【6夜目】訪問者の物語 『ブルーシュトラオスの花嫁人形』
※今更過ぎて何注意したらいいか解らないけど、何があっても大丈夫という方以外は読まない方が良いんじゃないかな、各種変態注意報。
ある国のある場所に……そうですねぇ、その村を仮にククロドルフとでも呼びましょうか。そのククロドルフの村には腕の良い二人の人形師がおりまして。
まずは一人目がアルティフェスタ人形師。彼は機械人形の名手でね、彼の人形達はまるで生きた人間のように動き奏で歌うのだそうで。それは芸術品のようだと人は言いました。
二人目が、ブルーシュトラオス人形師。反対に彼の作る人形はピクリとも動かない。けれどその繊細な作りはまるで血の通う生き物が生きて眠っているような不思議な魅力がありまして、人は彼の人形はまるで花咲く乙女を着飾らせた花束のように美しいと褒め讃えるのです。
言うなれば彼らは人形の静と動。人形作りにおいて違った信念と情熱を持っていたのでしょうな。人形をより人間的にすることを生涯課題にしていたアルティフェスタ。一方で人形を人形としての美を追究すべく、その造形に魂を注いだブルーシュトラオス。
もしこの職人達の作品を、一体だけ貰える機会があれば、あなた方でしたらどちらの人形が欲しいですかな?ははは、私ですか?私は勿論、どちらも要りませんな。
幾ら美しかろうが動かない人形は唯の人形。如何に動こうともそれがぎこちなく映るような無機質な人形ならば接する意味もないというもの。そうですねぇ、その両方を足した人形ならば考えても良いでしょう。けれど二人は火と油。協力して人形を作ろうなんて発想は無かったのですよ。
アルティフェスタの人形でもっとも人気があったのは花嫁人形という人形でして、それはブルーシュトラオスの人形ほどの精巧な美しさはありませんし、動作の度に聞こえる機械音はそれが人間ではなく機械だと相手に思わせるようなものでしたが、機械人形としては一級品。等身大の人間の形をし、人間と同じ大きさですから人の着るような服の着せ替えも出来るという何とも不思議な人形でした。その花嫁人形は炊事家事洗濯などはしませんが、夜伽の世話をすると言います。この花嫁人形と一夜を共にした男達は、生身の人間など二度と相手に出来なくなると言います。
勿論アルティフェスタも最初からこんな性欲処理の人形を作っていたわけではないのですがね、需要というものがあります。依頼が来ればそんな人形も作らなければなりません。そうやって一体作れば噂が広まり、また一体また一体とそんな依頼ばかりが増えていく。しかもこれ、大きな人形ですから高く売れるんですね。芸術品のような機械時計めいた機械人形なども値の張るものですが、この人形は飛ぶように売れたそうですよ。
こうなると村での人気者はアルティフェスタ。ブルーシュトラオスの人形はまったく面白味がないと笑われるようになりました。
「よう、ブルーの旦那。まだそんな時代遅れの動かない人形を作っているのかい?」
「フェスタの旦那、君はまったくつまらない男だね」
村で顔を合わせると二人は以前に増して仲が悪く、喧嘩ばかり。
「君は人形に対する愛が足りない。作品は我が子だ。大事な愛娘。それを夜伽の道具にするなんて、君は娘を娼館か奴隷商人に売り飛ばすような残酷な親と同じだよ」
「まったく、薄気味悪い男だ。人形ってのは作品だ。だが人形は人形だ。機械を人間だと思うような輩は頭がいかれているぜ。そんなことばかりいって稼ぎがないからお前さんには嫁も嫁いでこないんだ。少しは金になる人形作りってものを考えたらどうだい?」
「余計なお世話さ」
ブルーシュトラオスはそう言い捨てて自身の工房へと戻ります。しかしお金がないのは事実です。人形の材料費、それから仕立ててあげる洋服の布代だって馬鹿になりません。家に帰れば可憐な乙女人形達がブルーシュトラオスを迎えてくれますが、アルティフェスタの家事人形のように掃除洗濯をしてくれるわけでもない、調理人形のように料理を作ってくれるわけでもない。切り取られた時間の絵画のように美しい姿を見せてくれるだけ。
いっそ自分も人形になれたら。何も困らず何も考えずにこの風景の中にとけ込めるのではないかと思ったら、ブルーシュトラオスは泣きたくなりました。
そもそも何故彼の人形はそんなにも人間らしいのか。その秘密は素材にありました。ブルーシュトラオスが作るのは娘人形という名の屍人形。若くして亡くなった姉が彼には居りました。長い長い、美しい金髪の少女。彼女は死ぬことで多くの人に忘れられていく。それがどうにも許せなかったブルーシュトラオスは、姉のその美しい髪を使って、人形を作っていたのでした。けれど死んだ人間の髪は伸びませんから、作れる人形には限りがあったのです。大きな人形を作ればその分髪の毛も必要になる。だから彼が作るのは胸に抱えられる程度の小さな人形。全部で十体の乙女人形。それは彼がまだ職人として未熟な頃に作った人形。だというのにその十体の人形を越える作品を彼は作ることが出来ません。ですからその乙女人形達の噂を聞いた買い手は次々現れますが売る決心が付かず、ブルーシュトラオスは客を追い返すことも屡々。
しかしそれでは食うにも困る。ですから彼は親しい人間を亡くした人間から、その死者の髪の毛を持ってきて貰い、そういう身内に不幸のあった人のためだけに人形を作るようになりました。失った人を何時までも傍に感じられるようにと。
まぁ、それでもブルーシュトラオスの元に大量の依頼が入ることは珍しく、いつも彼は侘びしい生活を送らされていました。当然そんな生活じゃ嫁に来る娘もいません。
仕方なしに、手元に一体だけ人形を残してブルーシュトラオスは愛しの乙女人形達を売り払いました。その金で彼が嫁を貰うために古い我が家を改装したり身なりを整えたかというとそうでもなく、その金で人形の服を仕立てる商売を始めました。
こんな繊細な仕事には、流石のアルティフェスタも敵いません。 アルティフェスタから人形を買った者が、ブルーシュトラオスの所に服の依頼をするようになったのは自然な流れと言えましょう。
「ふん、あの男は人形師としての腕はなかったんだ。だから仕立て屋なんぞの転職をした」
アルティフェスタはそう思うことで、自分が村一番の人形師であるとの面目は守られたと頷きますが、ある時妙な噂話を耳にします。
「やい、ブルーシュトラオス!最近お前の所に変な依頼が来やしないか?」
「ああ、妙なことと言えば最近顔だけ頭だけの人形が欲しいと言う、妙な輩が増えているんだ」
「そうか。俺の方は不思議なことに小さな花嫁人形ばかりが依頼に来る。俺もお前も一杯食わされたんだ!これを見ろ!」
「な、なんだこれは!?」
アルティフェスタから突きつけられた人形に、ブルーシュトラオスを呆気にとられてしまいました。そこにいたにはブルーシュトラオスの仕立てた服を着た機械人形……そしてその頭は確かに彼が作った首だけ人形がすげ替えられていたのです。
これはアルティフェスタのプライドを大きく傷付けました。最高の人形師だと思っていた自分の人形が、落ちぶれたブルーシュトラオスの人形の首を付けられているという事実。ブルーシュトラオスにとってもこれはショック以外の何者でもありませんでした。
それは依頼人の中には妻や恋人を亡くした人間からの依頼もありました。そう言う人のために等身大の人形を作ることもありました。その金がないから首だけの人形が欲しいという者も居ました。それがこんな事になるなどと、彼は思いもよりませんでしたからねぇ。
しかし最初から依頼人は二人の人形を組み合わせて改造することを目的として依頼をし、理想の花嫁人形をまんまと手に入れてしまったと。しかもこの話の酷いところは、その依頼人というのがそれを自分の作った人形として大もうけしていたのですから、アルティフェスタの怒りももっとも。ブルーシュトラオスは金云々の前に、ずっと色あせない思い出のため、飾られるために作った人形を汚されてしまったという思いから、すっかり落ち込んでしまいました。そうなるとこれまで売った人形達、とりわけ姉の形見の人形達が心配になり、方々を回って様子を見に行きました。
嫁ぐ前に死んでしまった姉が人形として、可愛がってもらえるのなら良いと思って売った九体の人形。その持ち主を訪ねてみれば、その全てが例の依頼人に金を積まれて奪われていたと知って、ブルーシュトラオスはとうとう泣き崩れ……自分が人形を作る際、そこに与えた意味と愛情が歪められてしまったことを悲しみました。
やがて泣きやんだブルーシュトラオスは村へと帰り、アルティフェスタに話を持ちかけて、最後の乙女人形を花嫁人形に改造し、それでも乙女人形として売りに出しました。やがて暫く後に沢山の花嫁人形を所持する貴族が死亡したと聞き、出向いてみればそこには二人の人形師の改造された人形達が転がっていました。
「ブルーの旦那、一体何をしたんだい?」
「僕は売るときにこれは飾りのための人形ですよと言って聞かせた。それでも君に協力して貰った通りに、あの子は花嫁人形。注意を無視して使おうとした彼が愚かだったんですよ」
*
「まぁ、蠍の毒でも人形の中に仕込んでおいたでしょうな」
「……死神、そんな適度に腹立たしい程度の話で俺や菫姫を泣かせる気があったのか?」
笑う黒マントに王子が尋ねれば、死神はふぅと軽い溜息。
「勿論これが最後の話ではありませんとも。これは唯の前座で本番はこれから」
それはこれから話す話のための伏線でしかないと黒マントは意味深に語り出す。
「あっしがあの話で言いたかったのはね、人間の男というものは如何に低俗で下衆で煩悩塗れかってことでさぁ。そこのすまし顔の王子様だってだんまりしてる王女様も一皮剥けば同じでしょう」
「俺はともかく背徳をも愚弄するか」
「しますとも、ひっひっひ」
どこまでも王子を軽んじる態度で死神は言う。
「貴方が欲しかったのは何ですか?理の王子様。人形のように美しく傍に置き飾るだけの王女様ですか?それとも花嫁として触れられるそんな王女様ですか?」
所詮お前もあの話の中のろくでもない男と同じなのだと決めつけて、死神は王子を見下した。
「よもや、そこの石化した王女様が元の姿に戻ったところで貴方はどうするのですか?貴方の望む人形はアルティフェスタの花嫁人形か、それともブルーシュトラオスの乙女人形か」
「……そのようなことは、お前には関係のない話だ」
「それはいかにも。それじゃあそろそろあっしの最後の話と行きやしょう。それはそうですなぁ……アルティフェスタの人形を欲しがった男の話、とも言えますな」
前座はこれにて終い。それでは始めましょうと、死神がにたりと笑う。
*
それではあっしの物語もこれにて幕切れ。カーテンコールにございます。
それじゃあ何を話しましょうかねぇ。一人の男の話にしましょうか。
男はなかなか幸せな男でした。生まれ持った身分は王族。譲られた国は平和その物。和やかな時を過ごして男はやがて王となり、それはそれは美しい娘を妻にすることが出来ました。これが物語なら物語るに足りない物語。最初から最後までハッピーエンドじゃつまらない。そりゃそうだ。この男の物語はようやくここから始まるのです。結婚が物語の幕切れじゃあないんですよ。結婚は人生の墓場!先人達が残したかくなる偉大な言葉がございます。
嗚呼、その娶った美人嫁が鬼嫁だったとか浮気性で不貞を働いたとかそんなわけではございませんとも。妻は稀なる程の美貌を持ち、尚かつ結婚するまで処女で、貞淑でケチのつけようがないほどいい女だったそうで。これだけ良い思いをすれば、この王様もこれからの転落劇の主役に抜擢されても致し方ありませんな。
墓場というのは、そう全ては神託の所為。こんな美しい生娘を妻としていただいたのに、王はその妻をなかなかいただくことが出来ないのです。それは神託なる物がこんなことを言うのですよ。
「男児が生まれれば、国を滅ぼす災いとなる」
その国は神託を守り続けてきたことで、今日までの平和を保って来た国です。だから今を守るために神託は絶対でした。この王様はね、そりゃあ平和の中を育ってきた男です。要するにへたれですよへたれ。だからこんな事を言われては、すっかり怖じ気づいてしまいましてね。妻の寝所には通えず、酒場で飲み明かす日々。女神のように美しい花嫁が居ても、触れることが出来ない女など女ではありますまい。王は酒の勢いで酒場の姉ちゃん口説いたり、酒場のママを口説いたりと、そりゃあ女遊びが酷かった。
これに心を痛めたのは美しい王妃様。このままでは正妻としての面目も保てません。その内妾でも寄越されて今の地位を失ってしまう。何とも惨めなことでしょうか。それは王妃としてのプライドを大いに傷付けたのです。私にはよく分かりませんがね、女の方というのはなんとも面倒臭いものでして、手を出したら出したで五月蠅い癖に、出さなければ出さないで、それは五月蠅いものなんですよ。嫌なことは嫌だけど、女としての魅力がないと思われていると、感じてしまうのでしょうな。
要するに、どんな今にも女人は満足できない生き物なのです。比較して比較してより良い物を欲しがるのです。与えても与えてもそれはキリがない。天井無しの底なし胃袋。どんな美人も醜女もそう大差はありませんな。
だから女遊びも度が過ぎれば、愚かな王も知りました。どんな女も面倒臭い。それならやはり美人が良い。同じ我が儘でも美人のそれならまだ許せる。
王は妻の元へ戻り、なんとかやらせてくれないかと頭を下げに行くのです。こうなればもう国だの災いだのどうでも良い。
「生まれるのが女の子ならば問題ないんだろう?男が生まれればみんな殺してしまえばいいじゃないか」
なんとも酷い言葉ですが、まぁたしかにその通り。王妃も悪い気はしませんでした。他の女達の味を知って、それでもやはりお前に勝る女はいないとこうして頭を垂れているのです。王妃はその態度に満足し、二人は寝所を共にするようになりました。
やがて王妃様は無事に懐妊し、こうなると愚かな王も父性という物に目覚めてどんな子が生まれる物かとまだ見ぬ赤子のために国中から贈り物を集めて待っていました。当然生まれるのは女の子だと信じていましたので、女物の可愛らしいドレスやら、靴やらリボンやら。他にも女の子が好きそうなインテリアや家具やぬいぐるみ。全く愚かな男ですな。
しかし悲劇の幕が上がった物語。美しい王妃様は、出産で命を落としこの世を去ってしまいました。王に残されたのは生まれて間もない赤子だけ。それが娘だったならまだ救いもあったでしょうに。けれどこれは悲劇ですから、当然生まれるのは男の子。
ここに来て王の周りをぐるぐると回る神託の言葉。王としての務めを思い出せと言うように、その言葉がぐるぐる回る。嗚呼、されどその子の何と愛らしいことか。その赤子は妻にそっくり……いや、妻よりも将来美人になりそうな目鼻立ち。だというのにあろうことかその子は男の子。王は自分の軽はずみな言動のツケが回ってきたと噎び泣きます。
見れば見るほど愛らしいその子を、殺さなければならないなんて。そんなこと、妻が死ななかったとしてもこのへたれな王に出来るはずもありません。ましてや妻が死んだのです。部下に殺させることなど出来ません。命令されたとしても部下達だってこんなに愛らしい子供を殺せるはずがないのです。
「……今日見たものを決して口外してはならぬ。私に生まれたのは娘!これは王女だ!いいな!」
王は箝口令を敷き、神託に背きました。失えばそれだけで光り輝く妻との時間。愛しい妻の忘れ形見。王は王女を溺愛し、可愛がって育てました。王女はその境遇に戸惑いながら、それでも日々美しく成長し、十にもならぬ頃より求婚をしてくる者が後を絶ちませんでした。王はそれを断り続けていましたが、それも限界が訪れました。断られた者が増える度、王女の噂話は遠くに広がっていきます。尾鰭の付いた噂話を真に受けた男達が次々と国を訪れて……観光産業は盛んになりまして、国としては大助かり。
けれどこれまで平和だった国の中に大量の金銭が一度に流れ込んでご覧なさい。それまでそこまで金集めに興味がなかった連中も、目の色を変えて行きますよ。金の魔力に取り憑かれた者が王の親族にもありまして、王女の秘密を金の力で王女に仕えるメイドの一人から聞き出して、秘密を盾に王を揺すり始めます。こうして王は秘密を守らせるため、渋々王女の求婚者探しを催すことになりまして、海の向こうから山の向こうから沢山の男がやって来ました。それでも王女は王女ではありませんからね、結婚なんてさせられません。
いや、それだけでもないでしょう。
王は成長した王女の美しさにすっかり参ってしまっていました。まだ幼い王女は王妃の面影をそこに残し。それでも王妃すら霞むほどの形容しがたい蠱惑的な空気を纏っているのです。あれは我が子だ、あれは男だ。自身にそう言い聞かせても、気が付けば王女の美しさにほぅと口から出る溜息。その視線に気付けば優しく笑みかけてくれる我が子に、王ははっと我に返る日々。
そうしてこんな姿でもこれは娘ではなく息子だと言うことを思い出しては、王は申し訳ない気持ちで一杯になりました。男の身でありながら男達に求婚されるなど、もし自分が王女の立場なら発狂しているところだと、王は今更ながらに自分が我が子に酷いことをしていると思うのです。
「私がこんな風に育ててしまったばかりに、お前には嫌な思いばかりをさせておる」
こんなことならいっそ、赤ん坊の時に殺しておいてあげれば良かった。それが何よりこの子のためだったのではないか。そんな考えが脳裏を掠め……それでも美しく成長した王女を手に掛けることなど、赤子を手に掛けるよりも難しいこと。どうすれば良かったのだろうと王は息を吐き、物憂げな娘を見ます。
「いいえ、お父様。私は幸せです」
王の視線を感じれば、娘は穏やかにやはり微笑む。それが彼女の常でした。
「こうして今ここに生きていられる。これに勝る幸福はありません」
そんな健気なことを言われれば、いよいよ娘ではない娘が愛おしくて堪りません。次第に王は王女が王妃の生まれ変わりのように思えて来て……行き過ぎた親心は可愛い我が子を誰に嫁がせるものか。ずっと自分の手元に置いておこう。そんな独占欲に駆られた王は、王女が自分以外の人間相手に微笑まないことに気付きます。
そしてそれを求婚のための無理難題に組み込んでやろうと企みました。いや、それだけではまだ弱い。ならば本当の無理難題のため王女だけにしか教えたことがない王女の本当の名前を出題に入れてしまい、当然誰にも解るはずがありません。これは国の書類上にも書いていないこと。王と王女の頭の中にしかその答えはないのですからねぇ、どうしようもありません。もしこの無理難題が破られることがあれば、それは王女自身が見初めた相手に真実を明かすときでしょう。
求婚者の代理には芸人や楽師の娘などもやって来ます。もしそんな女求婚者に王女が恋をしたならば、王も父親として譲ってやろうと思いました。笑わせたのは依頼人ではなく代理人。なら結婚する権利は代理人にあると言ってしまえばそれまでです。
愛しい我が子をずっと手元に置いておきたい。それでも時折王女が男であることを思い出し、それでは駄目だと考え直す。男として生まれたのに、このまま生涯女として生きていく我が子が不憫で不憫でなりません。
ですから我が子の男としての幸せのためならば、そう心も割り切れる。それでも我が子をあくまで王女として何処ぞの男に取られるのだけは我慢がならなかったのです。
一見矛盾したこの思考。これは認識の違いとでも言えましょうか?我が子を娘と認識するなら彼女を女として見てしまい、誰にも渡したくない。しかし息子と認識するなら、父親の顔に戻れる。
王女が傍にいることで躙り寄る神託の言葉。それが王を少しずつ蝕んで、確実に狂わせている。
触れられない女は女に非ず。これはかつて王が王妃に触れられなかった時に過ぎった言葉。狂い始めた心を封じるために、王は昔のように女漁り。けれどどんな美しい女に触れても、王女と同じように微笑む者は一人もいやしません。それもそうだ。王女は女ではない。ならば王女と似た背丈、年格好の子供を集めよう。そうしてそんな少年達に女の姿をさせるのだ。そうすれば王女への代用品くらいにはなるだろう。
こうして今度はお忍びで女装少年漁りを始めた国王の、姿を見た者がいましてね。それをネタに今度はお美しい王女様を揺るって集るわけです。それはまた別の話ですので、私の話はこれにて終い。
かの国が滅んだのは、愚かな王の行いである。人はそう言いますが、これは歪んだ愛を抱えてしまった王への天罰じゃあないですかね。少なくとも私はそう思っていますよ。ひひひ、思っていますとも。
*
「しかしまぁ、あの戦争は大分魂を狩れてあっしも万々歳。これはその戦で捕らえた国王の魂から抜き出した記憶の物語でございました」
「デストルドっ!貴様……っ!」
仰々しく一礼し話を終えた黒マント。王子は勢いよく席から立ち上がり、死神の胸倉を掴む。
「その節は、貢献してくださってどうもありがとうございます理の殿下。貴方のお陰であっしは随分営業成績伸ばせましてね」
「こ、これが背徳の、背徳の父親の話だと!?」
「王子様を泣かせるにはとっておきの話かと思いやしてねぇ、ひっひっひ。どんな気分ですかい王子様?かの背徳の王女の悲運も悲運。貴方には決して話さなかったであろう物語。けど、良かったじゃあないですか。貴方があの国に攻め込まなければお姫様はとうとう痺れを切らした父王に襲われていたかも知れないんですから」
黒マントの言葉に、王子も反応を忘れてしまう。ぞっと血の気が引いたのだ。
「ど、どういうことだ!?」
「貴方はねぇ、王女様に救われていたんですよ」
「俺が、背徳に……?」
「彼女は貴方をどう思っているのか王に尋ねられ、はじめての友達とそう笑ったそうでして。ここで父親心が出た王は、貴方を殺させることが出来なかった。もしここで王女が艶のある返事でもしていたなら、貴方は王女のいないところで捕らえられて始末されていたことでしょう」
「な、何故俺が……」
「王女は王の前でしか笑わなかった。それが貴方の前でも笑うようになった。王にとって貴方はとてつもない脅威だったんですよ。愚かな王が前線に出たのは愚かだからではなく、それだけ貴方に恐怖していたのです」
何も知らなかった。あの平和呆けしたような国王が、そんなことを考えていたなんて。
「そうそう、それに王女と親しくならなかったとしてもそれはそれで危険だったでしょうね。最初の頃、王は親切に貴方を迎えやしませんでしたかねぇ?」
「ま、まさか……」
王子は王女と年が近い。数歳は年上だがまだ若い部類に入るだろう。黒マントの話に出てきた王の狂い具合から言えば、別の意味で大変なことになっていたかもしれない。王女と丁度いい程度に仲が良かったからこそ、全ての危険をかいくぐることが出来たのか。王子は冷や汗が背中を伝うのを知った。
「しかし残念残念。この話ならば城主様も貴方も、二人まとめて泣かせることが出来ると思ったのですがねぇ」
残念そうに黒マントはくくくと笑う。その言葉に王子が振り向けば、菫姫の仮面から……ぽつりとしたたり落ちる水滴がある。泣いている。菫姫が泣いているのだ。
(どういうことだ?)
今の話の何処で泣く?苛立ちこそ感じても、あんなもので泣けるはずがない。それならこれでなく菫姫。彼女は本当に何者なんだ?王子は見つけたと思った答えが再び離れていくのを悟る。
(駄目だ、情報が足りない)
このままでは決め手に欠ける。一か八かの博打で菫姫を笑わせられるものか。正体への確信が無ければそんな話は出来やしない。
(いや……)
居る。一人だけ。想像に過ぎないが成りうる者が一人いる。それならば今一度、その確信を得なければ。
「死神、俺はお前との賭に勝った。約束は覚えているだろうな?」
「それは勿論、大体は。ですが菫姫とあっしの賭けの結果は全員が話し終えてから尋ねなければ其方の賭けに不備が生じやすので」
「其方は良い。俺とお前の賭けの件だ。冥界の門とやらを開けろ。話をしたい者がいる」
菫姫を泣かせたことで菫姫の真名を聞き出す権利を得た死神。しかし王子は泣かなかった。もう一つの賭けにより、死神は冥界の門を開ける約束をした。それまでこの勝負が終わった後と粘る理由は確かにない。それでも死神が渋るのは、王子が冥界に行きたがる理由が見えないからだろう。
「生憎貴方の愛しの王女様はそこで石になっておりますので、冥界には居りませんが?」
「違う。会いに行くのは……俺の父上だ」
王子の答えに、黒マントは口を大きく開けた後……腹を抱えて笑い出す。なるほどそう来たかと笑う死神は、初めて王子を認めるように頷き手を差し出した。
「ほぅ、なんと……よろしい。ではお連れしましょう」
「砦、背徳を見ていてくれ。菫姫、暫し休憩だ。帰ってきてから今度は俺が話そう」
そう言い残したところで、死神の手を取った。その途端に意識が途絶え、気が付けば違う場所にいた。そこは空も海も薄暗く、土は嫌なくらい湿っているのにやけに乾いた風が吹く。叫び声のような獣の咆吼が、人語めいた奇声を発する烏たちの声……それに紛れて啜り泣くような冷たい泣き声が。そんなものが全方向から聞こえてくる不思議な場所だ。
「ええと、魂のリストですと向こうの牢獄ですね」
「牢獄?」
この死神は悪魔に魂を横流ししていると聞いた気がするから、それは妙な答えだ。王子が尋ねると、死神がひひひと含み笑う。
「戦争の後は死者が大勢出ますので、裁判が長引きましてね。まだ終わっていないんでさぁ。まぁ裁判なんて言っても書類に判子押すだけの流れ作業。形式的なものであって勿論あっしの回収した魂は、裁判の後は悪魔様の方に引き渡されますがね」
その簡単な裁判がまだ終わらないほど、大勢人が死んだのだ。
「もっとも先の戦争で、というよりはその前後の小競り合いで死んだ人間が大勢いて他の裁判も遅れていると言った方が宜しいかもしれやせんがね」
背徳の国を滅ぼした戦は、そこまでの被害ではないと死神は言う。あれは戦慣れしていない平和呆けの兵達の特攻が問題だったため、無駄に犠牲者が出たようなもの。最初から降伏していればもっと平和的に解決出来ただろうと言われるほどに、背徳の父の采配は愚かだった。
「ここですね」
やがて死神に連れられて、やって来た牢の前。その中には半透明の、青白い顔をした父がいる。
「ご無沙汰しております、父上」
理は死に目に会うことも出来なかった父との再会に、僅かに涙腺が緩むが、今回の目的を思い出し気を引き締める。
「……おお、久しいな。しかしお前がここにいると言うことは……お前も戦で死んだのか?」
「いえ、まだ生死の境を彷徨っている身の上です。……父上。本日は貴方に尋ねたいことがありここまで参りました」
「して、話とは?」
「私の母上のことです。母上は、本当に戦争で亡くなったのですか?」
母の話題に、父の亡霊は言葉を無くし牢の中に立ち尽くす。それでもこれを聞き出さなければ、菫姫との勝負に勝つことは出来ない。
じっと王子が牢の父を見つめれば、苦渋の表情で父がようやく一言絞り出す。
「……何か、知ったのか?」
「いえ……気付きそうになったことがあっただけです」
「……お前の母は確かに死んだ。それは間違いない」
「そうですか……」
それならば良い。他の心当たりを尋ねるまでだ。
菫姫は背徳によく似ているが背徳ではない。この俺には親切だが、伝承にはそこまででもない。悪魔に伝承をくれてやろうとしていたくらいだ。ならば菫姫はなかなかに非道な女である。
王子は考える。伝承の代わりに自分を傍に置きたがると言うことは、それは彼女が死んだ自身の母ではないのかということ。しかし菫姫と背徳が似ている理由はそれでは説明できない。もしあの日母が戦場で死なずに海の向こうに逃げ延びていたのなら、そうも思ったがそれが無いのなら、この線は消える。
「では父上、それか貴方は母上と結婚する前に……親しかった女性は居ませんでしたか?」
「何?」
「それも、金色の髪をした美しい女性です」
今度こそ父は何も答えられなくなる。それは十分過ぎる答えだった。代わりににたにたほくそ笑むのは黒マント。
「つまり理の王子様、貴方は菫姫の正体に目星を付けたわけですな」
そう、それなら合点がいく。
菫姫はおそらく父と面識がある。その上で背徳の血縁者。背徳の父王の話で涙するのは、彼女が彼を愛していたから。だと言うのにその菫姫が背徳を愛さず、この俺を傍に置きたがるなら、大体の話の想像も付く。
「次に話す話も決まった……帰るぞデストルド」
「おや、母君にはお会いせずともよろしいので?」
「……俺の母はここにはいない」
「ひひひ、よくよくご存知で」
王子は父に一礼し、死神に連れられて暗い闇を抜ける。ぱっと視界が開けたと思うと、あの城の中目を覚ますのだ。王子の傍には心配そうに此方を眺める愛馬の砦。目の端には茶を飲んで気を静めている菫姫。
王子は砦の傍にある背徳の王女の像に目を向けて、この勝負いよいよ負けられないと頷いた。
「菫姫、待たせてしまったな」
「いえ」
「では順番通り、次は俺が話をさせていただこう」
「……それではお願いいたしますわ。貴方の最後の物語、私に聞かせてくださいませ」
「ああ。それでは語らせていただく。俺の最後の話は……理という名の王子の話だ」
肝心の人形の話が前座。
背徳の王女の父親の話がメイン。
そこから菫姫の正体に気付いていく理の王子。核心迫って来た感じ。
しかしつくづくろくでもない連中ばかり出て来る小説ですね。
ブルーシュトラオスは花束という意味のBlumenstraußから一部除いて。
アルティフェスタは工芸家のartifexと芸術家のartistaを組み合わせて作った造語。




