあからさまに「不貞不貞しいだけだ」と仰らないで下さい。
「複雑な事情みたいなのでねぇ、話に乗ってはいやしたが。あっしはこういう仕事でここに来たんですがねぇ、心当たりは?」
死神が私へ見せたのは、俗に言う閻魔帳。私の死んだ日付と死因、それから真名が刻まれた手帳です。
「この事件はあっしも見ていたのでねぇ、言い逃れはさせやせん」
そうなれば、私を演じる菫姫という女の正体が気になったのだと彼は言いました。
「……僕が不正にこの煉獄に引き渡されたと言いたいんですか?」
「第七公のやんちゃには、他の領主様方もちょいと関心をお持ちでね。その軌跡を辿ったわけでさぁ」
悪魔達の不正取引には文句は無いが、気になることがあるのだと彼は言っている風です。
「出る杭は打たれるって言葉がありやす。王女様を娶ろうとしている悪魔の旦那は生まれたての悪魔にしてはなかなか有能。しかし上には上が居る。貴方のような魂を傍に置くには荷が重い。そうなりゃそう言った連中が魂目当てに小競り合いを始める」
死後の世界ですら災いを呼び込むなんて、ほとほと自分に呆れてしまって私はもう頭を抱えるしかありません。けれど死神の緊張感の欠けた口ぶりには、少し心が楽になります。
「今は期が悪い。領地同士のどんぱちが始まれば、地獄は荒れるんでさぁ。そうなりゃあっしもリストラ。そいつは困る」
そう言って彼が渡してくれたのが、私が理様に渡した地図です。あれは夜の向こうの塔から彼が取って来てくれた物だったんですよ。
「そ、そんな理由で協力してくれるんですか?」
「感謝して貰うような理由はありやせん。あっしはお姫様の国から大分魂を冥府に攫わせて頂きやした」
それを教えられれば、はっと気が付き憎い心も生まれます。しかし一度死んでしまった以上皆裁かれる物なのです。裁判にかけて貰えるだけ父や兵は幸福。そこで裁判の絡繰りに気がつけるかどうかは自分自身との戦い。理様のように、私が正しいと思え、庇おうと思える人はそこには一人もいませんでした。大好きだった父でさえ、正しいかと問われれば……そうではないのです。彼も、相手が私でなくとも……背徳の罪に触れたことは確か。だから私も呼吸を整えて、言うべき言葉を口にするだけ。
「それが貴方の仕事なのですよね?導いて下さってありがとうございます」
死神が人を殺すわけではない。人が死ぬから、殺し合うから。だから死神が仕事をしなければならなくなる。怨むのは筋違い。私が振り絞った言葉に死神は頬をボリボリと掻き、小さく嘆息をしていましたね。
「自分に荷が重い魂なんか運ぶもんじゃねぇってことでさぁ」
王族の魂を運んだのは父の魂が最初。無念と業と未練の声が叫く重たい魂を連れて行くのに苦労したのだそうで……
「あっしには魂という概念がありやせんからね、一時的に同化してお姫様の父上を黙らせて運んだわけです」
「……それでは、僕を助けてくれるのは」
「死神失格でさぁ、積み荷に感化されてしまうなんざ、まだまだあっしが下っ端だってことでやす」
死神は……デストルド様という方は、神様という職業でも身分的には精霊に近い下級死神。理様がお話になったシルウィーヌのように、魂がなかったのですね。それでも私に親切にしてくれる彼は、昔の……まだおかしくならなかった頃の父に似た温かさ。父の魂に感化され、デストルド様にも魂が生じたのだと私は思いました。彼自身それに戸惑っている風でしたが、それもまた一興と笑う姿に背中を押され……私は決心をします。翌朝、理様にこの地図をお渡しすることを。
「さて、それではあっしは昼寝と参ります。ああ、そうそう。あっしらがいきなり仲良くしていても妙ですから、その辺は上手くやる感じで。あっしは今晩貴方にとって気分を害するような話をするかもしれやせんが、大目に見てやって下せぇ」
「はい」
今や此方側から見えなくなった夜の塔へ身体半分溶け込ませ、デストルド様が振り返りました。そうして彼は物語の一つを例に挙げるのです。
「……まぁ、一つ言い忘れましたがね。王子の話された悪魔の花嫁の話でごぜぇやす」
「昨晩の?」
「王妃様の肉体は何処へ消えたのか。何故この城が棺桶に半分入り込んだような魂を収集するのか、疑問に思ったことは?」
「それは、ありますが……」
「これまでの訪問者は皆何処へ?」
「午前零時の時計の音……その後、菫姫様に連れられ扉の向こうへ」
「それでは夜毎此方の城に現れる悪鬼共が元は何かを考えたことは?」
「……まさか」
「あっしのように魂が無くても存在している存在がございます。世にはその逆もございます。あの殿下は今肉体から魂が抜けている状態」
「誰かに乗っ取られると言うことですか?」
「それも危険ではありやすが、別の問題もありやして」
何とも言いにくそうな物言いの彼は、再び身体を此方側に全部引き出し戻ってきます。
「仮に人の魂が人の理性ならば、理性の抜けた獣が人の肉体。元々別の物が一つの存在として組み合わされたのが人間という生き物でありやして」
「別の物が一つに……?」
「へぇ。悪魔の方々が高尚な魂を欲するのは、それが良い食料であること。それからその魂を持っていた肉体が魅力的な眷属であるからでもあるんでさぁ」
魂を得て食すことでその肉体の主となること出来、支配下として使役できるようになる。夜毎屋敷に現れる悪魔達はこれまで菫姫に魂を奪われてきた旅人達の成れの果て。姿形が変わってしまっただけではなく、相手が此方のことを覚えていない所為もあり、私がそれに気付くことはありませんでした。
「魅力的な身体というのは……どういう意味なのですか?食料ではないのなら、強い力を持った部下になると言うことですか?」
「まぁ、ニュアンスとしては間違っていやせん。一般的に己を戒め禁欲を説く者程、魂に宿る正の魔力が精錬され、その対である肉体は負の魔力が蓄積されていく。貴方の場合はその逆で、背徳を重ねることで魂は負の魔力が磨かれ、その肉体は正の魔力が蓄積されるという、矛盾現象が起きやす。貴方の穢れを知っても人が貴方に魅せられるのはその魔力が原因だったんでしょうな」
ある種の納得を感じさせる言葉ではありました。けれどそれは過ぎたこと。今心配なのは理様の身体のことです。
「つまり、汚れを知らない理様の肉体は、恐ろしい負の力を宿してしまっている……?」
「その通りでさぁ。本人にそのつもりが無くても魂と別物である肉体は鬱憤が貯まってたんでしょう」
冥界の門がその魂を引き込んだのなら、肉体まで地獄にやって来る。その前に地上で虫やら鳥やら獣に食べられたのならここまで来ませんが、代わりに負の魔力を食らった動物たちがそっくりそのまま複成された魔力をもっと恐ろしく強い異形として地獄に転送されてきてしまう。それもデストルド様達には面倒事。地獄領地や煉獄を荒らす魔物となりとんでもないことになるのだそう。
そうなればそうなったで、どの領主が首輪を付けて眷属とするか。その場合魂を所有するこの第七門の末端悪魔の物……その上司である第七公に。他の領主と異なり魂を必要としない第七領主に魂狩りの魔物が降る無意味さ。魂を食べない悪魔の眷属が魂を得ることは問題であり、首輪と手綱が存在しない化け物を放し飼いされることに等しく、他の領主としては何としても妨害したいという話。
「それは……まだ理様に死なれては困るということですか?」
「あっしの雇い主やら取引先がどうにも。徳の高い殿下に普通に汚れていただいて、地獄的に無害なレベルまで汚れて貰うのがベストで。あの王子様はどうにも悪魔と契約するようなお方じゃねぇ。手に入らない高尚な魂ほど意味がねぇものも無いそうで」
普通に汚れるとは、普通に女性を娶られて子孫を残し……国を繁栄させること。王の仕事その物です。それが普通の幸せ。本当の幸せのはず。痛む心もありますが、笑って見送って差し上げたい。仮初めの器を得る前は、自然にそれを願っていたはずなのだから。きっと今でも出来る。魂と肉体が反発し合っても、理である魂に心は従わなければならない。それが人間という物なのですから。
こうして五日目の朝、私はデストルド様と組みました。そしてなんとか理様を生の岸辺に送り返さなければならないと、私は使命感に駆られました。
(生きていることが幸せ……)
私を忘れて貰えれば、それはきっと真実になる。理様がこれから先、誰かを愛するのだとしても、きっと幸せになれる。それでもそれが菫姫であってはならない。理様は生きなければならない方なのです。
長くなりすぎて最終話収まりそうになかったので、前の話に無理矢理詰め込みました。
元々最後にラスボスとして脚本シリーズのラスボスげほんごほんメインヒロインのイストリアかその部下で多少の脚本能力もった悪魔ががどばーんって出てでデウスエクスマキナで締めるのが神話とか童話としては王道かなと当初から予定はしていた物の、間男が出張ってきてどうしよう。
過去の話を読み返して矛盾点とか忘れたところ無いか思いだしてみて、菫姫の城の旦那が出て来てないなと思ってそれじゃあと。
しかし邪道小説。デウスエクスマキナで敢えてバッドエンドで締めるのが邪道と言うのかも。
ギリシャ神話とかで、過程は復讐劇とか愛憎劇でドッロドロなのに最後はデウスエクスマキナでなんか終わりがパッとしないとか。不満が残ることがある。
それが格式美とは言ってもねぇ。
背徳の姫君は元々、ギリシャ悲劇っぽい話っていうのがそもそものプロットだったので、随分とフリーダム禁忌物語になってしまいました。
ギリシャ神話って言うと私の好きな話が偏っている所為で、復讐劇と近親相姦と同性愛みたいなイメージができあがってたんだと思う。あと一騎打ち後の相打ち。一騎打ちの相打ちにロマンを感じてしまう。
いや、ほら有名所でオイディプスとか。その父ちゃんが美少年王子をカテキョしてる間に攫って手込めにした話とか。ついでにオイディプスの息子兄弟が国取り合って一騎打ちで相打ちとか。あと女体化予言師とか。
……西欧文学でやったところばっかですやん。
何はともあれ、昔の文学で普通にあったようなことを現代語でそれっぽい設定として用いた話を作ると、注意書きになんて書けばいいのかよくわからなくなるという教訓を学びました。
文学だからこの程度良いのか?でも苦情が来る前に注意書き書くべきなのか?
でもそれってネタバレだよどちくしょうという葛藤にこの数ヶ月悩まされました(笑)楽しかったけどね。
後一話で終わらせますのでしばしお付き合いいただけると幸いです。




